6.怪物の製作者
ライヤとルナの想いが通じた次の日。改めて治療薬の試作品を持ってライヤとフィールはルナの家を訪れていた。なんとなくぎこちない2人の様子を見ていると微笑ましかったが、これから話さなければならないことを考えると気が重たく感じ、フィールはにっこりとただ微笑みを浮かべていた。
「それで、試作品なんだが…。」
「その前にいいっすか? 所長のことでわかったことがあるっす。」
でも話すなら早い方がいい。フィールはライヤの話を遮った。
ライヤもルナもフィールに向き直り、何が分かったのだろうと不安と期待を宿した瞳を向けた。
「所長のこと、色々調べてみたっす。所長、昔は北の地方の国立研究所で働いていたらしくて。その国立研究所では身体を強くする薬…筋肉増強や臓器機能向上を目的とした薬を作っていたらしいんす。俺とライヤさんが最近作っているような薬っすね。でも所長はそれを利用して、人間の脅威になる“怪物”を作ろうとしていたようで…。研究所の人が気づいたときには所長はもう怪物になる薬を完成させていて、研究所の地下には多くの“怪物もどき”がいたという噂があるっす…。」
フィールは言葉を区切ると、大きく深呼吸をした。ライヤはあごに手を当て、首をかしげる。
「まさかそんな…。所長が怪物を作っていた? でも、確かにそれなら所長の言動も納得できるが…。」
独り言のようなライヤの発言にフィールが大きく頷いた。ルナは口に手を当てて青ざめた顔をしていた。
「所長に問い詰めてみるっす。もしかしたら治療薬の作り方とか知っているかもしれないっすよね?」
「“怪物”を作っていた所長が治療薬を用意しているかは定かではないが…聞いてみる価値はありそうだ。ルナ、俺たちはこれからすぐに研究所に戻る。治療薬のこと、何か聞けたら戻ってくるから、ここにいてくれ。」
ライヤとフィールが立ち上がる。それを見たルナが慌てて立ち上がった。
「私にも関係のあることです! 私も行きます! でも町の人を驚かせたくないので、夜になったら研究所へ行ききませんか?」
ルナが必死の表情で訴える。ライヤもフィールもその訴えに折れ、3人は夜を待って研究所に向かうことにした。
◆◆◆
その日の夜、3人は研究所の玄関にいた。黒いフードをかぶったルナは心なしか震えているように見える。“怪物”の自分を作ったかもしれない人と会うのは、やはり怖さもあるのだろう。ライヤはそっとルナの手をとり、強く握った。
「行こうか。」
玄関のドアを開けて研究所の中に入ると、すぐそこに所長が立っていた。いつも通り白衣のポケットに手を入れて、嘲笑ともとれる意地悪そうな笑顔で3人を迎え入れた。
「やあ、ライヤくん、フィールくん。そして、“怪物”のルナさん。」
まだフードを深くかぶったままのルナのことを、所長は名前で呼んだ。びくっとルナが肩を震わせる。ライヤはルナとつないだ手に再度力を入れた。
「単刀直入に聞きますが、怪物になる薬を作ったのは所長ですよね?」
ライヤが直球で質問すると、所長はにやりと笑って右手をひらひらと振った。
「ああ、そうだよ。僕は“怪物を作る薬”を作っていた。ルナさんのご親戚にはお金を貸していたこともあってね、借金を相殺する代わりにこの薬を誰かに飲ませてくれと頼んだんだ。もちろん自分で飲んでもいいと言ったんだけど、その人は薬と僕を恐れていたようでね。最終的に飲んだのはルナさん、君だったというわけだ。」
今にも吹き出しそうな所長の様子に腹を立てながらも、ライヤはぐっと歯を食いしばった。
「それで所長のことですから治療薬も用意しているんですよね。ルナは全く無関係な1人の女の子です。早く解放してあげてください。」
ライヤの言葉に所長はほうと小さくつぶやいた。その言葉は予想外だったというように。
ライヤとフィールの真剣な目を見て、所長は降参だというように両手を上げる。そして1本の試験管をポケットから取り出した。鮮やかな黄色の液体が入っている。
「いいよ、治療薬はここにある。でもひとつ条件があるんだ。」
「条件?」
所長は治療薬だと言って取り出した試験管のほかにもう1本の試験管を取り出した。毒々しい紫色の液体。これはいつだったか、所長がライヤと一緒に作っていた薬品ではないだろうか。
「この薬品こそ、“怪物を作る薬”。ルナさんを人間に戻す代わりに、誰か別の人を怪物にするんだ。それが条件だよ。」
「…は?」
怪物を人間に戻す代わりに、新たな怪物を作れ。しかも今まで研究してきた薬品が怪物を作る薬品だったなんて。ライヤの頭は混乱していた。
「なんで新たな怪物を作る必要があるっすか? そもそも所長はなんで怪物を作っているんすか?」
混乱しているライヤに代わって、今まで黙っていたフィールが鋭くツッコミを入れる。所長はにやっと笑って試験管を弄んだ。
「誰かが悪を引き受けてくれると、他の人は一致団結できる。一致団結できると世の中は平和だ。だから僕は意図的に悪を作りたいんだ。“怪物”はそういう対象にぴったりだと思わないかい? 意図的に作り上げた“怪物”は自らの境遇を悲しみ、自分の殻に閉じこもるだろう。もし狂暴化して周りに危害を加えようとしても、周りが怯え近づこうとしないかもしれないし、逆に一致団結して怪物を倒そうとするかもしれないだろう。“怪物”という象徴のおかげで誰も傷つかずに、意識を統一できる。最高の手段だと思っているんだ。」
「誰も傷つかずに? ルナちゃんはこんなに傷ついているのに、それをないがしろにするっすか?」
「怪物の言い分は知らないよ。だって人間じゃないからね。」
それはひどく冷酷な声。怪物のことは人間ではないと、本当の悪の存在だと思い込んでいる、そんな声だった。
ライヤとフィールは息を飲んだ。今まで一緒に仕事をしてきた所長の思考がこんなにもわからないことはなかった。ちょっと変な人くらいには思っていたが、言っている意味がわからないのだから意思疎通などできるはずがない。
「…他の人を怪物にするくらいなら、私は怪物のままでいいです。私のことをわかってくれるライヤさんとフィールさんがいてくれれば、それで。」
ずっと黙っていたルナが声をあげた。他の人を怪物にするくらいなら、自分が犠牲になる。ルナの優しさを感じるあたたかい言葉だった。
しかしライヤは納得していなかった。新しく怪物を作る必要はないし、ルナが我慢する必要もないというのがライヤの考えだった。自分が怪物になることも考えたが、ルナと2人で幸せになると約束した、あの誓いを違えたくはない。どうしたらルナを救い、新たな怪物も生み出さずにすむのか、そればかり頭を駆けていった。
「新しい怪物ができれば、ルナちゃんは人間に戻してもらえるっすね。所長、その言葉に二言はないっすか。」
そこで声を上げたのはフィールだった。普段通りの人の良い笑顔を浮かべ、所長を指さしていた。