いつものクッキー屋さん
最終都市防衛戦を終えた翌日。
いつもより早く目が覚めた僕は、枕元に置いてあるスマホを手に取り現在の時刻を確認する。
「ふあぁぁ~、えっと……4時27分。なるほど、どおりでまだ外が暗い訳だ」
僕は寝っ転がったまま両腕を伸ばす。ボキボキという何とも心地よい音が両肩から奏でられる。
気絶するように眠りについた事もあり、いつものダルい目覚めではなくシャキッと目覚める事が出来ていた。
「僕って昨日はいつ寝たんだ。それ以前に昨日の防衛戦って何時に終わったのかすら知らないな。つうか、昨日の僕は充電もせずにそのまま寝たようだし……」
僕は昨日の自分に多少ガッカリしながらもベッドから飛び起きると、床に放置されていたVRデバイスを拾い上げた。
「さて、充電……充電っと」
机上にある充電スタンドにVRデバイスをセットし、暗がりの部屋に明かりをつけ部屋を出た。
昨日は何も食べずにそのまま寝た事もあってか、部屋からリビングに向かっている最中に数回、食べ物を胃に入れろとお腹が鳴った。
朝食の献立はご飯とハムエッグ、あとはインスタントの味噌汁。
それをサッと食べ終えた僕はいつもの流れで朝の支度を済ませると、冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し部屋に戻った。
VRデバイスはまだ充電中のようで、まだランプは赤く発光している。
「もうちょい時間がかかりそうだな~、さてどうしたものか」
VRデバイスの充電が完了するまでの時間をどう潰そうかと悩んでいた時、やっと5時に差し掛かろうとしている超早い時間帯にも関わらず、スマホから着信音が鳴り響いた。
ピロロロン、ピロロロン、ピロロロン、ピロロロン、ピロロロン。
「こんな朝っぱらから電話がかかってくるとか……また山河のやつか?」
時刻を見た後、そのまま枕元に置いてあったスマホを拾い電話をかけてきた相手を確認すると、そこには『父さん』と表示されていた。
僕は早速スマホの画面に指を当て電話に出た。
「はい、もしもし?」
「拓斗、おはよう。こんな朝早くにすまんな、起こしてしまったか?」
「いや、今日はパッと目が覚めてさ。4時半頃にはもう起きてたよ」
「徹夜とかじゃなくてか?」
「あれからは一切していないよ。それで何の用?」
「拓斗、お前は僕に本当によく似ているな。そのすぐ用件を聞くとことか。あ~、えっとな。兄さんから連絡があってな。拓斗、伊鶴の事は覚えているか?」
「いづねぇ?もちろん覚えてるよ。それがどうしたんだよ?」
「その呼び方なんか懐かしいな。それでだな、その伊鶴が近々帰って来るらしいから、その連絡だ」
「久々にいづねぇに会えるのは嬉しいけど、その連絡こんな朝っぱらにする必要ある?別にメッセージで教えてくれても良かったんだけど……」
「あっ、それもそうだな。これメッセージで良かったな。拓斗が伊鶴に懐いてから、これは早くお前に教えてやらねばって、ロクに考えもせず先に身体が動いてしまったようだ」
電話越しには父さんの声以外に「そろそろ代わってください、文彌さん」と母さんの声が混ざっていた。
母さんと少し話してすぐに電話を切ろうと思っていたが、久々に両親の声を聞いた事もあってか、思っていた以上に会話が弾んだ。
「分かったよ。母さん、それじゃまたね」
電話を切った頃にはすっかり夜が明けていた。
スマホの画面に目をやると時刻は7時を過ぎていた。
「ふむ、大体2時間ってとこか。どうりでランプが緑色になってる訳だ」
VRデバイスのランプは充電中を示す赤色から充電完了を示す緑色に変化していた。
僕は充電スタンドからVRデバイスを取り外しベッドに向かった。VRデバイスを頭に装着し、アーティファクト・オンラインを起動した。
いつもなら何の躊躇もなく『ログイン』と言って、すぐにあの街に、あの噴水広場に行くのだが今日は昨日の出来事が頭を過り、その言葉を口に出すのに暫し時間が必要だった。
「もう大丈夫、大丈夫、大丈夫……ログイン」
街の様子は昨日の防衛戦など最初からなかったかのように平和そのもので、眼前には僕が毎日見てきた光景が広がっていた。
傍から見れば怪しさ満点だと思うが、この時の僕はにやけながら独り言を呟いていた。
「良かった……いつもの街だ」
昨日はちゃんと噴水広場が復元されているのを確認する余裕は1ミリもなかった。だけど、今日は爆睡した事、両親の声を聞いた事で街を観察出来る程度にはメンタルが回復していた。
「とは言っても、ログインするのに一呼吸いれたけど……」
誰に言う訳でもなく僕はただひとり苦笑していると、そんな僕を呼ぶ声が聞こえた。
「お兄ちゃ~ん!おはよう!今日は早起きだねぇ!!」
その声の主は僕が毎日購入しているクッキー屋の看板娘である少女。
僕はその声に誘われるように馴染みの露店に足を運ぶ。
「おはよう、今日はちょっと早く目が覚めちゃってさ」
「昨日はお寝坊さんだったのに今日はすっごい早かったからビックリしたよ!ねぇ、お姉ちゃん!!」
そう言うと少女は店頭にクッキーが入った袋を並べている姉に向かって笑顔を見せる。
最初の数秒はこの変化に僕は気づけなかった、それがあまりにも自然だったから。
この少女は『お母さん』ではなく『お姉ちゃん』と言っている。ここのクッキー屋は少女とその母親のふたりだけ、他に家族はいなかったはず。
「ねぇ、お兄ちゃん!お姉ちゃんの新作ラズベリー味はどうだった?」
「まだ食べてないんだ。み、みんなと一緒に食べようと思って……」
僕は言葉に詰まりながらも少女にそう返しつつ、少女が姉と呼んでいる人に視線を移す。
目に映ったものは見ず知らずの人、会話どころか一度も会った事すらないNPCだった。
僕の視線に気が付いた姉はニコッと微笑み、僕がいつも注文しているクッキーを袋に詰め始めた。
「まだ頼んでもいないのに……どうして?」
「だっても何も、いつもお兄さんこれしか頼まないじゃないですか?おかしな、お兄さん。うふふ」
少女は姉に追随するように「変なお兄ちゃん」と僕の顔を見てケラケラと楽しそうに笑っている。
僕はずっと考えないようにしていた事がある。それはあれほど激しい戦いをしたのに犠牲者がひとりも出なかったのか。
分かっていた、知っていた……そんな事ありえない。このゲームでは死んだNPCは僕達と違って復活する事はない。だからこそ、サンは全力でママを救出しに行った。だけど、もしあの時ママを助ける事が出来なかった場合、どうなっていたか。
その答えは目の前にあった、薄々感づいてはいた。減ってしまったなら足せばいい、死んだNPCの代わりに別NPCを新たに配置すればいい。
そして僕は認識した。
僕はこの子の母親を助ける事が出来なかったのだと……。
回復したメンタルはこの事実を受け入れるために全て消え失せ、糸の切れた操り人形のようにその場で崩れ落ちる。
そんな僕を心配し駆け寄る少女に僕は「ごめん、ごめん……」と何度も謝り続けていた。
少女は謝り続ける僕を小さな身体で優しく抱きしめ慰める。
「どうしたのお兄ちゃん、大丈夫?えっとね、何の事かあたしには分からないけど、お兄ちゃんはあたしとお姉ちゃん、それにこの街も守ってくれたよ。だからね、謝らないでお兄ちゃん。いつも守ってくれてありがとう」




