さっぱり意味が分からない土器の話
むかし、北の大地が深い森に覆われていた頃。森の中の集落に、土器職人が住んでいた。
彼は幼い頃から父の仕事を真似て粘土をこね、鉢や壺を作った。幼い手が作る土器は、とても実用に耐え得るものではなかったが、傾いでいても、歪んでいても、彼の父は見咎めず、自作のきちんとした土器といっしょに焼き上げ、玄関先へ並べ置いて集落の人々に売った。父は、変わり者の息子が言葉を理解しないことを知っていたから、土器の作り方を指図しなかった。しかし、人間よりも粘土を友として過ごすほうが好きだった自分と同じように、息子もいつか立派な職人になってくれると信じていた。
父母が死んだあとも、職人はひとりで粘土をこね、土器を作り続けた。
狩猟にも、採集にも、寄り合いにも祭事にも参加せず、歪んだ土器を売って暮らすばかりの彼は、心ない者達から「さっぱり意味が分からない」と、からかわれた。集落を熱病が襲ったときには、工房に火を放たれた。だが、偏見に晒されても、どんな妨害を受けても、彼は仕事をやめなかった。歪んだ土器は、職人が熟達するほど、さらに激しく歪み、ささくれ立つ開口部には、ちぎれた粘土の縁を強調するかのごとく粘土玉や粘土ひもが盛られ、あちこちから顔や腕や翼や、炎や葉や蛇のようにも見える大小の突起が生えた。
集落には職人がひとりしかいなかったわけではない。使いやすい土器が欲しければ、他の工房で買うなり、隣の集落へ出掛けて買うなり、旅商人から買うなり、いくらでも手に入れる方法はあった。それでも、近所ではどこにも見かけない、ただひとりの変わり者の作品に何かを感じた人々は、集落の長が死んだとき、風変わりな土器を葬儀に用いた。
死んだ長の親戚筋に、西の国の王がいた。葬儀を見ていた王は、墳墓の頂上に埋められた異様な土器が気になり、側近に問うた。
「あの壺の模様には何か意味があるのか?」
側近は集落の者と言葉を交わし、肩をすくめ、
「突起や縄目が滑り止めになって便利とのことですが、模様そのものについては、村の者もさっぱり意味が分からないようです」
「そうだな。さっぱり意味が分からぬ。意味が分からぬがゆえに、あの謎めいた壺のことばかり考えてしまう」
風変わりな土器がどうしても欲しくなった王は、葬儀の翌日、西の国へ旅立つ前に、わずかな供を引き連れて職人の工房を訪ねた。ところが職人は、訪問客など見向きもせず粘土をこね、貝殻や小枝で土器に縄目模様を刻んだ。王の背後で鍔鳴りの音がしたが、王が人差し指を立てて手首を横へひねると、無礼者を討つべく剣を抜きかけていた兵士を、別の兵士が蹴倒してひざまづかせ、首を刎ねた。
「職人よ。わしのために壺を作れ。その代わり、おまえの望みを何でも叶えてやろう」
職人は答えず、敷物と土器を作業場の奥へずらし、王の影から出て日差しを浴び、自分の仕事を続けただけだった。
長櫃いっぱいの食糧や宝物と引き換えに、王が西の国へ持ち帰った土器は、いくつも複製され、改良され、食器にも、祭器にも、鉢植えにも水甕にも、その他いろいろな容器にも使われた。西の国の人々は王がもたらした珍しい土器をおしゃれなものとして扱ったが、おしゃれな突起や模様の意味は、誰ひとり、さっぱり分からなかった。
それから時が経ち、さっぱり意味の分からない土器は、北の森の集落跡や西の国の遺構から掘り出され、見栄えのいいものが博物館の展示品になった。考古学者も美術史家も民俗学者も、古代人の生活や美的感覚や自然信仰と結び付けることで、風変わりな突起や模様に価値を与えようとしたが、由来を知る者はおらず、記録が残っているわけでもないので、土器が醸し出す、只ならぬ何かを説明できずにいた。
そして時を遡れば、風変わりな土器を生み出した古代の職人自身にも、なぜ複雑な模様や突起を施そうと思ったのか、どういうつもりで作ったのか、さっぱり意味が分からなかったのである。
おわり