第10話:領主館の腹探りと、サラリーマンの処世術
翌朝。
窓から差し込む朝日と、大通りから聞こえてくる馬車の音で俺は目を覚ました。
ふかふかのベッドから身を起こし、首を鳴らす。
昨夜は悪夢を見るかと思ったが、身体が限界まで疲労していたせいか、一度も目を覚ますことなく泥のように眠っていたらしい。
洗面台の冷たい水で顔を洗い、多少曇っている銅鏡を見る。そこには、少し寝癖のついた十二歳のありふれた少年の顔があった。でも、その少年は昨日、十人以上の人間の命を奪っている。
「……よしっ!。今日はきっといい日だ!」
小さく頬を叩いて気合を入れ、俺は一階の食堂へと降りた。
食堂にはすでに何人かの商人たちが座り、朝食をとっていた。
女将のエルマが俺に気づき、にこやかに笑いかけてくる。
「おはよう、ケントさん。よく眠れた? さあ、うちの自慢の朝ご飯よ」
ドンと目の前に置かれたのは、湯気を立てる具沢山のシチューと、厚切りにされた柔らかいパン、そして果実水だった。
昨日は凄惨な光景のせいで胃が拒否反応を起こしていたが、一晩寝て前世の社畜メンタルが復帰したのか、猛烈な空腹感が襲ってきた。
シチューを一口すする。肉と野菜の旨味が溶け込んだ、たまらなく優しい味だ。
「……美味い」
「ふふっ、そうでしょう? しっかり食べて、今日のお仕事も頑張ってね」
エルマの温かい言葉に、俺は少しだけ救われた気がした。
ただの害虫駆除とはいえ、手を血に染めた翌朝に、こういう当たり前の「日常」が待っているのはありがたい。
朝食を平らげた俺は、ガストンとエルマに行ってきますと告げ、宿を出た。
向かう先は、街の中央にそびえ立つルミナス領主の館だ。
大都市ルミナスの中心部。
そこに建つ領主館は、ちょっとした城のような威容を誇っていた。綺麗に整備された庭園を抜け、厳重な警備の門をくぐると、すでに話が通っていたのか、すぐに昨日の騎士団長バルガスが出迎えてくれた。
「来たか、ケント。逃げずによく出頭したな」
「逃げる理由なんてありませんよ。正当な報酬を受け取りに来ただけです」
俺が堂々と答えると、バルガスはニヤリと笑い、俺を豪華な応接室へと案内した。
ふかふかのソファに座らされると、バルガスは従者に革袋を持たせて俺の前のテーブルに置いた。
ジャラッ、と中から重たい金属の音が響く。
「昨日の一件の報酬だ。野盗十数名の討伐と、賞金首になっていた『銀狼の牙』の連中の首。……そして何より、我が領主様が長年疎ましく思っていた『ウェストギルド』の腐敗を堂々と叩き潰すための、最高の大義名分をもたらしてくれたことへの特別協力金だ」
バルガスは木箱の中身を指し示した。
「大金貨、百枚だ。確認しろ」
大金貨百枚。
銀貨一枚が日本円で約一万円、金貨が約十万円の価値だとすれば、大金貨は一枚で約百万円。つまり、日本円にしておよそ『一億円』という大金だ。
ただの賞金首の討伐だけならここまでの額にはならない。これは明らかに、「領主のメンツ」と「政治的な特大の貸しに対する対価」、そして「今後のための手付金」も含まれた額だ。為政者として、これだけの利益をもたらした相手にケチな額を渡せば、他の貴族から笑い者になるという計算もあるのだろう。
「……確かに。ありがたく頂戴します」
十二歳の子供なら卒倒しそうな大金だが、俺は表情を崩さず、収納した
バルガスは、一億円の現金を前にしても目の色を変えない俺を見て、ますます興味深そうな顔をした。
「さて、金の話はこれで終わりだ。ここからは、大人の話をしようか」
バルガスがソファに深く腰掛け、鋭い視線を俺に向けてくる。
来たな、と俺は内心で身構えた。
「昨日の今日で、ルミナス中の冒険者ギルドが蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。ウェストギルドのマスターが不正で領主軍に捕縛されたのだからな」
「うーん、他のギルドって不正をしてないんですか?」
「イーストやサウスの連中は、今回を機に『ギルドから腐敗を切り捨てろ』と息巻いているが、問題は統括ギルドだ。奴ら、ウェストギルドの不正の事実を認めつつも、『領主がギルドの自治に武力介入したのは不可侵条約の違反だ』と抗議の書状を送ってきやがった。それにノースのギルマスはお前の事を『冒険者のくせにギルドを裏切った』とか、頭おかしい事を言ってるらしいぞ」
なるほど。
自組織の不祥事は内々で処理したかったのに、外部(領主側)に強制捜査に入られて面子を潰された、というわけか。前世の会社でも、コンプライアンス違反を他部署から指摘されて逆ギレする役員がいたな、と思い出す。
「そこでだ、ケント」
バルガスは身を乗り出し、低い声で告げた。
「領主様は、この機に腐敗したギルドの連中に強く楔を打ち込みたいとお考えだ。お前は、不正の被害者であり、それを暴いた立役者。……どうだ? 身分は冒険者のままでいい。ただ、領主直属の『特務士』としても動いて、我々の側につかないか? ギルドと何かあった場合も、領主の士官身分や保証するし、ギルドを通さずに割のいい依頼を回してやるぞ」
……ははぁ、なるほど。
俺という「ギルドの腐敗を暴いた象徴」を手元に置いて、統括ギルドに対する政治的なカード(牽制)として使いたいわけだ。
だが、前世で派閥争いの恐ろしさを嫌というほど味わった元サラリーマンの俺からすれば、これは典型的な「鉄砲玉」扱いだ。
一度でも完全に「領主派」のレッテルを貼られれば、ルミナス中のギルドから嫌がらせを受け、普通の冒険者としての活動は不可能になる。自由を求めて冒険者になったのに、そんな面倒なのはイヤだ。
「すいません、俺には無理です」
俺は即座に、しかし子供らしく首を振った。
「な……お断り、だと? お前、自分がどれだけ破格の待遇を提示されているか分かっているのか?」
「はい、わかります。でも、俺はあくまで『冒険者ケント』として、この街の美味しいご飯を食べながら、自由に生きていきたいんです。領主様の仕事受けて、他のギルドの人たちに恨まれるようなのは嫌なんです」
俺の言葉に、バルガスは呆れたようにため息をついた。
「……お前、十二歳の子供が言うセリフじゃないぞ、それは」
一生懸命に敬語を使っているただの少年の口調。だが、その背後にある「政治的な立ち位置の理解」と「損得勘定の速さ」が、バルガスにはひどく老成して見えたのだろう。
俺はニコッと、無害な子供の笑みを浮かべた。
「でも……ギルドを通せないような個人的なお仕事があれば、こっそり頼んでくれたら受けますよ。 普段は自由にさせてもらいたいですけど」
完全に敵対はせず、かといって専属の部下にもならない。
「都合のいい外部の業務委託」としてのポジションの提案だ。これならギルド側にも言い訳が立つし、領主側からの美味しい仕事は受けられる。
「……ふっ、ははははっ!!」
しばらく唖然としていたバルガスが、突然腹を抱えて笑い出した。
「お前、本当にベルンハイトから来た田舎の子供か!? まるで海千山千の老獪な商人と話している気分だぞ! ……いいだろう。お前のその図太さに免じて、領主様には私から上手く伝えておく。お前はただのフリーの冒険者だ」
バルガスは笑い涙を拭いながら、一枚の金属製のプレートをテーブルに投げ出した。
「それは領主館の通行証だ。ギルドを通せない厄介事があった時は、お前を指名して依頼を出す。……ルミナスの街で、せいぜい自由に泳ぎ回ってみせろ、小僧」
「ありがとうございます、バルガス団長。精一杯頑張ります」
俺は通行証を手に取り、してやったりと内心でガッツポーズをした。
これで、領主側との「都合の良いパイプ」を手に入れた。ギルドの派閥争いなんて知ったことか。俺は俺のやり方で、この大都市ルミナスを満喫してやる。
応接室を後にした俺の足取りは、宿を出た時よりもずっと軽かった。




