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第2話:鑑定の儀と、母の反逆

魔力袋の「股割り」を日課とするようになってから、三年が経った。


 三歳になった俺の魔力量は、結論から言うと控えめに言って「異常」な領域に達していた。

 毎晩毎晩、痛みに耐えながら体内の袋を魔力で内側から押し広げ、壊れるギリギリまで傷つけ、空っぽにしてから眠りにつく。翌朝には回復して少し広がった袋いっぱいに魔力が満ちている。

 その果てしない反復作業の結果、俺の魔力袋は赤ん坊の頃とは比較にならないほど巨大化し、圧倒的な熱量を内包するようになっている。

 具体的な数値は分からないが、少なくともメイドたちが使う生活魔法の様子を観察する限り、俺の魔力量は一般人の何十倍、いや何百倍にも膨れ上がっている自信があった。


 だが、俺の「魔法使い」としての評価が決まるのは、魔力そのものの量ではない。

 このノキア王国において絶対的な指標となるのは、生まれ持った「属性」と「能力値」だった。


 そして今日、俺の人生の(表向きの)価値を決める【鑑定の儀】の日がやってきた。


「さあ、ケント。この水晶に触れなさい」


 ガルドの屋敷の一室。分厚い絨毯が敷かれた応接間に、教会の神官が招かれていた。

 豪奢な椅子にふんぞり返っているガルドは、退屈そうにワイングラスを揺らしている。その顔には「どうせ大した結果は出ないだろう」という侮蔑の色が隠そうともせずに浮かんでいた。

 母であるニナは、部屋の隅で祈るように両手を組み、青ざめた顔で俺を見守っている。


 俺は短い足でトコトコと歩み寄り、神官が差し出した台座の上の水晶に、小さな手をペタリと置いた。


 直後、水晶が微かに発光し、空中にぼんやりとした文字のようなものが浮かび上がる。

 神官は恭しく一礼し、手元の羊皮紙にその数値を書き留めると、重々しい口調で読み上げた。


「……申し上げます。水、1。風、1。土、1。そして……神のギフトたる【収納】、同じく1でございます」


 応接間に、重苦しい沈黙が落ちた。


 神官の声には、明らかな戸惑いが混じっていた。それもそのはずだ。

 この世界における能力値の平均は「5」程度。すべてが最低値の「1」で揃うなどという結果は、歴史的に見ても滅多にお目にかかれない、ある意味で奇跡的なほどの「無能」の証明だった。


 ガルドが持っていたワイングラスが、ピキリ、と嫌な音を立ててひび割れた。


「……なんだと? もう一度言え」

「は、はい。全属性、および収納の能力値……すべて『1』でございます」

「ふざけるなッ!!」


 ガルドが激昂してグラスを床に叩きつけた。

 ガシャンという破砕音と共に、赤ワインが血のように絨毯に飛び散る。


「私の……この【収納10】のギフトを持つ、王都でも指折りの商人であるガルドの息子が、すべて最低値だと!? 収納が1!? 外にある薄汚い物置ほどの容量もないではないか! そんなものは路地裏の乞食以下のゴミだ!」


 顔を真っ赤にして怒鳴り散らすガルド。

 その怒気は凄まじく、神官でさえも怯えて後ずさりした。

 俺は内心で(まあ、そう怒るなよ親父。俺の魔力は3000超えてるし、収納だって現代知識で圧縮すりゃいいんだからさ)と呑気に構えていたが、三歳の子供としてとりあえず怯えたふりをしておくことにした。


「おい、ニナ! 貴様、一体どんな呪われた腹をしている!? こんな出来損ないを産み落としおって! やはり、お前がいつまでもあの死んだ男のことを引きずっているから……ッ!」


 ガルドが部屋の隅で震えるニナに向かって、怒りの矛先を向けた。

 その太い腕が振り上げられ、彼女の頬を打とうと空を切る――。


 しかし、その手はニナの顔を打つことはなかった。


「……触らないで!!」


 凛とした、しかし確かな怒りを孕んだ声が応接間に響き渡った。

 ガルドが驚きに目を見開く。俺も、思わず目を見張った。


 これまでガルドの前では常に怯え、視線を落とし、言葉を詰まらせていたニナ。

 だが今の彼女は、顔を真っ直ぐに上げ、ガルドを鋭く睨みつけていた。その瞳には、かつてないほどの激しい怒りの炎が宿っていた。


「私のことは、どう罵っても構いません。あなたが私からすべてを奪い、無理やりこの家に閉じ込めたことも、運命だと諦めようとしました。……けれど!」


 ニナは俺の前に進み出ると、庇うように両腕を広げた。

 細く震える背中。だが、その姿はどんな分厚い鎧よりも頼もしく見えた。


「この子を……ケントを侮辱することだけは、絶対に許しません! 『ゴミ』ですって? ええ、そうでしょうね。あなたは損得でしか物の価値を測れない、哀れで浅ましい人間ですから!」

「き、貴様……たかが妾の分際で、私に逆らうと言うのかッ!」

「逆らいます! 領主様の仲介で第二夫人という体裁を取り繕ったのは、あなたの商会のスキャンダルを揉み消すためでしょう!? もし今後もこの子を蔑ろにし、私から引き離そうとするのなら……私は今すぐ教会へ行きます!」


 ニナの言葉に、ガルドの顔色が一気に青ざめた。


「領主様との約束を反故にされ、殺された恋人の前で私があなたに何をされたのか。教会の神父様に、すべてを懺悔します! 商会の評判がどうなるか、領主様の顔に泥を塗ったあなたがどういう扱いを受けるか……ご自分で考えてみてください!」


 それは、捨て身の脅迫だった。

 女子供の力ではガルドに敵わない。だが、社会的な信用を第一とする商人にとって、領主の不興を買い、教会に醜聞を暴露されることは致命傷になる。四十三歳の人生経験を持つ俺から見ても、完璧な急所クリティカルを突いた一撃だった。


「貴様ぁ……ッ!」


 ガルドはワナワナと唇を震わせたが、振り上げた拳を下ろすしかなかった。

 ニナの目には、一片の迷いもない。ここで手を上げれば、彼女は本当に教会へと駆け込むだろう。


「……郊外の家に、私とケントを移してください。もちろん、あなた方は一切関わらないで。生活に最低限必要なお金だけ振り込んでくれれば、私は死ぬまで口を閉ざして、静かに暮らしてあげます」


 冷たく言い放つニナに、ガルドはギリッと奥歯を鳴らした。


「……いいだろう。目障りな出来損ないの顔を見ずに済むなら、安いものだ。せいぜい、その無能と一緒に惨めに這いつくばって生きるがいい!」


 吐き捨てるようにそう言い残し、ガルドは神官すら置いて部屋を出て行った。

 残された俺たちは、すぐに身の回りの物だけをまとめ、屋敷の裏口から馬車に乗り込んだ。見送りに出たのは、数人のメイドと、複雑な顔をした正妻のセリーナだけだった。




 王都の喧騒から少し離れた、郊外の小さな一軒家。

 それが、今日から俺と母さんの新しい城だった。


 ガルドの豪邸に比べればあばら家のようなものだが、俺にとっては息が詰まるようなあの屋敷より、何百倍も居心地が良さそうだった。


 荷解きもそこそこに、夕暮れの差し込む埃っぽいリビングで、ニナは俺をきつく抱きしめた。


「ケント……ごめんね。怖い思いをさせてしまって……」


 俺の背中を撫でる彼女の手は、まだ微かに震えていた。

 無理もない。あんな傲慢な男に正面から啖呵を切ったのだ。どれほどの恐怖と覚悟が必要だったか、俺には痛いほど分かった。


 俺は小さな手でニナの背中をポンポンと叩き、「だいじょうぶだよ、かあさま」とたどたどしい言葉で慰めた。

 すると、ニナの目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。

 だがそれは、悲しみの涙ではなかった。


「……ケント。あなたは、収納が『1』だったわね」


 泣き笑いのような表情で、ニナは俺の頬を包み込んだ。


「実はね……私の一番大切な人も、収納の能力が『1』だったの」


 ああ、なるほど。

 ガルドは【収納10】のギフト持ち。だが、俺は【収納1】。

 それが意味することは、ニナにとってはこの上ない救いだったのだ。


「あなたは……あの方の忘れ形見なのね。神様が、私に残してくれた……たったひとつの希望」


 俺はガルドの血を引く忌まわしい子ではなく、彼女が本当に愛した人の子だった。

 その事実(実際はDNA鑑定でもしなければ分からないが、この世界では能力の遺伝は大きな説得力を持つのだろう)が、彼女の張り裂けそうだった心を繋ぎ止めたのだ。


 ニナは俺を抱きしめ、子供のように声を上げて泣き続けた。

 安堵と、悲哀と、深い愛情が入り混じった涙。

 俺はその温もりを感じながら、四十三歳のおっさんとして、そして三歳のケントとして、静かに決意を固めていた。


(あんたは、本当に強くて優しい人だ。……誓うよ、母さん。俺が絶対にあんたを幸せにする。この「能力値1」の力を使って、どんな理不尽からも守り抜いてみせるさ)


 魔法がすべてのこの世界で、最低最悪の烙印を押された俺たち。

 だが、俺の体内には、常識を覆す3000の魔力と、現代日本の科学知識が詰まっている。

 静かな郊外の家で、俺たちの本当の生活が始まろうとしていた。

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