#87:祐樹の過去(2)大学・就職編【指輪の過去編・祐樹視点】
お待たせしました。
祐樹の過去、第二弾。大学時代の祐樹と、就職した頃の祐樹の過去です。
引き続き、指輪の見せる過去でのお話で、祐樹視点となります。
18歳から23歳の頃の祐樹です。
過去の回想から我に返り、また夏樹の顔を見る。白い顔、閉じた瞼、それほど高くない小さな鼻、淡い色の口紅を置いたプクリとした唇……。美人と言う訳でもなく、可愛いと言う感じでもなく、どこか上品で涼しげな表情が笑うとそこだけ温かくなる。彼女といるといつの間にか、心に溜まり込んだ苛立ちや遣る瀬無さが消えて行く。揶揄うと、必死で言い返したり、顔を赤くしたり……、一生懸命天邪鬼な反応をしようと背伸びしている様が、また揶揄う気持ちを煽って……。そんなやり取りが、俺にとって唯一の癒しだった。
「夏樹のお陰かな……」
もう二度と思い出したくなかった初恋のあの出来事は、心の奥底に封印していた。でもさっき、なんとは無しに思い返している自分が、何の痛みも嫌悪も感じていない事に驚いた。それよりも、あの頃の幼かった自分の恋を初恋だと認める事さえ許せなかったのに、やはりあれは紛れもない初恋だったと自分自身で確認できた。
あの酷い出来事が、その後の女性に対する不信感の所為で、俺は女性に心許す事無く酷い関係しか築いてこなかった。そんな俺の過去を知ったら、夏樹は引いてしまうかもしれない。
あっ、でも、女たらしって思われているんだっけ……。
そんな事を思いながら、俺はいつの間にか一人苦笑していた。そして、また過去の自分を思い返していた。
イギリスの学校を卒業した俺と圭吾は、祖父さんの命令で日本の大学を受験する事となった。そして、無事に日本でトップクラスの一つと言われているK大に圭吾と共に合格した。
日本へ帰ってきた俺に祖父さんは、「おまえはまだ、浅沼の跡取りだと公表する訳にはいかない」と、浅沼ではなく、遠い親せき筋にあたる杉本の姓を名乗る様に言った。俺自身も、俺のバックの所為で、またいろんな事に巻き込まれるのが嫌だったので、できるだけ浅沼とは無関係でいたかったから、祖父さんの命令は嬉しかった。
大学に入って驚いたのは、急にモテだした事。イギリスにいる頃は、リア以外に近づいてくる女はいなかったけれど、日本ではなぜだかこの顔を整っていて、クールな眼差しが良いんだと言う。それに、イギリスで身に着いた紳士な所作が日本女性に受けたのかもしれない。でも、そんなのは表面だけの事で、近づく女性には冷たい態度しか取る事が出来なかったけれど……。
俺の外見だけに惹かれて集まって来る女達にウンザリしていた俺は、だんだんと心の中に別の感情が生まれ出した。今思うとあれは、リアへの……いや、女性への恨みを晴らすような気持だったのかもしれない。俺は、俺の事を格好の良いアクセサリーのように思って近づいて来る自信のある女達と、その場限りの関係を次々と持って行った。
そんな時、俺を女性の敵のように睨み、何かと俺に立てついてくる女がいた。その篠原麗香と言う女は、俺と同じ経済学部の同じ学科を専攻していた。誰もが認める美人でスタイルも良く、おまけに頭も良かった。同じ講義を取っているのが多い所為か、一日に何度も顔を合わす度、睨まれたり嫌みを言われたりする。「俺に恨みでもあるのか?」と聞けば、「あんたみたいに、女を軽蔑している様な目で見るくせに弄んでいるのが、気に入らないの」とずばりと突いてくる。
「何なんだ、あの女」と思っていた大学二年の頃、俺は祖父さんのお供で時々経済界のパーティへ、遠い親戚の秘書見習いと言う肩書きで顔を出していた。そんな場所で、あの女に出会うなんて思いもしなかった。コンパニオンのアルバイトをしていた麗香と、偶然にもあるパーティで顔を合わせてしまった。こんなところでは知った奴に会うはずが無いと思っていた俺はとても驚いたが、彼女の方も相当驚いたようだった。
「どうしてこんなところにあんたがいるのよ?」
「あの祖父さんの遠い親せきで、時々社会勉強のために秘書見習いみたいな事させてもらっている」
怪訝な顔で聞く麗香に、俺は仕方なく祖父さんが誰かと話している方を指さして言った。
「え? あの浅沼財閥の会長の親戚なの?」
彼女は驚いたように聞き返した。俺は再び仕方なく頷く。
「へぇ、あんたもお坊ちゃんって訳だ。どおりでね」
彼女は、俺が金持ちの坊ちゃんだから、気ままに女遊びしていると思ったらしく、意味深な言葉を返してくる。
「俺の事は放って置いてくれ」
その頃の俺は、多少自分のしている事に自覚はあったが、どこか彼女の弱みを握られた様な気になってしまったのだった。
麗香にそう言われたからという訳じゃないが、その後は女子大生を相手にせず、後腐れの無い大人な女性とたまに遊ぶだけになった。そして、大学では、女を寄せ付けない様なオーラを出して、勉強や研究に精を出すようになった。それまで、同性からは嫌われがちだった俺が、その頃から少しずつ男友達も増え、そんな仲間と一緒にいる事の気楽さを知り、俺の周りからは女がいなくなった。
そうしている内に三年になり、なぜか麗香と同じゼミになった。話してみると結構気が会う事がわかり、唯一気の許せる女友達として、一緒に行動する事が多くなって行った。
卒業が近くなった頃、麗香の様子が変わってきた事に気付いた。俺はリアとの事があってから、近づく人間をよく観察し、その心の中を推し量ろうとするような癖がついた。俺に近づく女達の女心も何となく推し量れるようになっていた所為か、麗香の心の変化に気付いた。
麗香の中にある俺に対する友達と言う感情が、だんだんと異性への好意に変わってゆくのに気付いた時、俺は彼女との間に線を引くようになった。賢い彼女はその事に気付いたのか、別の男と付き合いだした。そしてその後、男と別れる度に俺に友達なら慰めろと、食事や映画をせがみ、デートをさせられる様になったのだった。
大学卒業後もまだ浅沼とは名乗らせてもらえず、よそで修行する様にとの事で、圭吾の父親の会社へ就職した。大学で研究ばかりしていた圭吾は、同じように父親の会社に入り、大学時代そのままの研究を続けるようになった。
そうして、社会人にも慣れ二十三歳の誕生日を迎えた頃、俺は祖父さんに連れられて行かれた西蓮寺財閥の会長室で、その会長の孫娘に引き逢わされた。俺の許嫁だと紹介された西蓮寺美那子と言う女性は、二十歳になったばかりの大学生で、楚々とした美人だった。
俺も自己紹介しながら、彼女を観察する。何を考えているのかもわからない、何も映していない瞳が気になった。俺を見ても何の反応も示さず、ただ「よろしくお願いします」と頭を下げるだけの彼女を見て、俺もこんなものかと妙な納得をした。
もう、結婚にも女性にも期待をしていなかった俺は、会社のためになるのならとこの許嫁を受け入れた。結婚に関しての正式な話は彼女が大学を卒業してからと言う事になり、俺はそれっきり、彼女が大学を卒業するまで、その存在を忘れ、会う事もなかった。
俺は小さな頃からなぜか惹きつけられる様に祖父さんを追っかけていた。カリスマのオーラと言うのだろうか、子供心に祖父さんは俺のヒーローだった。いつかあんなカッコいい大人になりたいと本気で思っていたから、祖父さんの言う様に実行し、祖父さんの信念をそのまま鵜呑みし、祖父さんが指し示す未来に向かって走っていたと言っても過言でなかった。
だから、祖父さんの親父に対する評価もそのまま信じ込んでいた。十六歳までは親父と同じ家に暮らしていたが、仕事が忙しかったのもあったが、俺自身が祖父さんの方を向いていた所為で、親父と触れ合った記憶が無かった。その上、祖父さんが俺に女性には気をつけろと話す時、必ず親父が結婚前にお袋と言う婚約者がいながら、別の女性に騙されて結婚したいと言い出した話をし、親父の様になるなと釘を刺されていた。その話を聞いた頃の俺はまだまだ純粋で、そんな親父はお袋を裏切っていた酷い男だと思っていた。
日本に戻ってからも一人暮らしを始めた為、ますます親父との接点が無くなっていった。祖父さんとはよく顔を合わせていたのに、その頃社長になったばかりの親父とは、まったく顔を合わせなければ話もしなかった。何かあればお袋を通じて伝言するような感じだった。
そして、俺は許婚と引き合わされた後、祖父さんに衝撃的な事実を聞かされた。
『雅樹はな、あれほど別な女と結婚したいと言っておきながら、別れさせた後、二ヶ月後におまえのお袋と子供ができたから結婚すると言い出したんだよ。その時の子がおまえだが、その頃、もう妊娠三ヶ月を過ぎていたから、雅樹は結婚したいと言う女がいながら、おまえのお袋とも関係を持っていた。そんないい加減な奴なんだよ。私はその事で雅樹を信用しなくなった。おまえは美那子さんが卒業したらすぐに結婚して、浅沼へ戻って来い。そして早く社長を継いでくれ。雅樹はそれまでの繋ぎでしかないから、よく肝に銘じて置けよ』
この話を聞いて、その頃の俺は親父がますます信じられなくなった。俺の心の中には、親父に望まれて生まれてきた訳じゃないんだと、恨みさえも芽生えていた。今では親父の社長としての実力も認めているし、祖父さんの言いなりにはならないけれど、この事に関しては今でも親父を何処か信頼できずにいる自分がいる。俺もそれなりに年をとって、その頃の親父の事も理解しようとは思うけれど、あの頃は親父の様ないい加減な事はするまいと硬く決心をし、愛とか恋とかを信じるから自分の進むべき道を見失うんだと、俺にとっては愛や恋は必要ない、結婚は仕事をうまく運ぶためのアイテムにしか過ぎないと自分に言い聞かせたんだ。
そんな過去の自分をつらつらと思い出しながら、ふと我に返った。
あれ? この親父の話……、どこかで聞いた話に似てないか?
……あっ、夏樹が言った言葉。
『男の人は、結婚をしようと思っている程愛する女性が居ても、別の女性と関係を持つ事が出来るの?』
これってもしかすると、親父の事じゃないのか?
一週間前のあの日、夏樹は昼間親父に会っていたらしいし、その時に親父のこの過去を知って、ずっと信頼して恋の相談をしていた人に、裏切られた気持ちになったのだとしたら……?
信じていた分、ショックは大きかっただろう。
あの日、俺が夏樹の部屋を訪ねた時、夏樹の様子はおかしかった。ずっと泣いていたようだし、本気で仕事を辞めて実家へ帰ろうとしていた。
それは、もう親父たちに会いたくなかったからじゃないのか?
だから、俺に結婚を申し込まれた事も、ずっと相談していたにもかかわらず、言わなかったのでは?
それは、一つのヒントから次々と難しい数学の問題が解けて行くように、さっきまで謎だった事が、急にハッキリとしだした。
親父……、どうして夏樹にその事を話したんだ。親父が話さなければ、夏樹はそんな事思いもしなかっただろうに……。
そんな親父が俺の父親だと知って、ショックを受けない訳が無い。
親父が帰ってきたら、その事について、しっかり話し合わなければと、俺は心の中で決意していた。
2018.2.4推敲、改稿済み。