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1.雪に灯る声


 私が十九歳で合唱団最高格の歌姫を辞め、駆落ちした夜は、酷い雪だった。


 大陸の端にある一大芸能都市、ルフオノイアの冬。


 貴族院付きだった私の逃亡は、団の名に泥を塗ることになる。「脱走死罪」の団の私兵をやり過ごすために私達は雪に潜り、長い時間、道端に伏せた。


 追手が諦めて去る頃、私に覆い被さっていた恋人は凍死していた。私も寒さで病み、お腹に宿していた命が流れて散った。


 生きる情熱も死ぬ気力も消えた私は、一人ふらふらと街外れへ向かい、そこで暮らし始めた。生きるのに飽きれば、適当に死ぬつもりだった。




 次の冬。


 私は、小さな便箋屋で、虚ろに一人番頭をしていた。


 歌う為に生きて来た私が、歌も、それと引き換えにしようとした恋も失った。


 何も考えなくて良い、起伏無き日々。けれど空に雪が舞うと、辛い記憶が、おき火の様な死への誘惑を煽る。


 もう、いいかな。


 その時、十代後半と思しき若者が、雪を払いながら店先に立っているのに気付いた。


「投函です。街の外の母に」


 言いながら、彼はじっと私の目を見つめていた。が、見覚えは無い。


 便箋屋は、郵便局も兼ねている。若者から手紙を受け取り、差出人の名前と宛先を確認した。そして、


「カレルさんというの。革命兵なんですね」


 昔偶然に知ったことだけど、封筒の隅に付いた汚れにしか見えない記号は、この街の貴族院を転覆させようとする集団の隠し符丁だった。それは殺人すらタブーとしない程に、過激な。


 彼が息を飲んだ。


 余計な事に勘付いた私を、殺してくれるだろうか。


 しかし、彼にその気配は無い。


「私を殺さないんですか」


「僕が革命兵になったのは、大切な人がこの街に殺されたからです。貴女そっくりの目をした人でした。開いたままの傷の様な瞳、……殺せるものですか」


 うなだれ、そう呻く。


 私は、彼の髪を撫でた。雪に濡れ、ひどく冷たい。


「温めてあげましょうか」


「女の人に付け込む人間だとでも!」


 カレルは跳ねる様に店から出て行った。


 恥ずかしい真似をした。人肌が恋しいのは、自分か。萎れているようでいて、寂しいものは寂しいのか。情けない。


 けれど次の日、カレルは店に来た。昨日は大声を出してすみません、と言うので、こっちこそ、と言って、二人で少し笑った。




 また、次の冬が来た。


 カレルとは店先でしか会わなかったが、それが随分頻繁になった。


 彼といる時の私は、よく笑う。


 いつしか、一日の終わりに、明日が来るのが待ち遠しくなった。自分が彼を好意的に受け止めているのは確かだった。


 いつか、カレルを愛する日などが来るのだろうか。あの人と、そうだった様に。


 ある雪の日の夕暮、カレルが店に来た。男の顔をして、声をひそめ、


「今晩、街の北門で火事を起こす。家から出ないで」


「危ないことをしては」


「これから、全部始まる。そうしたら、あなたに言いたいことがある。だから、無事に帰るさ」


 そして、彼は雪の中に消えた。




 夜になり、店じまいをしていると、表通りに合唱団の私兵隊が群れていた。


「街中の隊は全て、北門へ集合だ。不穏らしい。不審者がいれば、射殺しろ」


 そう聞こえた。彼らの手にあるボウガンを見る。


 カレルの屈託のない笑顔が頭に浮かぶ。気付いた時には、声を出していた。


「あなた方。ミラ・ウルツバッハをご存知?」


 合唱団の面目を潰した、逃亡者の名前。隊長らしい男が私の顔と名を一致させ、顔色を変える。


 私は南門へ向かって駆け出した。


 男達が追って来る。


 もっとだ。できる限り、大勢を引きつけなくては。


 私は、走りながら歌った。駆落ちした日から、初めて放つ歌声。


 聞き咎めた街中の兵士達が、次々に大通りに現れた。


 ウルツバッハだ、と誰かが叫び、追手が膨れ上がる。所詮寄せ集めの私兵、緊急の統制など取れはしない。


 夜空に音声が踊る。目抜き通りの両側の家々の窓が開き、人々が顔を出す。


 響け。これが、かつて鍛えに鍛えた、私の歌。


 この街の最高峰、貴族院付きの歌姫の絶唱。麻の服に乱れた髪、けれど砲筒の喉、声の瀑布!


 訓練も調声もしていなかったのに、この夜の私の歌声は果てしなく空へ伸び、街を奔った。まるで奇跡の様に。


 空気の震えが街を覆い、雪が散る。しかしこの雪に吸われ、歌声は北門までは届くまい。それでいい。


 南門を目前にして、私の足を矢が射抜いた。続いて、背中。腕。


 カレルは、うまくいっただろうか。北の方を見ると、ちらりと火柱が夜空に揺れた。兵達は、誰も気付いていない。胸中で、快哉を叫んだ。あとはどうか、無事に逃げて。




 自分のせいで私が死んだなどとは、思わないで欲しい。


 私は死んだも同然だった抜け殻の人生を、終わらせようとした日に私はあなたに会って、それから今日までの一年程も、あなたは私を生かし続けたのだ。


 今夜の歌は、恩返しの奇跡。


 生き返らせてくれたお礼に、私もあなたの命を救いたい。


 矢が、私の首を射抜く。


 今日まで生きていてよかったな、と思った。


 降り来るのは、私の声を吸い込んだ、水よりも澄んだ雪。


 解けて流れ、いつかどこかで、歌になれたら、あなたに会いたい。


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