#74:祐樹の来訪(後編)【現在編・夏樹視点】
今回も現在編の夏樹視点。
いよいよ祐樹に夏樹の秘密を打ち明ける。
私は祐樹の腕の中でうっとりと甘い雰囲気に溺れそうになっていると、祐樹は思い出したように口を開いた。
「夏樹、何か話があるんじゃなかったか?」
ああ、そうだった!
我に返った私は、彼の胸にもたれていた頭を慌てて起こし、彼に向き直った。
「そうだった。大事な話があるのよ」
「悪い話じゃ無いよな?」
不安そうな顔をした祐樹が、昨日と同じく確認する。私は祐樹を安心させるためにニッコリと笑ってうなずいた。
頭の中でシミュレーションしたのを思い返す。祐樹がどんな反応を示すだろうかと、少し不安になりながら、恐る恐る口を開いた。
「あのね、今まで言いそびれてきたんだけど……、私の両親は実は養父母なの」
彼の反応を窺っていると、やはり驚いた顔をしている。
「え? 養父母? と言う事は本当の両親が別にいるって事?」
「ええ、もう亡くなっているんだけどね」
「小さい時に亡くなったの?」
「父は私が生まれる前に亡くなったらしいの。それも入籍する前に亡くなったから、母はシングルマザーなのよ。その母も、私が二十一歳の時に亡くなったの」
「え? それじゃあ、お母さんが亡くなってから養子になったの?」
彼は益々驚いた顔をして、質問を重ねて行く。
「そう、今の母は、実の母の親友だったの。シングルマザーだった母をずっと助けてくれたのが今の母で、実の母が亡くなる前に自分が亡くなった後、私を養子にしてくれるよう頼んでいたらしいの。今の両親には子供がいなくて、ずっと私の事を本当の子供の様に可愛がって来てくれたのよ。実の母には頼る親戚も両親も無くて、自分が死んだ後、私が独りぼっちになるのを心配したのだと思う。だから、母が亡くなった後、養子縁組したの」
「そうか、夏樹は父親の記憶が無いんだね。……それに、いろいろ苦労したんだな。じゃあ、今の佐藤って言う姓は、養子縁組してからなのか?」
「私は全然苦労なんてしていないのよ。母一人が苦労して、だからあんなに早く亡くなっちゃったんだと思う。それでも、いつも幸せそうに笑っている人だった。シングルマザーでも愛する人の子供が授かって幸せだって、いつも言っていた。父の記憶は無いけど、母が話してくれる父はとても優しくて、甘いものが好きな人だったって……。佐藤の姓は今の両親の姓なのよ。就職する時に変えたの」
私は出来るだけ淡々と話すようにした。感情的になると涙が出てしまいそうだったし、彼もどう対応していいか分からないだろうから。
「……甘いもの好きって、ウチの親父みたいだな……」
「そうね、あなたのお父様と一緒に甘いものを食べに行き出した頃、自分の父もこんな父親だったらいいなって思っていたわ」
「じゃあ、願いがかなう訳だ」
祐樹はクスッと笑って私を見つめた。
そうだ、理想の父親だと思っていた浅沼さんと親子になれるんだ。
「そうよ! だから、お父様と甘いものを食べに行くのを許して?」
この際だからとお願いのポーズで、上目使いに祐樹の顔を見上げた。途端に、彼の顔から笑顔が消えた。
「別に親父と行かなくてもいいだろう? 俺が連れて行ってやるから」
また……どうしてお父様にやきもち焼くかな?
「お父様は一緒に甘いものを食べに言ってくれる人がいないから、私を誘ってくださったのよ。あんなに甘いもの好きなのに、可哀そうでしょう?」
なんで話が逸れるかな……と思いながらも、浅沼さんとまたスイーツの会を復活したいなと考えていた。
「まあ、そんな話はいいよ。それより、さっき佐藤は養子になってからって言ったよな?じゃあ、この前圭吾の父親に夏樹の母親の名前を聞かれた時、佐藤なんとかって言わなかったか? 実のお母さんも佐藤なのか?」
あ……覚えていたんだ。気付いてしまったんだね。できたら実の母の名前は言いたくなかったけれど、隠し通せるものじゃないしね。浅沼さんもきっと訊くだろうな、私が養子と知ったら。だけど、嘘を吐いた言い訳はどうすればいい?
「あ……あの時、今の母の名前を言ってしまったね。実の母は御堂って言うの」
まるで言い間違えたかのように言ってみたけれど、彼は不信そうな顔をしている。こんなミエミエの言い訳じゃ、頭のいい祐樹には誤魔化しきれないか。
「似ているから聞いているのに、養母さんの名前を言ってどうする? 血の繋がりのある実の母親の名前を聞きたかったんだろう? それぐらい分からなかったのか?」
誤魔化しきれない事ぐらい分かりそうなものなのに、墓穴を掘っただけだよね。
どうしよう? 言っておいた方がいいかな?
何処か怪訝な表情をした祐樹が、こちらの様子を窺うように見つめる。
「あ、あの……、母がシングルマザーだったとか、戸籍上父はいない事になっているとか……、祐樹はどう思った? 結婚を反対されないかな?」
私は、いきなり話を変えた。圭吾さんのお父様も、祐樹さんのお父様も、本当は母の事を知っているって、どう切り出せばいいのか分からなかった。でも、いずれわかった時、どうして言わなかったんだって怒られるかな?
祐樹も私に言わないでいるとロクな事が無いからと、私が嫌な思いするかも分からないと思っても、話してくれた。今嫌な思いをしても、目の前ならフォローできるけど、自分の知らない所でその事を知られてしまった時、フォローが出来ないのが辛いからって祐樹は言っていた。
やはり、言っておいた方がいいのかな?
「あ、え? それは、夏樹自身の所為じゃ無い事だから、俺は気にしないよ。両親もきっとそう言うと思う。ただ、祖父さんにだけは知られない方がいいかもな? 反対理由に付け加えられたらたまらないから……」
急に話を変えられて戸惑ったように見えた祐樹は、すぐに質問の意味を酌んで真面目に答えてくれた。
「あ、ありがとう。それから今まで黙っていてごめんね」
わざと話を変えたのに、きちんと答えてくれた祐樹に対してのありがとうのつもりだったけれど、彼は違う意味にとったようだった。
「なんだ、ずっと気になっていたのか? それで言えなかったのか? そんな事、気にもしないよ」
バカだなといいながら彼は又私の体を引き寄せた。彼の胸にもたれながら、よかったと言う思いと、実の母の事をお父様が知っているだろう事実を、早く言ってしまわなければ……と言う思いが交錯する。
やはり言わなければ。祐樹だって私を信じて話してくれるのだから。
「あ、あの……実の母は昔、この街で働いていたの。圭吾さんのお父様が私に似ているって言った知り合いは、恐らく母の事だと思う。だから、あなたのお父様も、母の事を知っていると思うの」
ついに言ってしまった。祐樹の反応が怖くて、顔も見ずに言ったが、彼からの反応が無い。
驚き過ぎて絶句しているのか? それとも、誤魔化そうとしていた事に腹を立てて絶句しているのか。
「…………どうしてあの時、言わなかったんだ? 実の母親の名前……」
祐樹はしばらく考えた後、誤魔化しきれなかった事を突っ込んできた。
やはり、言うべきなのかな? どう言えばいいの? 正直に?
「あ……ごめんね。どうしても言えなかったの。母はこの街で嫌な思いをしたから、私がこの街へ行くのを禁止していた。旅行でもいくなって言われていた。修学旅行の時でも、名前を訊かれても教えるなって言われていて、私が母に似ているから、昔の知り合いに知られるのが嫌だったみたい。だから、どうしても母の名前は出せなかったの……」
彼はしばらく考え込んでいた。そして、又私と目を合わすと真剣な表情で口を開いた。
「結婚するのなら、親父たちには隠し通せないと思う。それより、娘にこの街へ来る事さえ禁止する程お母さんが嫌な思いをしたって、どんな事か知っているのか?」
祐樹はどうして、そんなこちらの答えたくない事を訊いてくるかな? 聞き流してよ。
少し睨むように祐樹を見て、気付かれないように小さく息を吐いた。
上手い言い訳も思いつかない。
でも、母のプライバシーは守らなくては。……知らない事にしてもいいよね?
母は話してくれなかったのだと、言ってもいいよね?
「あの……、母は言ってくれなかったの。ただ、嫌な事があったから、もうかかわり合いたくないし、自分の消息も知られたくないって……」
彼は息を吐くと、「そうか……」と呟くように答えた。
しばらく二人とも黙ったまま、考え込んでいた。そして、彼が私を見下ろすと静かに話しかけてきた。
「夏樹……いずれ今のご両親とウチの両親が会う事になったら、養父母である事は言わなくちゃいけないだろうし、君のご両親だって自分たちの事をそう説明されるんじゃないかな? その時、親父が君の実の母親の名前を訊く事は充分考えられる事だろう? だったら、お互いの親が会う前に親父にだけでも説明しておいた方がいいんじゃないかな?」
浅沼さんが知ったら……どうするだろう?
分からない事をいろいろ考えてみたって、結局分からないんだから、祐樹に言うように玲子おばさん達と会う前に問題部分を済ませておく方が、いいのかも知れない。
「わかった。そうする。……あ、今日、玲子おばさん……って、今の母の事なんだけど、電話したら八月の第一土曜か日曜に会うのはいかがですかって言っていたの。それに、よかったらご両親も一緒にいかがですかって……。どう?」
「わかった、何とか都合をつけるよ。土日のどちらにするかは又連絡する。親父たちにも話しておくから。それから、ご両親に会う前に親父に話す機会も作るように話をつけておくよ」
「祐樹も忙しいのにいろいろお世話かけて、ごめんね。よろしくお願いします」
何言っているんだって、私の頭をぐしゃっとかき回して、優しい笑顔を向けてくれた彼に、私も笑顔を返した。
「あ、そうだった……」
急に彼が何か思い出したおように声をあげた。私は彼の顔を見上げて「何?」と問いかけると、急に苦しそうな辛そうな表情になった彼が、溜息と共に話し出した。
「明日からアメリカへ行かなくちゃいけないんだ。週末には帰りたいと思っているんだけど……。今のところどうなるか分からないんだ。向こうにいた時の得意先と何かトラブルがあったみたいで、俺じゃないとダメだって言ってきているらしい。行ってみないとどうなるか分からないけど、ご両親に会いに行くまでには必ず帰るから……」
アメリカ!?
再会して、想いを確認しあって、結婚の約束をして……。でも、まだ三日しか経っていなくて……。そしてまた、海を隔てた遠いところへ行ってしまうなんて……。
「そ、そうなんだ。体に気をつけて行ってきてね」
あまりに突然の事に、まるで感情のこもらない棒読みのような言い方で、彼の顔も見られなくて……。
彼にとっては前の職場で、アメリカと言ってもそんなに遠くだという認識がないのだろう。でも、私には宇宙の果ての様な響きがある。海外なんて、友達と韓国へ行ったぐらいだ。
「ごめん。再会したばかりなのに、またアメリカなんて……。はぁ~いつになったら五年分の心の空白を埋められるのかな……」
祐樹は大きな溜息を吐きながらぼやいている。
祐樹も同じなんだ。再会したばかりだから、不安のほうが大きくて、もう止めようもなく大きくなりすぎた想いを、お互いがもてあましたまま、又距離を隔てられる。
でも、仕方の無い事。彼には責任がある。我慢しなくちゃ……。
「ごめんね。祐樹だって辛いのに、仕事だから仕方が無いのに……。本当に体にだけは気をつけてね。早く帰れるように祈っている」
今度は感情を込めて、祐樹の眼を見て言った。しばし見つめあった後、彼に思い切り抱きしめられていた。
「頑張って早く仕事を終えるようにするから……。毎日電話もするし……。夏樹の携帯電話は、海外へも掛けられる奴か?」
私は彼の腕の中で首を振った。海外へ電話をかけるなんて思いもしなかったから、そんな機種を選ばなかった。今後の事を考えると、買い換えたほうがいいのかな?
「そうか……。今回は仕方ないけど、帰ってきたらすぐに夏樹の新しい携帯を用意するよ。俺のいない間に急用があったら、親父かお袋のところへ連絡を入れてくれるかな?」
彼の腕の中から彼の顔を見上げると「分かった」と呟くように返事をした。そして、しばしの逢瀬の残り時間を、お互いの匂いに包まれて、心の電池をしっかりと充電したのだった。
2018.2.1推敲、改稿済み。