1.怪物との出会い
ーーーその怪物は、1人で森に住んでいる。
大学を出たばかりだったライヤが3年勤めた職場から「給料も高くやりがいもあるらしい」と勧められ、この町の科学研究所に転職することにしたのだが、この町に引っ越してきたときライヤはそんな噂を教えられた。
家の隣人にも、食料品店の店主にも、勤め始めた科学研究所の所長にも教えられたため、ライヤも徐々に噂を把握していった。
“怪物”は、町はずれの森に1人で住んでいるらしい。怪物の名の通り見た目は醜く、言葉も通じないと伝えられている。森にある怪物の住処に近づいただけで怪物に“食われる”ーーーそれがこの町に伝わる噂だった。
「ライヤくんも森には近づかない方がいいよ。」
科学研究所の所長が半笑いでフラスコを振る。緑色の液体が徐々に毒々しい紫色に変わった。ライヤはそのフラスコを受け取り、試験管に液体を移していく。試験管の中の液体が煙を上げ始め、2回目に移した試験管は今にも爆発しそうだ。この薬品は体内の臓器機能の増強が目的と聞いているが、この毒々しい色で本当に効くのだろうかとライヤは不安になった。
「その怪物は町になにか危害を加えるんですか?」
フラスコの中を洗浄している所長に向かって、ライヤは返事をする。この町に引っ越してきて半年、この噂は嫌というほど聞いてきた。そして所長は事あるごとに噂の話をしているので、今日こそはと質問をしてみた。
「危害を加えたっていう前例はないけれどね。だって“怪物”だよ? いくら危害を加えないとはいえ、怖いよねぇ。」
怖いと言いつつ所長はやはり笑っている。どちらかというと嘲笑、怪物のことを軽く見ているといった感じだった。
所長の言動から見ると、怪物なんて噂が誇張されただけで大したことがないのではないだろうかとライヤは考えていた。第一、「森にある怪物の住処に近づいただけで怪物に食われる」のであれば、この噂の起源自体も怪しい。食われた人が話を広められるわけがないのだから。今まで噂を教えられた時も同じような違和感を感じていたこともあり、ライヤは怪物の噂話は深く聞かないようにしていた。
「そうなんですね。気を付けておきます。」
所長を適当にあしらい、ライヤが試験管を振ると、その後薬品は爆発した。
◆◆◆
「まったく…。あれだけ森に気を付けてって言っておきながら、森にある薬草を取ってきてほしいだなんて、所長も人使いが荒くないか?」
試験管が爆発した後、同じ薬を作るのに薬草が足りないと所長が気付いた。急なことで研究所内の在庫が足りないらしい。いつもは隣の村の薬草屋から買うのだが、この薬草がないと実験が進まないため、ライヤは急いで森に薬草を取りに行くことになった。
そもそも臓器機能の増強のための薬品がなぜ爆発するのか。ライヤは疑問に思っていたが、所長の指示に逆らうことはできず、そのまま森に向かった。
今日は満月にも関わらず森の中は暗く、ランタンの明かりでは心もとない。町よりも気温が低いこともあり、ライヤは身震いをした。
「ライヤさんはすごく優しいから、所長も頼ってるんすよ! しかも武道をやってたんすよね? それなら怪物にも勝てるっすよ!」
研究所の後輩フィールがライヤの後ろからひょこっと顔を出す。フィールは今年の春に大学を卒業し研究所に入ったばかりの新人で、とても人懐っこい性格をしている。真面目で研究一筋なライヤと違って、フィールは研究所でもムードメーカーのような存在だった。
薬草を取りに行くとフィールに告げると、一緒に行くとのことだったため、2人で森の中の暗闇を歩いていた。
「フィール、武道で怪物は倒せないんじゃないか?」
「なに言ってるんすか! 怪物は獣のような見た目らしいですよ? ライヤさんの技でイチコロっす。ライヤさん、俺を守ってくれるっすよね?」
フィールがにっこり笑ってライヤの腕に捕まる。子どものような仕草にライヤはため息をつきつつも、憎めない存在だと小さく笑った。
「さて、もうそろそろ薬草のある場所だと思うけど…。あ、そこ、道が開けてる。」
数メートル先が急に開けた場所になっているのをライヤは発見した。満月に照らされている開けた場所の真ん中に小さな家がある。
こんな森の中に一軒家。周りの森は木が生い茂っているのに、家の周りはやけに綺麗に整備されていた。まるで何者かが丁寧に手入れをしているかのように。
ーーーあれは、“怪物”の住処だ。
2人は直観で把握する。ライヤは、フィールののどがごくりと動いたのを見た。一気に体温が下がる心地がする。先ほどまでの和気あいあいとした雰囲気が変わっていった。
2人がじっと怪物の住処と思われる家を見つめていると、ゆっくりと家のドアが開いていった。フィールが少しずつ後ずさりしていく。開いていくドアの奥に影が見えた瞬間にフィールは悲鳴を上げて走り出した。
「おい! フィール!」
フィールが町の方に走っていくのを見て、ライヤが大声を上げる。その声に反応するように影が家から出てきた。
ライヤが警戒しながら家の方を振り返ると、そこには小さな影があった。よく見ると影は頭の上に狐のような獣耳がある。全身は茶色の毛で覆われ、しっぽが生えているが、二足で立っていた。例えるなら毛むくじゃらの狐が二足歩行で家から出てきた、というところか。
怪物はゆっくりと顔をライヤの方に向けた。まっすぐな瞳がライヤの目を捉える。怪物はしばらくライヤを見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「町の人。私が怖くないのですか。」
その声はか細く、ライヤの耳に届くのがやっとの声量だった。怪物は少女のような少し高く可愛らしい声をしており、その声が緊張感を少し和らげてくれた。
「あんたが、“怪物”なのか?」
ライヤは意を決して怪物に話し掛けた。怪物は返事をされると思っていなかったのか驚いたように肩を震わせたが、すぐにまたまっすぐライヤを見つめた。
「はい、私が怪物です。」
怪物は丁寧な言葉づかいで返事をした。「怪物は言葉も通じない」と噂で伝えられていたが、それは嘘ということか。
「あんたが怪物だって言うなら、信じるしかないけど…。ずっとこの家に住んでいるのか?」
「そうです。ずっと、1人で。」
少女は悲しげに笑う。表情もあるのかと、ライヤは驚いた。
「もし私を恐れないのであれば、明日また来てください。私が怪物になった所以でもお話ししましょう。もちろん“怪物”の私が怖くないのであれば、ですが。」
少女はそう言い残すと、家の中に戻っていった。ぱたりと扉が閉まるのを見届けると、ライヤは大きく息をついた。
ーーーあの少女が怪物?
怪物と話すと、相手があまりにも「普通の少女」のように思えた。怪物の中身がもしも本当に「普通の少女」だったとしたら、彼女に何があったのだろう。そう考えるとライヤはその謎を知りたくなった。
そしてライヤは明日もこの場所に来ようと決心したのだった。