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造花を焼く  作者: 箱女
3.分銅を見比べる
18/20

18 弱者の特権

 放課後の空き教室。文芸部の活動開始のあとで、僕は瀬川さんとそこに移動した。こうやって連れ立って歩いても噂が立たないのが文芸部のいいところだ。僕の場合、とくに何も作品を書いていないこともあって、瀬川さんに作法を教わる構図にしか映らない。わざわざ誰もいない教室に移動するのも他の人が集中して執筆している隣で指導もできないからだと認識してもらえる。

「瀬川さん、真垣さんと知り合いだったの?」

「ん? 同じクラスだし」

 瀬川さんはノートを開いて頬杖をついていた。たまになにかを書きつけては消している。話の展開や要素をメモしているのだろう。そしてそれが実っていない。

 僕は椅子の背を前にして座っていた。腕が置けてちょうどいい。

「驚いたよ、瀬川さんの名前が出てきたのも、ついでに僕が話題になってたのも」

「まあ、普段から話してると話題なんてどんどんなくなっていくから」

「ってことはけっこう仲良いの?」

「休み合わせて出かけるくらいよ」

「それは仲良しだね」

 また瀬川さんの消しゴムが左右に動いた。ため息もついてきた。

「むしろ私はあんたと月子が顔見知りなのに驚いたけど」

「僕も驚いてる。真垣さんって義理堅いタイプなの?」

 瀬川さんはそれを聞くとノートから顔を上げた。そして秋に特有の色の薄い空へと目をやった。シャーペンの背をあごに当てて考える。僕はその一連の流れをただじっと見ていた。何をしても邪魔になるような気がした。

「私はそうは思わないかな。自分を優先してるように見える。嘘はつかずに言いたいことは言うって感じ。どっちかっていえば、ってぐらいの話だけどね。だからあんたがそういう扱いを受けてるとも思わない」

「そうなんだ」

「そんなことやってたら誰とでも仲良くお話ししないとだし。そんなの面倒でしょ」

 たしかにその通りだと僕は頷いた。

 そして僕のなかにふたつの気持ちが生まれた。よかったという気持ちとすこし悲しい気持ちだ。そのふたつは相反していない。明確に両立していた。そのうえで僕が求めているのはそれらを粉々にするまったく別の真垣さんへの評価だった。だってあの屋上での遭遇はこんな一般的な人物像に収まるはずがないからだ。

「なんだか真垣さんもふつうの人みたいだね」

「あんたがどんな意図で言ってるのか知らないけど、どの角度から見てもふつうの人なんていないわよ。みんなどこかしら個性的な部分はある。あとは程度の問題」

 瀬川さんにため息をつかれた。なにか見透かされたような気分にもなったし、僕の考えが浅かったことも自覚させられた。きっと彼女から見たら僕はバカなことばかり言っているように思えるのだろう。ちっとも思考を挟まない、自分に都合のいいことを主張するだけの子ども。

「瀬川さんはいまどんなのを書いてるの?」

「そんなに長くないやつよ。題材は宗教」

「神様の話だ」

「雑に言えばそう。神様の役割」

 ノートの上に戻ったシャーペンのペン先が紙の上を叩く。難しそうな題材だ。それなら瀬川さんが不愉快そうにノートに向かい合っているのもわかる。神様の役割とは何だろう。また僕にはわからない。あらためて考えてみると表現のしづらい存在だと思う。存在すると言い切ることはできないし、かと言って否定も筋が違う。それこそ宗教というものが仲立ちになっている理由なのかもしれない。

 僕はさっき瀬川さんが眺めていた秋空へ目をやった。平べったい雲が目についた。二か月くらいしか経っていないのに、ずいぶんと夏とは違う雲だ。迫力というものがはっきりと欠けていた。

「神様に役割なんてあるの?」

「だからそれを書くの」

「瀬川さんの作品も祈りを背負ってるの?」

 瀬川さんが顔をあげて驚いたような表情で僕を見た。

「……どこでそんなキザったらしい言い回し覚えたのよ。違和感がすごい」

「まあ、ちょっとね。知り合いがそんなふうに言ってたんだ」

「私は、そうね、そっち側の人間」

 力のない微笑みが瀬川さんに浮かんだ。彼女はいつも真面目そうで、表情を変えてもその範囲を出なかった。そんな彼女のこんな顔が目の前にあると、まるで特別に秘密を見せてもらったような気分になった。

「驚いてる」

「何がよ」

「あ、いや、言葉が通じたことにだよ。祈り。何言ってんだって言われてもぜんぜんおかしくないのに」

「そのものズバリ、じゃなくても似たようなことを考えてる人はいる。だからわかるのよ、似てるんだもの」

「その言い方だと全員ってわけじゃないんだね? 瀬川さんは入るけど」

 瀬川さんは視線を逸らしてちいさくため息をついた。

「あまりいい響きじゃないけど少数派だと思うわ。どちらかといえばね」

 僕には彼女の言葉がよくわからなかった。どうして少数派はいい響きではないのだろう。そしてどうして祈りが通じる人は少数派なのだろう。僕がたまたま少数派にばかり出会っているのだろうか。

 キンセイの言っていた芸術はまだまだ僕には理解できていないみたいだった。

「どうしていい響きじゃないの?」

「これは個人的な考えだけど、弱者の特権なのよ。あんたの言ったこと」

「ちょっと。僕はそんなこと前提に言ってない」

「たぶん本当にそうなんだろうと思うけど、でもそういうものじゃないのよ」

 瀬川さんの最後の一言はそれ以上何も言わせないものがあった。圧力というのでもない。ただおそろしく静かな森に僕が勝手に踏み込んではいけないような、そういう畏怖を僕に抱かせた。そこを踏み荒らすのなら、なにかひとつとても大事なものを差し出さなくてはならなかった。

 瀬川さんのシャーペンを握ったほうの手はついにノートから離れて、彼女の耳のそばまで行ってしまった。まったく手の出し方さえわからない数学の問題を前にした僕と似たような姿勢だった。消せるアイデアさえ浮かばないのだ。

 僕は瀬川さんのほうを向いたまま、彼女の言ったことについて考えていた。

「宗教のね」

「え?」

「宗教の大事なところって人数だと私は思っていて」

「規模ってことでしょ」

「違うわ。同じ神様を自分以外にも信じている人がいる。それが目に見えるかたちであるのが重要なのよ」

「そういうものなの?」

「そう。だからあんたには宗教は必要ないってこと」

 だから、の意味がつかめなかったけれど、僕はそのことについては考えなかった。僕も自分にそういったものが必要だと感じたことはない。神様も、宗教も。

 きっとまた言葉にしていない部分を読み取らないとできない会話を仕掛けられているのだろう。前にも瀬川さんに言われたけれど、僕がひどく苦手にしているものだ。言っている。言っていない。考えればわかる。面倒の洪水だ。それだったら事実だけを流しているニュースのほうがずっとよかった。とにかく何かがあって、それを教えてくれる。それへの僕の反応は単純な感想を持つことぐらいだ。

「たとえば、僕が瀬川さんの小説に出てきたらどうなるかな」

「きっと無茶苦茶なことをするわ」

「どんなこと?」

「ひとつの神様を中心に物語が回ってるところに全然関係のないあんただけの神様を持ってくるくらいのこと」

「僕に神様なんていないよ、さっき瀬川さんも言ったじゃない」

「私が言ったのは宗教よ」

 僕にはそのふたつの区別がつかなかった。僕はそのことについて聞いてみようとしたけれど、でもそのことがすごく重要なことであるかのように、それを口にした瀬川さんはノートにふたたび向かい合った。透明な膜が全身をぴったりと覆ったみたいに世界と彼女との接点はなくなった。音も時間もなくなったみたいだった。

 もちろんこの空き教室に僕の居場所はない。すごすごと立ち去る以外の選択肢はなかった。廊下の窓から見える外はまだ明るかった。たぶん僕は瀬川さんを傷つけたのだと思う。でも謝り方がわからなかった。口だけ動かしたところで、それは余計に痛めつけることになる。そういうことばかりわかった。


 ベッドに寝そべって、僕はスマートフォンを取り出した。そしてしばらくまともに遊んでいなかった掘りもぐを起動した。イヤホンをつけるとチープな音楽が流れる。それが嫌だということではない。画面もそれとバランスが取れているから、むしろ安心感が生まれるくらいだ。

 はじめに僕がすることは作業員もぐらに着せる衣装を選んであげることだ。これは結果にまったく影響を与えないと明言されている部分でありながら、たったひとつの収益に関わる要素、いわゆる課金にあたる部分だ。粗いドット絵の服装に僕たち掘りもぐのプレイヤーは敬意を持って支払いをする。その衣装が効力を発揮するのは自己記録を達成したときだ。ランキングの名前の横に表示されるもぐらがその姿になってアピールしてくれる。たびたび新しい衣装が追加されるけれど、そのどれもが二百円で販売されている。きっとプレイヤーは誰も購入を躊躇わない。

 掘り進める場所を選んで、無料で当たる消費アイテムのドリルとお弁当を選んで、そして自分のいまの気分についてコメントを出している五匹の作業員もぐらから一匹を選ぶ。そうすると選んだもぐらが作業を始めて、その過程が描かれる。地表からスタートして画面下に進んでいくだけの単純なものだ。このあいだに僕ができることは何もない。すべてがランダムに決定される。気合十分のもぐらのほうがいい結果を残す傾向にあるのはたしかだけど、逆転現象は珍しくない。

 結果の画面は大きく何メートルという表示と周囲にもぐらがいるだけで他には何もない。もし自己ベストを出したらランキング画面に遷移して自分の位置が示される。それがすべてのゲーム。一般的なゲームに備わっている成長の実感や達成感のようなものはない。ただ単純に繰り返されるランダム要素。けれどなんとなく手が伸びてしまう。それがこの掘りもぐのキモだった。離れていたはずのゲームなのに、起動してみるとぴたりと肌に合う。

 回数制限もないし、一回のプレイ時間も長くない。しかもそのあいだはもぐらを応援しているせいで時間感覚が歪む。気が付けば一時間二時間経っていることもざらだった。

 また僕の選んだもぐらが諦めた。今度は固い岩にぶち当たったのだ。さっきは単に疲労。なかなか地下深くへは行けない。このゲームが影響して一度もぐらについて調べたのだが、彼らは実際には地表近くばかりを掘るらしい。そしてすごく遅いのだという。ちいさな頃から抱いていたイメージとはどうやら違うらしかった。僕の中ではもぐらというのは土をずんずん掘り進んで、まるで迷路のような跡を残す生き物だった。でも本当は地下なんてもってのほかだった。

 結局、今日は自己ベストを出すことができなかった。

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