第28話 ゾゾゾ……今は生きてるだけで
滝の裏側は、外の音も光も、すべてを遮っていた。
さっきまでの地獄絵図が嘘みたいに――ここだけが、別世界のように静かだった。
ツグミはうつむいたまま、小さく呟く。
「……私のせいです……私に、巫女の力が足りなくて……っ……」
その言葉は、かすれて、涙に呑まれて消えた。
俺は戸惑いながらも、そっと彼女の隣にしゃがみ込む。
「……ツグミのせいじゃないって……」
「っ……私のせいなんですっ!!」
ツグミは自分の腕を抱きしめるようにして、肩を小刻みに震わせていた。
こんなにも悔しそうで、苦しそうな人を、俺は今まで見たことがなかった。
胸の奥に刺さったままの疑問が、気づけば口から漏れていた。
「あのさ……“八鬼祭”ってやつ、あれって……ヤラセだろ?
だから、ツグミのせいじゃないよ」
ツグミが、ゆっくりと顔を上げた。
滝の裏の冷たい空気の中で、彼女の瞳だけが鋭く俺を射抜く。
「……全部、本当です。百年前の“鬼の災い”も、御命井に封じられた巫女の力も……」
偽りの儀式のせいで自分を責めてほしくなくて、俺の言葉は止まらなくなる。
「でもさ、それってただの言い伝えだろ!? だって、目撃者ってミタキ様一人だけじゃん!」
言った瞬間に――しまった、と思った。
また平手打ちが来るかと身構えたが、ツグミはただ、力なく首を横に振った。
「……私も、何度もそうだったらいいって思いました。
でも……違うんです……」
その声は怒りでも泣き声でもなかった。
心の奥から、静かにこぼれ落ちる――壊れかけた声だった。
「でも、あの聖杯は、ただの――」
“水”と言いかけて、俺は口を噤んだ。
これ以上、ツグミを傷つけちゃいけない。
生き延びるために、まずは彼女の心を支えるんだ。
――にしても。
一体、何がどうなってるんだよ…
血まみれの人間が人を噛んで、立ち上がって、また襲ってくるなんて……
まるでゾンビ映画じゃないか。
でもこれは――現実だ。
俺の目の前で、誰かが死んで、喰われて、そして“何か”に変わる。
現実に起きているのに、現実味がまるでない。
「……さっきは、言いすぎた。ごめん。
俺、まだ混乱してて……うまく整理できてないんだ。
でも、ツグミはずっと巫女として生きてきたんだよな?」
「……はい。母が亡くなってからは、お婆様が私を育ててくれました」
――八乙女家の党首、カガリさんがその祖母か。
「党首って、跡継ぎに男とか女とか関係ないの?」
「はい。党首候補が亡くなると、その子や孫が次の候補になります」
「じゃあ、ツグミもその流れで……
でも、お父さんは?」
「……会ったこと、ありません」
風にさらわれそうなほど、小さな声だった。
「物心ついた頃には、母とお婆様と三人で暮らしていました。
父のことは、名前も顔も、何も教えられていません」
「……そうか」
胸の奥がじんわり痛んだ。
ツグミの人生は、俺の想像よりずっと――孤独だった。
「……うちだけじゃないんです」
ツグミが、ぽつりと続ける。
「この村では、“夫婦”と呼べる家族が、ほとんどいません。
どちらかが、早くに亡くなってしまうんです」
「……それも、“呪い”か?」
「……わかりません。
誰も理由はわからない。
でも、みんな“そういうものだ”って、受け入れているんです。
“仕方のないこと”として……」
ツグミの横顔は、どこか儚く、今にも壊れそうだった。
理由のない死が当たり前にある村。
“鬼”と呼ばれる‘’何か‘’が実在する村。
――この八鬼村って、一体何なんだよ。
「……でもさ、うちの八木家は、じいちゃんもばあちゃんも健在だし、親父も母さんも元気で……
絶対ってわけじゃないよな?」
「……はい。八木家は本当に、珍しいです。
だからこそ、この村の“希望”だと言われています。」
希望――それはちょっと大げさじゃないかと思いつつも、否定はできなかった。
「……そっか。俺、何も知らなかったんだな。
親父もさ、ひどいよな。何も教えないで、いきなり放り込むなんて」
「……きっと、知らない方がいいと思ったんです。
本来、ショウタロウさんは、この村と関係ない人ですから」
関係ないか……
「……もう、違うよ」
そう言った俺に、ツグミは何も返さなかった。
――コツコツ。
滝の裏に、小さく足音が響いた。
俺は反射的に立ち上がり、ツグミの前に一歩出て、音のする方を睨む。
戦うか? それとも逃げるか?
「……ショウ! そこにいるのか!?」
声の主は――アキラだった。
その声を聞いただけで、安堵と一緒に嬉しさで涙が込み上げてきた。
「こっちだ! 無事か、アキラ!」
岩の間をかき分けて、アキラとコハルが姿を現す。
アキラはびしょ濡れの髪をかき上げながら、滝裏の空間を見回した。
「よかった……お前ら、生きてたか……!」
――この後の事なんて今は考えたくない。
せめてこの瞬間だけは、全部忘れて、ただお互いが生きていることだけを、確かめていたかった。
アキラと強く手を握り合いながら、俺たちは、つかの間の再会を喜んだ。




