episode B
「じゃ、俺は仕事があるから」
ロープウェイの前で羊たちを下ろすと、達彦はスタッドレスタイヤのジープを走らせて、雪の向こうへと消えて行った。ロープウェイは山頂に繋がっており、そこに総額28億円の別荘があるらしい。何でもこのロープウェイ自体個人所有で、何なら山ごと買い取って管理していると言うのだから仰天する。
「とんでもねぇ大富豪じゃねえかよ」
羊は、何だか自分たちがひどく場違いなところに来てしまったような気がして、呆気に取られた。しかし、そんな大豪邸なら、一目見てみたい気もする。不安と好奇心が入り混じる中、羊蹄山と札幌市の中間辺りの、Jが岳の山頂を羊たちは目指していた。強風に煽られたゴンドラは中々の恐怖であり、降り続く雪に遮られ、視界もままならない。ゆったりとしたペースで進んでいたが、とても景観を楽しむどころではなかった。
「本当に良かったのかしら……」
不安げな表情を浮かべる照虎に、犬飼が肩をすくめた。浅黒い肌に七色に輝くゴーグルが良く似合っている。
「他にどうしようもないだろ。実際もう金は尽きてるし、りょうもこんな感じなんだし」
「それに、不法侵入だから、下手したら警察沙汰だよね」
「だけど……何だか怪しくない? 見ず知らずの高校生を泊まらせるなんて」
「……もしかしたら別荘に、殺人鬼がいるのかも」
「またかよ! どうしてそういう方向に妄想が働くんだ」
「キミたち! アレじゃあないか?」
一人前方を睨んでいた伊井田が、窓の先を指差した。見ると、山頂にポツンと、黒っぽい影が浮かび上がっている。みんなで一斉に前の方に寄ったから、ゴンドラが大きく傾いてしまった。
それからしばらくして、どうにか無事山頂に辿り着いた。およそ10分か15分程度の小旅行だったが、体感的には1時間以上に感じられた。ゴンドラから降りると、40代くらいの女性が、割烹着の上から分厚い防寒着を羽織り、羊たちを出迎えてくれた。
「主人から話は伺っております」
「じゃあ貴女が……」
「城之内麻耶と申します」
麻耶と名乗った妙齢の女性は、そう言って深々と頭を下げた。何だか気品の感じられる、旅館の女将みたいな女性だ。
連れ立って歩いて行くと、豪雪の向こうに、やがて巨大な壁が目に飛び込んできた。聞くと、城之内家の別荘は、やはり元々旅館だったものを買い取って利用している……との話だった。日本家屋のような立派な和風門をくぐると、石畳の舗装が真っ直ぐ伸びており、やがて広い中庭が前方に現れた。
「わぁ……!」
「夏には池があるんですけどねぇ」
麻耶が苦笑した。広さは、学校のプールくらいだろうか。中庭には雪が降り積もり、ちょっとした丘のようになっている。つまり、中庭に迂闊に足を踏み出せば、最悪、凍った池の下に落ちかねないと言うことか。
「危ないですから、柵の向こうには行かないようにね」
良く良く見ると、丘の周囲を結界みたいに、ぐるりと柵が張り巡らされている。入って右側に、玄関があった。北海道らしく、玄関フードがあって、扉の前に風除室が建てられている。
「いらっしゃいませ」
中に入ると、壁に飾られた古びた日本画と、田島と名乗る管理人が出迎えてくれた。天井には豆電球がぶら下がるのみで、薄暗く、中々に不気味であった。外で鳴っている風の音も相まって、何だかお化け屋敷にでも迷い込んだみたいだった。
「今暖かい飲み物を用意しますからね」
そういうと麻耶は先立ってキッチンへと消えていった。羊たちは恐る恐る、壁に並べられた名画の数々を眺めながら、ギシギシ軋む廊下を進んで行った。『名鏡倭魂 新板』、『見返り美人図』、『百物語 さらやしき』……。
「すみませんねえ」
「は?」
高校生たちが複製画を物珍しそうに眺めていると、先頭を行く田島が、羊たちを振り返って申し訳なさそうに頭を下げた。骸骨のようにやつれた、少々薄気味悪い中年男性だった。照明がもっと明るければ、あるいは印象もまた違っていたかもしれない。
「この廊下。ずっとこんな感じなんですよ。歩くたびにギシギシギシギシ……」
「いえ、お気になさらず」
「だども、お手洗いに立つたびに鳴るんで、夜中は大変ですよ」
田島は何度も何度も必要以上に頭を下げた。どうやら色々と老朽化が進んでいるようだった。城之内邸は築20年以上経っており、場所が場所だけに、中々改装もままならないらしい。
廊下の突き当たり、『相馬の古内裏に将門の姫君瀧夜叉妖術を以て味方を集むる大宅太郎光国妖怪を試さんと爰に来り竟に是を亡ぼす』と言う、実に長ったらしいタイトルの日本画の前(大きなガシャドクロとサムライが対峙している、おどろおどろしい画だった)を左に曲がると、奥にこれまた見事な洋風な扉が見えた。
羊はおや、と思った。何だか、そこだけやけに綺麗だ。日本画の中に突如西洋の建物が紛れ込んだみたいで、洋風の扉だけ、浮いているようにも見えた。
「あそこは旦那様の書斎です」
管理人がそう説明してくれた。旦那様、と言う呼び方が妙に芝居がかっていて、照虎が含み笑いを誤魔化すために咳き込んだ。だって、時代劇みたいじゃない。後で聞くと、照虎がこっそり舌を出した。
「……元々はL字型の建物だったんですが、あそこだけ、建てましたんですよ。おかげで客からは『J角館』なんて呼ばれるようになり」
「『J角館』?」
「アルファベットの、Jさね。上から見るとそんな形に見えるんでさぁ」
「ふぅん……」
旦那様の書斎の手前に、客間があった。障子を滑らすと、こちらも奥に洋風のドアがあって、一応鍵はかけられる仕組みになっている。中は畳部屋だったので、元々和室だったのを、一応用心のために鍵をつけたと言うところだろう。
部屋割りは奥側を女性陣が、手前を男性陣が使うことにして、羊たちはようやく一息ついた。布団に入ったりょうは、ホッとしたのか、あっという間に眠りについてしまった。
「全く! 死ぬかと思ったぜ」
「しかし、まだ電波が弱いでござるな」
スマホを振り上げ、伊井田が悲しそうに愚痴を溢した。伊井田はスマホゲームに文字通り命を懸けているのである。彼の魂は現実世界になくスマートフォンの中にあり、たとえ目の前で殺人事件が起きても、彼は小さな四角い画面から決して目を離さないであろう。そこまで突き抜けているとむしろ尊敬する。
羊も自分のスマホを確認した。アンテナは立っていたが、確かに弱々しく、全開とは行かなかった。山の天候次第では、また圏外に逆戻りしてしまうだろう。
奥の、窓側の障子を開けると、先ほど通ってきた中庭が一望できた。空は薄暗く、白一色で、雪は当分止みそうにもない。
「お茶を持ってきましたよ」
やがて、割烹着姿になった麻耶が全員分のお茶を持ってきてくれた。昨日の薬が効いてきたのか、りょうは熱も下がり、随分表情も楽になったようだった。
「リビングに義父も来ておりますので」
羊たちは顔を見合わせた。お世話になる以上、挨拶しておくべきだろう。廊下に出ると再びあのギシギシと言う音が羊たちの耳を賑わせた。部屋を出ると、左に洋風の扉、それから右にガシャドクロの日本画が目に入る。
そんなはずはないのだが、髑髏と目が合ったような気がして、羊は落ち着かなかった。因幡兄妹と出会ってから、羊は霊感もないのに、妙にオカルト絡みの事件を引き寄せてしまうのだった。羊本人は決してこれを良しとしていなかった。視えるからと言って、怖くないとは限らないのだ。
男子部屋の隣にあるリビングに、りょうを除いた5人でゾロゾロと出向くと、噂の旦那様が椅子に腰掛けていた。なるほど確かに、節々に達彦の面影がある。一目で親子だと分かった。
「お邪魔してます」
「ようこそ。我が家へ」
旦那様は、城之内俊哉と言う名の、60代くらいの厳格そうな老人であった。立派に伸ばした顎鬚に、紺色の和服姿が良く似合っている。一通り社交辞令を交わした後、俊哉は茶飲みを置いて、待ってましたとばかりに身を乗り出してきた。
「それで、探偵諸君。謎は解けたかね?」
「謎?」
「『J角館』の謎を解きに来たんだろう?」
羊たちがぽかんとしていると、俊哉は一瞬怪訝な顔をして、やがて豪快に笑い始めた。
「そうか、そうか。君たちも、息子に騙されて来たんだな?」
「あの……謎っていうのは?」
「10年前、この屋敷で殺人事件が遭ったんですよ」
「え……」
「ワシの父が殺されて、な。オイ、あれを持ってこい」
俊哉は涙を拭きながら、管理人に間取り図を持って来させた。
「達彦には、この謎が解けたら、ワシの金塊を譲ってやると言ってあるからな」
「金塊?」
「殺されたって……どういうことですか?」
「まぁ見たまえ」
俊哉は間取り図(※図①)を覗き込むと、10年前に起きた殺人事件の概要を説明し始めた。羊たちは図面を覗き込みながら、息を呑んだ。
「これって……」
「そうじゃ」
俊哉が何故か得意げに顎鬚を撫でた。
「警察は物取りの犯行だなんて抜かしよるが、とんでもない。これは密室殺人じゃよ」