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#59:食べ物で癒せないストレス【指輪の過去編・夏樹視点】

今回も指輪の見せる過去のお話で、夏樹視点です。

グルメの会での二人、いつもと違う祐樹に戸惑う夏樹。

 雛子さんから浅沼さんとの過去を聞いてから、いつの間にかその事について、考え込んでいる私がいた。

 一途な恋、一生一度の恋、命と引き換えにしてもいい程の恋。

 今の私はそんな強い想いを持っているのだろうか?

 私は片想いだからだろうか?

 両想いなら、その想いは二乗になり、強いものに変わっていくのだろうか?



「どうした? やけに静かだと、気持ち悪いんだけど……」

 そう言われて、言葉の発せられた方を見ると、ハンドルを握ってニヤリと笑う彼がいた。


 十一月の第二週の土曜日、私と祐樹さんとのグルメの会。今日は少し遠出するからと、彼は車で迎えに来てくれた。

 彼の車に乗せて貰うのは二度目。一年前に祐樹さんの恋人のフリを辞めた時、最後だからと食事をして家まで送ってくれた。

 あの日に自覚したこの想い。

 そして、もう二度と触れ合うことなどできないと思っていた人と、今こうして再び狭い車内に二人きりでいる事。そこに恋はなくても……、信じられない思いで一杯だ。

 二人きりだと言う事を意識してしまうと、抑え込んだこの想いが溢れてきそうで、意識を窓の外へやる。すると、思考は自ずと雛子さんから聞いた悲しい恋の事を思い返していた。


「秋ですから、乙女は物思いに耽るんです」

 相変わらずの敬語で彼に近づき過ぎないように距離を取りながら、天邪鬼な自分で誤魔化す。

 いつまでこんな事続けるつもりなのか。

 二十八歳、もう今さえよければと、夢のような片想いの彼と二人きりで食事をするというシチュエーションに、ただ喜んでいられない。

 だからと言って簡単に消せる想いじゃない事は実証済みだ。

 いっそ雛子さんの言うように、ぶつかって砕け散った方が諦めはつくのかな。浅沼さんの言う、心に正直に、そしてその想いを昇華するって、なんだか遠い理想論のようで……。

 なぜだか私は、いつもこの自分の恋から逃げ出そうとしている。

 未来が見えない恋だから? 辛い片思いだから?

 一生一度の恋。そんな風に言い切れる恋ができるのだろうか?


「誰が乙女だよ!」

 ぷっと吹き出して、前を向いたまま彼が言葉を返す。


「失礼ね。心は恋を夢見る乙女なんです」

 って……言ってしまってから恥ずかしくなった。雛子さん達の恋の事ばかり考えていた所為か、すんなり恋って言葉がこぼれてしまった。


「恋を夢見るって……、お前いくつだよ。自分の年齢考えて、もっと現実見た方がいいんじゃない?」

 いつの間にか赤信号で車は停まり、祐樹さんがこちらを見てまたニヤリと笑った。


 ……現実って、何?

 そう言われると、まるでいい年して、いつまでも片想いなんてしているなって言われたようで。

 二十八歳の現実って……。


「祐樹さんこそ、現実を見つめた方がいいんじゃないですか? いつまでも女ったらしをしていないで」

 自分の現実を言い当てられたようで、天邪鬼全開になってしまう。好きな人にこんな風にしか返せない私って……、どうなんだろう?


 いつの間にか信号は青になり、車は静かに動き出していた。

 どうしたのだろう?

 いつもなら、私の天邪鬼な発言を笑って流して、「夏樹は面白いな」なんて言ってバカにする癖に。

 リアクションが無い事に、この狭い空間の温度が徐々に下がって行くような、変な感覚に背中がぞわりとした。

 そっと隣の彼を窺い見る。

 真剣な顔で運転している彼の表情からは、彼の気持ちは何も読み取れなかった。

 すると、(おもむろ)にアイツが息を吐いた。そして、前を向いたまま話し出した。


「夏樹は、本当に俺が女性を(もてあそ)ぶような奴だと思っている訳?」


「え? 弄ぶ?」


「そうだろ? 女たらしって言う事は、そういう事だろう?」


「えっ……そんなつもりは……」

 女たらしなんて言いながらも、その深い意味についてなんて考えてなかった。でも、今までそんな事言っても否定しなかったくせに。


「なに? 夏樹は意味も考えず俺に女たらしなんて言っていた訳? 俺がその言葉でどんなに傷つくかなんて考えもせずに……」

 ええ?!

 傷ついていたの?

 今まで余裕の笑顔で聞き流していたじゃないの?!


「でも、今まで祐樹さんは否定しなかったし、女には不自由していないって言っていたし……。それに、見る度に違う女の人を連れていたし……」


「ふ~ん。それで? それだけの理由で俺は女ったらしって言われる訳? それから、夏樹は女たらしだと思っている男と平気で二人だけで食事に行くんだ?」

 今日はどうしたの?

 いつもそんな事に突っ込まなかったじゃないの!!


「ち、違います。ご、ごめんなさい。祐樹さんが女性を弄ぶような人だとは思っていません。祐樹さんの事は優しくて友達思いの人だと、信頼のおける友達だと思うから一緒に食事にも行くんだし……」

 私の敬語が崩れ始め、しどろもどろになりながら、自分がいったい何を言いたいのか分からなかった。

 ただ、そんな風に思っていると思われたく無くて……。


 ああ、怒らせてしまった。

 もうお終いだ。天邪鬼な自分が恨めしい。

 想いを告げる前に、怒らせてこの月一の繋がりさえ失くしてしまうのか。


 彼はそれ以上突っ込む事は無く、黙ったまま車を運転していた。車はいつの間にか紅葉に彩られた自然の中を走っていた。そして、色づいた木立の中に建つ日本家屋の前の広い駐車場へ入って行った。

 あれ?ここ見覚えがある。

 この日本家屋、そしてその隣に建つ平屋の和風家屋。

 ああ、そうだ! 浅沼さんに連れてきてもらった和菓子とお抹茶が頂けるお店。隣は料亭だって言っていた。

 私はきょろきょろと外の風景を見ながら、記憶の中の場所と同じか確認していく。


「私、ここ来た事あります」

 私はまだ外へ目を向けたままそう言った。すると、運転席の方から「え? 本当?」と驚いた声が返ってきた。


「料亭の方じゃ無く、隣のお菓子とお抹茶を頂けるお店の方」

 彼の方を振り返ってそう説明した。すると彼は「そうか」と少しホッとした顔をした。

 自分の案内したお店の味を、すでに知られているのは嫌なのだろうと、彼の顔を見て思った。


 彼が車から降りたので、私も降りて彼の後をついて行く。料亭の入り口を入ると女将が笑顔で迎えてくれた。彼が「杉本です」と言うと、「いつもありがとうございます」と女将が答えた。

 いつも? 彼は常連なのだろうか?


「接待で二、三度来た事があるんだけど、さすが女将だね。俺の顔覚えていたんだ」

 耳元で彼が囁くように言った。

 ひっ、近過ぎる。彼の息が耳に掛かって、飛び退きそうになった。でも実際はそんな機敏な動きも出来ず、ただただフリーズするのみ。

 彼が靴を脱いで上がって行くのを見つめていると、振り返った祐樹さんが「夏樹」と呼んだ。

 ハッと我に返り、慌てて彼の後から靴を脱いで上がった。


 お店の方に案内されて奥へと歩いて行く彼の後を歩きだした時、女将の視線と眼が合った。

 その途端、女将は思い出したと言うように、パッと表情が明るくなり「浅沼様の……」と言い出したので慌てて唇に人差し指を当てて、言わないでとアピールした。そして、彼の方へ目を向けると、立ち止って振り返っている無表情の彼の顔が見えた。誤魔化すように笑顔を作ると、彼はすぐ前を向いて歩き出していた。


 気まずい。

 とても気まずい。

 何を見て、何を思ったのか。

 そして、さっきの車の中での不機嫌な彼を思い出して、余計に気が重くなった。


 通された部屋は六畳ほどで、窓から裏に流れる川が見えた。川を見下ろしていると、あの日の浅沼さんとの会話が蘇ってきた。


『覚悟をしなきゃいけないね。その想いを自分自身が受け止める覚悟がね』


 いつまでたっても自分の想いから逃げ腰の私は、今二人きりのこの部屋の中のどんよりとした空気からも、逃げ出したくなっていた。


「もうすぐ料理が来るから、座れば?」

 そう声をかけられて振り向くと、くつろいだ姿勢で座っている彼の表情は無表情のままだ。

 やっぱり怒っている?


 なんの注文もしていないのに、もうすぐ料理が来ると言う事は、予約時にお料理も決めてあったと言う事だ。その時初めて、こんな高級そうな料亭、昼間と言えどきっと高いに違いない。私は財布の中身を思い出していた。こんな料亭のお料理の相場が分からない。

 もし、何万もしたら……。カードは使えるのだろうか? こんなお店で別々にカードを出すと言うのは彼の恥にならないだろうか?

 いつもの支払いは、彼がカードで支払って、私が彼に現金で支払うと言うのが多い。彼は基本カード払いの様だ。まさか、ポイントを集めている訳じゃないだろうけど……。

 私が現金で彼に払うといつも嫌そうな顔をする。約束だからと言うと一応受け取ってはくれるけれど、不本意だと言わんばかりの表情だ。


 そうしている内に襖の向こうから「失礼します」と声がかかり、慌てて座布団の上に正座した。

 目の前に四角いお弁当箱のような箱が置かれ、その横に蓋をしたお椀と同じく蓋をした御飯が入っていると思われる入れ物、そしてお漬物が出された。目の前の彼がお弁当箱の蓋を開けているのが見えたので、私も蓋をとってみた。そこには十字に仕切られたお弁当箱の中に器に入ったお料理がきちんと収まっていた。

 これは、松花堂弁当と言う奴に違いない。

 後から入ってきた仲居さんが今度は茶碗蒸しとお茶を出して、「ごゆっくり」と出ていった。

 私はワクワクして、お弁当箱のお料理を一つ一つ見つめた。お造りと炊き合わせの煮物、揚げ物にお酒のおつまみの様なお料理を何種類も詰め込んだ前菜の様な物。

 お椀は海老しんじょうと松茸のお吸い物、ご飯は松茸ご飯だった。茶碗蒸しにも松茸が使われていて、それだけで贅沢な気分になった。お弁当箱の中にも焼き松茸や松茸の天麩羅が入れられ、これは松茸づくしかと喜んだが、先ほど考えていた支払いの事を思い出した途端、高揚した気分が一気に急降下した。

 急に前からクックックと笑い声が聞こえ顔を上げると、さっきまで不機嫌だった男が可笑しそうに笑っている。


「夏樹、何百面相しているんだよ。お前顔に出過ぎだぞ。今日は俺の奢りだから、しっかり食べろよ」


「えっ、それじゃあ約束が違います。私の分は自分で払います。奢ってもらう理由はありませんから」


「俺がいつものところよりずっと高い事をわかっていて連れて来たんだから、俺が払うよ」


「いいえ、それがグルメの会のお約束のはずです」


「じゃあ今日はグルメの会じゃない事にしよう」


「そんな事、今更勝手に……」

 どうしたの?

 どうして今日はいつもと違うの?


「俺がいいって言っているんだから、いいだろう?」

 半ばやけくその様に言い放った彼は、また不機嫌そうな表情を見せ始めた。


「でも、それじゃあ、グルメの会のルールが……」

 彼は一体、どうしてしまったのだろう?

 いつもお互いの言い分のちょうどいいところで折り合いをつけてくれていた彼の優しさは、今日はどこにも見当たらない。

 まるで、わがままな子供の様だ。


「アイツだったらいいのか?」


「はぁ?」

 思わず変な声で訊き返した。

 アイツって誰?

 何の事言っているの?


「だから、アイツとここへ来たんだろう?」

 えっ?

 浅沼さんと来た事、バレたの?

 確かに来た事あるっていったけど、それはお隣の和菓子とお抹茶のお店の方だ。


「女将、お前の事覚えていたじゃないか。俺には知られたくなかったみたいだけどな」

 ええっ?

 さっきの言わないでとアピールしたのを見られていたんだ。

 でも、それが、アイツって……誰だかわかった訳?

 女将が言った「浅沼様」と言う姓だけで、あの浅沼コーポレーションの社長の事だとは、まさか分からないよね。


「だから、隣のお菓子を頂けるお店の方へ行ったのであって、こちらの料亭は初めてです」


「だったら、なぜ女将に口止めしたんだ?」

 とっさに浅沼さんとの事を知られてはいけないと思った所為で、あんな行動をしてしまったけれど、裏目に出たみたいだ。

 なんて言えばいいのか……。


「別に夏樹が他の男と一緒にここへ来た事があったって、俺は怒りも責めもしないのに、変に隠し事される方が気分悪いよ」

 あ……他の男? 確かに男だが……伯父様であって、別に変な関係でもないし……。今更何を言ったって、言い訳にもならない。浅沼さんの立場を考えると口止めの理由も言えない。


「ごめんなさい。でも、本当に料亭の方は初めてで……」


「いいよ、もう。とにかく今日の支払いは俺が持つから、遠慮しないで食えよ」


「あ、ありがとう」

 彼の呆れたような、愛想尽きたような表情を見ると、もう反抗する気力も湧かなかった。

 でも、アイツって誰だと思ったんだろう?

 誰だか分かって言っているよね?


「あの……さっき言ったアイツって、誰の事ですか?」

 この質問をした途端、彼は顔をしかめた。

 え? これって地雷でした? 墓穴掘りました?


「いいよ、もう。誰とここへ来ようが、俺には関係ない事だから……」

 突き放すように彼は言い、もう何も言うなと言わんばかりに食べる事に集中した。

 私は、この日初めて食べ物の力でも癒せない、心のストレスを感じていた。






2018.1.31推敲、改稿済み。

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