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造花を焼く  作者: 箱女
1.月の位置の観測
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02 真垣さん

 国語の授業が何よりも難しい。僕は綺麗に線の引かれたノートを閉じて教科書といっしょに机にしまった。僕は線を引くことだけは上手なのだ。定規なんて必要ない。直線も波線も誰よりも上手かった。数少ない特技だった。

 そのおそろしく無意味に思える時間が終わって昼休みのチャイムが鳴った。僕は弁当を持って浅田のところへ向かった。

「おっす」

「おう、食おうぜ」

 僕らはろくに言葉も交わさずに弁当の包みを開けて箸を動かし始めた。

「昨日さ」

「ん」

「妹にさ、小学生のね、頼むから足遅くなってくれって言われたんだけど」

 僕は箸を止めて浅田のほうを見た。浅田は特別な表情を浮かべてはいなかった。それは良くも悪くも家族に対する感情といった感じを僕に与えた。それにしてもなかなか不思議な頼みだ。逆ならまだわかるけど。

「なんで?」

「俺も聞いた。そしたらクラスの男子より俺のほうが足速いのがムカつくんだって」

 複雑な感情というほどでもなさそうだった。浅田への妹からの評価がそれほど高くないというだけの話だった。それが足の速さで表面化するのはたしかに小学生らしいように思えた。

 また箸を動かし始める。ごま塩のかかった白米を口へ運ぶ。米は冷たかった。

「俺笑っちまったけどさ、そのあと風呂入ってるときにちょっと思い直したんだよ。そういえば小学生のときって足速いやつがモテてたなって」

「たしかに。下手したらモテる一番の理由ってそれじゃなかった?」

「そんな気するわ。どっかで足速いイコールかっこいい、になってたと思う」

 思い返してみれば不思議な価値評価だったような気がする。あまり記憶が正確ではないけれど、女子だって足の速い子はクラス内での人気が、それも男女を問わずの人気が高かった気さえする。あのときの足の速さは本当になにか特別なものだった。本人たちがどう思っていたかは知らないけれど、外から見た彼らは、たしかに彼らにしか立ち入ることのできない場所にいた。

 でも小学生じゃなくなった僕たちはそこに目を向けなくなった。それは自然なことだけど、そこにはちょっとつつけるものがあるような気がした。だっていま、僕たちは足が速いだけじゃ恋をしない。

「たとえばさ、マンガとかのヒロインで完璧なキャラいるじゃん。見た目は美人でスポーツ万能、勉強もできる憧れの的みたいな」

「いるいる」

「美人じゃなくてもモテるのかな」

「微妙だな。見た目普通であとは万能ってことだろ?」

 浅田は視線を宙にさまよわせて腕を組んだ。箸は弁当箱に立てかけていた。もしも僕らが小学生だったならその子は人気者だっただろう。でもいまの僕らは高校生だ。どこに注目するかって聞かれたら、最初は見た目しかない。これは男子も女子も変わらない。話をするようになったら違いが出てくるのはそうだけど。

 僕と同じ結論に浅田もたどり着いたらしかった。

「あれ、じゃあ別に文武両道要素いらないじゃん」

「だよね。僕もぱっとそう思ってさ」

「なんでそれがお決まりみたいになってんだろうな」

「そこはなんだろう、言っちゃ悪いけど作品ってことなんじゃないの」

 全面肯定ではない納得のうなずきを浅田は見せてくれた。たしかに勉強ができることも運動ができることも優れたことでいいことだ。プラスの評価になるのに決まっている。でもそれ単独で好きになることはない。そのへんでもやついているのだろう。

 川がどんな支流も結局は海へとたどり着くように、僕らの話題もそちらに収束することが決まっているようなものだった。スタートとゴールが決まっているという意味では簡単な迷路と似ていると言えるかもしれない。浅田も下流へ向かい始めた。

「そういう身近な現実感だとやっぱり真垣ってことになるか」

「失礼な話だけどね、ある意味」

 学校は見方によっては数百人規模という意外と数の大きい集団であり、中身はそれこそ千差万別だ。そして原理上そこにはどの分野でもナンバーワンがいる。偏差値は学校によってかなり明確な差が出るから別だとしても、そうでない分野の一番はなかなかすごい。つまり学校一番の美人は絶対にいて、それはかならず一定の価値を持っているのだ。僕は勝手にそう考えているけど、そう外してはいないと思う。

 つまり僕らにとって真垣さんとはそういう存在なのだ。

 浅田と僕はそのまま彼女について話をした。いつも通りのことだったからほとんど発展はしなかった。同じクラスでないことがすこし残念だということで真垣さんについての話はいつも終わるのだった。


 僕は真垣さんと顔見知りの関係だ。

 知り合った経緯は月並みだから省略するけど、たまたま弾みで会話する機会を得ることになり、僕たちはそこで面白くない会話をした。だというのに廊下で出会うと、手を上げたり何らかのサインを送りあうようになった。けれどそれは特別なことではない。彼女は物語のヒロインのように人付き合いが苦手といったタイプではないし、たまに廊下で見かけただけのときは名前を呼ばれて友達と楽しそうに笑っている。

 要するに僕が選ばれたような立ち位置にいるわけではないということだ。

 初めての会話以降、僕たちは会話らしい会話をしていない。朝のあいさつ、帰宅のあいさつ。それぐらいのものだ。

 真垣さんの美人さはテレビに出てさえ照り映えるようなぶっちぎりのものとまではいかない。さすがに学校のレベルにおさまるものだ。それでも彼女の魅力には説明の難しい不思議なものがあった。目よりも気を引く種類のもの。そこらにいる女子高生と同じようにバカみたいに笑うけれど、静かにしているときの雰囲気にハッとさせられる。それは落差のせいなのかもしれないし、すこし伏せたまつげの長さが作り物のようなバランスを保っているせいなのかもしれない。

 奇妙なことに彼女の男女関係に関する噂を僕は聞いたことがなかった。誰と付き合っているという話どころか、誰かが彼女に告白したというものさえ聞かなかった。


 終業のチャイムが鳴って、級長が号令をした。小学生のころと違って誰もさようならとは言わない。軽く頭を前に倒すか、そうでなければそのまま座っていた。そして音を立てて席から立った。部活に行くか帰るかのどちらかだ。もしくはちょっとだけ学校に残って友達と話していく。今日の僕は三番目だった。

 明日の体育のことを話して、数学のベクトルの意味がまったくわからないといった愚痴をこぼして、そうして僕は友達に手を振った。窓の外を見るとよく晴れていた。窓に寄って眺めてみると四階からのこの景色は悪くなかった。遠くに白いビニール袋が飛んでいるのが見えた。視線まっすぐぐらいのところを飛んでいたから、どうやら非常識な高さを飛んでいるらしかった。

「帰り?」

 窓の外から視線を戻すと真垣さんが立っていた。僕も彼女もカバンを持っていた。

「うん。真垣さんも?」

「そう」

 彼女の周囲にはよく人がいたけれど、ひとりの姿が不自然ということもなかった。そのことについて前に考えてみたことがある。でもうまい結論は導けなかった。それでもこの現実が目の前で成立している以上、どこかにきちんと説明がつけられる論理があるはずだった。

 僕はその考えを脇に置いて口を開かないとならなかった。

「こうやって話すの、久しぶりだね」

「ねえ、昨日のニュース見た?」

 真垣さんは僕の言葉に軽くうなずいて話を始めた。

 昨日のニュース。範囲の小さく思えるそれでも実は多くの出来事があった。よその国では山火事が起きていたし、隣の県ではコンビニ強盗があった。アクセルとブレーキを踏み間違えて自動車事故を起こした高齢者もいた。でもそのどれでもないことが僕にはわかっていた。

「河原の、おじさん」

「そう。ガスガンの人」

 どう返したものかわからず、僕は言葉に詰まってしまった。

 そのことを敏感に感じ取ったのか、真垣さんは言葉をつなげた。

「見ててすごく気持ち悪いと思ったの。見てみたさと近寄りたくもないって気持ちがどっちもあるんだけど、その比率が一パーセントと九十九パーセントで」

「よくわかるけど、僕は何があってそうなったのかが気になったかな」

「理由があってあんなことをしたってこと?」

「そう」

「どうせロクでもないことだと思うけど」

 真垣さんはすこしだけ悲しそうな顔をして廊下を引き返してしまった。僕はそれを一秒か二秒だけ見送って、そうしてから階段を下りた。一段おりるごとに踏みしめた足がものすごく重いもののように思えた。下駄箱に向かうころにはほとんど引きずるようにしてのそのそと歩いていた。


 僕は家に着くと自分の部屋にも戻らずに冷蔵庫を開けた。なにか普段とは違うことをしたかった僕は、目立たないところに置いてあった個包装のチョコレートをひとつ取り出して食べた。

 すこしすっとした僕はやっと着替えることができた。カバンから筆箱とクリアファイルを取り出して、明日の時間割と残った宿題を確認する。ため息をついてテレビをつけた。大相撲が中継されていた。

 夕食を終えて部屋に戻り、宿題に取り掛かろうと思ったけれど気が進まなかった。経験上、こうなると僕はどうしようもなくなる。予感はあった。どうせそうなるだろうという諦めもあって、僕は投げ出すことを躊躇しなかった。つけっぱなしになっていたテレビは僕の興味を引いてはくれなかった。ベッドに寝転がって天井を見つめてみた。何もなかった。そこにがやがやと騒がしいテレビの音が割り込んできて、もうどうにもならなくなった。意味なんてなかったし、それが生まれる予兆もなかった。終わってる、と僕は思った。

 二十時になると僕は外に出た。こういうときは無理やりにでも何かを変える必要があって、僕の場合はコンビニに行くことがそれだった。僕は気晴らしをするときには家から二番目に近いコンビニをいつも選んだ。

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