第3者 ゾゾゾ…八鬼村と八家
バス停を抜けると、ぽつぽつと民家が現れた。
いくつもの窓に明かりが灯り、人の気配がする。
それだけで、少しホッとする。
遠くに、ぼんやりと大きな建物が見えた。
「あちらはぁ、小・中・高一貫の学校ぉですぅ。ショウタロウ様のぉ、お父様もぉ、こちらで学ばれましたぁ。」
窓越しに指を差しながら、梅さんが説明する。
「へえ……」
親父の子供の頃の話なんて、ほとんど聞いたことがなかった。
道沿いには、小さな商店がいくつか並んでいる。
「ワン!ワンワン!」
どこからか犬の鳴き声が響く。
ふと目を向けると、民家の塀の向こうで白い中型犬がしっぽを振りながらこちらを見ていた。
遠くでまた別の犬が吠え、それに応えるように鳴き声が響く。
「ポチ!!!こらっ!!!!」
飼い主と思われる人物の声が、民家の中から飛ぶ。
思ったより、賑やかだな——
そう思いながら前を向くと、いつの間にか景色が一変していた。
大きな屋敷が並んでいる。
立派な門構えに、広い庭。
どの建物も格式高そうだ。
梅さんは、どこか誇らしげにゆっくりとした口調で言う。
「八鬼村はぁ、八家のお力でぇ成り立っておりますぅ。
『八乙女家』『八潮家』『八川家』『八砥家』『八幡家』『八代家』『八上家』、そしてぇ『八木家』ですぅ。」
「……なるほど。」
「八家の者はぁ、それぞれに役目を持ちぃ、村の発展に尽くしてきたのですぅ。」
梅さんは、屋敷の並ぶ道を指し示しながら続ける。
「こちらはぁ、八乙女家のご本家ぇ。村の祭事を司る重要な家柄ですぅ。
そのお隣がぁ、八潮家ぇ。水源の管理をされておりますぅ。
八川家はぁ、学問に秀でた家でぇ、村の学校もぉ、代々ここの者がぁ関わっておりますぅ……」
一つ一つの屋敷を指しながら、梅さんは淡々と説明していく。
こんな小さな村に、有力者が集まっていて……よく揉めないもんだな。
ふと、視線を感じて振り向く。
しかし、その気配は一瞬で消えた。
車がさらに進み、梅さんの声が暗闇の中で響く。
「もう着きますぅ。八木家ですぅ。八木家は昔ぃから村の建築の全てぇに携わっておりますぅ。
学校や屋敷や社もぉ、八木家が建設してぇおります。」
「……まじかよ。」
唖然とする俺をよそに、梅さんは何事もなかったかのように続ける。
「えぇ、八木家なしではぁ、この村はぁ成り立ちまぁせん。」
言葉の意味は理解できるが、あまりにも非現実的な話に、戸惑いを隠せない。
車がカーブを曲がると、突然目の前に巨大な門が現れた。
門の両側には風化した石壁が立ち並び、その奥に、静寂をまとった巨大な屋敷が待ち構えている。
どこか威圧的な雰囲気を漂わせる屋敷。
明かりは少なく、まるで時代に取り残されたかのような佇まい。
屋敷の周りには広大な庭園が広がり、樹木が不気味に影を落としていた。
「……ここが、八木家の屋敷……。」
俺が呟くと、タイガが静かに返事をした。
「はい。」
車は門をくぐり、屋敷へと続く道を進んでいく。
周囲の景色が次第に暗くなり、静けさが増していく。
「……本当に、ここに人が住んでるのか?」
心の中で不安を覚えながら、車内の空気を気にして深呼吸した。
しばらくすると、車が屋敷の前で停まった。
タイガがサッと車を降り、ドアを開ける。
「お疲れ様でした。こちらにどうぞ。」
タイガが手を差し伸べ、俺を屋敷の中へと誘う。
屋敷に足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。
重苦しく、何かに圧倒されるような感覚。
壁にかかった古い絵画、鎧、年代物の家具。
どれも異様な存在感を放っている。
「……おお。」
思わず声が漏れる。
まるで時間が止まったような空間が広がっていた。
——ギシ、ギシ……
暗い廊下の奥から、木の床が軋む音が響く。
低く重い足音が、ゆっくりと近づいてくるたびに、屋敷の空気が張り詰める。
そして、影の奥から現れたのは——
「おおー!ショウタロウ!!!よく来たな!!!遠かったろう!!!!」
力強い声が屋敷に響く。
——じいちゃんだ。
親父は元々本家との関わりを避けていて、それに伴って俺たちも距離を置くようになっていた。
それでも、じいちゃんとばあちゃんは時々、俺らの様子を見に来てくれていた。
けれど、いつしかその訪問も途絶え、今ではすっかり疎遠になってしまっていた。
最後に会ったのは、ミナの七五三のとき。
——あれからもう十年。
「がっはっはっは!!!ショウタロウ!!!!」
じいちゃんは俺の肩を掴んだかと思うと、一気に力強く抱き寄せる。
骨まで響くような握力に、思わず息が詰まる。
「うおっ……!」
「ほらほら、もっとしっかりせんか!!お前、こんなもんじゃないだろう!!!」
——バンバンッ!!!
背中を叩かれ、衝撃に軽く咳き込む。
「ぐっ……じいちゃん、相変わらず力強すぎるって……!」
「がははは!!当たり前だ!!まだまだワシは衰えんぞ!!」
じいちゃんは腕を組み、満足そうに俺を見下ろしていた——。
「旦那様、そろそろお時間です」
咳き込みながら、静かに響く声に振り向くと——
そこには、提灯を持った少女が立っていた。
白い着物を纏い、顔色は驚くほど青白い。
おかっぱ頭の黒髪が、蝋燭の灯りに淡く照らされている。
無表情のまま、ただこちらを見つめるその瞳は——
まるで、人形のようだった。
「これはぁ、梅の娘のぉサクラですぅ――」
ぬうんーー
「――ッ!!?」
背後からひんやりする気配が近づいたかと思うと、
暗闇のなか、突然、提灯の明かりに照らされ不気味ににんまり笑う梅さんの顔が浮かび上がった。
「うわあああああああ!!!」
こわっ! いや、普通に毎回怖いって!!
思わず腰を抜かしそうになった俺を見て、じいちゃんは豪快に笑う。
「がはははっ! 梅、手加減せい!」
「おやおやぁ、旦那ぁ様。梅はぁただ、娘を紹介しただけでぇございますよぉ?」
ちらりとサクラを見る。
上品で落ち着いた雰囲気の少女だ。
確かにタイガと顔立ちがよく似ている。
しかし、娘って…梅さんが何歳の時の子なんだ……?
一瞬、その疑問がまた頭をよぎるが、ああ…もうこれを考えるのをやめた。
うん、やめよう。
サクラは静かに頭を下げる。
「八木家の召し使いのサクラです。
これからお帰りまでショウタロウ様のお世話をさせていただきます。」
「えっ…そ、そうなんですか?」
いきなりの言葉に混乱しながらじいちゃんの方を見ると、彼はまたもや豪快に笑った。
「がははっ!何でもサクラに頼むといいさ!」
サクラが一歩前に出ると、すっと梅さんも続く。
「旦那ぁ様ぁ、皆様ぁがぁお待ちですぅ」
「あっ、そうだった! 八家のことは梅から聞いているだろうが、今日は『八鬼祭』の顔合わせでな。うちの大広間に皆が集まっているんだ!」
「は!?えっ!? 俺、何も聞いてないんだけど……!」
驚く俺をよそに、じいちゃんは言葉を続ける。
「長旅で疲れているところ悪いが、サクラに支度を手伝ってもらって、お前もすぐに大広間へ来い!」
「えっ…ちょっと…」
俺の戸惑いをよそに、じいちゃんはすでに廊下をずんずん進んでいき、その後を梅さんがするすると滑るような足取りで続いていた。
そして、二人の背中は闇に溶けるように遠ざかっていった。
サクラは再び俺に向き直り、丁寧に一礼する。
「ショウタロウ様、ご案内いたします」
「え、いや、その……はい……」
「八鬼祭の顔合わせ」って何だ?
まさか、いきなり重要な場に放り込まれるのか……?
俺は不安を隠しきれないまま、サクラの後を着いていくしかなかったーー。