第4話:兄バカの英才教育と、紅蓮の決別
俺とシーナが七歳になった頃。
郊外の家の裏庭は、すっかり俺たち兄妹の専用訓練場と化していた。
前世のゲームやラノベで育った四十三歳のおっさんとして、「魔法使いだけど接近戦も最強」というスタイルには並々ならぬロマンを感じていた。
そのため、俺は日々の魔法検証の合間に、その辺の木の枝を拾ってきては、見よう見まねで剣や槍の素振りを始めていたのだ。
「えいっ! やぁっ!」
俺の隣では、同じく木の枝を握った同い年の妹、シーナが元気な声を上げている。
兄の真似事でお遊戯をしている……ように見えるだろう。俺も最初はそう思っていた。
ビュォォォォンッ!!
だが、シーナが振るう木の枝から、空気を切り裂く尋常ではない風切り音が鳴り響いた。
細腕のどこにそんな筋力があるのか、彼女の踏み込みは大地を抉り、木の枝は残像を残して正確無比な軌道を描いている。
「……信じられないわ。あの子のあの足捌きと体幹……現役時代の私でも、あそこまで洗練された動きはできなかった……」
差し入れのレモネードを持ってきた元冒険者のセリーナが、呆然と呟いて手元のグラスを落としかけていた。
火魔法『10』の天才である彼女の目から見ても、七歳のシーナの身体能力と戦闘センスは「異常」の域に達しているらしい。
(いやいやいや、俺の妹の成長速度ヤバすぎだろ!? これじゃあ、言い出しっぺの俺の立場がない!)
ただでさえシーナの火魔法は『2』、対する俺は適性ゼロだ。ここで身体能力まで完敗したら、大好きな妹の前で「すごいお兄ちゃん」としての威厳が保てない。
シーナが鋭い踏み込みから、模擬戦のつもりで俺に木の枝を振り下ろしてくる。
まともに受ければ腕の骨が折れかねない一撃。
(こうなったら、魔法でズルするしかねえ!)
俺は足元に【風1】で強烈な空気のバンプ(ブロワー)を発生させ、ホバークラフトのように摩擦をゼロにして真横へ高速スライドした。
シーナの枝が空を切った瞬間、今度は【土1】で足元の土を巻き上げ、目隠しの煙幕を張る。
「わっ!? ケント、どこ!?」
「甘いぞシーナ! 魔法使いの接近戦ってのは、こういう盤外戦術を使ってナンボだ!」
背後からシーナの肩をポンと叩き、俺はドヤ顔を決めた。
内心は冷や汗ダラダラである。だが、純真なシーナは「すごいっ! お兄ちゃんかっこいい!」と目をキラキラさせていた。
「こらーっ! ケント、シーナちゃん! またそんな泥んこになって! お洗濯するのは私なんですからね!」
土煙を被って真っ黒になった俺たちを見て、エプロン姿のニナがぷりぷりと怒りながら飛んできた。
俺とシーナは顔を見合わせ、テヘヘと笑って一緒に怒られるのだった。
そんな平和な「表の訓練」の裏で。
親たちの目が行き届かない森の入り口で、俺はシーナに「裏の教育」を施していた。
地面に木の枝で図形を描きながら、俺はシーナに語りかける。
「いいかシーナ。燃焼ってのは、可燃物と温度、そして『酸素』が必要なんだ。お前の火魔法に風で空気を送り込めば爆発的に威力が上がるのは、この酸素が供給されるからだ」
「うんっ! さんそ、だね!」
俺の言葉を、シーナはスポンジのように吸収していく。
賢く、素直で、何より俺を全肯定してくれる可愛い妹。そんなシーナの瞳に見つめられていると、俺の「兄バカ」のメーターは容易に限界を突破してしまった。
「よし、化学と物理の基礎は完璧だな。……次は、社会学だ」
「しゃかいがく?」
「ああ。この世界は理不尽だ。クソ親父みたいな、権力を持った理不尽な大人がたくさんいる」
俺は前世の、ブラック企業での社畜経験とドロドロの派閥争いの記憶を呼び起こした。
「もし、そういう理不尽な奴に絡まれたらどうする? 剣や魔法で殴り倒すか?」
「うん! やっつける!」
「違う。それだと後から『暴力だ』って言いがかりをつけられて、こっちが悪者にされる。いいかシーナ、そういう時は……まずは愛想笑いで従ったふりをするんだ」
七歳の純真な幼女に、俺はとんでもない「大人の処世術」を吹き込み始めた。
「証拠を集め、相手の逃げ道を完全に塞いでから、一番痛いところを突く。権力者なら裏帳簿を押さえろ。商人なら取引先を脅せ。正論で追い詰めて、相手が自滅するように仕向けるんだ。清濁併せ呑んでこそ、本当に大切なものを守れるんだぞ」
「そっか……! わかった、ケント! 理不尽な人が来たら、まず裏帳簿を燃やして社会的に抹殺するね!」
天使のような笑顔で恐ろしいことを言い放つシーナ。
俺は「ちょっと教えすぎたか?」と一瞬反省したが、この理不尽な世界でシーナが生き抜くためには、これくらい腹黒い方が安心だと思い直した。
だが、その「理不尽」は、俺の想定よりもずっと早く、最悪の形で牙を剥いた。
ある日の午後。
郊外の家に、突然豪奢な馬車が止まった。
降りてきたのは、酒の匂いをプンプンさせたガルドだった。
「ふははは! ニナ、セリーナ! 喜べ、ガブリエラが正式に領主様の養女として迎え入れられることが決まったぞ!」
顔を真っ赤にして上機嫌なガルドは、リビングに上がり込むなりそう高らかに宣言した。
姉のガブリエラが、領主の権力と繋がった。それはつまり、商人であるガルドの立場が盤石になったことを意味する。
だが、彼の視線が、部屋の隅にいたシーナに向いた瞬間、その顔は醜く歪んだ。
「……チッ。なぜこんなゴミが私の視界に入る。火魔法『2』の出来損ないなど、ガブリエラの輝かしい経歴の泥でしかないというのに」
酒の勢いもあってか、ガルドの言葉はいつも以上に冷酷だった。
シーナの小さな肩がビクッと跳ねる。だが、彼女は泣かなかった。俺の教えを守り、ジッと感情を押し殺しているのが分かった。
「ガルド様、言い過ぎです! シーナはあなたの子ですよ!」
たまらずセリーナが前に出て、シーナを庇うように立ち塞がった。
その毅然とした態度が、ガルドの傲慢な自尊心を逆撫でしたらしい。
「黙れッ! たかが元冒険者の分際で、偉大なる領主の親戚となった私に意見する気か!」
激昂したガルドの手元が、不自然に歪んだ。
彼の【収納10】のギフト。そこから、抜き身の長剣が突如として現れたのだ。
「私に逆らう女など、正妻であっても容赦せんぞッ!」
酔って理性を失ったガルドが、本気でセリーナに向かって剣を振り下ろした。
元冒険者のセリーナなら、素手でも躱せる一撃だったかもしれない。だが、彼女の背後にはシーナがいる。セリーナは動かず、腕で剣を受けようとした。
その瞬間だった。
「……お母様に、触るなっ!!」
シーナが、セリーナの前に飛び出した。
彼女の右手には、チロチロと燃える『2』の火魔法。だが、次の瞬間、その火種は俺が教えた「理不尽への対抗策」へと変貌した。
シーナは風魔法で周囲の空気を極限まで圧縮し、ガルドの振り下ろした右腕の座標に叩きつけたのだ。
ボウリング玉サイズの水素と酸素が、ピンポン玉サイズにまで超圧縮され、そこに着火される。
カッ……!!!
鼓膜を破る轟音と共に、リビングの中心で凄まじい爆発が起きた。
青白い閃光が弾け、突風が部屋の家具をなぎ倒す。
「ぎゃあああああああああっ!?」
鼓膜を劈くような絶叫。
煙が晴れた後、そこに膝をついていたのは、長剣を床に落とし、黒焦げになった右腕を押さえてのたうち回るガルドの姿だった。
至近距離での【爆鳴気】。
ガルドの右腕は肘から先が完全に炭化し、ボロボロと崩れ落ちていた。
「あ……ぁ……」
シーナは自分の右手を震えながら見つめ、顔面を蒼白にしていた。
いくら社会の裏側を教えたとはいえ、彼女はまだ七歳の子供だ。実の父親の腕を吹き飛ばしてしまった事実に、足がガクガクと震えている。
俺はすぐさまシーナに駆け寄り、その小さな体をきつく抱きしめた。
「大丈夫だ、シーナ。お前は悪くない。お前は、母さんを守ったんだ」
俺の言葉に、シーナは俺の胸に顔を埋め、ついに声を上げて泣きじゃくった。
床を転げ回るガルドの悲鳴と、シーナの泣き声が、夕暮れの家に重々しく響き渡っていた。




