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緑の忌み名は草地に潜む― やらかし第一王子の婚約者はお断りです ―  作者: 黒須 夜雨子


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4.ある愚者の独白、或いは遺書

一話目の後の話。第一王子の思惑。

「どうか、ご無理をなさらぬように」

長らく世話になった侍女が、途方に暮れた、泣きそうな顔でセドリックを見た。


目皺が姿を見せる顔が、彼女との付き合いの長さを教えてくれる。

当然だ。彼女はセドリックの乳母として登城し、そうして彼に乳母が不要となった頃には侍女として控えるようになっていた。

立場は侍女だが、セドリックにとっては王妃殿下よりも母という気持ちになれる相手だ。


セドリックの横に立つリリーを見て、目を細める。

他の人々が浮かべる嫌悪ではない。

眩しいものを見るように、娘の晴れ姿をみるように、その顔は穏やかで優しい。


「お身体を冷やすとよろしくないですから」

そう言いながら、空色のストールをリリーの肩にかけてくれる。

セドリックの瞳の色というには少し明るい色味のそれは、少しでも似た色を用意しようという気遣いだ。

秘密裏に準備してくれたのだろう。

廊下へと出たセドリックとリリーを見送るために、侍女達が扉の前に立つ。

彼女の嘆きにも似た悲しみの言葉に見送られながら、セドリックはリリーをエスコートして歩き始めた。


本当に愚かだった。

いや、今なお愚かなのだろう。

父上と母上から見放されるとわかっていようとも、リリーを手放すことができないのだから。

だが、自らが回した運命を止める術は知らない。



***



リリー・グリーンと恋に落ちたのは、セドリックの中では想定外のことだった。

誰の期待に応えることもなく、側近候補からも溜息ばかりを落とされて、ただ自信を喪失するだけの毎日。

婚約者からも冷たくあしらわれ、無能と陰口を零され、王太子になれない第一王子を誰が必要とするだろうか。


幼い時分から既にセドリックは自身に王たる器どころか、王子としての品格に至らぬことを理解していた。

もし、下位貴族の三男坊や少しばかり裕福な平民の息子に生まれたならば、ちょうど良いくらいだったかもしれないと何度思ったことか。

お茶会でもセドリックの無知な様子を散々に馬鹿にして、多少のストレス発散にはなったらしい婚約者が帰っていったのは先週末のお茶会でのこと。


週明け、憂鬱な気分で学校の廊下を歩いている時に、曲がり角でぶつかったのがリリーだった。

怪我をさせていないか心配で、側近候補という立場から変わらぬままの伯爵令息に調べるように言い付ける。

やる気のない様子の彼は一週間も経過してから、ようやく彼女についての報告をしてくれた。


リリー・グリーンという名前をそこで初めて知り、そして彼女が孤児院出身の特待生であることも報告として聞く。

同時に側近候補であるはずの彼から、一緒に吐き出された言葉が「今から愛人探しなんて、恥ずかしいから止めてもらえますか」で、屈辱の余りに怒鳴りつけそうになるのを堪えるのに精一杯だったが。

だが、同時に浮かび上がった考えに、一瞬怒りすら忘れてしまった。


──もし、もし本当に彼女とただならぬ関係になったら、一体どうなるだろうか?


何の後ろ盾もない平民の少女。

それも王家が嫌うという、グリーンの姓。

もし彼女と恋に落ちたと言ったら、あの矜持の塊である婚約者は怒り心頭で婚約破棄を言ってくるだろうか。

両親である国王夫妻だってセドリックに見切りをつけ、早々に弟を王太子として任命し、セドリックを臣籍降下させるはず。

一代限りの公爵位か、はたまた小さな領地に名ばかりの伯爵として押し込むか。

どれもあり得そうで、そして思いつく結果の全てが魅力的だった。


ただ、彼女はとても弁えていて、そしてセドリックに対して慎重だった。

ぶつかった時だってセドリックの差し出した手を取らず、自力で立ち上がって謝罪をし、許しを得たら逃げるように立ち去って行ったぐらいだ。

聡い彼女が王子様に声をかけられたからって、浮かれて調子に乗るかは疑わしい。

それにセドリックに演技など出来るわけがなく、上手に嘘をつくことも難しかった。


「本当のことを言うしかないのか」

口の中で呟いた言葉は、淡々とした態度しか取らない側近候補達の耳には届かず、噛み締めることも無く喉の奥へと落ちていく。

それはまるで誰にも理解されない、セドリックの孤独に似ていた。


***


結果として、セドリックは望むものを手に入れることができた。

彼女と二人きりになる方法を考えても思いつかないでいたところに、彼女のよからぬ噂が回り始めたのだ。

名ばかりであるが、セドリックは学園の生徒会長だ。

噂の真偽を確かめるとすれば、邪魔は入らないだろう。


冷え冷えとした目でしか仕えることのない相手に嫌われることも、周囲に知られることも気にせずに、開き直って居丈高に命令するのは久しぶりの爽快感を味わった。

自身の側近候補まで追い払ったセドリックに、最初はリリーも警戒心露わだったが、それでも生徒会室で会ってくれたリリーは、セドリックの話を真摯に聞いてくれた。

頭ごなしに否定することも無く、下心を隠しながら共感したふりをするでもなく、それが心地良かった。


どれぐらい時間が経っただろう。

喋り過ぎたことによる喉の痛みに気づいて周囲を見渡せば、話し始めた時に見えた晴れた空は姿を消して、教室は薄暗くなりつつあった。

水が欲しいと思い、それすらもままならぬことに苦笑する。

そんなセドリックを眺めていたリリーが首を傾げ、ゆっくりと戻した。


「つまり、殿下は婚約破棄と王位継承権の放棄のために、私と付き合っているふりをしたいということですか」

「呆れた話だろうけど、私は王の器じゃないと思い知らされたまま、ただ生殺しのまま生きるのが辛い」


贅沢な話だとわかっている。

生きるか死ぬかを日々求められる貧しき民達に比べたら、なんと極上な生活か。

「どれだけ努力しようと私は王になれないし、婚約者を満足させることもできない。けれど、相応の結果を求められる。

それに応えることができず、周囲の冷めた視線を受け続ける今が苦しい。

私はこの身に不相応な今の生活を全て捨てたいんだ」


こんな自分勝手な話、リリーは怒ると思った。

なぜなら彼女は孤児であり、セドリックの言うことは持てる者の我儘にしか映らないのだろうから。

けれどリリーは、貴族の令嬢では見られないようなニカッとした笑いを浮かべて、「仕方ないから手伝ってあげてもいいですよ」と答えたのだ。

迷いのない回答に、言い出した側のセドリックが狼狽える。

「え、いや、本当にいいのか?

君には何のメリットも無い話でしかないのに」

説明した本人ですら、逆に言われたら断るだろう程にひどい内容だ。


けれどリリーはただ笑うだけだった。

「殿下の話を聞いて、いやまあ、王族というのも大変だなあと思って」

「そうかもしれないが、その、君の命にも関わるかもしれない」

小さな声でグリーンだからと付け足す。

リリーは少しばかりきょとんとした顔でセドリックを見た後、「今更じゃない?」と吹き出した。

思ったよりも笑い上戸らしい。


けれど、セドリックとしては身に起きるだろうリスクを知ってもらうのに必死だ。

「自分で言っておきながら、本当に何が起きるのかわからないんだ。

だから、何かあっても私では君を庇えない」

「私は孤児なので、人質にされるような家族もいないです」

そういえば、そうだ。


「確かに君は家族がいないが。

だが孤児院にだって影響があるかもしれない」

「来年には取り壊しますが」

は、というセドリックの言葉に、再びリリーが笑う。

「先日院長に言われました。私の学園での態度が悪いから、王家の嫌うグリーンという名前だから孤児院はなくなるって。

だからもう、私には何も残らないんです」


何も残らない。

リリーの言葉がストンとセドリックの中に落ちてくる。

同時に理解した。

ああ、彼女は優秀で、貴族ばかりの学園に特待生で入れるくらい賢いのに。

あれ程セドリックを避けて、きっと好奇心露わにちょっかいをかける貴族達を避けていただろうに。

こうして命令されるままにセドリックと二人きりでいられる思い切りの良さは、彼女に在ったはずの何かを諦めたからなのか。


セドリックの境遇とは全く違うはずなのに、どこか似ている気がするのは勘違いなのかもしれない。

だが、リリーはセドリックを理解してくれ、セドリックはリリーを知りたいと思った。

「ならば、君と私に許されるだろう時間は、どうか一緒にいてほしい。

君とならば、きっと楽しい学園生活が送れると思う」

セドリックが差し出した手を、リリーがじっと見る。


「殿下。私はグリーンというだけで悪い噂が流れ、ただの平民でしかないのに、育った場所さえ無くなりました。

きっと生きている間、こうした不条理が付き纏うのだと思っています。

私を選ぶと、殿下が考える未来よりも悲惨なことになるかもしれないですよ?」

今ならまだ考え直せるのだと、遠回しに言ってくれる姿に泣きそうになる。

彼女の方がよほど傷ついているはずなのに。


気づく前にセドリックの口が開いていた。

「いや、君がいい」

目頭が熱くて痛い。

「私を気にかける言葉をくれたのは、物心がついてから、多分君が初めてだ」

彼女の笑みが滲む。

「どうか末永くよろしく頼む」


少しして触れた柔らかで、でも少しかさついた手の感触。

「こちらこそ、よろしくお願いします。

これから一杯勉強して、一緒にご飯を食べて、遊びにだって行きましょう」

彼女の朗らかな声が教室に響いた。



***



「セディ様、大丈夫ですか?」

隣でセドリックを気遣うリリーに、不安の色はない。

それが一層セドリックを申し訳ない気持ちにさせた。

「私は大丈夫だ。

上手く君を逃がしてやれなかったことだけが悔やまれる」

「伝手も無く、この体で逃げるのは難しいでしょうから」

そう言ってから、僅かに微笑んでから腹を労わるように撫でた。


少しだけ丸みを帯びた体つきになった彼女に、コルセットの締め付けは苦しかろうと、胸のすぐ下のハイウェストで切り替えたドレスを着せてもらっている。

普段ならば生花で髪を飾り立てるが、それも妊婦には良くないのだと乳母であった侍女から教わり、造花とシンプルな銀の装飾に留めている。

ドレスの色は白で、裾に金糸で刺されているのは小さな花々だ。


今日の為のドレスをこっそり調達し、そして自分の娘だと偽ってリリーを城に入れてくれたのも、セドリックに割り当てられている侍女達を取り仕切る元乳母だった。

いや、彼女一人でどうなるものでもない。

セドリックに仕える侍女達は、他の王子や王女のように年若くて聡い者達を侍女にする必要はないとして、年嵩が増していたりや後ろに控えさせるのに見目が気に入らないといった侍女達で構成されている。


一番年が若い者でも、セドリックより大分上だ。

弟妹達は彼女達を見下していたが、穏やかな雰囲気で過ごせる自身の部屋をセドリックは気に入っていたし、誰もがセドリックを息子や弟のように可愛がっていた。

セドリックとリリーが夜会で取り押さえられた時には、彼女達はセドリックに脅されて仕方なくリリーを招き入れたと証言するよう言い付けてある。


今宵の夜会が終わった後、セドリックとリリーは殺される可能性が高いだろう。

どれだけセドリックが愚かであろうと、グラスレー伯爵の授けてくれた知恵は、易々と命を捨てるようなものであることぐらい、なんとなくは理解している。

だが、王家の子を宿したリリーが生き残る、僅かな望みに駆け、彼らの悪巧みに便乗すると決めたのだ。

このままだと、リリーはお腹の子と一緒に始末され、セドリックはグラスレーでお飾りの夫として軟禁されるだけの生活になる。


生を謳歌することはできず、それなのに死ぬことも許されない。

わかりやすい王家にはびこるグリーンへの憎悪と、呆れるほどのエゴ。

何一つ優しくない世界で、セドリックだけが助かるようなことはしたくない。

リリーが死ぬならば、セドリックも共に逝きたい。

それがもう、愛なのか恋なのか、それとも依存なのかはわからないが、リリーの手は離したくなかった。


これから向かう夜会は、今年の社交シーズンの折り返しとなるもの。

夏ではあれども、夜は涼やかな風が吹く。

普段と違って騎士の姿が無い廊下を歩き、途中から人を避けるように庭へと出て迂回する。

「身重の君に負担をかけてしまってすまないが、この庭園は王家の者しか入れない。

ここからなら、人目に目につかずに夜会までたどり着けるだろう。

少しだけ頑張ってほしい」

セドリックが緩やかな歩調を心掛けながら声をかければ、リリーが屈託ない笑みを返してくれる。

「今はご飯も食べるようになったから大丈夫ですよ。

外に出られなくて運動不足だったから、いい運動になりそう」


ゆっくりと歩を進める。

絢爛豪華な明かりが形を作り始めるのを視界に移しながら、ゆっくり、ゆっくりと。

この先に待っているのは破滅だ。

セドリックとリリーに残された

死が二人を別つまでは一緒にいるのだと思いながら。


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― 新着の感想 ―
王子様の輪郭が何度も何度も書き換えられる物語だなぁと思いました。 最初は定番のバカ王子だったのに 次にはモラハラ被害者で自尊心も育たなかった可哀想な子ども。 そして王家の中でも軽んじられてまともな側近…
むしろこの本心がグラスレー伯爵に届いていたら、というIfに想いを馳せざるを得ません……
リリーが平民の中に紛れ込んだ本物のグリーンの血を引く可能性もないではないのですよね。実際そうだったとしても、孤児である彼女に先祖の復讐に加担する理由はなく。けれど不出来であった第一王子を破滅させる直接…
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