第0話:プロローグ 〜女神と、爆鳴の鬼〜
その日、王国軍は完全な絶望の淵に立たされていた。
国境を越えて侵攻してきた敵国軍は、未知の強力な魔道具によって圧倒的な軍事力を誇っていた。
空を覆うほどの魔法攻撃の雨と、地響きを立てて進軍してくる鋼鉄の攻城兵器。王国軍の兵士たちは泥と血にまみれながら必死に陣地を死守していたが、多勢に無勢。防衛線の崩壊はもはや時間の問題だった。
「ひぃっ……! もうダメだ、突破される!」
「神よ……どうか我らに救いを……っ!」
絶望した兵士が天を仰いだ、その時だった。
――ドゴォォォォォンッ!!
敵陣のど真ん中で、突如として巨大な爆発が巻き起こった。
吹き飛ぶ敵兵の悲鳴と、分厚い装甲を粉砕された攻城兵器の残骸が宙を舞う。
王国軍の兵士たちが呆然と前方を向くと、そこには一人の美しい女騎士が立っていた。
風に揺れる髪。凛とした横顔。彼女がまるで狙いを定めるように、おもむろに手にした剣の切っ先を敵陣へ向ける。
ただそれだけで、狙い定めた箇所が次々と連鎖的に大爆発を起こし、敵の軍勢が紙屑のように消し飛ばされていく。
「……おおっ! 女神だ! 『戦乙女』が来てくれたぞ!!」
王国軍の陣地から、割れんばかりの歓声が上がった。
彼女は振り返り、王国軍に向けて高く剣を掲げた。
「今だ! 前進して残敵を討て!」
「おおおおおっ!!」
一気に士気を取り戻した兵士たちが突撃を開始する。だが、その中の一人の小隊長が、血相を変えて彼女に叫んだ。
「お、お待ちください! 左翼には第一王子殿下の本陣が! 敵の主力に完全に包囲されています、すぐに救援に向かわなければ……!」
だが、美しき女騎士――ニーナは、焦る様子もなくふっと息を吐き、首を横に振った。
「大丈夫。あっちには『鬼』が行ったから」
「……鬼、ですか?」
首を傾げる兵士をよそに、ニーナは遠く離れた左翼の戦場を見つめ、誰にも聞こえないような小声でポツリと呟いた。
「……ケント、やりすぎなきゃいいけど」
同じ頃。左翼の王国軍本陣。
数万の敵国軍主力に完全に包囲された陣地の中で、第一王子と側近たちはすでに死の覚悟を決めていた。
「これまでか……。すまない、皆。私の指揮が至らぬばかりに……」
「殿下、泣き言はおやめください! 我らが盾となります、殿下だけでも血路を……!」
悲痛な叫び声が響く中、敵軍が一斉に剣を振り上げ、本陣へと雪崩れ込んでこようとした――次の瞬間だった。
バタバタバタバタッ!!
何の前触れもなく。
本陣を幾重にも包囲していた敵兵たちが、まるで糸の切れた操り人形のように、パタリ、パタリとその場に倒れ伏していったのだ。
外傷はない。ただ、全員が白目を剥き、口から泡を吹いて完全に意識を刈り取られていた。
「な、何が起きたのだ……!?」
ポカンと口を開けて固まる王子の前に、一人の青年が悠然とした足取りで歩み寄ってきた。
仕立ての良い軍服を身に纏い、人好きのする柔和な笑みを浮かべた男。
「いやー、遅くなりました。北は押さえてきましたよ。後は俺にお任せを」
青年は王子に一礼すると、クルリと背を向け、地平線の彼方まで続く三万の敵軍の『本隊』を静かに見つめた。
その瞳には、一切の感情がない。ただ極めて冷徹に、事務作業をこなすような目で、青年は指を鳴らした。
――チッ。
刹那。敵軍の足元の空間全体が、陽炎のようにグニャリと歪んだ。
敵兵たちが異変に気づき、足元を見た直後。
カァァァァァァンッ!!
鼓膜を突き破るような、高く、鋭い破裂音が戦場に響き渡った。
次の瞬間、敵陣の地面が『巨大な円盤状』に、まるごと跳ね上がった。
三万人の兵士。数百頭の馬。鋼鉄の攻城兵器。
それらすべてが、地中から現れた巨大な見えない掌で下から突き上げられたように、遥か上空へと放り出される。
強烈な上昇気流と衝撃波の中で、兵士たちは悲鳴を上げる暇すらなく、着ていた重装甲の鎧ごとバラバラに弾け飛んでいった。
爆発の直後。
戦場を覆い尽くしたのは、魔法の炎による黒煙ではなかった。
視界を真っ白に染め上げる、致死量の『超高熱の蒸気』だった。
「あ、あ、ああ……」
すべてが終わり、白い霧が晴れた後。
そこに残されていたのは、三万の軍勢ではなく、直径数キロにも及ぶ巨大なクレーターだった。
そして、その底に溜まっていたのは焦げ跡や灰ではない。爆発によって生成された水が大地を溶かした、『ドロドロに沸騰する泥の池』だった。
偶然、範囲外にいて生き残った敵軍の兵士が、へたり込んだまま、ガチガチと歯を鳴らしてポツリと呟く。
「……お、鬼だ……」
これは、後に『爆鳴の鬼』と恐れられ、王国の魔法と常識に革命を起こす男の物語。
――だが、その始まりは、鑑定値「1」のただの元社畜が、前世の知識と『生活魔法』を使って、異世界の貴族社会を学ぶところから始まったのだった。




