03 夜ともぐら
夜の匂いはいつもすこし湿気ているように僕には感じられた。よく晴れた冬の日の夜だけが例外だった。
ゆるい勾配の坂をのぼって、その途中で曲がる。先の横断歩道を渡った先に目的のコンビニがある。ガラス窓から漏れる光のせいで、いつからか僕はコンビニがそれをパンパンに蓄えた箱みたいだと思うようになった。夜の闇に置かれた馬鹿みたいな量の光を詰め込んだそれは、いつか爆発してしまいそうに見えた。けれど僕はその光を遠くから見かけるといつも安心していた。
店に近づいていくと、逆光に縁取られて誰かが入口近くでしゃがみ込んでいるのがわかった。たぶん二人。僕以外の人にもそういう、安寧の場所になっているのかもしれない。この店は別に僕そのものではないのに悪い気分はしなかった。その人たちの横をちょうど通り過ぎるあたりでのことだった。
「レア以上のドリルって言うほど変わんないよ、記録狙うならもぐら優先」
足取りがわずかに不安定になるほど動揺した。まさかこんな言葉を実際に耳で聞くことがあるとは思ってもみなかった。店内に入ってから深呼吸をしなければならないほどだった。飲み物の棚の前で悩むふりをしてどうにか気持ちを落ち着かせた。
周囲から見れば怪しみたくなるほど飲み物を吟味して、結局はスポーツドリンクを選んだ僕はレジに商品を持っていくときには腹を決めていた。しゃがみ込んでいた人たちに話しかけてみよう、ということを。
気のない礼とお釣りを受け取って、僕はいつもよりも早足でコンビニの自動ドアに向かった。じれったく左右に引かれていく透明の板を待つ。こんなにわくわくしたのは久しぶりだったと思う。店から出てさっき二人がいたほうを向く。まだ楽しそうに彼らの話は続いていた。
「あの、もしかして掘りもぐの話ですか?」
彼らの顔の向きが僕に向かって固定されて、そうして目が大きく見開かれた。それも当然だ。僕だっていきなりそう声をかけられたら同じ反応をすると思う。
「えっ、きみ知ってるの」
「僕もやってるんです」
そう言って僕はスマホのロックを解いて画面を見せた。アプリのひとつにもぐらが工事現場用の黄色いヘルメットをかぶったものがある。気の抜けるような感じのイラストだ。
けれどこれが証明になる。こんな言葉を使うのは仰々しくておかしいかもしれないけれど、これは同志の証なのだ。
どちらも髪を染めた男女の二人組だった。女性のほうは地肌の近くが黒に戻りつつある。見た目の印象でいえば品行方正とは縁遠そうだった。
「え、お前この辺に住んでんの?」
「そうです」
「マサちゃん、これすごい奇跡っしょ。掘りもぐやってる人がこんな近くに三人もいるなんて」
興奮したように女性がマサちゃんと呼ばれた男の背中を叩いた。彼は嫌がりもせず、うれしそうに笑っていた。それはなんだか、ホームランを打った選手がベンチの前でチームメイトに叩かれているのに似ていた。祝福だった。
その光景は僕にとってももちろん喜ばしいものだった。僕がいることでこんなにも場が明るくなるなんてことはそうない。
「あたしナツミ。ね、きみはなんていうの?」
僕たちは名前だけの自己紹介をした。僕は彼らをナツミさんとマサさんと呼ぶことにした。共通のマイナーな趣味は、他のきっかけよりもずっと僕たちの距離を縮めることに役立った。きっと僕も彼らも仲間を欲していたのだと思う。先に出会えていたナツミさんとマサさんだけでもじゅうぶんすぎるほどの奇跡だったのに、僕がそこに加わることでその奇跡はより価値を増すことになった。
僕たちはインターネットでさえほとんどされていない情報のやり取りをした。そのゲーム内では一〇〇〇位までのプレイヤーのランキングを見ることができるのだが、そのランキングはすべて埋まり切っていない。全世界で四桁にも満たない数しかこのゲームを遊んでいないのだ。だから誰も注目しないし、なにか目的のある人が界隈を取り上げることもしない。人がいなければ研究は進まず、いまだに解明されていない部分の多いゲーム。いま僕たちが出会えて話ができているのは本当に貴重な体験といえる。
僕も彼らにならってしゃがみ込んで話をした。あとから思うと、外から見たら不良に見えたかもしれない。けれどそんなことはまるで気にならなかった。
それは未知の甘美な経験だった。人生において必須かどうかと聞かれたら、きっと誰もが首を横に振る。だから余計で無意味ということを含意して甘美なのだ。だってそれはお互いを知らずに世界中に散らばった少数民族が偶然に出会ったのと変わりがない。僕もしたことのないような笑顔だったんじゃないかと思う。
ナツミさんとマサさんは似たような時間帯によくここにいるとのことだった。もし話がしたくなったら探してみてと言ってくれた。
二人はどうだかわからないけど、僕はこのことを秘密にしようと思った。




