5.怪物への気持ち
その日は朝から雨が降り続けていたが、ライヤとフィールは実験で作った治療薬の試作品と、パティスリームーンの焼き菓子を持って森の中のルナの家を訪れていた。
治療薬についてライヤが説明をしているときも、ルナは心ここにあらずというように落ち着きのなさを見せ、フィールが声をかけても怯えたような驚いたような、そんな声で返答した。そんなルナを見て、ライヤは首をかしげた。
「ルナ、何かあったのか? 具合が悪いなら俺たち今日は帰った方がいいだろうか…?」
「いえ! 具合は悪くないです。ただ…。」
ルナが言いよどむ。何か言いたげにしているのだが、なかなか話そうとはしない。
「ルナちゃん、無理しなくて良いっすよ。俺たち、実験データを持ってまた来るっす! ムーンの焼き菓子を食べて元気になるっすよ!」
フィールはライヤの腕をとり、玄関に向かい、家から出ようとした。その時、ルナが机を叩いて立ち上がり、聞いたこともない大声を出した。
「あの! もうここへは来ないでもらえますか? 実験も中止してもらっていいです。私にもう関わらないでください!」
突然の拒絶。ライヤとフィールはただただ驚いた。つい先日まで積極的に実験に参加してくれていたのにルナに何があったのだろうと2人は顔を見合わせた。
「ルナ? 実験を中止するのは構わないが…何かあったのか? 俺たちが何かしてしまったのなら謝るが…。」
「ライヤさんたちは何も悪くありません! ただ…私と一緒にいるのはダメなんです! 2人まで悪く言われてしまいます!」
ルナは頬に涙を伝わせた。ライヤは思わずその涙をぬぐおうと手を伸ばしかけ、ためらった。ここで優しくするのはルナを苦しめるだけなのかと思ってしまったのだ。
フィールは少し考え込む表情をしていたが、その後ルナの目をまっすぐ見た。
「もしかして町の人が何か言っていたんすか…?」
ルナがびくっと肩を震わせる。フィールは眉を下げながら優しく笑った。玄関まで移動していたフィールだったが、ライヤの腕を離し、先ほど座っていた席に座り直した。
「図星っすね。それで、町の人はなんて言っていたんすか? その町の人って誰っすか?」
一瞬表情はやわらかく見えたが、目は笑っていない。フィールは怒っているようだった。ライヤもフィールに続き、元居た席に座り直した。
「えっと…あの…私と関わるのは…!」
「俺は、俺とフィールは、ルナと一緒にいたいからここにいる。町の人がなんて言っていたかはわからないけど、正直俺は町の人の意見よりルナがどうしたいかを優先したい。なあ、聞かせてくれ。ルナは俺たちと一緒にいるのは嫌なのか?」
「そうっすよ、ルナちゃん。俺たちのことを考えてくれたのは嬉しいっす。でもそれは俺たちの気持ちをないがしろにしてるっす。正直なところ俺とライヤさんは町でも外れものですし! いまさらちょっと叩かれたくらいでへこたれる俺たちではないっす!」
にっこり笑いながら爆弾発言をするフィール。ライヤは慌ててフィールの肩をつかむ。
「ちょっと待てフィール。俺は外れものになった覚えはないが?」
「何言ってるっすか! 俺もライヤさんも新参者、それに研究所で働いているっていうだけで町の人から特異な目で見られてるんすよ! だから、ルナちゃん安心するっす!」
「おいフィール! そうなのか?」
ルナを安心させようと次々と爆弾発言をするフィールと、その発言にいちいちツッコミを入れるライヤ。ルナの目から次々とあふれていた涙はいつの間にか止まっていた。
「おふたりとも、ありがとうございます。私もおふたりと一緒にいたい。実験だって本当は続けたい。でも、町の人がライヤさんのことを悪く言っているのを聞いてしまって…。私は怪物だし、自分が悪く言われることには慣れています。おふたりが悪く言われるくらいなら、私はもう2人に会わないって決意したつもりだったんですけど、無理でした。」
ルナが赤くなった目をこすりながら嬉しそうに笑う。その姿を見て、ライヤは自分でも気付かないうちにルナの頭を撫でていた。ルナが驚いたように目を見開き、フィールはにやにやと笑った。
「ライヤさん、本当にルナちゃんのこと好きっすよね! あ、俺、邪魔でした? 俺、先に帰るっす! ルナちゃん、またね!」
光の速さでフィールがルナの家からいなくなった。置いていかれた2人はどちらからともなく顔を見合わせ、同時に吹き出した。
「フィールは本当に面白い奴だな。」
「ええ、本当に。でも、追いかけなくていいんですか? あの勢いだと本当にそのまま帰っちゃいますよ?」
「いいんだ。…ルナに話しておきたいことがあったから。」
ライヤは一転して真面目な表情になり、ルナもそれを受けて背筋を伸ばした。
「…俺はフィールのように話も上手くないし、ムードメーカーじゃない。研究することくらいしか今までやってこなかったけど、やっとやりたいことができた。ルナ、俺は君のことを好きになったみたいだ。大切にしたいと思う。だからルナも自分のことを大切にしてほしい。俺が想うルナを大切にしてほしい。」
ライヤはまっすぐルナを見ていた。驚き、目を丸くしたルナが震える声でライヤに応えた。
「私は…怪物ですよ? ライヤさんはとても素敵な人です。こんな私に優しくしてくれるし、いつも助けてくれます。もちろん私もライヤさんのことが好きです。でも、なんで私のこと好きになってくれたんですか?」
ルナの真剣な眼差しにライヤは観念して、本音を話そうと決めた。一度手元を見て深呼吸をして、再びルナの目をじっと見つめる。
「ルナに初めて会ったとき、“怪物”とは思えないと思った。そのあと話すようになって、なぜ怪物になったのか理由を聞いて驚いたし、悲しみも覚えた。それでも、1人でも生きようとして前を向いているひたむきさに惹かれていった。ルナを大切にしたい、支えたいと強く思ったんだ。別に俺は人間だからとか怪物だからとかそういう観点でルナを見ていたわけじゃないみたいだ。こんな俺にもいつも笑ってくれた、そんなルナだから好きになったし、ルナじゃなきゃ好きにならなかったよ。」
ぎこちないが優しい笑顔。その笑顔がライヤの素の笑顔だということをルナはもう知っていた。短い期間ではあったが、ライヤのことを知る機会は多かったから。
ルナの目から涙があふれる。今度こそとライヤはその涙をぬぐった。
「なあ、ルナ。誰からも愛される2人になって、2人で幸せな生活を送れるようになろう。そのために実験を続けて、まずはルナを人間に戻してやりたい。いいだろうか?」
「…はい!」
ルナがライヤの首に手をまわし、ライヤの耳元で涙声ながら返事をした。それを聞いたライヤはルナの体を引き寄せ、ぎゅっと強く抱きしめた。