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52話 『苦難』

「俺の後ろで大人しくしているなら可愛がってやるぜ、王女様」


 アルベルト様はそう言い残し、この場を後にする。

 私は生憎それに対する返答を持ち合わせていないので、ただ後ろ姿を見つめることしかできなかった。


「アル様のこと、がっかりしたでしょ」

 ミリアン様は悪戯っぽく笑い、そう言った。さっきまでの取り繕った礼儀正しさはない。これが彼の素なのだと確信する。

「ミリア――――」

「マルタ様! 落ち着いてください!」

 私が咎める前にエイリがマルタの手を取って、落ち着くべきだと促した。

「……がっかりと言われればそうですね、その通りです。アルベルト様は私を好いていると聞いていたのですが、それは間違いだったようですね」

 何とか強い意志で冷静さを取り戻すと、今できる精一杯の返答をする。

 いや、冷静になれていないのかもしれない。私はかなり取り乱していて、思考することを明確に拒まれている。まるで誰かが私の脳内にいて、浮かんだ文字を消しているみたいに。

「へえ、これだけ取り乱すってことはリディア様ってアル様のこと好きなの?」

「……」

「悪いけど、リディア様にはこれからさらに地獄に落ちてもらうよ」

「……!?」

 声のトーンが少し低くなり、真剣みを帯びた表情になったかと思うと、すぐに満面の笑みに戻り、地獄からの使者が訪れたかのような気分になる。


「ミュンシスタから連れてきた侍女は全員解雇ね。せっかく遠い所からはるばる来てもらって悪いけど」


 告げられた言葉は、私の予想より酷い地獄を見せた。

「なっ!!?」

「決定事項だから。よろしくね」

「そんなの到底受け入れられません!」

「君の意思は関係ないよ。何度も言うけど、決まったことだから」

 頑なに決定事項だと言い張るミリアン様に、私はあまり使いたくないのだが、脅しを実行するしかなかった。

「……私は、この手の話題を挙げるのは好きではないのですが……分かっていますか、ミリアン様。私がミュンシスタの王女であることを」

「そんなの誰でも分かっていると思うけど」

「でしたら、私がどれだけの影響力と権力をお持ちか――」


「でも、それって国際的に見たらの話でしょ? プトロヴァンス内での君の立場は?」


 皮肉を込めてそう言われれば、私が馬鹿にされていることなんてすぐに分かる。

 自分、はたまた自分たちを大きく上げ、私を下に見ているかのような発言。それは、私の立場なんてここでは塵に等しいと言われたも同然だ。


「ここはプトロヴァンスさ。だから、ミュンシスタの王女がとか関係ない。プトロヴァンスへ来たらプトロヴァンスのルールに従ってもらう。当然だろう?」

「……」

「そして、当然ながらプトロヴァンス内での君の立場は低い。警戒もされている。スパイとしてミュンシスタにプトロヴァンスの情報を流されたりしたら厄介だからね」

 その言葉に、私はまた言い返す言葉を見つけることができなかった。

 プトロヴァンス内で言えば、私は王太子妃という立場こそあれ、誰かを動かす力もなければ、誰かに尊敬され頼られる人望もない。正に肩書だけの権力。


「まあまあ、そんな悲しい顔しないで。侍女がいなくなったってこれから人脈を広げていけばいいじゃないか」

「……」

「リディア様がこんなに悲しむなんてなあ……」

「……」

「仕方ない。じゃあ俺が国王に口利きしてあげるよ。侍女はそこの可愛い2人だけ残してあげてって」

「……!」

 俯き視線を落としていたが、少しだけ上昇する。


「貸一つだよ、リディア様。だから元気出してね」



 ミリアン様の言葉通り、私がミュンシスタから連れてきた侍女たちはエイリとマルタを除いて全員国に送り返されることになった。

 代わりに侍女になった者たちは、当たり前だが全員プトロヴァンス人。

 当然私を良く思っていないため、就任した初日からよく聞こえるように悪口を言ったり仕事も適当だったりと、あからさまに私を憎み嫌がらせしていた。

 侍女が主人に嫌がらせ。これが表立って問題にならなかったあたり、私の立場が宮殿内で弱いことが容易に分かる。

 エイリもマルタも、この状況にはただ黙って耐えるしかなかった。全てはミュンシスタのため、平和へと繋げるため。

 ただ今は耐えるんだ――――


 でも、どうしても弱音を言いたくなる時がある。

 まさかプトロヴァンスへ来てアルベルト・クラレンスの情報が違うなんて。

 ミュンシスタの侍女たちがエイリとマルタを除き、一斉に解雇されるなんて。

 こんな出端を挫かれることある?

 上手くいかないことだらけなのは覚悟していたけれど、一日にしてこんなに絶望に叩きつけられるなんて――――


 ねえ、お兄様。助けてください。

 そんな弱音、絶対に言わない。言わないけれど……




 そんな思いを抱きながらも、時は容赦なく進んでいく。


 教会の鐘の音が国中に鳴り響く。その音と鏡に映るウエディングドレス姿の私を見て、ついに結婚するのだと実感する。


 愛なんてない。政治と打算に(まみ)れ恐ろしく冷めた結婚は、粛々と始まった。



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