4話 『父』
「まあすごい! リディア様はもう一人でこんなにお歩きに!」
「こんなに早く歩けるようになる子はなかなかいませんわ! さすがです」
私を育ててくれた乳母たちは口々にそう褒める。
ところで、私の名前はずっと『リディ』だと思っていたのだが、どうやらそれは愛称らしい。本名はリディア。ファミリーネームは未だに分からない。つい最近、私リディアは王女だということがわかった。どこの国なのかは未だに分からないけれど。
リディアとして転生し、10カ月が経とうとしていた。この頃になると足の筋肉も発達し、まだ不安定であるが歩けるようになる。
歩くのは造作もないことだと思っていたが、これがまた難しいのだ。頭が大きいためバランスを取るのが難しい。
15歳の感覚では歩けないのは確かだ。一度転生してみな、難しいから。
「っ!?」
もう一度歩いて成長を見せたかったのだが、足が絡まって尻もちをついてしまった。失敗。
赤ちゃんというのは、私が思っているように体を動かせないことが分かった。それは発音も同じ。
前歯が生え始め、それなりに言葉を言えるようになったのだが、まだ母音以外の言葉が上手く言えない。
この国の発音は難しいので、何かを伝えたいときは必然的に『あー』『うー』と言い、それでも伝わらなかったら身振りや指差しで何とかしている。
完璧に伝わっていることはほとんどないのだが……
概ねお腹すいたで片付けられてしまうため、あまり意味がないのかもしれない。
「生後10か月でつかまり立ちもほとんど卒業して歩いているなんて、リディは成長が早いですね。お父様もそう思いませんか?」
実は今日、珍しいお客が来ていた。
「ああ」
この仏頂面の男性こそ、私の父である。
父は1週間ほど前に戦から帰還し、束の間の休息をとっている。
と言っても、食料や武器を調達したらまた戦地へ行かなければならないのだが……
戦いの結果はというと、周りの者たちが言うには我が国の圧勝だったらしい。
そろそろ敵国から和睦を持ち掛けてくるのではないかと、乳母たちは嬉々として語っていた。
「リディア様はこうして見ると陛下にそっくりですね」
「ええ、本当に。陛下に似て高貴で美しいお顔立ちですわ」
「……」
赤子の前ではみな我を忘れるものなのかもしれない。
目の前に国王がいても、乳母たちはさほど緊張することなく一国の主と話している。
私の父はこの王国の国王、ジョセフ2世。
戦上手で、兄によると負けた姿を見たことがないとか。
ついたあだ名は獅子王。獅子のように勇猛であることからそう呼ばれているらしい。
戦ばかりしているので、国にはほとんど帰ってきてないようだ。
兄は勇ましくかっこいいと尊敬しているのだが、私はある一点のせいで父をどうしても尊敬できないでいる。
「……そろそろリディアを連れて行ってもいいだろうか?」
(!?)
「! 申し訳ございません! 本日は肖像画をお描きになられるのですよね!?」
「こちらに長居させてしまい申し訳ありません!」
「それではリディアを預からせてもらおう。フリード、行くぞ」
「はい、お父様」
(……!)
兄も一緒に行くのか、と内心安堵する。
私はある理由から父と二人きりになりたくないのだ。
父は私を抱き上げ、部屋を後にする。
「……フリード、少しここで待っていろ」
父は廊下を急に立ち止まりそう言った。
なんだろう、すごく嫌な予感がする……
「お父様……?」
「いいから待っていろ」
「は、はい!」
と言って父は私を抱えたまま、近くの部屋に入った。
ガチャッと、扉の閉まる音が聞こえる。
「リディちゃん……」
(……!)
「すごいでちゅね~!!!!!!」
父は生後10か月の私に頬ずりし、キスをする。
…………そう、これが獅子王と呼ばれる父の本性なのだ。
いつもは仏頂面で威厳に満ち溢れた王様も、私の前ではただの娘を溺愛する父親だった。
そう。この一面があるため、私は父を尊敬できないでいる。
(や、やめて~!!!!!)
今だけ、猫吸いされている猫の気持ちが分かる気がする。
それから10分ほど、私は父にされるがままになる。
この時間は心を無にすることに決めた。