第5話:別離の爆鳴気と、涙の約束
ガルドの右腕が吹き飛んだあの凄惨な事件は、表向きは「魔法具の暴発事故」として処理された。
理由は単純だ。長女であるガブリエラが領主の養女として迎え入れられるこの重要な時期に、身内から怪我人、それも「妻を斬ろうとして娘に腕を吹き飛ばされた」などという醜聞が表沙汰になれば、すべての縁談と商会の信用が水泡に帰すからだ。
そのガルド側の弱みを、セリーナが見逃すはずがなかった。
セリーナは今回の件の完全な口止めと引き換えに、莫大な慰謝料を要求した。
それは、彼女の故郷である海沿いの領地に、セリーナ名義の商会を複数設立させ、その全権利を譲渡させること。
事実上の離婚であり、ガルド家との完全な縁切り宣言だった。腕を失い、領主への体裁を取り繕うしかないガルドには、その要求を呑む以外の選択肢は残されていなかった。
元々、セリーナとガルドの間に愛情はない。
彼女が冒険者時代にリーダーをしていたパーティーが、ガルドの商会の護衛依頼を引き受けて失敗、莫大な賠償金を請求された。
無料の優秀な護衛と火魔法10の血を欲したガルドは、賠償金の取り下げと引き換えに、結婚を迫ったのだ。
「ニナ。あなたとケントも、私と一緒に海沿いの街へ来なさい」
出発の数日前、セリーナは俺たちのあばら家を訪れ、真っ直ぐにそう提案してくれた。
だが、ニナは静かに首を振った。
「お気持ちは痛いほど嬉しいです。……でも、私はこの街に残ります」
「なぜ? あんな男の近くにいては、いつまた理不尽な目に遭うか分からないのよ?」
「領主様との『第二夫人として囲う代わりに、ケントの安全は保障する』という誓約があります。私たちがここを離れれば、誓約を破ったとして、ケントにどんな不利益が及ぶか分かりません。それに……」
ニナは、窓の外の遠くの景色を見つめた。
「愛したあの人が眠るこの土地から、離れたくないんです」
その揺るぎない決意に、セリーナは短くため息をつき、今度は俺の目を見た。
「ケント。なら、あなただけでも私と一緒に来なさい。あなたのその恐ろしいほどの知識と才能、こんな田舎町で腐らせるわけにはいかないわ。シーナと一緒に、最高の環境で育ててあげる」
ニナも、「ケント、あなたはセリーナさんと行きなさい。その方が絶対に幸せになれるわ」と俺の背中を押した。
だが、俺の答えも決まっていた。
「ごめんなさい、セリーナお母様。俺は、母さんとここに残るよ」
前世で何も守れなかった俺が、今世で初めて手にした「守るべき人」。
この細く弱々しい母親を置いて、自分だけ安全な場所へ逃げるなんて、四十三歳のおっさんのプライドが許さない。
「……ケントの、ばかぁっ」
ずっと黙って話を聞いていたシーナが、ボロボロと大粒の涙をこぼした。
俺はシーナの頭に手をポンと乗せ、わざと意地悪く笑ってみせた。
「ここで母さんを置いて逃げるような薄情な兄貴、お前は好きか?」
「……ううん。きらいっ……。ケントは、優しくてかっこいいお兄ちゃんじゃなきゃ、やだ……っ」
シーナは唇を噛み締め、必死に嗚咽を堪えた。
七歳の幼い心で、理不尽な別れを受け入れようと戦っていた。
そして、別れの日。
海沿いの街へ向かう豪奢な馬車が、郊外の家の前に停まっていた。
見送りに来たガルド商会の大人たちが遠巻きに見つめる中、俺とシーナは裏庭での特訓と同じように、二人で並んで立っていた。
「ケント。わたし、絶対にお兄ちゃんのこと忘れない。私がどれくらい強くなったか、見せるね」
シーナが、空に向かって小さな右手を突き出した。
彼女の指先に灯る、適性『2』の小さな火魔法。
そこに、彼女自身の風魔法で極限まで圧縮した酸素と、水素の塊を叩きつける。
ゴォォォォォォッ!!
空高く打ち上がった青白い火球が、上空で凄まじい爆発を起こした。
雲を吹き飛ばし、空を紅蓮に染め上げる巨大な炎の花。
それを見た商会の大人たちが、「ひっ」「なんだあの魔法は!?」と腰を抜かしてへたり込んだ。
「……すごいぞ、シーナ。じゃあ、俺も兄貴としての威厳を見せとかないとな」
俺も空に向けて右手を突き出した。
(俺の【爆鳴気】は本来、周囲に被害を出さないよう、敵の体内……胃袋や肺、心臓の中に直接【座標指定】して内側から破裂させる暗殺魔法だ。胃の中で爆発させて『汚ねえ花火だ』って煽るための、黒い運用が基本だからな)
だが、今日は違う。
大好きな妹の門出を祝う、最高の祝砲だ。
俺は上空百メートルの座標を指定し、風魔法で巨大な空気の球を作り出し、それを限界まで【断熱圧縮】する。
そこにボウリング玉サイズの特大の【爆鳴気】をぶち込み、爆発のエネルギーがすべて上空へ抜けるように【指向性】を持たせた。
カッ……!!!!
太陽がもう一つ生まれたかのような閃光。
直後、空が割れるような轟音と共に、天を衝く巨大な光の柱が上空に向かって一直線に吹き上がった。
指向性によって地上への衝撃波は抑えられているが、その余波だけで大人たちは悲鳴を上げて地面に這いつくばった。
二人だけの、規格外の祝砲。
俺たちは顔を見合わせ、満足げに笑った。
「……またね、ケント」
「ああ。またな、シーナ」
俺たちは強く抱きしめ合い、小さな小指を絡ませた。
「絶対に……冒険者になって、また会おう」
それが、俺たち異端の兄妹が交わした、最初の約束だった。
やがて馬車は土煙を上げ、小さくなって見えなくなった。
大人たちがそそくさと退散し、家の前には俺とニナだけが残された。
ポツンと静まり返った風景。
シーナの明るい声も、セリーナの厳しい叱責も、もうここにはない。
俺は唇をギュッと噛み締め、必死に前を睨みつけていた。
四十三歳のおっさんだぞ。子供の引っ越しでピーピー泣くなんて、みっともなくてできるか。俺が母さんを守るんだ。俺がしっかりしなきゃダメなんだ。
「……ケント」
ふわりと、温かい手が俺の頭を撫でた。
ニナだった。彼女はしゃがみ込み、俺と同じ目線になって、優しく微笑んでいた。
「もう、泣いてもいいのよ」
その一言で、俺の中で張り詰めていた見えない糸が、プツンと切れた。
「……うっ……ぁぁ……っ」
みっともないくらい、顔がぐしゃぐしゃになった。
鼻水が垂れ、涙が次から次へと溢れて止まらなくなった。
「わあああああああんっ! シーナぁぁっ! セリーナお母様ぁぁっ!!」
前世の枯れたおっさんの魂が、この時ばかりは完全に「七歳の子供」に戻っていた。
俺はニナの胸に顔を押し当て、声を枯らして、この世界で初めての大号泣をした。
ニナは何も言わず、ただずっと、俺の背中を優しく撫で続けてくれた。




