第14話 ゾゾゾ……満月の祈り②
湖畔で目が合ったあと、ツグミは静かに岸へ上がってきた。
濡れた長襦袢の裾を押さえながら、無言でこちらへ歩いてくる。
「やべっ!」
俺は慌ててスマホをポケットにしまう。
「……はあ……」
ツグミさんは近づくなり、ため息をついて、低く小さな声で言った。
「また……覗いてたんですね」
その声は静かなのに、妙に刺さる。
「ち、ちが――いや、見たけど!」
もう開き直るしかなかった。
「しつこいんですよ、あなた。何度言えば分かるんですか」
「しつこいって、そっちこそ! なんでそんなにいちいち隠そうとするんですか!」
張り詰めた空気が、その場を一気に重くする。
「……」
視線を逸らしたとき、ふと目に入ったものがあった。
「……あれ、井戸?」
ツグミの肩がわずかに揺れる。
湖の奥、霧がかった小道の先に、小さな祠のような屋根に覆われた、古びた井戸が見えた。
昼間は慌ただしくて、全く気づかなかった。
井戸へ足を向けようとすると、ツグミの声が追ってくる。
「“御命井”と呼ばれています。初代巫女の力が封じられた井戸です」
「……ってことは、この井戸が儀式の核心ってわけか」
ツグミは一歩、俺の前に出て、道をふさぐように立った。
「この村の人間は、皆この井戸から命を受ける“定め”なんです」
「定め……?」
「そして――次は、私が新たな命を井戸に流す」
その声は、かすかに震えていた。
……意味がわからない。
けど、冗談じゃないことだけは伝わってきた。
“命を流す”って、どういう意味だよ?
「それさ、失敗するとどうな――」
言いかけた瞬間、ツグミの声がかぶさる。
「失敗するわけにはいかないのです!」
ピシャリと断ち切るような声。
「だから……こうやって、“祷り湖”で祈ってるんです……」
その瞳には、揺れるものがあった。
「……それなのに、あなたがっ……!」
言葉を詰まらせながらも、ツグミは拳をぎゅっと握りしめた。
「無神経に詮索して……はっきり言って、あなたの存在そのものが儀式の災いなんです!」
「……っ!」
喉の奥が詰まり、言葉が出てこなかった。
月明かりの下で、ツグミの表情は静かに怒りに染まっていた。
彼女は何も言わずに背を向け、湖畔を歩き去ろうとした――
「……待ってよ!」
俺は思わず、ツグミさんの手首を掴んだ。
ひんやりとした肌。
びくりと震える感触が、指先に伝わる。
「新しい命を流すって……まさか、ツグミさんが犠牲になるってことじゃないですよね?」
俺の声が少しうわずる。
ただの好奇心だけじゃない…
きっと、妙にリアルな彼女の反応が少し怖かったからだ。
ツグミさんは振り向かず、静かに言った。
「……放してください」
言葉に詰まる。
生け贄とか人柱とか、現代にそんなことあるわけない。
でも、なぜだろう。素直に手を放せなかった。
小さな嫌な予感が、喉の奥を引っかいて離れなかった。
「……命を流すって、どんな儀式なんですか?」
「……放して、って言ってるんです」
その声は、怒りよりも冷たく、壁のように遠い。
「……っ」
俺は、手を放すしかなかった。
ツグミさんは一歩だけ距離をとり、ゆっくりと振り返る。
その目には、何の感情も浮かんでいなかった。
「……もう二度と、私の邪魔しないでください…」
ツグミさんは、まるでそれが“最後通告”であるかのように言い放つと、
濡れた裾を引きずるようにして、静かに湖畔を歩き去っていった。
その背中は、何かを背負った人のそれに見えてーー
なぜか、俺には言いようのない不安だけが残った。
言葉も出ずに立ち尽くしていると――
ブブ……ブー……
突然、ポケットの中でスマホが震えた。
「え……?」
取り出して画面を見た瞬間、
画面がふっと暗転し、電源が落ちた。
「……充電切れ?」
その時ふと、気づく。
…あっ、そういえば、録画……回しっぱなしだった。
「……今の、全部……?」
祷り湖の光景と、ツグミとの会話。
どこまで記録されていたのかはわからない。
でももし――八鬼祭が人の命を扱うような儀式なら。
このデータは……何かを変える証拠になるかもしれない。




