#85:解けた誤解【指輪の過去・祐樹視点】
今回も引き続き、指輪の見せる過去での祐樹視点です。
祐樹と夏樹の29歳の誕生日、浅沼邸のゲストルームでの母子の会話の続きです。
「今日、親父はどうしたんだよ? いないのか?」
食事の用意をするためゲストルームから出て行こうとしたお袋に、親父の事を思い出して声をかけた。
親父はもしかして、俺が女性を連れて来る事が気にくわないのかもしれない。まあ、それも夏樹だって知らなかったからだろうけど……。
先週の日曜日の仕事が終わった後、「誕生日の日は、父さんたちに紹介したい女性がいるから、連れて行くよ。会ってくれるかな?」と言ったら、親父は驚いた顔をした後、困った表情になった。「どうしてもその日じゃないとダメなのか?」と反対に訊かれて、「なかなか休みって取れないだろ?」と返すと、仕方ないって表情で「わかった」と答えていた親父。
「夏樹ちゃんの事ですっかり忘れていたけど、お父さんは、朝から電話があって会社へ出ているのよ。祐樹には来なくて大丈夫だからと、言っておいてくれって言っていたわ。お昼頃に戻れるからって言っていたから、もうすぐ戻るんじゃないかしら? あなたの連れてきた女性が夏樹ちゃんだって知ったら、驚くわね」
お袋は親父の話をした後、嬉しそうにウフフと笑った。さっきまでの真剣な顔のお袋は、もう見当たらない。この人のいいところは切り替えが早い事。落ち込んだり、嫌な事があったりしても、すぐに前向きに考えて、立ち直れるから凄い。そんなところは尊敬しているんだけどな……。それでも俺に対する毒舌だけは頂けないよな。
「何の事で呼び出されたんだろ? まあいいか、親父が大丈夫って言うんだから。それより、親父は俺が女性を連れてくる事、あんまりよく思っていなかったんじゃないの? それに、先週の土曜日に親父が夏樹と会った日の夜、夏樹のところへ行ったら、夏樹の様子が少しおかしかったけど、親父に何か言われたんじゃないのかな? 何か聞いている?」
お袋は又話が長くなると思ったのか、ソファーのところへ戻って来てもう一度座った。
「あのね、夏樹ちゃんは本気であなたの事を諦めようとしていたの。何ヶ月も放って置かれて、あなたの態度を見ていると見込みないって思ったんだと思うの。それに、お友達が出産したらしくって、真剣に自分の結婚や出産について考えたんだと思うのよ。だから、いつまでも見込みの無い恋に縋りついていたらいけないと思ったらしくて、お父さんにそう話したらしいわ。でもね、そんな状態で諦めたら、いつまでも気持ちを引きずるから、自分の想いを相手に伝えろってアドバイスしたらしいのよ。自分の気持ちを伝えてダメでも、諦めがつくからって……。それで、夏樹ちゃんは思いを告げるってお父さんと約束したらしいわ。それで夏樹ちゃんの様子がおかしかったんじゃないの? ああ、それで、夏樹ちゃんに思いを告げられて、プロポーズしたのね?」
お袋は暗に俺を非難しているのか? って勘繰りたくなるような、言い方だ。それでもって、勝手にプロポーズまでの流れを決めつけて……。確かに夏樹は諦めるためか、実家へ帰ってお見合いするって言っていたけど、告白なんてされなかったよな?
「夏樹は俺に告白なんかしなかったよ」
「ええっ? それじゃあどうして結婚なんて言う話になったの?」
「夏樹が年齢的に結婚を考えなくちゃいけないから、会社辞めて実家へ帰ってお見合いするって言ったんだ。だから、もう今更付き合ってと言うより、結婚って言った方が良いかなって思ったんだよ」
「祐樹も極端ね。今まで全くそんなそぶりも見せなかったくせに、いきなり結婚なんて言ったら、夏樹ちゃん驚いたんじゃないの?」
「ああ、パニックになっていた」
お袋は俺の返事を聞いて、ガックリと肩を落とした。
「あなたね、物には順番と言うものがあるでしょう? でも、ちょっと待って、本当は私達も夏樹ちゃんを今日ここに招いていたの。息子と一緒に祝いたいって。夏樹ちゃんは来てくれるって約束していたけど、次の日に断ってきたのは、祐樹が誘ったからだとはわかったわ。でも、今までずっと夏樹ちゃんの恋の悩みを聞いて応援して来た私達に、うまくいった報告が無かったのはどうして? それも、実家から帰るように電話があったからなんて嘘までついて……。夏樹ちゃんはそんな不義理な子じゃないと思うんだけど……」
なんだって? 夏樹も今日の誕生会に誘われていたって? それで、ここへ着いた時、お袋があんな事言ったんだな。
それに……、夏樹を招いているのに、俺が紹介したい女性がいるなんて言ったから、親父も戸惑っていたんだな。
いろいろな事に合点がいったけれど、夏樹がなぜお袋達に報告しなかったのかはわからない。
そうだよな、夏樹なら今まで応援してくれた二人に、真っ先に報告しそうだよな……。
あの時、俺が夏樹を訪ねた時、夏樹は泣いていた。告白しようとして泣いていたって雰囲気じゃなかったけど……。
ああ、本人しか話からない事、いくら考えても時間の無駄だな。全ては夏樹の意識が戻ってからだな。
「母さん、とにかく夏樹の意識が戻らないと何も分からないから、それからにしよう」
お袋は不安そうに瞳が揺れていたけれど、俺の一言で気持ちをふっ切ったのか、明るい表情になった。
「そうね、分からない事、いくら考えたって仕方無いわね。それより祐樹、どうして今まで夏樹ちゃんに自分の気持ちを言わなかったの? 中途半端な態度で夏樹ちゃんを苦しめて……。夏樹ちゃんの気持ちはわかっていたのでしょう?」
お袋はまた思い出したように、俺を責め出した。
たしかに、夏樹には中途半端な態度しか取れなかった。どこかで線を引いていた。それもこれも……。
「夏樹の気持ちは分かっていたよ。でも、俺が自分の気持ちに素直に行動できなかったのは、全て俺のバックにある物の所為だから、そんなに非難されたくないね。本当に普通のサラリーマン家庭の普通のサラリーマンだったら、とっくに付き合って結婚を申し込んでいるさ」
本当はこんなどうしようもない事を言いたくないんだ。単なる八つ当たりだってわかっている。お袋に言ったってどうなる物でも無いし、でも、あまりに俺ばかり責められるのも……。お袋たちは夏樹の肩ばかり持って、俺が夏樹の事で悩んでなかったとでも言うのか?
「そうね、この家に生まれたばかりに、祐樹の気持ちや自由が束縛されているわね。だから、私達は祐樹にだけは自分で選んだ、本当に愛する人と結婚して欲しいのよ。あなたに兄妹も生んであげられなかったから、余計にあなた一人に全てを背負わせてしまって……。ごめんなさいね」
お袋に謝って欲しい訳じゃない。それに、お袋が俺しか子供を産めなかったのだって、俺を産んだ後、出血が止まらなくて、子宮摘出してしまった所為なのだから……。お袋が悪い訳じゃないんだよ。
「そんな、母さんに謝って欲しい訳じゃないよ。俺の方こそごめん」
「でもね、お父さんも私も、最近の祐樹が嬉しいの。以前は結婚を目標達成するためのアイテムだとか、愛とか恋なんかで煩わされたくないとか言っていたでしょう? それに、お祖父様の決めた婚約者の美那子さんとの結婚も、何の疑問も感じずにそのまま受け入れていたから、大丈夫なのかなって思っていたのよ。そんなあなたが、婚約を解消したいから力を貸して欲しいってお父さんに言ってきた時は、お父さんも私もとても喜んだのよ。やっとお祖父様の洗脳から覚めたんだって……。その上、あなたは愛の無い結婚はしたくないって言うから、本当に驚いちゃった。これも、夏樹ちゃんに出会ったお陰ね」
お袋は感極まったのか、涙目になっている。そうだな、祖父さんに洗脳されていたのかもな。
「確かに夏樹の存在もあったけど、それより圭吾の結婚が一番効いたかな? あんなに女嫌いだった奴が、幸せそうで嬉しそうに、彼女の話や結婚の話をするのを見ていて、俺も考えるところがあったし、圭吾に言われたんだよ。愛の無い結婚をして幸せになれるのか?って……」
「圭吾君も良い事言ってくれるね。でも、結婚してしまう前で良かったじゃない。大切な事に気付けて……」
「まあ、だからと言って、あの祖父さんがすんなり婚約を解消する事を許してくれるとも思えないけどな……」
「お祖父様も意地になるからね。祐樹がお父さんの側に着いたと思っているんじゃないの? どんな反撃があるのか、ちょっと怖いわね」
そう、祖父さんの行動は読めない。物分かりのいいような顔をして、突然とんでもない事を言いだすし……。それに……。
「ああ、祖父さんは親父の時みたいに、俺の決めた結婚話を潰しかねないだろ? それで、夏樹に何か言ったりしたらと思うと怖かったんだ。 だから、なかなか夏樹に交際を申し込めなかった。ずっと、どこかで線を引いて、これ以上近づいたらだめだって思っていた。でも、すっぱりと諦める事も出来なくて、夏樹には中途半端な態度ばかりで、惑わせていたよな」
「あなた、お父さんの結婚前の事、知っていたの?」
あっ、こんな話、お袋にして不味かったな。でも、お袋も知っているのか?
「えっ? ああ、祖父さんが話していたよ。雅樹はロクでもない女につかまって、婚約者がいるのにその女と結婚したいなんて言い出したから、祖父さんが相手の女に話をつけて別れさせたって。それで、俺に親父の二の舞はしてくれるなって、いつも言われていたよ」
ごめん、お袋はこんな話聞きたくないよな。
「そう、それで、夏樹ちゃんに中途半端な態度だったのね。ごめんね、誤解していた。夏樹ちゃんの気持ち知っていて、そこに付け込んでご飯だけ食べに来る嫌な奴だと思っていた」
おいおい、そこまで嫌な奴だって思われていた訳?
「誤解が解けて嬉しいよ。本当なら婚約解消の事もスッキリ終えてから夏樹に言いたかったけど、夏樹がすぐにでも実家に帰ってしまいそうだったから、俺も焦ってしまったと言うのはあるんだ。自分でも驚いているよ。いきなり結婚なんて話をするつもりじゃなかったから……。まあ、夏樹には随分ひどい態度だったとは思うけど……」
俺は誤解が解けてホッとした。でも、確かに夏樹に中途半端な態度をとっていたのは間違い無い。夏樹が離れそうになると強引に引きとめるような事も言っていたし……。
「まあ、過ぎた事はいいわ。それより、祐樹はいつから夏樹ちゃんの事好きだったの? それに、いつ頃夏樹ちゃんの気持ちに気付いたの?」
なんだ? 今度はお袋、レポーターか?
「そんな事、どうだっていいだろ? お袋の好奇心満たすために俺のプライバシーを暴かないでくれよ」
俺は、興味津津の顔で身を乗り出すように訊いてくるお袋を睨みつけた。
「でもねぇ、あんなに振り回されて悩んでいる夏樹ちゃんを見てきた私達だって、真実を知って納得したいじゃ無い? まあ、私達は部外者だから仕方ないとしても、夏樹ちゃんには本当の事、言わなきゃだめよ。もう何も隠す事無いんだから……。やっと、浅沼祐樹として夏樹ちゃんに向き合えるんだから」
お袋は、俺の睨みなんかものともせず突っ込んで来たけど、あっさりと引き下がった。
そうだ、もう浅沼祐樹として夏樹に向き合えるんだ。俺は、もう何も隠さなくてもいいと言う事にホッとした。ただ、真実を知った夏樹がどんなふうに、この事実を受け止めるか、それが一番の心配だった。
「それにしても、祐樹が夏樹ちゃんを選ぶなんて……、見直したわ。ついでに私達の夢も叶えてくれるんですものね。うふふ、こんな嬉しい事は無いわ」
いろいろな感情で表情がくるくる変わるお袋が、今度は能天気な呆けた顔をして幸せそうに言っている。
別にお袋達の夢をかなえようと思った訳じゃないけどな……。
それよりも、婚約を断った事もまだすっきりした訳じゃないし、その事について祖父さんが何も言ってこない事が不気味だ。こんな時に夏樹の事が祖父さんに知れたらと思うと、俺は守りきれるだろうかと不安になる。
嬉しそうに笑うお袋の前で、俺は心の中に広がる黒い不安を必死で押さえこみながら、作り笑いするしかなかった。
2018.2.3推敲、改稿済み。