第3話 泡沫の幸せ ~過去の夢~ 1
私はコルネリア・シュバイツァー。
実家のウィルトム子爵家はもともとは男爵家だった。
営んでいるホテルの収益、所有しているアパートメントの家賃収入などにより下位貴族としてはかなりの資産を有している。
そしてその資金力で爵位を買い、男爵位から子爵位に陞爵した。
一応身分としては子爵令嬢ではあるが、私は庶子だ。
実母はメイドをしていた時に、子爵家当主である父に見初められ私を身籠った。だが私を出産すると同時に母は亡くなり、私の記憶は屋敷の床掃除をしていた時から始まる。
余計な出費を避けたい父は、極力人を雇わずに済むように私を幼い頃から働かせた。
父は私に対して無関心。
義母…いえ、奥様は実母とそっくりな私を毛嫌いしていた。
バシッ!!
「腹立たしい! お前の母親と同じオレンジ色の髪と紫の瞳を見ると気分が悪くなるわ!」
「…申し訳…ありません…」
夫人が手にしている扇で殴られる事は日常茶飯事。
ドカッ!!
「ぐっ!」
「邪魔だ! どけ! この役立たず!!」
「申し訳…ありませ…」
廻廊を掃除していると、嫡子のアレル様に突然背中を蹴られる事も。
どんなに端によっても、アレル様にとって私は邪魔な存在なのだ。
そんな私を助けてくれる人はここにはいない。
ただ…耐えるだけの日々…
部屋は屋敷の外にある物置小屋。
冬になるとそこら中に空いている隙間から冷たい風が入り、震えながら夜を過ごす。
父やその家族の為に三度の食事を作る事はあっても、私が三度の食事を摂れる事はなかった。
だから屋敷の庭に成っている実や植物を食べて、空腹を凌ぐ事もある。
時には調理場から捨てられた野菜などを盗み、自分で作る。
着る物はもちろん買ってもらえないから破けたら自分で繕ったり、古くなり処分される奥様の服を自分の身体に合わせて仕立て直す。
「明日も同じ日が続くのね…この先もずっと……」
私は寝る前にいつも考える。
この家で一生使用人として生きていくのだろう…と、全てに諦めながら―――…
ところがそんな私に持ち上がったのが、シュヴァイツァー家当主であるセルゲイ様との婚姻。
シュヴァイツァー家は多額の負債を抱えた貧乏貴族と言われていたけれど、代々続く由緒ある侯爵家。
高位貴族から下位貴族への結婚の打診…どう考えてもお金目当てという事は明白。
そして格下の子爵家ならば、いかようにも利用ができると踏んだのだろう。
それでも父は侯爵家とのつながりを持つ事で得られる信用で、さらに事業が右肩上がりになることを期待しこの話にとても前向きだった。
それに子爵家の娘は私だけ。
厄介者の私は例え離縁されたとしても、一度嫁した事を理由に体よく追っ払える。
父にとってこの婚姻は利益としかなかった。
シュヴァイツァー家にとっても必要なのは子爵家からの資金援助のみ。
爵位格差のある私達の間に、愛情など存在するはずもなかった。
だから、きっと冷たい対応を取られるだろうと私は覚悟をしていた。
それでも、このままウィルトム家にいるよりはましだろうと思いながら…
とあるホテルでの両家顔合わせの日。
初めてセルゲイ様にお会いした時、彼は光り輝いて見えた。
煌めく銀髪に穏やかなグリーンの瞳。
私は、こんなに美しい男性を見た事がなかった。
そして急激に自分という存在が恥ずかしくなった。
表面だけを着飾った私では、とても釣り合わないと実感する。
けれどセルゲイ様は、そんな私にやさしかった。
「少し歩きませんか?」
ホテルの庭園を散歩する際に差し出されたセルゲイ様の手。
陶磁器のような肌理の細かい肌。
荒れた自分の手を差し出すのを躊躇っていると…
「大丈夫ですから、私の手を取って下さい」
私は自分の手をセルゲイ様の手に添えると、彼は美しいグリーンの瞳でやわらかな笑みを見せた。
そして次に会った時はクリームと手袋をプレゼントして下さったわ。
誰かからプレゼントを頂いた事もこんな風に気遣われた事も一度としてなかった私にとって、セルゲイ様の思いやりは心に沁みた。
貴族として、当主としての最低限の気遣いを見せていただけなのかもしれない。
それでも物心ついた時から使用人として生きてきて、人からの愛情も優しさも知る事のなかった私とっては、涙が出そうなくらい嬉しかった。
そしてこんなに素晴らしい方の妻となるのだから、彼の隣に立つ者としてふさわしくありたいと強く思うようになった。