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第27話 ゾゾゾ……逃走

「呪いだー!!!」

「殺されるぞー!!!」

「やめてーー!!!」


 あちこちで、悲鳴と怒号が飛び交っていた。


 目の前では、噛まれた村人がうずくまり、痙攣しながら血を吐いている。


 俺は、ただ立ち尽くしていた。

 アキラが何かを叫んでいた気がする。

でも、耳には届かなかった。


 ――動け、動け、動け!


 頭の奥で警報のような自分の声が響き、ようやく体が反応した。


「ツグミ! 逃げるぞ!」


 俺の叫びに、ツグミは涙を浮かべながら顔を上げ、小さくうなずいた。


「アキラ! コハル! おい、無事か!?」


「こっちは平気! でも……!」


 アキラがコハルを庇いながら駆け寄ってくる。

 コハルの手は震えていたが、唇をぎゅっと噛み、必死に泣くのをこらえていた。


「どこに逃げる!? 八家までは遠すぎるっ……!」


 アキラの声が、混乱の喧騒にかき消されそうになる。


「くそっ……!」


 ツグミが俺の腕をぎゅっとつかんだ。

 冷たく、細かく震えるその手が、何より現実を突きつけてきた。


 ――そうだ。前にツグミと行った、あの場所なら……!


「……祷り湖の滝裏だ。あそこなら、少しは……!」


 言い終わる前に、人波がどっと押し寄せ、アキラとコハルが視界から消えた。


「アキラっ! コハルっ!!」


 叫んでも返事はない。

 もう、どこにいるのか見当もつかない。


「……行こう!」


 俺はツグミの手を強く握り、北の石段を目指して駆け出した。


 ――ぐちゃっ、ぐちゅっ、ずるっ……


 背後から、何かを咀嚼する音が響いた。


 肉が引き裂かれ、骨が噛み砕かれ、臓物が吸い出されるような、湿った咀嚼音。


 鼓膜を通じて、脳髄を直接かき乱されるような音だった。


「……ツグミ、見るな!」


 さっき、倒れていた小さな子どもが、血の水たまりに沈んでいた。

 その上にしゃがみこむのは子供が“お母さん”と呼んでいたはずの‘’何か‘’。


 それが、白目を剥きながら子の腹に顔を突っ込み、

 内臓をくちゃくちゃと咀嚼していた。

 肉片を噛みちぎりながら、どろりと滴る臓腑を、まるで“母乳”のように啜っている。


「や……やだっ……やだやだやだぁああああ!!」


 ツグミが絶叫を上げ、腰を抜かしてその場に崩れ落ちた。


「ツグミ……今は逃げるしかないんだ……!」


 俺は叫びながら彼女の腕を引き上げ、走り出す。


 そのすぐ近くで、またひとり、血まみれの村人がゆっくりと起き上がる。


 顎から滴るのは、血だけじゃない。

 肉の繊維と臓液が混ざった泥のような塊が、唇からこぼれ落ちていた。


 歯と歯の間に、服の端切れが引っかかっている。

 そいつは真っ赤な目をして笑うように、口を開いて近づいてくる。


 もう、時間はなかった。


「ツグミ、走れっ!」


 俺は彼女の手を強く引き、北の石段を駆け下りる。


 振り返る余裕なんてなかった。

 背中に、あの目が迫ってくる気がして、息が詰まりそうだった。


 背後ではまだ、叫び声が響いていた。

 泣き声、怒鳴り声、呻き声――

 そのすべてが、境内からどんどん遠ざかっていく。


 石段を抜け、小道を駆けきると、月明かりに照らされた‘’祷り湖‘’が目の前に広がった。


 傍らには、古びた“御命井”。


 俺はツグミの手を握ったまま、滝の裏へと飛び込み、ようやく足を止める。


「……ごめん。痛かっただろ?」


 手を離すと、ツグミはその場に崩れ落ち、肩を震わせて泣き始めた。


 どう慰めていいか、分からなかった。

 アキラやコハルのことも、じいちゃんたちのことも――思考が追いつかない。


 滝の音が、ツグミの嗚咽をかき消していく。

 俺はただ、なにも言えず、その隣にいることしかできなかった。



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