56話 『初夜 後編』
無理矢理押し込まれた部屋の中は、とても王太子の部屋とは思えなかった。
家具は必要最低限しか置いておらず、煌びやかな服や、貴族令息あるあるの鹿の角などの動物のツノも飾っていない。
みすぼらしい部屋というわけではない。部屋自体は綺麗なのだが、本当に質素なのだ。
と、部屋を一望して心を落ち着かせる……なんてことできるはずもなく。
「出てけ」
「……」
後ろ姿しか見えないが、すごく怒っているのは伝わってくる。
いや、怒っているというより八つ当たりされているのかもしれない。
「出られませんよ」
「あ?」
「鍵、掛けられたので」
「……扉なんて壊せばいい」
(できるわけないじゃん……ほんと、子どもみたいな人)
機嫌が悪いことを隠そうともせず、人に当たることで負の感情を昇華しようとしているところが本当に子どもみたいだと思う。
嫌なことがあったのは分かるし可哀想だと思うけれど、それを無関係の私にぶつけるのは違うでしょ。
まあ、この態度からみて私とする気がないのが分かったからいいのだけれど……
(はあ、こんな人が私の夫なのか……)
嫁ぐ前聞いていた『女性に優しい紳士』は、何処に行ったのやら。
目の前にいるのは、不貞腐れ、感情のコントロールが満足にできない幼児みたいに当たり散らすひねくれ王太子。
私は心の中で大きな溜息をついた。
アルベルト・クラレンス。彼の境遇は大体知っている。
エドワルド三世と、前王妃イザベラ様の間に生まれた唯一の子どもだ。
前王妃は確か私が8歳くらいのときに亡くなったと思うのだが、彼女は訳あってプトロヴァンス中で嫌われている。
それは、彼女がプトロヴァンスの機密情報を祖国に流していたから。死後にそのことが露見し、愛されていた王妃が一変。今や誰からも嫌われ、『裏切り者の前王妃』と呼ばれている。
そんな前王妃との子どもである彼がどんな待遇なのか。それは彼の態度や、ひねくれ具合を見て容易に想像できる。
現王妃とエドワルド三世との間に男の子はいないため、アルベルト様は王太子として大切にされているのではと思っていたが……私の予想は甘かった。
きっと彼はたくさん傷ついて、尊厳も奪われて、ここまで生きたのだろう。
当然宮廷での立場は無いに等しい。
そのため、私は迷っていた。
――――――彼と関係を築くことは無意味なのではないか?
(こんなひねくれ王太子の相手をして、落としたとしても無価値だしね……)
嫁ぐ前は、彼に権力があるため私に落ちてもらおうと思っていた。それは、政治の中枢や宮廷での地位獲得に繋がると考えていたから。
しかし、それも権力がなければ何もできない。
彼に権力がないと分かったら、もう関わるだけ無駄だと思い始めていた。
(――――――いや、これは逃げじゃない?)
思考を客観視したとき、私は自分が逃げていることに気付いた。
本当はアルベルト様と関わるのが面倒なだけなのに、それらしい理由を並べて、自分を納得させようとしている。
確かに今、彼を落としたとしても無価値なのは事実だ。しかし、その後は?
もし王妃たちの間に男の子ができなかったら、次期王はアルベルト様になる。
そして、彼の地位は盤石なものになる。
そうすれば愛されている私の地位も権力も保証されるわけで……
結論。アルベルト・クラレンスを落とすことは無駄ではない。
私は今まで通りミュンシスタのため、彼を落とすことに決めた。
と、長考の末結論を出すことができた。
「壊せる訳ないじゃないですか。私に当たらないでください」
「……じゃあここから動くな。少しでも動いたらお前を外に投げる」
「……へえ」
そう宣言されたが、私はお構いなしに動く。アルベルト様の元へ近づくと、
「動きましたけれど、私を外に投げますか?」
と、悪戯っぽく笑いそう言った。
「……はぁ、もういい。相手にするのも疲れた」
「あのソファー、借りますね。今日はそこで寝ます」
「……好きにしろ」
私はそれ以上何も言わないことにした。
子どもが拗ねて機嫌が悪いときは、無理に関わろうとせず一人になれる時間を与えるに限る。
前世の記憶を持って生まれ、小さい頃から幼馴染たちのお姉さんをやっていた影響か、子どもの扱いはお手の物。というか大得意だと思う。
どういう場面でどういった声掛けをすればいいのか、私は保育士並みに分かるようになっていた。
「おやすみなさい、アルベルト様」
私はソファーに横たわり、眠ることにした。
今日は一段と疲れた。主に長い長い挨拶巡りのせいで。
プトロヴァンスの無駄に多い貴族たちに挨拶巡りすることがこれからもあるのかと思うと、絶望しかないのだが……まあ、耐えるしかないか。
と、あれこれ考えていると意識が眠気に吸い取られていく。
「――――――起きてるか?」
「――――え?」
私の意識が遠のいていく手前くらいに声を掛けられた。
「……起こしてすまなかった」
「いや、それは全然構わないのですが、どうかしましたか?」
アルベルト様の方から声を掛けてくれるなんて思わなかったので、驚き眠気なんて一瞬で吹っ飛ぶ。
そして、次に彼の口から出てきた言葉にさらに驚いた。
「今日はすまなかった」
「……!!」
「お前には悪いことをしたな」
悪いこと……とは、結婚式から抜け出したことだろう。
確かに迷惑を被ったのは事実だが、私はそれについてそこまで被害を受けていない。
むしろその謝罪は私より神父にするべきだと思う。
そのため、謝罪されるほどではないのだが、素直に謝ってくれたので私も素直に受け取ることにした。
「……その言葉を頂いたので、今日のことは水に流しますね」
「…………ああ」
「……」
「……怒っていないのか?」
「怒っていませんよ」
「……退場した理由も聞かないのか?」
「はい。アルベルト様は話したくないのではないですか?」
「……」
「夫婦とはいえ私たちの間に信頼関係など無い。そんな相手に話したくはないでしょう」
「……ああ。助かる」
「では、この件は解決ということで――――――うわ!」
ベッドに寝転がっていたアルベルト様は、私の方に近づいてくると私をお姫様抱っこで持ち上げる。
「え!? ちょ、何ですか!?」
着地した場所は、彼が先程寝ていたベッドの上。荒々しく投げられると、柔らかいマットレスが受け止めてくれた。
「!?!?」
「ここで寝ろ」
「えっ!?」
そう言ってアルベルト様は私の隣に横たわると、布団を全部持っていき寝始めた。
「いや、え!? ちょっと!? どういう……!?」
「うるせーなあ。俺の隣で寝ろって言ったんだよ」
「!?!?!? え!? えぇ!? や、そんな……!」
「なんだよ」
「そんな……年頃の男女が一緒のベッドで寝るとか……」
まるで夫婦みたいじゃん。夫婦だけど。
恥ずかしくて眠れる気がしなかった。
「なんだよ、いっちょ前に襲われると思ってるのか?」
「!?!? な、なんなんですか!」
「襲わねーよ」
「本当に!?」
「……それとも、襲ってほしいのか?」
そう言って手首を掴まれ押し倒される。
「!!!!!!?!?!?!」
先程までの、拗ねていじけた子どもみたいな王太子は何処にもいない。
目の前にいるのは、妖艶で美しい青年だった。
(え!? 何この人する気なの!? なんなの!? どうしよう! 私避妊薬飲んでないんだって!!!)
「あ、いや……」
「冗談に決まっているだろ」
「……!!」
「分かったらさっさと寝ろ。俺はもう寝たい」
散々私の心を掻き乱すと、何事もなかったかのように横になり今度こそ眠り始める。
(よ、よかったあぁ……!)
私は心から安堵する。これで私たちの間に何もないことが確定したから。
もう安心。安全。でも今後からアルベルト様に会う時は避妊薬を飲んでおこうと決めた。
(まさか私をベッドに運ぶなんてね)
アルベルト様の後ろ姿を見て、やはり現実味のない出来事に再び驚く。
きっと罪悪感から私をここに連れてきたのだろう。
私はアルベルト様のことをひねくれた性悪王太子だと思っていた。
しかし、そんな彼にも不器用ながら優しい所があるのだと知り、少しだけプトロヴァンスでの生活に前向きになれたのだった。




