episode C
10年前……2014年12月24日。
その日の札幌は最高気温がマイナス0.7℃、最低気温がマイナス7℃と、凍てつくような寒さであった。
Christmas Eveでもあり、また城之内家の当主・城之内蔵之介の77歳になる誕生日でもあった。様々なお祝いも兼ねて、家族や付き合いの長い友人が『J角館』に招かれた。
盛大な馳走の準備が指示された。達彦の妻である麻耶、それから普段は交代制である管理人の山下と田島が両方とも出勤し、皆朝からキッチンを忙しなく動き回っていた。Christmas cakeや七面鳥、ジンギスカン、毛蟹……と全ての料理が完成した時には、既に18時を過ぎていた。窓の外にはらはらと小雪が降っていたのを、麻耶は今でも覚えている。
それから間も無くして達彦が、蔵之介の取引先の新沼夫妻を連れ立って現れた。夫の新沼誠とは、蔵之介がまだ20代の頃から、貿易商時代からの長い付き合いである。
「いやぁ、どうもどうも」
「長旅ご苦労様。ま、ゆっくりして言ってくれ給え」
白い息を吐き出しながら、新沼誠が目尻を緩ませた。古い友人の登場に、蔵之介もまた満足そうな笑みを浮かべた。佐川夫妻がやってきたのは、それから約1時間後だ。佐川家は蔵之介の息子・城之内俊哉の幼馴染であり、子供の頃から蔵之介とも親しかった。
全員集合した時には、時計の針は20時を回っていた。
その頃になると、幸い雪は止んでいた。アリッサム、羊蹄、ダスティミラー。中庭を彩る美しき雪の結晶を眺めつつ、麻耶は出来上がった料理をリビングに運んだ。ビンテージの蓄音機から聖夜の音楽がゆったりと流れる中、和やかな雰囲気でChristmas partyは始まった。
「ねぇ叔父さん。それで、金塊は見つかったの?」
どれくらい経っただろうか。
皆の酔いも回ってきた頃、顔を真っ赤にした佐川圭が、子供っぽい口調で蔵之介に尋ねた。血縁関係はないが、達彦の祖父を、圭は昔から「叔父さん」と呼んで慕っていた。
「なになに? 何の話?」
同じく熱を帯びた目で新沼誠の妻・理恵が絡んできたので、圭が舌ったらずな声で説明を始めた。
「叔父さんはねぇ、実は大金を隠し持ってるんですよ」
「下らない。子供の頃の噂だよ」
「下らなくはないさ」
暖炉の中で燃え残った薪が大きな音を立てた。醒めた調子の達彦に、圭の顔はますます赤みを増した。
「叔父さんがこの旅館を莫大な資金を投じて山ごと買ったのは、回収の目処が付いているから……金に煩い叔父さんが、無茶な博打をするはずない。きっとこの山の何処かに、隠された金塊があるんじゃないかって、子供の頃、僕らの間で噂になったんです」
「お前と、俺の間だけだろう」
達彦が横から訂正を入れる。気がつくと皆、食事の手を止め、圭と蔵之介の会話に聞き入っていた。
「いや、もう見つけているのかな」
圭は得意げになって語り続けた。
「知っての通り、北海道は鉱石の土地だ。ストーンハンティングも盛んに行われている。何処かの鉱山に金が眠っていてもおかしくない」
「そんなものがあれば、たちまち誰かに嗅ぎつけられるだろう」
「それが叔父さんなんだ。そうだろう?」
聖夜には少々下卑た話題である。呆れる達彦を尻目に、圭の目は子供のように爛々と輝いていた。当の蔵之介はというと、可愛い孫の友達の話に否定も肯定もせず、ただ盃を片手にほほ笑みを浮かべるだけであった。俊哉はその様子を、酒を飲みながらぼんやりと眺めていた。
それからしばらくして、0時に差し掛かろうという頃、宴はようやくお開きとなった。二組とも今夜は泊まっていく予定だったので、帰りの時間を心配する必要はない。
書斎側の客間に新沼夫妻が泊まり、その下に佐川夫妻が泊まることになった。蔵之介は書斎に戻り、達彦と麻耶は玄関隣の寝室に、そして数年前病気で妻を亡くした俊哉は、一人リビングで横になることにした。
ソファに座り、障子を開けたまま。俊哉は一人チビチビと日本酒を呷りながら、中庭に降り積もった雪を眺めていた。一旦呑み始めると止まらなくなり、朝まで眠れないのだった。
……それから明け方近くまで飲み、時計の針は朝の6時になっていた。朝のニュースを見ながら、俊哉はとうとうウトウトとし始めた。
「……正確にはその日、いつ眠りについたのかは分からない。だが、6時過ぎだったことは確かだ」
次に俊哉が目を覚ましたのは、ギシギシという廊下が軋む音と、それから甲高い悲鳴によってだった。
「……何だ!?」
異常な事態を察し、俊哉はソファから飛び起きた。変な体勢のまま寝てしまったので、体の節々が痛い。首を揉みながらリビングを出ると、廊下の先、蔵之介の書斎の前で、管理人の山下が跪いていた。
「どうしたんですか?」
同じように騒ぎを聞きつけた新沼と佐川両夫妻が、部屋から起き出してきた。達彦と麻耶、最後に田島も次々と合流して、結局廊下に皆が集まった形となった。老朽化した床がもう限界といった具合に悲鳴を上げる。
「どうした? 何があったんだ?」
「ち、ち、ちが……」
「チガ?」
「血です!」
山下が血相を変えて書斎の扉を指差した。見ると、扉の下部分から、赤黒い血が溢れ出してきている。皆が顔を見合わせた。何名かは、まだ目が覚めていない様子だった。実際俊哉も、最初は夢でも見ているのかと思っていた。
「親父は、まだ中か?」
「鍵は?」
「持ってきてます」
山下が震える手で鍵を差し出した。試しに扉に手をかけてみたが、鍵は内側からかかっているようだった。俊哉が舌打ちした。
「不味いな。中ですっ転んで、頭でも打ってるのかもしれない。救急車を」
「はい!」
「親父! 平気か!?」
俊哉は受け取った鍵を使い、書斎の扉を開けた。
「おや……」
勢い良く扉を開けた途端、目に飛び込んできたものに、俊哉は息を呑んだ。
「これは……!」
それは、死体であった。
昨日誕生日を迎えたばかりの、城之内蔵之介の死体。かっと目と口を開いた顔は、まるで能面のような、この世のものとは思えぬ形相であった。頬を抓るまでもない。この臭い。この血の量。これは……夢じゃない。紛れもない、現実だ。
「親父!」
「い……いやぁああああっ!?」
「誰か救急車……いや、警察だ! 警察に連絡を!」
床に転がったナイフを見ながら、俊哉が泡を飛ばして叫んだ。床に敷き詰められた絨毯は、既に血で水溜まりが出来ていた。苦悶の表情を浮かべたまま虚空を睨む蔵之介は、誰が見ても最早蘇生の見込みはないだろうと、はっきり分かった。
「窓が……」
不意に寒気を感じ、俊哉は身を震わせた。窓が開いている。近づくと、石のようなものでガラスが外側から壊されていた。さらに、明け方の雪で少し消えかかっているが、中庭の上には、足跡が残されているのがはっきりと見えた。
やがて警察がやってきた。警察は、中庭に残された足跡と、開け放たれた窓を見て、外部の犯行だと断言した。
あり得ない。
その時、俊哉は首を傾げた。リビングは中庭に面している。いくら酒に酔っていたといえども、だ。中庭を眺めながら飲んでいたのだから、誰かが侵入したら、自分が気が付かないはずはない。
「……おかしな点はまだある」
リビングでは暖炉がパチパチとなっていた。話に聞き入っていた羊たちの様子を楽しむように、俊哉が一息ついて、全員の顔を見回した。
「あったんじゃよ」
「え?」
「金塊が。寝室にある金庫の中にの」
「じゃあ……」
「じゃが、鉱山で掘り起こした量とは思えん。ほんの些細な量じゃよ。大方親父が、貿易相手からこっそり譲り受けたものじゃろう。しかし……」
俊哉は当時を懐かしむように目を細めた。
「考えてみればおかしくないか? もし外部の人間の犯行で、物取りが目的じゃったのなら……金庫をそのままにしておくのは? 大人の男なら、決して持てないサイズでもなかったんじゃ。書斎は荒らされた様子もなかった。金塊も置きっぱなしじゃった。だったら、犯人は何のために父を殺したのじゃ?」
「それで……俊哉さんは内部の犯行を疑っている訳ですね?」
羊の問いに、俊哉が顎鬚を撫でながら頷いた。
「左様。父は当時社長でもあった故、思いがけず恨みを買うこともあった。後から分かったんじゃが、当時客として来ていた新沼夫妻は父に借金があった。金塊のことを頻りに持ち出していた佐川という男も、ギャンブルで失敗し、金に困っていたようじゃ……怨恨や欲というのは、いつの時代も尽きることがないからの。十分動機になり得るじゃろう」
「だけど……それだったら」
「そう」
今一度高校生探偵たちの顔を見回して、俊哉が眉を八の字にした。
「仮に内部の犯行だとすると、ちと困ったことになるのじゃ。書斎には鍵がかかっていた。鍵は管理人室にあったが……書斎に続く廊下は、君たちも知った通り、あのギシギシじゃ」
「誰かが廊下を歩いたら、音で気づく」
「それに、中庭はワシが、思いがけずも一晩中見張っている状態じゃった。断言しても良いが、あの日、夜中、中庭に侵入してきた者は一人もおらん」
「外に監視の目、そして中には音のセンサー……ってとこか」
「それに、鍵も」
「足跡もね」
皆が顔を見合わせた。羊はもう一度間取り図に目を落とした。
監視の目。
軋む廊下。
鍵。
足跡。
手付かずの金塊。
部屋に残された凶器に、開け放たれた窓……。
10年も前に事件だが、存外残された手がかりは多い。だとしたら解き様はあるかもしれない。後はこのパズルを、どう組み合わせるかだろう。
単純に考えれば、犯人は窓を割って侵入し、そして再び窓から逃げた……しかし俊哉はそんなはずはないと言う。
仮に新沼か佐川のどちらかが犯人だとしたら。
羊は口元に手をやって考え込んだ。
廊下の音は何とかクリアー出来たとしても、鍵がない。管理人室にある鍵をこっそり取りに行くにしても、必ずリビングの前を通る。
だったら、管理人か、あるいは城之内夫妻が犯人だったらどうか?
しかしその場合も、廊下を通って書斎に行く場合、リビングを横切らなければならないし、玄関から外に出て中庭を通るにしても、監視の目が光っていた……というのだ。
「つまりこれは……」
皆が押し黙る中、俊哉が客人を試すように目を光らせた。
「不可能殺人という訳じゃよ、若き探偵の諸君」