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#83:受け入れられない現実【指輪の過去編・夏樹視点】

今回も引き続き、指輪の見せる過去のお話で、夏樹視点です。


いよいよ、29歳の誕生日……

「もしもし、雛子さん? 夏樹です。こんにちは」

 私はいろいろあり過ぎた土曜日の翌日、七夕の日曜日の午前中に浅沼家へ電話した。できるだけ動揺しないように、何度もシミュレーションした会話を始める。


「あら、夏樹ちゃん、こんにちは。昨日、浅沼から聞いたわよ。来週の日曜日、来てくれるんだって?」

 あ……、いきなり先手を打たれて、シミュレーション通りにはいかない。


「え? ええ、それが……、都合が悪くなって……」


「ええっ? どうしても断れない事なの? こちらが先約なのに。息子も来てくれるって言っているのよ」

 心の中でごめんなさいと繰り返しながら、筋書き通りに進めようと話を続ける。


「実は実家の両親から、大事な話があるから帰って来いと言われたんです」


「大事な話?」


「ええ、何の話なのかは、帰ってからだって言うので……」


「そう……。もしかして、お見合い話なんじゃないの? 夏樹ちゃんももう二十九歳になるから、ご両親もご心配なんでしょう?」


「そ、それはわかりませんが、心配はかけていると思います」


「ご両親だったら、勝てないわね。ご両親も夏樹ちゃんの誕生日を祝いたいのでしょう?」

 勝ち負けの問題じゃないと思うけど……。


「それもあると思います。……それから、クッキーの事ですけど……」


「クッキー?」

 あ、雛子さんには話していないの? ここで咄嗟の誤魔化しが効く相手じゃないし……。


「ええ、浅沼さんに昨日、お礼に差し上げた手作りクッキーのレシピについて訊かれて……。あの、お菓子の本で見たと伝えてもらえますか?」


「浅沼が、クッキーのレシピの事なんか訊いたの? まあ、いいわ。そう伝えておく。今日も息子と一緒に仕事なのよ」

 日曜日もお仕事で大変だな。でも、息子さんが一緒の会社に来てくれて、嬉しいんだろうな。

 私は去年の十二月のスイーツの会の時の、上機嫌の浅沼さんを思い出した。

 そして、ふと別の事も思い出した。祐樹さんが昨夜の帰り際、明日も仕事だと言った事を……。

そう言えば浅沼さんの会社だった。もしかして、一緒に仕事しているとか? ヘッドハンティングされるぐらいだから、重要な部署にいるのかも知れない。そんな事を考えた時、私は彼の事、何も知らないんだと思い知らされる。

 これからよ。これから彼の事、一杯知って行けばいいのよ。

 あんなに反論していた頭の中のもう一人の自分が、私を慰める。そうよね、これからよね。

 一瞬の逡巡の後、我に返った。


「浅沼さんも日曜日までお仕事だなんて、大変ですね」


「今は息子がいるから、機嫌いいのよ。今のうちにしっかり働いてもらわないとね」

 そう言って雛子さんはクスクスと笑った。

 彼の話が出てこないうちに、そろそろ切らなきゃ……。雛子さんの追及を逃れるのは大変だから……。


「雛子さん、昨日の今日で断る事になってしまって、本当にすいません。また、雛子さんのお仕事が一段落した頃に遊びに行きます」

 守るつもりの無い約束を口にする自分が悲しかった。


「ええ、そうね。今回の分も含めて、絶対にきてよね。息子も呼んでおくから……」

 息子さんはいいですと言えたらいいけど、何も言えなかった。


「はい、それじゃあ浅沼さんにもよろしくお伝えください。失礼します」


 電話を切って、大きく息を吐いた。電話を持っていた手が強張っている。これで、これで最後だ。雛子さんの声を聞くのは……。ごめんなさい。ごめんなさい。私の存在は雛子さんを苦しめる。だから、もう雛子さんには会えない。大好きな雛子さんだから、余計に……。


       ************


 休み明けの一週間は、彼との結婚話の嬉しさよりも、浅沼さんと雛子さんにもう二度と逢えないんだと言う事が、私を落ち込ませていた。それでもどん底まで落ちずにいられたのは、今までとは打って変わって、電話をくれるようになった祐樹さんの存在だった。本当に仕事が忙しいようで、私に電話をくれるのが夜の九時頃なのに、まだまだ仕事は終わらないんだと話している。いつ休むの? いつ眠るの? まったくプライベートの無いような生活で、彼が倒れてしまわないかと、それが一番の心配だった。

 彼は、忙しいのは今だけだからと笑うけど、体にだけは気をつけてと言うことしかできない。せめて、食事をしに来てくれたら、バランスを考えて作るのに。


 そんな風に一週間は駆け足で過ぎて行き、とうとう、誕生日の日曜日がやってきた。約束通り、午前十時に車で迎えに来てくれた彼は、また見た事の無い車に変わっていた。国産のハイブリッド車らしいけれど、仕事の関係で安く手に入るんだと彼は笑った。


 昨日まではどんよりとした梅雨空だったのに、今日は梅雨明け宣言が出るかもしれないと思う様な夏空が広がっている。このお天気は二人の誕生日を祝ってくれているのかな? なんて思いながらマンションのエントランスを出て空を見上げた。

彼の車に乗り込むと、おたがいに「おめでとう」と言い合い、笑顔を交わす。どうも、この間から、彼の私を見る眼差しに熱い様な甘い様なものを感じるのは思い過ごしだろうか? 

私もあんな目で彼をうっとりと見つめているのかもしれないと思ったら、急に恥ずかしくなって俯いた。


「夏樹?」

呼ばれて彼の方を見ると、笑顔の彼の腕が伸びてきて私の頭をくしゃっとかき混ぜる。

そんな何気ない仕草に幸せを感じた。彼はサイドブレーキを降ろすとアクセルを踏んで発進させた。しかし、ハンドルを持つ彼の横顔に見惚れていた私は、ハイブリッドのエンジン音の静かさに、動き出した事に気付かなかった。


「夏樹、シートベルト」

そう言われて初めて我に返り、車が動いている事に気付いたのだった。

 運転をしない私にとって、後ろへ流れて行く街並みを見てもどこを走っているか分からなかった。時折見覚えのあるビルや店舗に気付くけれど、それがどこなのかはよくわかっていない。駅を起点にしないと、まったくの方向音痴になってしまう。


「祐樹さんのご実家って、隣の県だったよね?」

 えっ? と言ったまま口ごもり、運転に集中している彼が、次の信号に泊まった時私の方を向いた。


「いや、今は隣町に住んでいるんだよ」


「そうなんだ。だったらそんなに時間かからないね? 祐樹さんもそこに住んでいるの?」


「俺は前に夏樹が泊まった事のあるマンションに、今もいるよ」


「ああ、海外赴任している伯父さんから借りているって言うマンションね」


「いや、今は譲り受けたんだ。それより夏樹、何かお土産を買っていくって言って無かったか? どこへ寄ればいい?」

 その時信号が青になり、車はまた静かに発進した。

 そうだった。お土産を買わなくちゃって、思っていたんだった。でも、どこのお店がいいか、具体的に考えてなかった。


「あの、祐樹さんのご両親は甘いものはどう?」


「親父は好きだけど、母はあまり食べないかな?」


「じゃあ、この前祐樹さんが持ってきてくれたレアチーズケーキは甘さ控えめで、甘いものが好きじゃ無くても食べられるんじゃない? 祐樹さんも食べていたし……」


「そうだな、じゃあ、あのパティスリーに寄るよ」


 そうして、お土産も無事に用意が出来て、一路彼の実家へ。

 しばらく周りの風景をぼんやりと見ていたら、どうも見覚えのある風景なのに気付いた。

 この辺って……、浅沼さんのお宅へ行く時通る道に似ている。まさか……、近くだとか? 嫌、会わないでしょうね? 車に乗っているから気付かないよね?


 車はどんどん見覚えのある道を進んで行く。このままいったら、浅沼邸についてしまう。まさかお隣なんて言わないでしょうね? お隣ってどんな家が建っていたかな? あの辺って高級住宅街だよね? 祐樹さんのご実家がそんなところにあるの? マンションらしき建物も無い様な住宅街だったけど……。

 心臓が不安でドキドキと早くなる。どうぞ、近くではありませんように……と思わず手を合わせて指を組んで祈りのポーズになる。


「どうした?」

 私の様子がおかしいと思ったのか、彼がチラチラとこちらを見ながら訊いて来た。


「いいえ、何でもないの……。ただ、ご両親に気に入られますようにって、祈っていただけ……」


「大丈夫だよ。夏樹なら。自信持てよ」

 私の動揺を知らない彼は、クスッと笑って優しく言ってくれた。


 それでも車は進んで行く。私がいつも駅から浅沼邸へ向けて歩く道を……。ここから私は公園を横切って近道をする。車は大回りをしないと浅沼邸へは行けない。でも、この車は途中で道が逸れますように……。

 願いも虚しく、大回りした道は又近道した道と合流した。あの角を曲がると、浅沼邸が見える。どうぞ、前を通り過ぎて行きますように……。


 浅沼邸に近づくにつれ、車はスピードを緩める。そして、ついに前まで来た時、左折のウインカーが点滅した。


「ええっ!!」

 私は大きな声を上げた。家の大きさに驚いたと思ったのか、祐樹さんは笑顔を向けてきた。でも、私はそんな事は目に入らなかった。


「ここは、浅沼さんのお家だよ? どうして?」

 

「あっ、表札を見た? いいんだよ、ここで……」


「えっ? ここは、浅沼コーポレーションの社長宅だよ? どうして?」

 まさか……、ここでご両親が住み込みのお手伝いをしているとか? 祐樹さんも浅沼コーポレーションに勤めているのに、どうして社長宅へ……。


「えっ? 夏樹、どうしてそれを知っているんだ?」

 そんなやり取りをしている内に、車は玄関前に停まった。彼はシートベルトを外すと、私の方を向いて、「ここが俺の実家なんだ」とさらりと言った。そして車から降りると、助手席の方へまわって来てドアを開けると、唖然としている私をおかしそうに笑いながら、「降りて」と促した。


「祐樹さんの姓は、杉本でしょう?」


「ああ、その事は後で詳しく話すけど、俺の本名は、浅沼祐樹なんだ」

 ええっ? どうして? 

 頭が上手く回らない……。


 その時、玄関のドアが開いて女性が出てきた。

 ああ……、あれは……、もう二度と会う事の無い人だと思っていたのに……。

 私は俯いたまま、その場から動けなかった。近づく女性に気付いた彼は、笑顔で挨拶をした。


「母さん、今日はお招きありがとう」

 皮肉っぽく言う彼に、母親も気軽に返す。


「今年はドタキャンしなかったわね」

 その女性が彼の斜め後ろに立っていた私に気付いたようだった。


「えっ? 夏樹ちゃん? 今日は実家へ行くんじゃなかったの? どうして……」

 思ってもみなかったゲストを迎え、雛子さんは少し困惑した声になった。


「母さん、夏樹の事知っているの?」


 ……母さん。……二人の会話は頭上を通り過ぎて行くだけで、上手く聞き取れなかった。

浅沼さんと雛子さんの息子さんは……、私の異母兄弟?

 私はこの現実を受け入れる事が出来ずに、そのまま意識を手放した。


  


2018.2.2推敲、改稿済み。

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