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焔‐ほむら‐  作者: 七北田かむり
3/3

焔‐ほむら‐3

二十四、伊達軍、占領す


とうとう和泉田村は完全に伊達軍の占領下となってしまった――。


黒川城(會津若松城)――

(いくさ)(だい)(しょう)原田宗時は一旦、黒川へ戻るとすぐに政宗の元に呼ばれた。

政宗は宗時を大いに(ねぎら)った。早速、宗時は河原崎城での一戦で出会った義兵衛らの事を報告した。

「……ほう、して如何に」

「その体躯も然る事ながら、大釜を積んだ大八車を片腕で放り投げるような怪力の持ち主でして。まるで物の怪の類さながらにて――」

「ふん、それは中々面白いものよのう」

「さらにはまた、その者が振るうは異様に巨大な斧でありまして」

「佐馬介(宗時)、お前その男に僅かでも畏怖の念を抱いたと申すか?」

「いえ、滅相もござりませぬ。あのような賊などに恐怖など微塵も。お望みであられるならば、その男の首、すぐにでも殿の御前に持って参りましょう」

「ほう、賊の首など大して欲しくもないが……まあよい、ならばそうして参れ」

 政宗は時折目を横に流す以外全く表情を変えない。

 右目に漆黒の「昇竜」の刺繍が施されている(こん)(じき)の眼帯を掛けているが、むしろ両目を隠してもよいほどに眼光が鋭かった。

 絶世の美男子――、(たと)えるに余りあるほどの美貌。髪を後ろに縛り、五尺にも満たない小柄な身体で肌は(おな)()のように白い。

 鼻筋が通り、顔は(ほそ)(おもて)、目は大きく切れ長の二重である。しかし、無表情な顔つきはどこか狡猾で、その冷酷さを窺わせた。

「佐馬介……その賊とやら、くれぐれも用心することだな」

 政宗がなぜそのような事を言うのか宗時には理解できなかった。


 和泉田村、河原崎城城内――

 城将が取って代わり、伊達軍副将片倉小十郎景綱となった。

「ふん、いかにも片田舎の城よのう。まるで何もない、全く貧疎なものだ。これでは退屈極まりない」

「景綱様、何か酒でもお持ちいたしましょうか?」

 近臣が気を利かせる素振りをみせるが、気難しい景綱の心はどうにも動かない。

「ん? 酒でも飲めば代わり映えせぬこの田舎風情が変わるとでも言うのか? つまらんのう」

 和泉田村は人っ子一人いない。焼き討ちと虐殺行為によって廃墟と化していた。景綱は長沼盛秀を傍らに置き、本丸伊南久川城を攻め落とす策を講じていた。


 ()(じま)(ごう)(あら)(かい)村(田島地区荒海)――

 立岩を攻めるべく編制された長沼の一派は、伊達軍本隊から分かれた長沼先遣隊(梁取奇襲部隊)の他に盛秀が独自に命令を下した特殊部隊であった。

 隊を率いるは()()()主水(もんど)

 長沼軍に於いて「(しぎ)(やま)()(もう)」と(あだ)()されるその片割れで、中々の弓の名手だったと云われている。

 二猛とは二羽の猛禽の(たと)えで、阿久津はその眼光の鋭さからしばしば「小鷹(はやぶさ)」と呼ばれていた。

 その呼び名のとおり比較的小柄で細身だったが、身のこなしがとても俊敏な男だった。

「阿久津殿、河原田はすでに我々に気づいておるでしょうか?」

 馬上から側近の男が話しかけた。

「まあ、河原田の阿呆に気づかれる前に焼討ちでもすればよいだけの事であろう?」

 阿久津は口元をにやりとさせた。

「確かに、仰るとおりで」

(そういえば、先般の伝令ではすでに盛秀様が(おに)(まる)(舘岩地区鬼丸山)に住むという()(ばしり)()(ぬま)(なに)(がし)とかいう男を通じ……)

「よし、急ぎ峠を越えるぞ。先頭に伝えろ!」

「はは、直ちに!」

 側近の男が隊列の先頭に回り込み、雑兵の足を速めるよう促した。

 実は、この一派は隠密を得意としたいわゆる(しのび)(細作)の集団で領内の()(ばしり)らも従えていた。

 間者(諜報員)を巧みに使い、情報収集やその操作、さらに裏工作を行っていたことは必然である。

 また、その作戦参謀には阿久津主水を筆頭に()(そう)丹後守、(しょう)(じゃ)丹波守、()()()土佐守、()()()周防守、(もり)()備中守ら各砦の城将がいた。

 ところで、立岩三十三郷は長沼・伊南どちらにも属せず、独自の自治権を有している。この地を取り仕切る城将たちは総会を開き、合議で軍略を決定しては執行に移すという特異な性質の軍政組織であった。

(……一体何者だ? 我々すら知らぬ鬼丸の地走。下立岩といえば表向きどちらにも属してはいないが、内心は恐らく河原田に……。しかも、()の男が下立岩の連中を巧くこちら側へ引き入れる、などと)

 阿久津は目を細めた――、それは河原田にも十分に通じている者でなければならないからだった。


 伊南郷(はじ)(かぜ)、河原田軍陣小屋――

 夜、鈴虫が鳴いている。

 芳賀内膳が戸を開けると、近くを流れる沢で蛍が淡い光を放ち、数匹揺ら揺らと飛んでいた。

 ゆったりとした明滅を眺めながら言う。

「なあ、九郎、お主は立岩の連中どう思う?」

「……どう? どうと申されるのは」

 内膳の問いに森九郎左衛門は言葉を濁した。

「盛秀の軍兵共は梁取を急襲し、伊達の軍勢は和泉田を難なく落とした。それだけの勢力をもってすれば、すぐにでも中山峠を下り、この――」

「芳賀殿、お言葉を返すようですが……某はその問いに答えねばならぬのですか?」

 内膳を横目でちらりと見ながら俯きかげんに答えた。

「答えたくなくば答えぬともよい。ただ、それにしては妙に静かだ」

「……長沼の動きが、ですか?」

「ん? どちらもだ。ただ、臭うのう、どうも気になる」

 九郎左衛門はあまり口数が多い方ではない。巳代治と同じく、出は伊南郷青柳村であった。


 少年期、大熊を素手で生け捕りにしたことで「熊捕り」の異名をもつ剛者だったと云う。

 ただ、九郎左衛門には謎が多く、ときに森九郎ではなく(くま)(さか)(なに)(がし)などとも名乗っていたようだ。


 一説によれば、これもいわゆる(しのび)の類だったと伝えられ、また人を誑かす妙術も心得ていた、とも云われている( [五十嵐惟房, 伊南合戦記, 文禄一])。


「探りを入れても、どうにも立岩衆の動きが読めんのでな。この耻風は()々(だ)(いし)(峠)と併せ謂わば河原田への裏門、最後の砦。九郎、済まんがもう一度()()ってはくれんか?」

「……」

 九郎左衛門は小さく頷いた。


 立岩郷、(しも)(たて)(いわ)某所(舘岩・伊南両地区辺境)――

 一人の男が街道沿いの高札場に何やら高札を掲げていた。その風体には二、三、不自然な点が見受けられた。

 小汚い手拭いをほっ被りしているため一見ただの百姓にも見えるが、首には大玉の数珠と梵天を提げ、手には八角棒、そして一本歯の下駄を履いている。

 背丈はさほど高いわけではなく、歳は比較的若く見えた。その顔は浅黒く、非常に高い鷲鼻である。見ようによっては(カラス)天狗にも似ている。

「ささ、皆々様方、どうぞどうぞ。ほら、もっともっと寄って、もっと近くで――」

 慣れた口調で郷民を誘い込んでいる。

 その一風変わった()で立ちもあって、辺りには夕方にもかかわらず人だかりが出来ていた。集まった民衆がなんやかんやとざわめいている。

「しなた(あなた)、それ何だや?」

 中年の女がその男に話しかけた。

「はて、しなた(・・・)? まあ、よい。おお、よくぞ聞いてくれた。これは小生が見聞きしてきた……おおっと、その前に」

「おい、その前にはいいが、見たことねえ(つら)してんなあ。にっしゃあ(おまえ)、どっから来た?」

 人だかりの一番後ろから乱暴に言い放つ一人の初老。

「おう、そうだったそうだった。まずは名乗らねばな、すまんすまん。小生は何を隠そう関白殿下様の使いの者にそのまた使える者。生まれは、ほれ、すぐそこの鬼丸山だ」

 どうどうとはしているが、その風体がどうにも怪しい。

「はあん? 関白、様の?」

「使いの使い?」

「にしゃ(おまえ)、そうだわけあんめや(そんなわけないだろう)!」

「にっしゃ(おまえ)、鬼丸の誰の息子だ? 親、(だん)じゃ? なんちゅう名前だ?」

 郷民たちの質問攻めにあっている。そこへ、森戸の役人が三名馬に(またが)り通りかかった。

「どーう、どう! んん、何事だ⁉ この集まりは何だ!」

「ここで何をしておる。おい、そこのお前!」

「へ、へい……。あっし(・・・)の事でありますか?」

「そうじゃ、他におらんじゃろう。それに何を高札などを掲げておる」

 緊迫した空気に包まれ、郷民たちはそぞろに帰っていく。

「やや、小生は関白殿下の使いの者でして、名を……」

「関白? お主、名を何と申す。早う言わんか!」

 役人の一人が馬から降り、(つか)(刀の握り)にそっと手を掛けたそのとき男は言った。

「あ、たあ、ちょっと! ちょ、ちょっと……お待ち下され」

 男は一回大きな咳払いをするとこう言った。

「某の名は、()()()(げん)(ない)()()(もん)

 すると、一瞬役人の顔色が変わった。

「田野瀬……源内?」

「左様、上様より御触れを持って参ったのだ。この土地柄、某は地理に明るい上、このような辺鄙な地、中々上様のご意向なぞ庶民には伝わり難し。それ故、某自身が諸国漫遊の旅芸人に扮し(わざ)々(わざ)この立岩郷に入り、その後高札を掲げ、上様のご意向を伝えるべく参った次第。なれば、とくとご(ろう)じよ!」

 その札には御触書のような書状が貼り付けてある。源内は掲げ損ねた高札を右手でがっしりと持ち、その文を指差した。

 役人が覗き込むようにしてそれぞれ読み始めた。

「……おお、な、何と⁉」

「こ、これは、これは確かに関白殿下様の花押」

(いや、しかし……それにしても身形(みなり)が怪しいのでは?)

 その内容は次のようなものだった。


――奥州大王伊達に抗うこと法度の極み。今、伊達の力を欲し、また臣民の心を欲す。全ては我が民ゆえ、この命に背く事、(なん)(ぴと)(いえど)も許されまじ――


「こ、こ、これは、とんだご無礼を」

「……どうかお許し下され!」

 役人はただひたすら平謝りしている。

「まあまあ、よい。此度は隠密故、敢えてこのような()で立ちをしておるのだ」

「ここでのご無礼、誠に申し訳ございませぬ」

 一人の役人が謝り続けているのを尻目に、もう一方の役人が源内に問う。

「――ときに田野瀬様、一つ……お聞きしたいことが」

「ん? このわしに何を問う」

 一瞬、源内の眼つきが変わったように見えた。

「い、いえいえ、その……滅相もございませぬ。田野瀬様にご質問などと、そ、そのような……」

「ふん! 構わん、申してみよ」

「その、何と申し上げればよいのか。その、この……高札というのは、つまり我々下立岩の領地領民は……」

「何ともまどろっこしい言い方をする奴だな、つまり何だ!」

 二人の役人は完全に凍りついた。生唾を飲み込む音まで聞こえそうだ。

「申せ、早う! わしは気が短い‼」

「あ、はい、も、申し上げます! 我々は伊達に付けと、つまりそういった内容の事で?」

「解っておるではないか、そういう事だ。わしが(じか)に持っていこうと思っていたのだが、これは手間が省けた。砦に戻ったらうぬらの将にこれを渡せ。よいか、太閤様から密使が来たと、そのように伝えるのだ!」

 そう言うと、源内は二人に書状らしきものを手渡した。

(くっくっくっ! この田舎侍めが! さては、うぬら何も知らんのだな。「惣無事令」を布く(えてこう)(ひで)(きち)が好き勝手に暴れる伊達側に付き従え、などと言う筈もなかろうに……。それにしても、いやあ、危なかった。だが、かえってあの役人どもが来たお蔭で巧くいったというものだ。しかし、思惑通りいったもんだ。まあ、やはり()(ぬる)い連中だったな)

 馬を駆り立ち去る役人を蔑むような目で見る源内。視界から消えたことを確認するとすぐさまほっ被りを脱ぎ捨て、街道沿いの大きな岩陰に隠すように繋ぎ止めておいた鹿毛色の馬に跨ると急いで急斜面を駆け上がっていった。

 源内が向かっていった先は久川城だった。途中、山のあちこちで身に着けているものを投げ捨てていく。

 馬の胴に結わえ付けておいた着物を羽織ると何食わぬ顔で青柳に入っていった。

「くくくく、かっかっかっかっか!」

(阿呆共が……。皆、うつけよ! まさか、この俺が長沼と通じていようとも知らず。一体誰がこの俺を疑おうか。いや、疑う筈もない……)

 言うまでもなく、源内と名乗るこの男の正体は重次郎だ。当然、出が鬼丸の筈はなく、かといって布沢でもない。

 伊達軍が會津に侵攻する以前まで、河原田と長沼は互いを侵攻しない旨の書面を取り交わしている。

 ところが、それを本来長沼側が本意とする筈もなく、河原田の内部を探る手立てが必要だった。そのため、間諜として重次郎を送り込んだのだ。

 河原田軍に入った当初から飄々とし、またどこか太々しい態度だった重次郎。

 その惚けた風貌といかにも出世欲のなさそうな雰囲気で皆に安心感を与えていた。しかし、それは全てこの男の仮面に過ぎなかったわけだ。

 こうなると「重次郎」という名も疑わしい。さればとて、実はこの間者は長沼の手先でもない。

 いずれ會津全域をもその手中に収めようとしていた政宗は、古くから交流があった長沼盛秀に『(くろ)(はば)()(ぐみ)』の一人を差し向けていた。

 勿論、これは当初から長沼だけでなく河原田も探る狙いがあったからだ。


 ()(じま)(ごう)(たき)(はら)――

 宿営していた阿久津率いる長沼地走軍団の元に一人の伝令が来た。

「阿久津殿、只今盛秀様から命を受け――」

 阿久津は煙管(きせる)を吹かし、ゆっくりと煙を吐き出した。

「そうか、それで何だ?」

「は、どうやら下立岩の者共を巧く」

「……そうか。その、鬼丸の(なに)(がし)とかいう地走が」

「はい、そのようで。さらには、どうやら敵勢の多くを立岩へ誘き寄せる手立てを整える、とのことで」

 しかし、阿久津の顔を見る限り真に受けていないようだ。

「何か気掛かりでも?」

「いや、ただその地走、(ほん)に信用できる者なのか、とな」

「ええ、それはそうですが……。あ、ところで実はもう一つございまして。敵をこちらへ引き入れている間に、(しら)(さわ)から(みや)(ざわ)(伊南地区白沢、同宮沢)辺りに全て火を放て、とのご命令で」

「なるほど、そういうことか。だが、もしその地走が万一我々を(たばか)るようなことがあれば……」

 灰を払うと、阿久津は鋭い眼を見開き側近を呼んだ。

「いいだろう、兵を動かすぞ! 立岩の城将らにも、急ぎこの事を伝えよ」


 久川城二の丸、盛勝の屋敷「()(こく)の間」――

 大手門が開くと重次郎はすぐさま巳代治の元に向かった。そのとき巳代治は盛勝と共に足軽軍団の運用や兵法について話していた。

「おお、参ったか。次期足軽軍団の……」

「ああ、どうも、盛勝様。いっつもこの巳代のバカが」

 巳代治は頭を抱えている。

「はあ、全く……(しげ)、お前なあ、言葉に気をつけろ。分かるだろう? このお方は河原田軍きっての豪将、鐘馗様って――」

「無論存じております、(ひま)(たい)(がしら)殿」

「盛勝様、この男、今この場で斬り捨ててもよろしいですか?」

「止めろ巳代、冗談だ、冗談。さすがの盛勝様だってそれぐらいはご承知の筈!」

 盛勝は大口を開けて豪快に笑い出した。

「がっはっはっは! 可笑しな奴じゃのう。ところで重次郎よ、お主早(はや)(うま)など駆り立て、今の今までどこへ行っておった?」

 重次郎は盛勝のこの問いに顔色一つ変えず即答した。

「はい、実は敵の動きをと。長沼の連中が今、中山峠を越え立岩に近づいております」

「何だって? (しげ)、それって本当か?」

「俺がいつだってお前に嘘など――」

「毎度だろ! あ、盛勝様、こうなると……」

「ううむ、そうか、やはりそこを衝いてくるか。耻風の砦にも、小立岩の長戸(織部守)にも伝えねばな。巳代治、御館様に伝えて来い!」

「はい、承知しました!」

 巳代治は急いで盛次の元に走った。

(……誰も俺を信じて疑わない。全く単純な奴らだ。ふん、巧くいったわ)

 しかしながら、重次郎の僅かな表情の緩みを見逃さず、遠くからじっと見つめている者がいた――、それは森九郎左衛門だった。

 障子が開けっ放しになっていて、外には太い松の木が生えている。その高枝の中に身を潜め、重次郎を窺っていたのだ。

 芳賀内膳に言い付けられた本来の任務は中山峠付近の長沼の動きだったのだが、九郎は内心こう考えていた。

(いや、これは違う。俺が思うに恐らく長沼に内通している者がいる筈だ。いや、ともすればこれは初めから伊達の手先がこの河原田の中に潜んで……。だとすれば、もしや俺と同じ類か? すると、全ては筒抜けだったという事か……)

 九郎はぐっと下唇を噛み締めた。

 一方、巳代治が去ったことを確認した重次郎は盛勝に何やら耳打ちをしていた。

「盛勝様、実はもう一つご報告が」

「ん? 何じゃ、言うてみい」

 重次郎は目を左右に動かし、まるで辺りを警戒するかのようにしている。

「下立岩の連中が我が河原田を裏切り、ましてや長沼に翻り、何でも村に火を放つ企てを――」

「なあにい! おい、重次郎よ、それは欺瞞ではないのか? (まこと)なのか?」

「はい、この目この耳にて、確かに」

「何と、河原田の恩を忘れ、よりにもよって長沼に組するとは。立岩の者共め、()(しゃく)な真似を。この河原田を(たばか)るつもりか!」

 盛勝の顔が見る見るうちに真っ赤になっていく。まさに憤慨極まりないといった様子だ。それを見た重次郎が恐れ(おのの)いた。

「あ、や、あの……どうか、盛勝様。まま、ここはどうか落ち着いて」

「ええい、(やかま)しい! そこをどけ! おい、おーーい、誰か居らぬかあ‼」

(ま、まずいな。これは、さぞ、鐘馗様ご乱心のご様子か? 冗談じゃねえ、ここで斬り殺されたら(たま)ったもんじゃねえぞ!)

 盛勝は家臣を呼びつけた。

「よいか、すぐに御館様に伝えよ! 下立岩の者共が長沼に寝返った。さらに、この河原田の領地を火計で攻め落とす(はら)じゃ! 時は一刻を争う、早う、今すぐにじゃ!」

「あ、あ、はい! た、只今!」

 盛勝の激昂した姿に家臣たちはただただ怯えている。襖を勢いよく閉めると、ドスドス足音を立てて大広間を出ていった。

「ふう、危ねえ危ねえ。全く、あんなのとまともに相手する奴の気が知れねえな」

 重次郎は慌てて額の汗を拭った。その遣り取りの一部始終を見ていた九郎はすぐに馬場安房守の元に向かった。

 そもそも、(はじ)(かぜ)に陣小屋が設置されたのは他でもない馬場平左衛門の進言によるものだった。


 伊南郷古(ふる)(まち)(おお)銀杏(いちょう)の傍、馬場平左衛門の屋敷、通称「馬場屋敷」――

「……平左衛門様」

 白髪交じりの初老、安房守はあまり多くを語らないが河原田譜代の宿老として盛次を陰で支える重鎮である。

 この初老は百姓出の巳代治をよく可愛がり、何かと口添えしてくれるいい(おや)()でもあった。

「はて……その声は、九郎じゃな。相変わらず、殺気を消し去るのが上手いのう。その(じゅつ)を、このわしも心得たいものじゃ」

「……一つ、気掛かりな事が」

 声はするのだが一向に姿を見せない九郎。

「心配するな、誰も居らん。盛次様とわしにはせめて姿を見せい」

 すると屋根裾を掴み、グルンと一回転して平左衛門の目の前に降り立った。

「何か、あったのじゃな?」

 九郎は黙って頷いた。

 立膝をつき、決して(おもて)を上げない。一見すると山賊に見紛うほど、その()で立ちは蛮族風であった。

「芳賀殿より、長沼の動きを探れと仰せ付けられていたのですが」

「……うむ」

「前々から、少しばかり気になることがあり……じっとこの機会を窺っておりましたところ、いよいよその正体を現し――」

「正体、とな? それはまた、(やぶさ)かではないな」

 平左衛門は目を細めながら九郎の話に聞き入っている。

「この河原田に、どうやら長沼の小蠅が一匹混じり込んでいるようで。名を重次郎、何でも足軽軍団の組頭心得の一人だとか」

「ほう……そうか、巳代治の。正しくはまだ組頭心得ではないが、近くそうなる筈の男じゃ」

「それが、とんだ食わせ者で。どうやら()の男、間者とみます。どうもその者、名を偽り、下立岩の郷民を言葉巧みに誑かし、さらには太閤様の使いであると。ときに平左衛門様、地走なる者をご存知でしょうか?」

「うむ、知っておる。地走、とは山野の知識に長け、獣を狩って生活し、平静は猟師なのじゃが、確かにその実、(しのび)の類でもあるのじゃ。しかし、お前らのような純然たる(しのび)連中とは一線を画す。要は(ほう)(ろく)(だま)じゃ、火を点けて敵陣に投げつけ、爆発させて軍兵共を大量に死に至らしめる()(とん)術を使い、さらには(いしゆみ)(やじり)にも火薬を用いる、などという荒唐無稽且つ野蛮な戦法を得意とする外道な連中じゃ。無論、鉄砲の知識や扱いにも精通しておる。一説には()()の妖術、なるものも自在に操り民衆を誑かす、とも云われておるが」

()()(あやかし)……? その地走なる者共は、(すなわ)ち火計に秀でた集団であると申されますか?」

「まあ、そのようなものじゃ。それは兎も角、すぐさま盛次様にお伝えせねばのう。九郎、済まぬがお前、もう少しばかり重次郎の身辺を」

「は、そのつもりで」

「内膳の元には早馬を走らせるよう盛次様に伝えておこう。(もっと)も、お前の方が早いかも知れんがの。では、よろしく頼んだぞ」

 九郎は軽く頷くと、一瞬の内に平左衛門の前から消え去った。


 久川城、二の丸――

 巳代治が盛次の元へ向かう途中、偶然源助に出くわした。

「おい巳代治、巳代治ではないか。何かあったのか?」

 息を切らし、必死の(おも)()ちで走る巳代治を見て、ただならぬものを感じた源助。

巳代治の足が止まる。

「今、盛次様に急ぎお伝えしなければならない事が――」

「何事だ、その顔を見る限り尋常ではないな?」

「はい、実は――」

 巳代治は源助に事の全容を話した。

「なに? よし、ならば某も行こう」

 二人が行きかけたその時、目の前から盛勝の側近と思える男が近づいてきた。

「あっ⁉ これは源助様、巳代治と共にどこへ行かれるので」

「いや、少しばかり野暮用でな。お前、大膳軍の(たちばな)(てる)()……」

「はい、たった今、盛勝様から命を受け急ぎ盛次様の元へご報告を、と」

 巳代治といい、盛勝の側近といい、偶然にも盛次に急用があるという。

 三人は顔を揃えて頷いた。

(てる)()()()()、とにかく急ぐぞ!」


 夕刻、久川城「本丸御殿」――

「盛次様、源助にございます」

 襖の奥から盛次の声が聞こえた。

「ここに、大膳軍は橘と巳代治を連れております」

「……いいだろう、入れ」

 襖を開けると、そこにはゆったりと扇子で扇ぐ盛次の姿があった。その扇子を畳みながら三人に訊いた。

「どうした? 三人雁首を揃え。その様子では、さぞ()々(ゆ)しき事態でもあったとみえるが」

「は、まずは昭佐から申し上げます」

「大膳軍参謀、橘昭佐と申します。殿、盛勝様から急ぎ伝えよとのことで、どうかご無礼をお許し下さい」

「構わぬ、申せ」

「は、何でも、長沼の一派が中山峠を越え立岩に近づいていると」

「……ほう、そうか立岩に。して、巳代治は何じゃ?」

 相変わらず表情を変えない盛次。

「あ、は、はい……ご報告致します。尚且つ、下立岩の郷民が我々を(たばかり)り、(しら)(さわ)以南の村々に火を放つ企て、との情報が入りまして」

 胡坐(あぐら)をかき、右手で顎を覆うようにしていた盛次だが途端に目を細め、その右手を膝に置き換えるとぐんと身を乗り出した。

そして、予想だにしない一言を放った。

「ところで、その情報の()(どころ)は二つとも同じ者ではなかったか?」

 三人は一瞬目を泳がせた。何せこの言い振りからすると、まるで盛次は初めからそれを知っているかのようだ。

 思わせぶりな盛次に(たま)らず源助が口を開いた。

「盛次様、もしや何かご存知なので?」

「……いや、そうではないのだが、たった今、一足先に某に一報があってな。内情を探り、何やら嗅ぎまわる輩が、我が軍に混じっておると。どうやらこちらの動きが筒抜けのようなのだ」

「ま、まさか⁉ そのような事が‼」

 源助らは俄かに信じられない様子だ。

「盛次様、だとするとその者とは一体――」

「案ずるな、見張りは付けてある。ただ、長沼が先か、こちらが先か」

 外はすでに夜になっていた。その時だった、盛次の家臣が大急ぎで駆けてきた。

「何事だ! 殿の御前であるぞ!」

 源助がその家臣を怒鳴りつけた。その者は激しく息を切らしている。

「はあ、はあ、うぐ……。た、大変です! 南口天守櫓から、白沢が、白沢が真っ赤に‼」

「な、なにい⁉ 長沼か‼ 殿、奴等は村に火を、某が行きます!」

「うむ、兵を纏めよ。昭佐、至急盛勝を! 巳代治は源助に続き、足軽隊を率いよ‼」

「承知しました!」


 伊南郷(はじ)(かぜ)、河原田軍陣小屋――

 辺りはもう暗闇になっていた。

 白沢付近で焼き討ちらしき煙がもうもうと立ち上り、空が真っ赤になっているとの情報を耳にした芳賀内膳。

 急いで兵に支度をさせ、今砦から出ようとしたその時に平左衛門から遣わされたと思われる二騎の早馬が到着した。

「芳賀殿! 芳賀殿‼ 安房(平左衛門)様から(ことづけ)をお預かりし、只今こちらへ!」

「今しがた、狼煙台から急報が入ってな。白沢辺りで炎々と炎が上がっておると」

「はい、して、それだけではござりませぬ」

「何だ? 一体何が起こっている」

 もう一人の伝令が答える。

「そ、それが……我が軍の中に長沼に内通する裏切り者が潜んでおったとの情報が入り、そのために我々が――」

「何だと⁉ その者の名は?」

「は、名は(しげ)()(ろう)と」

 内膳は暫く考えていたが「はっ!」と気づいたようにこう言った。

「……思い出したぞ! 確か、一昨年の春にこの河原田に入ってきた。足軽頭の巳代治といつも一緒にいるあの惚けた若造……。これといって、然したる取り柄もなさそうな男だったが」

「……それが、どうもこの情報は森(九郎左衛門)殿からのもので。立岩辺りで何やら怪しく動き回る山伏か、はたまた傀儡(くぐつ)(まわし)と思えんばかりの珍妙な格好をしたその男の後をずっとつけて来た、と」

「うむ、それで」

「その男の着いた先が――」

「つまり久川城だった、という訳か」

(ならばこの焼き討ちは、これも奴が仕掛けた……。いや、それともこれは我々を誘き出す罠か?)

「芳賀殿、森殿はもう暫く重次郎の身辺を、と。我々も芳賀殿にお供するよう安房(平左衛門)様より仰せつかっております故」

「ん……よし、ならばお前らも来い。支度を急げ!」


 伊南郷、白沢村付近――

 重次郎の謀略によって煽動された立岩郷の各城将始め、その郷民たちが次々と暴徒化し、家々に無情の火が放たれていく。

「ゆけえい! 残らず火を放つのだ‼」

「よいか、我らは太閤殿下の命を受け、伊南の者共に火の裁きを与える! (ひとえ)に、これは殿下直属の軍と言っても過言ではない‼」

「情け容赦なく焼き払え! 伊達に牙を向くは太閤様に牙を向くと同じ‼」

 上立岩の軍は大量の火矢を用意していた。それは先般、阿久津から支給されていたものだった。

(かみ)(しも)両立岩は混成軍となり、軍を指揮するは上立岩の城将だった。

 農民にも刀を与え、弓を引かせ、皆物珍しげに手に取ると白沢の領民を次々と殺していった。

 太閤秀吉の名を笠に好き勝手に振舞う立岩の郷民たち。

「……くそ、少し遅かったか!」

 源助らが白沢に到着したとき、すでに村は燃え尽きていた。

 落胆する源助たちが持つ松明の炎にポツリ、またポツリ、と雨が当たる。

 すぐ後を追ってきた盛勝率いる大膳軍はまだ息のある領民たちの救出を最優先に考え、僅かに焼け残った民家を回りながら声をかけていった。

「くっそお! 立岩の奴らーーー‼」

 巳代治は怒りのあまり我を忘れ感情を(あらわ)にした。身体の内から燃え上がるような強烈な憤りを感じていた。

 手綱を握る手が怒りに振るえている。その感情の赴くまま、兵たちに向かって大声で叫んだ。

「お前ら付いて来い! このまま立岩に向かい、奴等にこの報いを与えるんだ‼」

「巳代治、おい待て! 待たんか、巳代治‼」

 源助の言葉も聞かず、巳代治は軍団を率い馬を走らせて立岩に向かっていった。

その姿を盛勝も見た。

「どこに向かうつもりじゃ! 後ろには長沼勢がどれほど控えて居るかも分からんのだぞーーー‼ 巳代治! うぬらだけでは危険じゃああああ‼」

 源助の言葉も盛勝の言葉も、もう何も聞こえなかった。率いる足軽一番隊は騎馬も含め総勢百余名。

案の定、すでに長沼軍の一派阿久津主水率いる地走衆を始め、二千を越える軍兵が立岩に到着していた。

「ちっ、馬鹿者め‼ 早まりおって! 仕方がないのう。全く、手が焼ける奴じゃ!」

 巳代治を追う事を源助に伝えると、盛勝はすぐさま兵を率い一路南に馬首を(めぐ)らせた。

「そおりゃ! 貴様ら、わしに続けえーーーい‼ よいか、これより我々、持国天軍は足軽一番隊の掩護に向かう! 勇み進めえええい‼」


 立岩郷(しも)(たて)(いわ)、森戸の砦「地下牢」――

 いよいよ、すぐそこまで来ている長沼軍一派、阿久津地走衆。

 立岩の城将らは伊南焼き討ちに反対する郷民たちを縄に掛け、各砦の地下牢にそれぞれ閉じ込めてしまった。

 その中には三池屋で働く家中の者数人と佐源次、そしてアキの姿もあった。

 檜枝岐に向かおうとしていた矢先、阿久津が河原田領地にまで潜入させていた見張り役によってアキたちも捕らえられてしまったらしい。

 岩水が染み出しているのか、手掘りの天井からは水が一滴一滴ゆっくりと滴っている。その水が時折下に垂れては、ピチャンと鳴り、僅かに灯る松明に照らし出された水溜りに波紋を広げる。

 地下のためかとてもひんやりとしていた。

「あたしら一体どうなっちゃうのかねえ……」

 一人の中年女が不安そうに佐源次に訊いた。

「……大丈夫さ、きっと助かるよ」

「ほんとに? ほんとにそうかい?」

 本当は佐源次にもそんな事は分かる筈がない。だが、佐源次には理屈抜きで自信があった。きっと義兵衛が、盛次が、必ず自分たちの救出に来てくれると信じていたからだった。

「お兄ちゃん、私たち……」

 気丈なアキも不安と恐怖で今にも泣きそうな顔をしている。

「大丈夫だって、心配すんな」

「だって……だって、こんなとこ崩れたら……。それに寒いし、このままじゃ飢えで私たち死んじゃうよ」

 徐々に苛立つアキに、よく知る老夫婦が言葉をかけた。

「アキちゃん、源ちゃんが心配するなと言ったじゃろう?」

「そうよ、きっと助かるから、ね? あんまり心配しないの」

「そうだよ、あんた。こんなときだもの、しっかりしなきゃ」

 中年女は優しくアキに言った。ただ、その他の者たちは目を瞑り腕組みをしたまま黙る者、余りの落胆に声も出ずしくしくと泣き続ける者、恐怖に怯えガタガタと震えている者など様々だった。

 アキが死を想像するのは当然だった。

 太く古ぼけた柱が格子状に組まれた牢獄。そして、大きな錠前ががっしりと噛まされている。

 どう()()こうがここから脱出する事は不可能であろう事は明白だ。そこにいる十数人の老若男女は最早、運命共同体なのだ。

 牢獄など皆生まれて初めてなのだ。もし、このまま長時間ここにいるともなれば、中には急死する者や発狂する者、病死、餓死など想像できる事は何れ死に直結するものばかりだ。

「なあ、アキ」

「……ん?」

「とにかく信じよう、仲間を、盛次様を、な? だから心配すんな。絶対に俺たちは助かるさ、な」

 佐源次はアキの目をじっと見つめ、少し笑いながら頷いた。


 伊南郷・立岩郷辺境、街道沿い――

 無我夢中で馬を走らせる巳代治たち。

 盛次が宛がえた護衛の側近二名が両脇を固めている。メラメラと燃え、風に靡く数十の松明が雨に打たれては時折、ジュジュと鳴っている。

 そんなとき、ふと巳代治が気づき側近にこう言った。

「おい、そういえば(しげ)はどうした?」

「いえ、見ておりませんが」

「いつからだ?」

「……確か城を出るときから、であったと」

(なぜ(しげ)がいないんだ? こんな時にあいつ一体何してんだ?)

 その時だった――、山間を抜ける街道の両側に聳える山の斜面から突如轟音が響いた。

 その音に驚いた馬が次々とその足を止めた。

「何だ⁉ 何が起こった」

 バリバリと音を立て、何かを薙ぎ倒しながら転がり落ちてくるのを感じた。

「危ない! みんな下がれえええ!」

 次々と斜面を転がり落ちてくる大岩と大木。

 その下敷きとなり、ギャア! という叫び声と共に馬ごと巳代治の部下たちは押し潰されてしまった。

 一挙に兵の大半を失ってしまった巳代治。松明が地面に叩きつけられ灯りを失った。

「て、敵襲だあああ!」

 一瞬、巳代治は空を見上げた。

 上空の風が速く、頻繁に月が出てはまた隠れていく。大きな雨雲が月を覆うその瞬間、空を飛び交う無数の黒い何かを見た。

「ん? 今のは……蝙蝠(コウモリ)か、(ムササビ)か」

「い、いえ、巳代治殿、これは恐らく」

 それは立岩郷の城将らが率いる民兵混成軍ではなかった。

 その途端、悲鳴と共に後続の騎馬が数頭ドサドサと倒れていった。しかも、その黒い何かは確実に巳代治を狙っていた。

 雨はさらに激しさを増す。

 残った松明がどんどん消されていき、気づけば辺り一面真っ暗闇になっていた。

「これはまずいな……」

(……退()くか、退()かぬべきか)

 その時、月の僅かな光に反射して何かが飛んできた。

「み、巳代治殿、危ない!」

「身を屈めなされーーい‼」

 自らの身体を盾にして巳代治を守る二人の側近。庇って崩れ落ちた側近の背中には無数の()(ナイ)が突き刺さっていた。

「おい! しっかりしろ‼ おい……」

 足軽一番隊は壊滅的な打撃を受けた。

 初めて知った実戦の恐ろしさに巳代治の震えが止まらない。

「番頭、この状況いかがなされるおつもりですか!」

「このままでは、このままでは我らは――」

「お、お願いします、番頭! どうか、撤退のご指示を!」

 これは明らかに(しのび)の戦法である。

 この大雨と闇に紛れるその数を捉える事は不可能だ。巨岩と大木に道を塞がれた挙句、松明の灯りもない。

 絶体絶命の窮地に立たされた巳代治と足軽軍団。

(どうする、どうすればいいんだ。こんな時、盛勝様ならどうする。源助様なら……い、いや、兵庫様なら――)

「ば、番頭、何を迷うておられるのですか!」

 実戦の指揮を、ましてやこの一番隊を統率するには余りにも未熟だと痛感させられた。だが、迷う間もなく敵はすぐそこに存在している。

 目の前の暗闇の中に確かにいるのだ。しかし、選択を迫られる巳代治はここで已む無く退くしかないと決断した。

「仕方ない、皆の者、一時後退!」

「ちょっと待てえええい‼」

 遠くから確かに聞こえるあの声。

 巳代治たちは一斉に後方を振り返った。その向こうから瓦礫(がれき)を豪快に飛び越えてくる蹄の音。

「巳代治、貴様何をしておるのじゃ! よーーし、貴様らあああ! ここ一番、我ら大膳軍の意地を見せつける時ぞ‼」

「盛勝様⁉ 盛勝様なんですね?」

「大膳様が来たぞーーー!」

 一気に湧き上がる足軽軍団の兵たち。

「やっと追い着いたわ! 巳代治、貴様この足軽隊を束ねる番頭であろう! 何を(やわ)な事を抜かしておる‼ 全く、情けない声を出しおって! 馬の足だけ速くとも何にもならぬぞ、自慢の身のこなしはどうしたあ‼」

 遂に合流したのだ。

 この絶望的状況にあっても悠々と、そして勇猛果敢に突き進んでくる大膳軍。

「皆の者、怯むなーーー!」

 まさに、これが鐘馗。河原田の軍にあって、唯一豪将と謂われる所以がそこにあった。

「がっはっはっは! 物陰に潜む(ムササビ)共、お前らの肉をどう(ゆう)()の膳にしてやるか。いいかよく聞け! 我は河原田持国天軍大将、河原田大膳亮盛勝じゃ! 闇に紛れるとは姑息な連中。正々堂々、尋常に勝負せえーーーーい‼」

 山々が震撼するほどの大声で名乗りを挙げた。

 気づけば雨も上がり、雲の隙間からわずかに月明かりが差した。

「ふん、全く以って貴様は手が焼けるのう。まあしかし、無事で何よりじゃったわい!」

 巳代治の脇を抜ける瞬間、馬に跨る盛勝は口元が僅かに緩んでいた。

「よーし! 我々も盛勝様に続くぞ!」

 うおおお! 地響きのような唸り声と共に大膳・足軽両軍が一斉に鯨波(とき)を上げ、打ちひしがれた軍団の士気が一気に上がった。

 このとき初めて、巳代治は盛勝が持つ「武士(もののふ)の真髄」を目の当たりにした。

「はっはっは! 大膳とやら、ならば我らが正体を見せようぞ!」

 どこからともなく聞こえてくる声。

 その声とほぼ同時に大膳・足軽混成軍に向かい、火花を散らしながら(いし)飛礫(つぶて)が十数個投げ込まれた。

「巳代治いいい、それはただの(いし)飛礫(つぶて)ではない! 爆発するぞおおお! 皆、退()くのじゃあああ‼」

 盛勝の声を聞き、一同は散り散りになった。

 耳を(つんざ)くような爆発音に驚き、横倒しになった馬の下敷きになり命を失う兵もいた。

 石の破片が巳代治の顔を掠めて頬に血が滲む。

「気を付けろ! それは(ほう)(ろく)じゃ、奴等は()(とん)術を自在に操るぞ‼」

 阿久津地走衆の攻撃は尚も続く。その緩急自在の攻めに翻弄される巳代治たち。その巳代治に向けてまたもや無数の()(ナイ)が飛んでくる。

「ぬあ、は、やっ!」

 左手の長槍を一回転させて地面に突き刺し、(あぶみ)を蹴って左前方に飛び降りた巳代治は立膝のまま槍を構えた。

「そうじゃ、その動きじゃ‼」

 盛勝は巳代治を気に掛けながら、飛んでくる()(ナイ)を大薙刀で巧みに弾き落としている。

「中々だな、だがいつまで続くかな?」

 暗闇からまた声が聞こえた。木々を飛び交う異様な黒い影に紛れている。

「がっはっは! この程度、盛勝には効かぬわ。されば(ムササビ)、わしの声が聞こえるか?」

「何がだ? 聞こえるのは……貴様らの断末魔の叫び。そして、口を開くは地獄門」

 飛び散った(ほう)(ろく)(だま)の火の粉が僅かに残り燻っていた。それが乾いた木々に燃え移り、辺りを煌々と照らし始めた。

 周囲に立ち込める硝煙のにおい。

「何をほざくか、この灯りが貴様ら(ムササビ)共をはっきりと照らし出すぞ!」

 周りを見回す盛勝と巳代治。幸いにも風は吹いていない。

 藪から空からどれだけの兵が隠れ、さらにどこから狙ってくるか分からない。

 大膳兵も足軽兵も辺りに細心の注意を払う。

「そこだあ! 大膳覚悟、その首貰ったーーー‼」

 それは阿久津の声だった。

 飛びかかる鼯集団は小刀片手に盛勝めがけ、その喉元を一斉に狙ってくる。

 その瞬間、巳代治が割って入った。

「盛勝様、危ない!」

 四本の小刀が横たわる大木や地面に次々と突き刺さった。巳代治の長槍が盛勝を救ったのだ。

見ると盛勝の目は大きく見開いたままだった。

「ふん、わしも(おち)()れたもんじゃ、貴様なぞに助けられるとはな! いや、それでこそ河原田軍を背負って立つ者。実に天晴れじゃ! がっはっはっは‼」

 気づくと地面に降り立っていた四人の黒い影。四方八方に飛び交いながら、徐々に間合を詰めてくる。

「笑止千万! そんな子供騙しがわしに通用するか。巳代治、後ろは任せた!」

 盛勝は素早く馬から降り立ち、袖を捲くると大薙刀を大きく一回転させた。

「さあ、どこからでもかかって来い! この盛勝、河原田の名において、貴様ら外道を退治てくれようぞ!」


 立岩郷下立岩、森戸の砦――

 自らの情報操作によって主君盛次は白沢に軍を向けた。

 その張本人重次郎は混乱の隙をみて、久川城から急ぎ立岩へ蜻蛉(とんぼ)返りしようとしていた。

(……かっかっか、しかし上手く掛かったもんだ。うつけ共め、皆殺しになるがいい。くっくっくっく、かっかっかっかっか!)

 その走りはまさに韋駄天だった。

 瞬時に木の枝に跳び移ったかと思えば、地面に降り立ち風の如く林に紛れる。あのうだつの上がらない重次郎とは(およ)そかけ離れた姿だった。

(まあ、()(ぎたね)え手拭いだがしょうがねえか……)

 ほっ被りしている手拭いは、巳代治につき合わされて山口に行ったときに渡されたあの手拭いだった。

「……ふう、やっと着いたか」

 誰もいない砦に入り、松明を照らしながら地下へと向かっていく。時折、重次郎の頭に冷たい滴りがあるが大して気にも留めない様子だ。

「ここにいる筈だ。アキ、アキ……三池屋の……」

(巳代治が足軽軍団の番頭に抜擢だと? ふざけるな! へっ、まあ、残念だが三池屋のお嬢さんはヤツにとって最大の弱みだからな。その女如何で、ヤツの息の根は容易く止められるってわけだ)

「おうっとっと、ここだここ。この牢のどこかに……」

 耳を澄ますと洞窟の奥から(かす)かに聞こえるヒソヒソ話。すると、一際太い木組みの堅牢が目に入った。

(あれだ! 中に……いるなあ。かっかっか、貰ったぞ巳代治)

 途端に眼つきが鋭くなった。

「来る、誰か来るぞ」

 佐源次は滴る水の音に混じるわずかな音の違いに気づいた。

 そして小声で皆に伝えた。

「誰かこっちの方に近づいて来るんだ。アキ、聞こえないか?」

「……うん、聞こえる、遠くから」

 重次郎の松明が見えた。

「あ、松明……来る、来るよ。お兄ちゃん、私たちどうなっちゃうの? 怖いよお、ねえ、お兄ちゃん」

「大丈夫、大丈夫だ」

 牢の前に立った重次郎は松明を近づけて一人ひとり顔を照らした。皆、恐怖で顔が引きつっている。

「お晩でーす。これはこれは、またいつになく大そうな別嬪さんだこと。いやいや、お嬢さんからすればお初ですかね」

「お前何者だ! 俺たちに何かしたら……」

「……だったら? ま、残念ながらそこに()られるお嬢さんを戴きに参った次第なんですがねえ」

「何だと? お前!」

 佐源次が怒鳴る。しかし、重次郎は全く動じない。

「あ、ちょっとちょっと、手荒な真似はよして下さいよ」

 袖の下から何やら針金のようなものを二本取り出した重次郎。それを鍵穴に差し込みカチャカチャと動かすとすぐに錠が外れた。

「かっかっか……。お嬢さん、だけ、出て下さいよ」

 そう言いながらアキの腕を無理に掴もうとした重次郎に、佐源次と中に囚われていた男が飛びかかった。

「妹に触るな!」

 激しく揉み合う三人。

重次郎は隠し持っていた()(ナイ)で斬りつけた。「うぐあっ!」佐源次の声がした。見れば、佐源次の脛から血が流れている。

「お兄ちゃん‼」

「キャア! あ、あんた大丈夫かい!」

 アキと他にいた中年女は同時に悲鳴を上げた。

 痛みを(こら)えながら必死で取り押さえようとするが、手負いの上に特殊な訓練を施されている重次郎に敵う筈がない。

「鬱陶しいなあ、このうつけ共があ! 何ならここで皆殺()っちまってもいいんだよ」

 重次郎は佐源次を蹴りつけ、さらに男の腕を斬った。

二人とも呻き声を上げて悶えている。

「キャーーー! あ、あなたあああ!」

 男の妻が悲鳴を上げている。

「やめてーーー‼ もう、やめてようーーー‼」

 すると、重次郎は横たわる佐源次の喉元に()(ナイ)を突きつけた。

「ねえアキちゃん、大好きなお兄ちゃんがどうなってもいいのかい? あっと、いけねえいけねえ。何であんたの名を知ってるかなんて、そんな野暮な問い掛けは御免だよ」

 卑劣な行為を目の当たりにし、皆声を荒げた。

「あ、あんた! ちょっと、そんなやり方(いっ)(ぱし)の男がやる事じゃないよ!」

「おやおや、見知らぬ()()ちゃん。そりゃあ随分な言い様じゃねえか。じゃあ、あんたからいっとくか、ん? (いて)えぞお、この()(ナイ)はお前らの性根が(きたね)えせいで生憎錆びついてるもんでな、切れ味があんまり芳しくねえんだ。まあ、もっともあんたなんかいつでも、ね。とりあえずここは、こいつから――」

 大きく()(ナイ)を振り被ったまさにその時、重次郎が「ギャア!」と悲鳴を上げた。

 勢いよく転がり倒れこんだ重次郎は右腕を押さえ、苦悶の表情を浮かべながら地面を転がり回っている。

「ひいいい、い、いってえええ!」

 驚いた皆がよく見ると、重次郎の右腕に手裏剣が刺さっていた。

「ぎいい、ひ、い、いてえ、いてえええ! だ、誰だあああ‼」

 洞窟に反響する重次郎の叫び声。

「……痛むか?」

遠くからボソッと一言、その声は聞こえてくる。

「うん、うん、い、いてえええ! いてえよお!」

「……外道、貴様のような奴に。その腕では当分手綱も握れまい」

「何だ? ま、まるで俺のこと、知ってるような」

 すると、その声の主が現れた。

 松明に照らし出された山賊風の()で立ちをした男。そう、ずっと重次郎の後を追ってきた森九郎左衛門だった。

「いいザマだな。命だけは勘弁してやる。さっさと失せろ」

 重次郎は激痛を(こら)え腕を押さえたまま立ち上がると、唇を噛みしめながら一目散に逃げていった。

 九郎は佐源次とその男を手早く手当てした。とても山賊とは思えない手つきで手際が良かった。

「た、助かった……。あんた、一体誰なんだ?」

 佐源次が訊いたが九郎はその問いには一切答えず、こう言い残してスッと暗闇に消え去った。

「拙者は河原田の影。片腕の、その(かた)に……ご助力(かたじけな)いと、そうお伝え願いたい」

 程なく、阿久津軍を追い払いながら兵を率いる盛勝と巳代治が到着し、佐源次たちは無事救出された。

 こうして、急遽大将を務めた巳代治率いる足軽・大膳混成軍の活躍によって下立岩は河原田軍の管理下に置かれ、新しく砦などが建設されたのだった。


 九月上旬、本戦は一旦膠着状態に入り、伊達・長沼混成軍と河原田軍との間に暫しの睨み合いが続いた。

両軍共に一触即発の緊迫した状態が続く――。


 伊南郷、(とう)ノ(の)()村――

 ところで、巳代治はまだこのとき正式に足軽大将に任命されてはいないため、通常の足軽隊番頭としての任に就いていた。

 ある晩、足軽隊が巡回警備のため(とう)()にいた。他にもう一隊が(だい)(いた)(ばし)方面に出向き伊達軍の動向を探っていた。

頭領(おかしら)、今夜は目立った動きはなさそうですが」

「……そうだな。おい泰伍、悪いが俺について来てくれないか」

 巳代治は泰伍を促した。

 隊の中でも一番若い泰伍に絶大な信頼を寄せている巳代治。

頭領(おかしら)、どこか行かれるのですか?」

「うん、まあな。とりあえずここはお前らに任せた。ちょっと行ってくる」

 そう言うと、巳代治と泰伍は和泉田方面へ馬を走らせた。

(一つ、どうしても気になる事があるんだ。藤助さんは討死、道正様は兵を()げた。一体なぜ……。せめて、せめて兵庫さんだけは)

 巳代治は藤助と兵庫をとても慕っていた。

 久川城に逃げ延びたのは道正、その子(みち)(ただ)、そして(かん)(すけ)。しかし、そこには生き残った筈の兵庫がいなかったのだ。

 ただでさえ藤助を喪った今、ここで兵庫まで喪ってしまっては一体巳代治は誰を目標にすればいいのか。

 万に一つ、最悪の事態が起こり得るとしても、兵庫が生きているならば絶対に救出しなければならないと思っていた。

頭領(おかしら)、俺でいいんですか? あ、ところで――」

「ああ、もちろんだ(兵庫さん……どうしても兵庫さんを助けたいんだ。もし、捕縛されてたら拷問どころじゃ)」

「二人で、すか?」

「大丈夫だ! じゃ行くぞ、せえや!」

 馬の速度が上がる。

 二人は暗闇の中、必死で兵庫を探した。すると、和泉田の手前は伊南川西岸に位置する()()(しあ)村の道端で七、八名の伊達兵と思われる漆黒の具足を身につけた足軽に囲まれている兵庫と三人の五十嵐兵を見つけた。

「兵庫さーん!」

 兵庫たちはすでに戦意喪失した状態に見える。その時、一人の伊達兵が太刀を振るい兵庫に襲い掛かった。

「危ない!」

 一瞬だった――、巳代治は駆ける馬上から地面に長槍を突き刺し、空中で一回転したかと思うと兵庫の目の前に降り立ち、振り下ろされる太刀の切っ先を弾き返した。

 伊達兵が怯んだ隙にその喉元めがけ一気に穂先を滑り込ませた。

「ぐぬうっ!」

 素早く槍を引き抜くと崩れ落ちていく伊達兵。一方、泰伍も三人の五十嵐兵を守りながら必死に応戦する。

「巳代治、(めん)(ぼく)ない。これでは名が(すた)るな」

「良かった、やっぱ兵庫さん生きてたんだ!」

「だが、どうして……」

 兵庫の表情が曇った。

 それは、良き友であり良き好敵手(ライバル)でもあった藤助が討死したからだった。巳代治にも兵庫の気持ちが痛いほど伝わっていた。

「うん、藤助さん……亡くなったって。早くこんな奴ら蹴散らして、一緒に久川城に行きましょう。なあ、泰伍、みんなで帰るんだ!」

「そうっすね、無事に帰りましょう!」

 ただ一つ、兵庫は自らの兵と領民を捨てて逃げ延びた道正の行動が腹立たしく、またどうにも腑に落ちないでいた。


 山口村下山口町屋沢(まっちゃざわ)、義兵衛宅――

「かー、またそれかよ!」

「アキちゃんは大丈夫だ。佐源次と二人で檜枝岐に行ったぞ」

 過剰にアキを心配する義兵衛に対し、壱次は(なだ)めるように言った。

「みんな、家族は?」

「大丈夫だ、とっくに避難したべや」

「義兵衛、お前ちいっとばかり疲れてるんじゃねえか?」

「壱(あん)(にゃ)……」

「そんな真剣な(つら)すんなや。おめえちっと休め、な?」

 五郎太は茶化しながらも内心は義兵衛を気遣っているようにみえる。

「やっぱり……振り回すには、斧が重すぎるかも知れねえんだ」

「ほう(へえ)、したり(そうかい)。元々おめえさんは馬鹿力で有名だったがなあ。んでも、さすがにあれだけ斬り倒せばな……。だけどなあ、お前はなんつったって『不動の義兵衛』だろ、なあ?」

「ん? ああ、もっともそりゃそうだ」

 義兵衛はどこか浮かない顔をしていた。それはどうしても気掛かりな事があるからだった。

(鴫山から(たき)(はら)(なか)(やま)(峠)を越えれば立岩。そこから、(うち)(かわ)(伊南地区)へ抜ける街道。どう考えても敵軍がそこを使わない筈がない。もし、そこから攻められれば……。だが、今ここから動く事はどうしても出来ない。アキ、佐源次、ほんとに済まない。どうか無事でいてくれ)


 檜枝岐、源一郎の叔父宅前――

 その頃、檜枝岐に着いたアキと佐源次は源一郎の()()(ごと)を嫌というほど聞かされていた。

 脛の怪我はまだ痛むが、源一郎には気づかれない様にどうにか隠し通していた佐源次。あれだけの酷い目に遭った事も知らず、相変わらず威勢のいい源一郎。

「お前ら二人にはほとほと呆れた。一体今まで何をしていた! アキだけじゃなく……佐源次、お前もだ。兄妹揃いも揃って……。俺も彩子も(いくさ)に巻き込まれたのかと心配したんだ、分かってるのか‼ 彩子から全部話は聞いた。アキ、お前あの男の家に行っただろう、ん? もう俺の目は誤魔化されんぞ。一体何しに行った?」

「……」

「何しに行ったと聞いている、答えろ‼」

 佐源次が庇った。

「いや、親父誤解だよ」

「なにが誤解だ、ん?」

「俺が義兵衛の家に行ってたんだよ。アキは俺を探して義兵衛を尋ねたんだ。そうだよな、アキ?」

「違うよ、私が……」

「アキやめろ」

 源一郎が舌打ちする。

「お前ら……兄妹して庇い合って」

「あなた、もういいじゃないですか」

 彩子が(たま)らず口を挟んだ。

(やかま)しいぞ彩子、お前もお前だ! 知ってて俺に黙っておくなど。いいか、父親を()()にするのも大概にしておけ、分かったか‼」

 そこへ源一郎の叔父が出てきた。

「源、もうその辺にしておけ。あんまり怒鳴り散らすもんじゃあない」

「いや、しかし――」

 源一郎はまだ何か言いたげだ。

「いいから、みんな疲れてるじゃろ。そろそろ中に入れ」

 すると、叔母も出てきた。

「あらあ、久しぶりだわ。遠いとこ、よく()らったわねえ。佐源次もアキも立派になってえ。二人とも美男美女だわ。さあさあ、寒いから早く中に入って」

 佐源次には、さぞ叔母が観音菩薩に見えたことだろう。何とか難を脱した佐源次は思わず深い溜め息を()いた。

「アキ、そういえばあの時、俺たちを助けてくれた男が言ってたこと覚えてるか?」

「え? う、うん、覚えてるけど」

「片腕の、とか……ご助力忝い、とか……。でも、多分それってさ、やっぱり義兵衛の事だよな? あいつ、まだ――」

「お兄ちゃん、じゃあ、あの山賊みたいな人って……」

「あの時さ、確か河原田の影って言ってたからな。恐らく盛次様の、だろうな。でもさ、例えばほんとにそうだとして、何でそんな無茶な事してんだよ。もう、何だか分かんねえよ」


 伊南・伊北領地内――

 その月も半ばを過ぎた頃、自軍の物資・食糧不足を補うため、和泉田を拠点にした伊達軍の掠奪行為が頻繁に起こり始めた。

 ところで、旧南郷村和泉田から旧伊南村へ抜ける主な街道は一つ。南北に貫く伊南川を挟み東側の山裾に通る道がその主要街道であるが、その西側にも細い裏道(現在、県道(おお)(くら)(はま)()線)がある。

 只見町大倉、(しお)ノ(の)(また)()(けん)(ざい)()を南下すると町境となり、南郷地区和泉田となる。そのままさらに進むと()()(しま)(とう)ノ(の)()、大橋となり、久川城のある青柳、()(しお)、宮沢、そして浜野へと続く。

 現在は国道になっている東側の沼田街道は伊南方面に進むと徐々に西に逸れていき、いずれ二手に分かれる。

 伊南地区内川から橋を渡り、南東へ進むと舘岩地区(旧舘岩村)となり、片や道なりに西に進んだその先は南会津地方の西端、檜枝岐村がある。

 その先には、現在の新潟と群馬との県境があり、三県に跨る有名な国立公園「尾瀬湿原」が広がっている。

 戦渦を避けた村人たちの多くは、友人・知人・親戚を頼り立岩(舘岩)や檜枝岐に逃げていった。

 それを追う形で伊達軍は二手に分かれ、一方は和泉田から裏道を通り小野島へ、また一方は伊南川を渡り、街道沿いの(しも)(やま)(とみ)(やま)(かた)(かい)(あぶ)ノ(の)(みや)(さかい))と各集落を荒らし回っていった。

 しかも、村人の中には逃げ遅れた者、身寄りのない者、病人・怪我人や年寄り、体が不自由な者、親のいない子どもなど、まだまだ沢山の人々が取り残されていたのだった。


 そこに伊達軍が目をつけた――。


 伊達軍は昼夜を問わず家々に押し入っていく。しかし、兵は皆一言も言葉を発せずただ不気味にせせら笑いを浮かべている。

 組頭らが各々の隊を指揮する声が聞こえる。

「や、やめてくれえ! わしは、わしは脚が不自由なんじゃ。頼む、頼むう……」

 民家に押し入った伊達兵たちは、まるで餓鬼の如く(むさぼ)るように家中を引っ掻き回している。

「もうこの家には何もないんじゃ。だから、たの、あぐぁ、ああああ‼」

 一人の土気色をした兵が老人の口にグサリと槍を突き刺した。すると、次々に槍を突き刺し、最後に組頭が太刀でその首を刎ねた。

 一隊が小野島から伊南川を渡り、そして(しも)(やま)廻りのもう一隊と(あぶ)ノ(の)(みや)で合流した。

「よーし、ここから街道沿いを虱潰しにしていくぞ!」

 さらに伊達軍は(あぶ)ノ(の)(みや)から(さかい)に向かった。あの早乙女踊りで振舞われた「花泉」の造り酒屋、伊達軍はそれを襲撃したのだ。

 酒蔵の奥で物陰に隠れブルブルと震えている若い女がいる。どうやら住み込みで働いていた女のようだ。

 命乞いをした杜氏、近藤長恵もその家族も殺され、折り重なるように死体が散乱している。

 酒蔵だけは命に代えても守らねば、という杜氏の思いは踏み(にじ)られ、次々と空しく酒が奪われていき、そして無残に荒らされていった――。

「ほほう、中々上等な(おな)()じゃ。丁度良い、貴様ら、この女引っ捕らえよ! 景綱様への土産とする」

 見るに、どうもその女は口が利けないらしい。

 頻りに首を横に振り、目は涙で滲んでいる。伊達兵たちが縄を取り出し、その女にきつく縄を掛けた。

 後ろ手にされ、体に喰い込むほどきつく締めている。もの言えぬその口で必死に何かを叫ぼうとしていた。

「うう、う、ああ」

「ほう、この女口が利けぬか……。それは都合がいい。ふん、しかし、我が景綱様は鳴かぬ(ひたき)を余り好まんがのう。ふふ、まあ、いいだろう、連れていけ!」

 その時、女が兵の腕に思い切り噛みついた。

 ギャア! と声を挙げる伊達兵。

 その悲鳴が合図かのように、周りの兵たちが一斉に刀や槍を振るい方々からその女に襲いかかった。

「うむ、聞き分けの悪い(おな)()じゃ。どのみち殿のお気に召すまい。はっはっはっは、お前ら腹が減っているのかあ? おお、酒だ、酒があるぞ! これは殿もさぞお悦びのことだろう。わっはっはっは! 者共、ほれ、さっさと運ばんか‼」

 無表情の伊達兵らによってどんどん酒が運び出されていく。

 盛次への献上酒、銘酒「花泉」が事もあろうに毎夜毎夜、伊達兵の酒宴に消えていくことになろうとは。

「勝利の美酒じゃ! 殿のため丁重に運べえい‼ 黒川(会津若松)までな、わっはっはっはっは!」

 次々と残虐な殺戮を繰り返す伊達兵、それは鬼畜の所業だった。

 取り残された村人たちは為す術もなく、ひたすら怯え、逃げ惑うしかなかった。

 しかし、操り人形のような伊達兵の中にあっても尚、己を見失わず、この(むご)たらしい大量虐殺に反感を抱く一人の兵がいた。


二十五、動と静


 秋の長雨が続き、したしたと軒先に滴る音が聞こえる。もうすぐこの雨も(みぞれ)に変わり、毎朝霜柱が立つようになる。

 南会津の冬は近い――。


 黒川城(會津若松城)――

 政宗は長沼盛秀に一旦退去を命じた。

 物資の不足も然ることながら、最終決戦の本丸伊南久川城を落とすため疲弊した長沼勢の立て直しを図る必要があったからだ。

「おい、佐馬介を呼べ」

 宗時が政宗に呼ばれた。

「佐馬介、いよいよ本丸を攻める。貴様にもう一度機会を与えよう。その、片腕の利かぬ男とやらの……」

「はは、(まこと)(かたじけの)うござりまする。では、早速――」

「ん、よいか、その男くれぐれも用心せい。そして、必ずやその首、この政宗の元に持って参れ!」

「はっ、仰せの通りに」

 長沼勢を返す代わりに河原崎城へ再び宗時を送った。宗時は総勢六百騎を引き連れて河原崎城を目指し、一路馬を走らせた。

 非情な掠奪を続け、その勢力範囲を拡大していく伊達軍。

 (さかい)をその領地に取り込んだ伊達兵たちはその勢いを全く欠くことなく、(みや)(とこ)(とう)ノ(の)()と襲撃していった。

 一昼夜の内に河原崎城へ赴いた宗時、その行軍は疾風の如きだった。

 報告を聞いた景綱は政宗が言う最終決戦に向けて、より一層物資の調達を急いだ。


 鴇ノ巣には狼煙連絡経路の要所で久川城の支城鴇ノ巣城があった。

 馳せ参じた宗時が陣頭指揮を執り、狼煙経路を次々と封鎖した。そして、新たに隊の編制と長沼勢への参陣を命令した。

 この鴇ノ巣城は伊南川を挟んだ西方に位置し、現在はその麓に町立南会津中学校が建っている。校舎がある五、六メートルほどの高台の裏手にはさらに高台がある。

 そのまま二段目の高台が麓となり、その山に城があったと云う。

 久川城の支城だったこの要所を落とすことで、山々に設けられた砦、館、狼煙台の連絡系統を封じることができる。

 それは山口村から、その距離わずか半里(二キロ)の地点である。

 これを難なく制覇した伊達軍は、最早河原田勢に打つ手はないものと(たか)を括り、ましてや義兵衛たちの存在など()うに忘れていた。


 尚も蛮行を続け、向かうところ敵なしとばかりに進軍する伊達軍に悩まされながら、義兵衛たちは生き残った村人たちの救出活動を続けた。

 時には山中で藪に隠れては野営し、またある時は民家の物陰に隠れ、一人でも多くの命を救おうとしていた。

 ただ一心不乱に村人たちを、そしてこの土地を、守りたい。

 純粋で(ひた)()きな思いはいつしか人々の心を動かし、(みな)()に落ちた葉が(さざなみ)を立て、その波紋を広げていくように義兵衛たちの活動が知られていった。

 その噂は伊南から檜枝岐へと知れ渡り、城主盛次、佐源次、そしてアキの耳にも入っていった。

 一方、逸れた伊達兵を倒してはその戦利品を手にしていき、いつしか戦闘にも慣れた義兵衛・壱次・五郎太の三人は、村人の血で染まった太刀や槍を手にし、返り血を浴びた具足を身に纏い、その報いを与えんとばかりに伊達兵を次々と斬っていく。

 気づけば三人は最前線に立ち、この戦で実戦経験が一番豊富な兵になっていた。

 こうして、いつしか「真の武士(もののふ)」として成長を遂げていたのだ――。


 久川城、本丸御殿――

 計画通り逃げ延びた五十嵐道正、大橋村に城を構える大塚織部正、そして河原田盛次がいた。

 織部正が言う。

「盛次殿、この状況どうなさるお考えで」

「うむ……伊達の軍勢か、好き勝手にやりおって」

「民衆は皆、伊達の軍勢に怯え、立岩・檜枝岐に逃げるばかり」

 相変わらず盛次の落ち着いた態度に道正は気が気ではない。

「逃げ遅れた村人を血祭りに挙げ、掠奪を繰り返しながらこちらに向かい、目下その勢力を広げるばかりではござらぬか! ましてや聞くに、布沢・小林・梁取など心を変じ伊達に付き従うなどと」

「……」

「盛次殿、なぜに黙っておられるのか」

「盛次殿!」

 この緊迫した空気の中でも、盛次は取り乱すこともなく冷静さを失わずにいる。

「……ん、領民を一番に大事にしてきた某、なのにそれを犠牲にしてしまったことが心苦しい。だがしかし、敵は依然として存在する。この窮地を脱する方策を今、練っているところじゃ」

「またそのような悠長なことを仰せられるのか?」

 織部正も苛立ちを隠せない。

「民衆は苦しみ、ただ逃げ惑い、無惨に殺されていく。敵が攻め入ってくるのも、最早刻限次第。どうなされるおつもりか!」

 すると、盛次がまた例の話をしはじめた。

「……雪」

「またもや雪などと? その話は()うに存じておりまする。しかし、この状況にあっては最早その様なことは――」

「まあ待て、道正殿。我々は生来雪と接し、生活の一部として共に生きてきた。雪上の合戦となれば、たとえ兵力の圧倒的不利としても、必ずやこちらに勝機がある筈。何せ、こちらには地の利がある。そして、丘陵・岩盤にて構成されたこの地域は、まさに自然の要塞。奴らとの決戦は雪上……雪が守ってくれる。して、大塚殿、大橋城は開城し、敵に明け渡す」

「な、なんと⁉ 城を明け渡す? それでは、それまで待てと?」

 道正もいよいよ我慢の限界だ。

(なに)(ゆえ)()(よう)なことを! そのような()(まい)(ごと)を申しておられる場合ではござりませぬ。もう待てませぬぞ!」

 さらに盛次が一言付け加えた。

「これは総力戦、ならば(とき)を待つ!」

 そこへ平左衛門と源助が入ってきた。

「どうした、源助?」

「何事か?」

「殿、河原崎城での一戦において、伊達の大将原田宗時に戦いを挑んだ『謎の野武士』三名についてご存知でありましょうか?」

 道正が口を挟んだ。

「おお、それならば存じておるぞ。大斧を携えた片腕の利かぬその男共のな」

「……して、何じゃ」

「は、それが、その後も伊達兵を度々奇襲し、領民を救出しながら掠奪を阻止するべく、密かに活動しているとの報告が入りまして」

「その者たちの素性は?」

 盛次の問いに、平左衛門が口を開く。

「只今調べておるのですが……ただ――」

「ただ?」

「恐らく、この領内の者であろうと思われますが、しかしながら……それがその戦力、僅か三名ながらにして、軍団に匹敵するほどの力を持ち合わせているとか」

 驚いた顔で織部正が言う。

「軍団? そのような話、俄かに……。いやしかし、も、もしやその話が(まこと)であるならば……。盛次殿、その者共を何とか城へ。いや、今すぐにでも」

「盛次殿、それだけの者ならばこの窮地に欠かせぬ戦力となりましょうぞ?」

「うむ、確かにな」

 盛次は肘掛に腕を乗せ、頬杖をついた。眉間に皺を寄せ、目を細めてしばらく考え込んでいた。

するとこう言った。

「では、その者たちをここへ! 安房、源助、頼むぞ」

「は、畏まりました。この佐藤源助、安房殿と共にその三名を必ずや殿の元へお連れ致します」

「民も命懸けで戦っている。やはり、これ以上犠牲を払うことはできぬ、か」

「そうじゃ、某も民衆あってのものじゃ」

「ならば、我が兵にも殿のご意志を伝えましょう。この大塚、微力ながら迎え討ち、必ずやこの河原田に勝機を」

「うむ、では()(ふた)(かた)、宜しく頼んだぞ」

 早速、盛次の命により源助率いる捜索隊が結成され、『謎の野武士』の足取りを追った。

その中には和泉田の戦いにおいて奮闘虚しく撤退を余儀なくされた江川兵庫と戦死した富沢藤助の側近、(ほし)(かん)(すけ)がいた。

 団長、源助の(げき)がとぶ。

「よいか! この捜索は一刻を争う。殿のご期待に沿うべく、必ずやその三人の野武士を探し出し、何としてもこの場へ連れて参れ!」

 副長の兵庫がその言葉に続く。

「野武士捜索だけではなく、我々はこの地の警固の要となる。伊達兵は神出鬼没の奇襲軍団だ。源助殿の指揮の下、伊達の軍勢を十分に警戒しつつ、必ずや探し出すのだ!」

 団長・副長含め、総員二十二名の小規模な捜索隊。各五名ずつ四組に分け、その一番隊の組頭は勘輔だった。

「では、これより各隊の管轄地域を伝える。一度しか言わんぞ、皆心して聞け! 一番隊、山口村村中・村下(下山口)・倉田・板橋、並びに台。二番隊、山口村村上・堀田(中・上山口)・大橋、大新田並びに水根沢周辺。三番隊、木伏・青柳・古町・小塩・白沢及び(みや)(ざわ)方面。四番隊、濱野・内川・大原・小立岩、及び以西、以上だ! 各隊は組頭の指示に従い、速やかに着手せよ‼」

 あれから(ふた)(つき)が過ぎた。いよいよ本格的な冬の到来となる。

 連日の降雪によって、あっと言う間に辺り一面銀世界となった。村人たちの血が、白銀の大地を真紅に染め上げていく――。


二十六、猛虎、龍王との出会い


「義兵衛、もうここも危ねえ。俺らの居場所が勘づかれるとまずいぞ」

「そうだよな、このままじゃ(らち)が明かねえ。奴らあの人数だ、こっちはたった三人。これっきりばかしじゃな」

五郎太も壱次も同じ事を考えていたようだ。

「……ったく、殿様は何してやがんだ。ちきしょう!」

「真紅に染まる大地から、微かに芽吹く生命の息吹。白銀の精霊、この哀しき戦を必ずや勝利へと導かん……」

「おい義兵衛、いきなりなに言ってんだ?」

「え、ああ……荒廃したこの地から生きる希望を見出す、そういう願いを込めて。壱兄(あん)(にゃ)五郎兄(あん)(にゃ)も希望を捨てないで頑張っていこう。必ず勝てる」


 檜枝岐、源一郎の叔父宅――

 その頃、『謎の野武士』の話を聞いた佐源次とアキは、すぐにそれが義兵衛・壱次・五郎太だと確信した。

 村人たちが何やら話している。皆、吐く息が白い。

「聞いたか? 何でも、どっかの(あん)(にゃ)っ子めら(青年ら)三人して伊達の兵と戦ってるんだとよ」

「あたしも聞いたよ、殿様も動き始めたんだろ? いよいよだねえ、おっかない世の中だねえ、嫌だね、ほんとにさあ」

「しっかしなあ……。たった三人子して、なじょうして(どうやって)戦ってんだべな? 殊勝な奴らもいたもんだ」

「いやあ、はあ(もう)、とっくに死んじまったんじゃねえか?」

「んだよなあ、敵はあの独眼竜だべえ? 勝てっこねえ、勝てっこねえって」

「でも、その三人って誰なのかねえ。大したもんだわね、命張って戦ってるなんて。ねえ、あんたそうでしょ?」

「お、おう、そうだわな。俺も、今ちいっとばかし若かったらなあ」

「またあ、そんなこと(かた)ってえ。しなた(あんた)、(いくさ)なんか出たら、あっという間に()られるのが関の山だぞ!」

「なあ、姉ちゃん、姉ちゃんもそう思うべ? あ、ありゃ⁉ あ、アキちゃんでねえの?」

「……」

 アキは返事をしなかった。そして佐源次に小声で訊いた。

「お兄ちゃん、それってやっぱり義兵衛……だよね?」

「ああ、多分な。あの時、巳代治には聞けなかったけど、俺たちを助けてくれた奴が言ってたこと」

「生きてるよね? 絶対、生きてるよね?」

「ああ、大丈夫! きっとあいつなら生きてるさ」

「壱次さんも五郎太さんも一緒に戦ってるんだね、なんか……」

 アキは不安を隠せず泣き始めた。

 あの日、義兵衛の家を飛び出し、自分たちだけがこの場所へ来てしまった。しかし、義兵衛たちは戦っている、村人たちを救っている。

 ただ、かといって自分たちには何もできない。葛藤やら歯痒さやら様々な感情が入り混じり、やり切れないもどかしさがあった。

 佐源次もまた同じ思いを抱いていた。ところで、『謎の野武士』の噂は源一郎の耳にも入っていた。

 大斧を持った大柄な男、片腕が利かない男、などと噂されているその男の正体が当然ながら源一郎にも判らない筈はなかった。

(その男とは――、やはり義兵衛のことなのか? 取り残された村人を救い、伊達軍と戦う三人の男。まさか、まさかあの男が? あの(きこり)が命を投げ出して戦っている? ふん、そんな事あろう筈がない……)


 伊南郷、山口村村内――

 勘輔らの死に物狂いの捜索活動にもかかわらず、一向に見つからない義兵衛たち。

 さらに(しん)々(しん)と降る雪が彼らの足跡を消していった。そんなことを余所に伊達兵たちがとうとう山口村を襲い始めた。

 中山口の稲荷山にある砦、山口(たて)にはもう誰もいない。

 伊達軍はそのままその砦を乗っ取り次の拠点にした。まるで河原田軍を嘲笑(あざわら)うかのように、あっさりと枝城や砦を呑み込んでいく。

 その間も義兵衛たちは、山中や岩穴に潜んでは伊達軍の行動を監視していた。しかし、食料も徐々に底を尽き始めていた。

「義兵衛、とうとう化け物共のお出ましだ。いっちょ捻ってやるか?」

「どうやら、この一隊だけのようだ」

 義兵衛たちは、伊達軍がまだ下山口までしか到達していないと思っていたのだが、予想に反してもう一隊を遣い、この下山口だけではなく、中山口も攻めていたのだ。

 中山口には、山口館(城将、山口右京大夫・同左馬介)・郡代・庄屋(山口定義)・呉服屋、そして(みな)(もと)屋などがある、謂わば山口村の中心地である。

 (はな)からそこに目をつけていた伊達兵たちは、それらを次々と焼き討ちし、村人を見つけると容赦なく殺していった。

 その中に親と逸れてしまった幼い子ども二人がいた。

 その七歳と五歳の(きょう)(だい)は家々に残された食料で何とか食い繋いでいた。しかし、雪が降り始め、もう外は幼い子どもが歩けるような状況ではなかった。

 伊達軍の組頭らの声が聞こえる。

 姉弟は物陰に隠れ、ただ震えることしかできずにいた。

(怖いよう。どうか見つかりませんように……)

 ()がり()の土間に置いてある大きな(みず)(がめ)の陰にいる。姉は声を出そうとする弟の口を必死で押さえていた。

「しー、ダメだよ。声出しちゃダメ。見つかっちゃうでしょ」

 弟は中々言う事を聞かない。

 一人の伊達兵が人の気配に気づき()がり()の前に立った。槍を持ち上げると、それが合図なのかぞろぞろと兵が集まってくる。

 勢いよく板戸を開ける音がした。

「あっ!」

 弟が驚いて大きな声を上げてしまった。

 姉が慌てて口を塞いだがすでに遅かった。伊達兵たちは姉弟を取り囲み、刀や槍をちらつかせて悦んでいる。

 切っ先で(つつ)いてみたり、槍を顔の前に突き出してみたりもする。姉弟は余りの恐怖で泣き叫びながら失禁してしまった。ますます兵たちは悦び、姉弟を玩んでいる。

 兵の中には、時折ヒッヒッヒ! という不気味な笑い声を発する者もいる。

 そこへ、騎馬の組頭がやってきた。

「お前ら、そこで何してる! ん、ガキか。ちっ、(やかま)しいのう。その泣き声を()めさせろ、耳障りだ! どうせ役に立たんのだ、ガキなど早く殺せ!」

 すると伊達兵は一斉に刀や槍を振り被った。その一瞬の隙を見計らって、姉が弟の手を取り逃げ出した。

「何をしておる! 早う追わんか。一人も残してはならぬと宗時様も景綱様も申しておられただろう!」

 (そぞ)ろに馬に跨ると、すかさず幼い姉弟を追いかけた。

 必死で逃げるその姉弟は林や民家の陰に隠れながら(さん)(ぽう)(ぐち)(中山口稲荷山の下、三叉路)を抜け、街道から脇道に逸れた町屋沢(まっちゃざわ)(下山口)の奥に入っていった。

 しかし、あえなく騎馬に見つかってしまった。

 姉弟は無我夢中で山の斜面を這い上がるが、弟が足を滑らせ姉はその度に弟の手を取り、そして体に付いた雪を払う。

 そうこうしているうち、雪上で悪戦苦闘していた伊達兵たちも皆追いついてしまった。

 四方八方から取り囲んで足蹴にしたり、馬で追い立てたりして泣き叫ぶ姉弟を(なぶ)っている。

 (つい)には力尽き果て、その場に倒れ(うずくま)るその姉弟に対し、まず弟に槍を突き立てた。

 悲鳴を上げる姉にも刀を振り下ろしたその後、騎馬兵はまだ僅かに息のあるその姉を何度も何度も馬で踏みつけ雪の中に(うず)めていった。


 丁度その頃だった――、義兵衛の耳には確かに幼いその姉弟の悲鳴が聞こえた気がした。


「ん⁉ 今のは子どもの悲鳴……」

「なに、子どもの悲鳴? 俺にはなんも聞えねえが」

「まずい‼ 五郎兄(あん)(にゃ)、恐らく他にもいる」

「んあ? ま、まさか、もう一隊ってか⁉」

「もう一隊?」

 壱次の耳にも何も聞こえてはいないようだ、続けて義兵衛が言う。

町屋沢(まっちゃざわ)の奥だ! 俺はそっちに向かう、二人ともここは頼んだ!」

「お、おい!」

 下山口の街道沿いを襲う伊達兵と戦っていた義兵衛たち。まさか、他のもう一隊がすでに先回りしていたとは思いもしなかった。


 伊達軍、()()()(補給)隊――

 自らの軍が犯す虐殺行為に疑問を感じずにはいられなかった一人の伊達兵。その兵はあの(いくさ)で見た片腕の利かぬ男の行方を追っていた。

 (すが)(わら)()(ろう)()()(もん)(かず)()、伊達軍の若武者である。

 歳は(あるじ)政宗より一つ上の二十三、出は(いずみ)ヶ(が)(たけ)の麓、(かむり)七北田(ななきた))川が流れる宮城郡(ねの)(しろ)(いし)

 父親が刀鍛冶のため職人気質の家に育ち、実直で明朗快活な性格だった。

 その身の丈は義兵衛を遥かに上回る六尺(約一八〇センチ)、この男こそまさに大男というべきであろう。

 漆黒の伊達具足に身を包み、冑には非常に珍しい虎を模った(まえ)(だて)と火焔とも翼とも謂うべき独特の鍬形が光る。

 それは一馬の内に秘めた信念と剣術の才能を見抜いた伊達の剣術師範が、政宗の近臣に頼み込んで特別に(あつら)えた冑だった。

 月明かりが雪に反射し、虎と火焔が暗闇に浮かぶ。

 決して貧しい家庭ではなかったが、三人姉弟の長男で武士(もののふ)として身を立てんと伊達軍に志願した。

 その剣術は生まれ持った才能により目覚しく上達し、伊達武者たちの間から一目置かれる存在となった。

 しかし、戦を経験する度に一馬には悲哀が募っていった。それもその筈、そもそも戦とは大義名分を建前としたただの殺し合いに過ぎないからだ。

 一馬は一人思い悩んでいた――、身を打ち立てんと家を出て、その若さで突っ走ったのはいいが現実を知れば知るほど残酷で、その度に身を切る思いで出陣していた。

 周りの兵がたとえ正気を失っていても、自分だけは断じてそうなるものかと頑なに心に言い聞かせていた。

 小荷駄隊の副将を務めていた一馬は自軍の補給物資を輸送するため一時黒川まで戻り、會津柳津(やないづ)で宿営したのち帰ってきた。

 只見川沿いの崖の上に建つ「圓蔵寺」という寺で早朝参詣した一馬。その後は宗時らが待つ和泉田河原崎城まで一気に馬を走らせ本隊と合流したのだった。

 一馬は(とら)年生まれのため、その守り本尊は虚空蔵菩薩だった。

 河原崎城にて補給物資を降ろした小荷駄隊。山口村に夜襲を仕掛けたとの話を耳にした一馬は隙を見て馬に跨り、城を抜け出して一路山口に向かった。


 そこで一馬が見たもの――。


 それは町屋沢(まっちゃざわ)の奥で騎馬兵らがすでに絶命している二人の幼い(なき)(がら)を無惨にも蹴り転がしている姿だった。

 真っ白な山の斜面には、とても子どもたちのものとは思えないほど大量の血が飛び散り、目を覆いたくなるような凄惨な光景が広がっていた。

 一馬の我慢も最早限界に達していた。

 この幼い姉弟の悲劇「町屋沢虐殺」の話を知る人は極めて少ないが、現在南郷地区山口在住の郷土史家である山内氏が語った話である。また、その当時の幼い姉弟を慰霊する供養塔が建っていると云う。

(……異常だ。今まで一体何百人の子どもを、何千人の人々をこの軍は殺めてきたんだ。俺は、俺はもう我慢できない!)

 一馬は馬から降りると、武者震いしながら込み上げる怒りを一気に爆発させ、騎馬兵を指差すとこう叫んだ。

「お前ら、もう許さんぞ! この菅原が相手だーーー‼」

 ちょうどその時、義兵衛がその場に駆けつけた。

(なんだ⁉ 一体何が起こったんだ?)

 義兵衛は事態を呑み込めずにいた。それもその筈、伊達兵と思しき一人の若武者が事もあろうに同じ伊達兵に刃を向けているではないか。

「お前、伊達の……」

「俺は、もうこんな無差別虐殺は許せない! こんなことのために武士になったわけじゃない。俺はあんたを探してたんだ。あの和泉田を襲撃した日、あんたが現れた。それからずっと――」

 騎馬隊の組頭が一馬を見て言った。

「なんだあ? ほほう、見るにお主、小荷駄の副将殿ではないか。そうか、貴様ら仲間かあ。御屋形様に反旗を翻す裏切り者め! 承知しておるだろうな、謀叛は大罪ぞ‼」

「そんなことは百も承知! なあ、俺はあんたに付いていきたい。俺の名は菅原一馬、仲間にしてくれ、頼む!」

 義兵衛は一瞬目を細めたが、がっと見開き一馬の瞳をじっと見た。

「よーし分かった、ついて来い! 俺の名は義兵衛、(むご)いことを……。許さねえ! いくぞ、一馬あああ‼」

 一馬は自慢の大太刀を抜いた。斬馬刀に似たその一刀一刀は重く、斬られた伊達兵はその衝撃によって斬り潰されている。

 一方、義兵衛は恐れをなして逃げる伊達兵らに向かい、その奪った打刀を槍のように投げつけた。

 真赤に焼けた打刀が伊達兵に突き刺さると、皆一気に燃え始め、苦悶の叫び声を上げながら灰と化していった。

(あれだ! あの時と同じ……。あれは一体どういう妖術なんだ? 義兵衛殿の手から離れた刀がみな……)

 奮戦する二人の姿はまさに龍と虎、この二人の偶然の出会いがその後の命運を変えていく。


二十七、龍爪と虎牙


 勘輔率いる一番隊は上山口から中山口へ向かう途中だった。

 そのとき隊の一人が馬を駆る伊達の騎馬武者を見た。暗闇に一瞬だけだが、漆黒の冑に(まえ)(だて)だけがきらりと光っていた。

 その伊達兵は雪の街道を(はやて)の如く横切っていった。

組頭(かしら)、今……」

「どうした?」

「いえ、今、騎馬兵の姿が、向こうの街道を走っていくような気がしたのですが」

「なに⁉ よし、後を追うぞ、お前らわしに続け! もしや、そこに野武士たちがいるやも知れんからな!」

 義兵衛は佐源次がくれた『龍王斧』、一馬は刀鍛冶の父親が鍛え上げてくれた大太刀『()()()(よく)、別名()()(ぎり)』を携え、依然として伊達兵らと対峙していた。

 長身の一馬に合わせたその太刀は刀身が異様に長く、通常のものより身幅が二周りほど広い。

 その切れ味は素晴らしく加えて重量もあるため、当時最強と謳われた頑強な伊達具足でさえも一刀両断する驚異的な破壊力をもつ。

 二人は怒りに身を任せ小隊を撃滅した。逃げ退()く伊達兵にも容赦はしない。

「一馬、こうしちゃいられねえんだ! 仲間がもう一隊と戦ってる」

「義兵衛殿、馬に乗れるか?」

「乗ったことなんかねえが、何とかなる。一馬、俺に教えろ!」

 義兵衛は伊達軍の馬に跨り、一馬と共に壱次と五郎太の元へ急いだ。


 義兵衛たちの心配を余所に、壱次と五郎太はこのときすでにもう一隊を潰していた。

「おうおう、派手に馬でご推参かい。ところで義兵衛、(だん)じゃ、その野郎は! ああっ⁉ だ、伊達の騎馬武者じゃねえかっ‼」


 下山口町屋沢(まっちゃざわ)、義兵衛宅――

 その夜、襲撃によって荒らされた村に幸いにも残った義兵衛の家。そこに四人が集まった。

 幸い(くう)(どん)(ちび)も皆無事だった。

 義兵衛の家は幼い姉弟が惨殺された町屋沢の入り口付近にあったため、伊達の騎馬武者たちは追撃に夢中で見落としていたのだ。


 捜索隊一番隊が中山口に入ったときにはもう誰の影もなかった。

 そこで勘輔らを驚かせたのは、薄っすら雪を被った伊達兵の死体が其処彼処に散乱していたことだった。

組頭(かしら)、これは……」

「こちらもです、それもかなりの数です」

「(やはりか……。しかし、奴らはいつどこで……)おい! この状況からして然程刻(とき)は経っていないであろう。まだ周辺に敵兵が潜んでいるやも知れん、警戒を怠るな! (それにしても……あの男たちは一体どこにいる)」

 そこには、ただ家屋が荒らされた形跡、雪道に無数に横たわる足軽の死体、数頭の馬、そして馬の足跡だけが残されていた。

 伊達兵の足跡も義兵衛たちの足取りも、雪の妖精が掻き消していった――。


 二小隊全滅の知らせは、すぐさま宗時と景綱に伝えられた。

「……なにい‼ 片腕の利かぬ男と、菅原だと⁉」

「は、如何にも」

「なんと⁉ あの一馬が、か? 自らの軍に謀叛を企てるとは……。んぐう、あの()(わっぱ)めが‼」

「雪見酒でもしようと思ったが、そうもいかぬらしいな」

「宗時殿、使いの者を今すぐ政宗様の元へ」

「うむ、景綱殿、ところであの片腕の利かぬ男……いや、何でもない」


 黒川城(會津若松城)――

 側近から小隊全滅の報告を受けた政宗は、花泉を呷りながら落ち着いた口調でこう言った。

「ほう、片腕の利かぬ男と菅原一馬か。ふふ、それはそれは面白い組合せだ。しかし、あやつ中々やるのう。して、本隊は」

「殿、奴らこのままでは勢いを増すばかりで」

「ふん、なんじゃ、()(よう)な虫けらなど放っておけ! この伊達軍の前では全てが無に等しい。よいか、左馬介(宗時)と小十郎(景綱)にこう伝えよ。くれぐれも、このわしが()()るようなこと無きように、とな。わしが手を煩わせるほどのこともあるまい。それともう一つ、本陣を河原崎城に構え、早急に出陣の支度をせよと。ふふ、いよいよ始めるぞ」


 下山口町屋沢(まっちゃざわ)、義兵衛宅――

 第四の(おとこ)、菅原太郎左衛門一馬が加わった。

 外は夜半から猛吹雪になり、惨劇で真赤に染まった雪が真白な吹雪に覆われていった。バチバチと勢いよく薪が燃えている。その囲炉裏に木をくべる義兵衛。

 時折、身を(つんざ)くばかりの隙間風が吹き込んでくる。

 義兵衛は土鍋のごった煮をゆっくりと掻き混ぜていた。

 この南会津西部には「ざくざく(ざく煮)」と呼ばれる醤油仕立ての汁があり、干した鰊が入るのが特徴だが、義兵衛はそれを味噌仕立てにしている。

そこに、近所の鉄砲撃ち(マタギ)が分けてくれた猪・山兎・山鳥の肉や野菜類、打豆など何でもかんでも目一杯入れていた。


 義兵衛は利かぬ右腕を着物の袖に通さずに、ただだらりとしたままだった。

(今日はやけに冷えるな、古傷が()む……)

 胡坐(あぐら)をかいて(くう)を抱く義兵衛はごった煮を啜り右腕を擦っていた。

「おい義兵衛、あの野郎、ほんとに信じていいのか?」

 五郎太は一馬を顎で指して言った。それを見た壱次がすぐに言い返した。

「でもよ、絶対あいつは使える。見ろよあの体格、一見するにありゃあ相当な強者だと思うぞ」

 一馬は土間で雪を払いながら甲冑を脱いでいた。五郎太の声が聞えたのか、一馬は居間に上がってきてこう言った。

「五郎太殿、そのお気持ちは当然です。でも、俺を信じて下さい」

 壱次は頭を下げる一馬の肩を叩きながら言った。

「分かった分かった。まあ、五郎太……正直言えばなあ、今は猫の手も借りてえとこだろ?」

「ああ? ちっ、うーん……ま、まあな。にしても、猫の手ねえ……」

 五郎太はふと横を見た。傍らで(どん)(ちび)が丸まっている。


 薪はまだまだ沢山ある。義兵衛は毎晩晩酌する癖が抜けなかったが、今日は久々に仲間もいる。(おもむろ)に酒瓶を手に取ると湯呑みに注いだ。

(……寒い晩は、これに限る)

 注いではまた呷る。

 壱次が言った。

「なあ、五郎太よ、この若者を信じてやろう。それに元々は伊達の兵だ。まあ、こう言っちゃ何だが、そうなりゃこの若者、中々使えるぞ、な?」

 すると、壱次に便乗して義兵衛が五郎太に駄目押しした。

「五郎(あん)(にゃ)、ここは俺の顔に免じて一つ」

「うーん……。ま、義兵衛がそこまで言うんなら。まあ、しゃあねえか!」

「五郎太殿、忝い!」

「おい、そのどの(・・)って言うのやめてくんねえか。何かこう、虫唾が走るぜ」

「仕方ねえよな、一馬はお武家様なんだからよ」

 壱次は一所懸命に一馬を庇っているようだ。

 どれほど飲んだか、どれほど語っただろうか、薪もそろそろ燻ってきて、皆眠気が差してきた。

「こんなに飲んじまったら……はあ(もう)、あれだな、明日ガオっちまうな(具合が悪くなるな)」

「はーあ……。んじゃ、そろそろ寝るか」

 欠伸(あくび)をしながら壱次が呟くと、皆疲れた体を横たえた。

 すぐそこまで近づいている危機――、魔人伊達政宗率いる漆黒の軍団が今まさに最終決戦を仕掛ける寸前だった。


 明くる日、早くに目覚めた義兵衛はあの日の夜、そう、大成院にて道戒の傍らで目が覚める直前に見た夢を思い返し、暫く考え込んでいた。

 その夢とは――、下弦の月に厚い雲がかかり、暗がりの山道を登っていく義兵衛。かなり道は険しく、ただ ひたすら進んでいくと目の前に忽然と現れた不動堂。

 その中に安置されている不動明王坐像を覗き込むと、突如扉が開き不動尊の目が閃光を放ち眩く光る。

 その閃光にいつしか包まれ、気づくとそこには大きな柳の木がある。朝靄に煙るそこは喜代三郎が自殺した場所に他ならなかった。

 その柳の大木を見上げ、ふと視線を元に戻すと目の前に喜代三郎が立っていた。

「ん? き、喜代(あん)(にゃ)! 喜代(あん)(にゃ)か?」

 いくら声をかけても喜代三郎は何も言わず、ただ優しく笑っているだけだった。

 しかし次の瞬間、喜代三郎の姿は消え失せ、柳の木が見る見るうちに火焔の光背に包まれた巨大な不動明王と化した。

 鬼の形相で義兵衛をギロリと睨みつけ、そしてこう語りかけてきた。

『義兵衛よ! 我の声が(うぬ)には聞こえる筈。何れ、我の力を使うべきときが必ずやくるであろう。その時はこの法力を存分に揮うがよい。否、たとえ(うぬ)が望まぬとも、この力を揮わねばならぬときがくる。但し、我の力は余りに強大(ゆえ)(つい)には自らをも滅ぼす諸刃の剣。この宿命を拒む事許されぬ! よいか、今この時、(うぬ)の左腕に我が宿る。(うぬ)が自ら我が化身となり、(だい)()調(じょう)(ぶく)せしめ、その(のち)、人間界に巣食う邪鬼共を捕縛し、八大地獄の第二、(こく)(じょう)地獄に連れて往け。そして、(しゅ)(じょう)の魂を救済し浄化するのだ‼』

 そう言い残し、不動明王はすうっと消えていった。その後、目が覚めたのだ。


(あの夢が、つまりそういう事だったのか……。俺に与えられた人智を超えた力……。いよいよこの地も(いくさ)()となる。奴らは尋常じゃない、まるで殺しを楽しんでいるかのようだ。もし……もし、そうなったらアキは、佐源次は、仲間は、そして村はどうなる。魔人と噂され屍と戯れる政宗、その下に付き従う残虐な殺戮集団。奴らを絶対に許すわけにはいかない。たとえ、本当にこの命を失うとしても、俺は奴らと戦うことを誓った。必ず、アキを、仲間を、そしてこの地を守ってみせる‼)

 相手は魔人、やはり己もただの人間では決して勝機はないだろう。

 アキがくれた御守りを握り締め、そして静かに瞑想した。


 暫くして義兵衛は外に出た。どうしても昨晩の惨劇が忘れられず町屋沢(まっちゃざわ)の奥へ入っていった。

 まだ他の三人は眠っている。

 夕べ、義兵衛たちは雪を堀って二人の幼い(なき)(がら)を埋めてやった。皆、頬には涙が伝っていた。

 その場所に(ひざまず)き独り手を合わせる義兵衛。

(魔人を討ち払うことが出来るのは、最早、人ではないこの俺以外にはない。必ずや、お前らの無念を晴らしてやるからな……)


二十八、明王の導き


 家に戻ると、壱次・五郎太・一馬の他にもう一人いた。

 その人物は義兵衛たちの噂を聞き、居ても立ってもいられなかった佐源次だった。

「佐源次、お前無事だったか! よかった、アキも無事なのか?」

「ああ、みんな無事さ。久しぶりだな、義兵衛。みんな噂になってる。それにしても、よく生きてたなあ、俺たち心配してたんだぞ」

 佐源次は目に涙を浮かべていた。

「泣くな、佐源次」

「べ、別に泣いてねえって……」

「こらっ! 男はそうそう涙なんか流すもんじゃねえんだぞ」

 壱次は俯きながらも少し笑っている。

「いいか、男が泣く時はな、(わあ)(自分)の親が死んだときだけなんだ」

 一方の五郎太はというと一丁前の口を利き、まるで息子に向かって言っているかのようだ。

「それになあ、おめえはバカ野郎だよ。こっちは伊達兵がウロウロしてんだぞ、ふつう一人で来るか?」

「だってさ、みんなに言ったらアキだって来ちゃうだろ? な、俺さ、争い事なんて大っ嫌いだけど……でも、誰かが止めないとさ。こんなの無差別に人殺してるだけじゃないか。こんなこと絶対あっちゃいけないんだよ! なあ、そう思うだろ?」

「んなこたぁ分かってら……。それで、だから何だよ」

「だから……義兵衛、頼む! 俺も仲間にしてくれよ。な、頼むよ!」

「悪いが、それは無理なお願いだ」

「なんでさ? 親友だからこそ、だろ?」

「それは勿論、アキの兄貴だからに決まってんだろ! お前にもしものことがあったら、アキに顔向けできなくなっちまう」

「俺だってさ、妹もみんなのことも守りたいんだよ。お願いだよ、頼む! もう決めたんだ、認めてくれるまで俺ここを絶対動かないからな‼」

 仲間に初めて見せる佐源次の頑固な姿。

皆、暫し沈黙が続いた。義兵衛はじっと腕組みして考えていたが、ふうっと一息溜息を()くとこう言った。

「なあ、二人はどう思う?」

「……」

 壱次は黙ってしまった。

「おい、佐源次! この際だからな、ここははっきり言ってやる! おめえみてえな坊ちゃんに戦なんかできっこねえんだよ! 俺が檜枝岐まで付いてってやっから、とっとと帰りやがれ‼」

 五郎太は怒鳴り口調で言った。随分な言い(ぐさ)だったが、五郎太が本心で言っている筈はない。

「五郎太さん、そんな言い方ないだろ! 俺は仲間じゃないのかよ!」

「うるせえ‼」

 口火を切った義兵衛だったが、確かに五郎太の言い分も一理ある。こういう物言いでしか仲間を止められない五郎太の本当の気持ちを分かっているからだ。

 ところが義兵衛は意外な言葉を発した。

「……分かった。じゃあ、佐源次、俺と約束してくれ」

 佐源次は黙ったまま頷いた。

「一つ、アキを絶対に悲しませない。二つ、お前には護衛を付けさせてもらう」

「それならば、佐源次殿の護衛は是非とも某に! 必ず、必ず守り抜いてみせます!」

 一馬が名乗り出た。

 納得しない五郎太が目を見開いて義兵衛を見た。

「はあっ⁉ 正気か? おい、義兵衛‼ てっめえ、ふざけんじゃねえぞ! てめえの大事な親友どうなってもいいのか‼ しかも、よりによって源一郎さんとこの大事な惣領っ子(後継・本家嫡男)だぞ! ちっ、おい、義兵衛‼ 聞いてんのかよ!」

 興奮して身震いする五郎太。元々赤黒い顔が一層赤みを増す。

 今にも掴みかかりそうな五郎太とは対照的に壱次は落ち着いた口調でこう言った。

「大体おめえさん、そんな細身で戦えんのか? 戦ってのは……そりゃあ厳しいもんだぞ。殺し合いだ、本気の殺し合い、この世の地獄だぞ、分かるか、ん? 第一、おめえに人が殺せるとは到底思えねえんだがなあ」

「……大丈夫さ、壱さん。こんな俺だってさ、きっと何かの役には立つっしょ」

 佐源次はあっけらかんとしている。

「何かの役かい、こりゃあいいや。はあ、ま、しゃあねえな! そこまで言うなら、義兵衛、この分からず屋は目黒家代々の系統だ。親父さんといい、お前といい、アキちゃんといい、筋金入りだわ。お前がこんな強情っ張りな奴だったとはな、佐源次」

「へへ、やっぱ蛙の子は蛙ってこと」

「なあにが、へへっ、だ。ったく、トンビが鷹ってのもあるってのによ!」

 飄々としている佐源次に一同は一瞬、ポカンとしてしまった。佐源次の減らず口と五郎太の負け惜しみに、皆、久々に笑った気がした。

 すると、板戸を叩く音がした。

「誰だ⁉ まさか?」

 一同、一瞬静かになりそれぞれが目配せした。一馬が腰を屈めながら太刀を手にして土間へ向かうと、義兵衛が頷いて一馬に合図を送った。

 一気に戸を開けようとしたその時、外にいる誰かが言った。

「おい、俺だ!」

 その声の(ぬし)、それは吉次だった。

「あ、あれ? 吉さん?」

「吉次、おめえどうした?」

「……まさか⁉ 吉(あん)(にゃ)も?」

「へっへっへ、来ちまった。お前らの話聞いたらよ、居ても立ってもいられなくってな。それに久々にお前らに会いてえなって思ってよ。どうだ? 俺もその仲良し組に入れろ!(おっかあ)には許しもらってきた。(おっかあ)、頑張ってこいってよ。ま、安全第一だけどな」

「はあ……安全って、最も危ねえ場所だろうが!」

 頭を抱えながらも壱次が茶化す。いや、そうするしかなかった。

 実は、吉次は嘘をついていた。

 淑子は戦渦に巻き込まれ、すでに亡くなっていたのだ。不幸中の幸い、子どもたちは親戚の家へ早々に身を寄せていて無事だった。

 さすがの五郎太も半ばヤケクソで言う。

「そうかいそうかい、じゃあ勝手にしやがれってんだ‼ もう、こうなったら、何でもありだ! よーーし、これで六人、雁首揃ったってわけだな。さあて、馬も刀も具足もある。義兵衛、この軍の大将は勿論おめえだ! さてと、早速だがこの六人の勇士の名前は……」

「んー、なんて言ってもうちの大将はさ、渾名が『不動の義兵衛』だからなあ」

 佐源次が口を開くと、皆、一斉に頭を捻り始めた。

「……よーし! じゃあ、『()(どう)(りく)(しゅう)』ってのはどうだ?」

「へえ、いいねそれ。とても五郎太さんが思いついたとは思えないよ。じゃ、決まり決まり!」

「フドウ……リクシュウ……か。中々いいじゃねえか! な、壱次?」

「おおう、いい名だ。こりゃ、さぞかし強そうだな」

「よ、大将! 頑張ってよ」

「義兵衛殿、どうか宜しくお願い致します。この菅原一馬、身を賭して、一所懸命に奮戦致し――」

「はい、やめぇーー、今言ったばっかだろうが! そういうの()めろってよお。毎度毎度、(かしこ)まりやがって!」

「ま、つーわけだから、義兵衛頼むぞ! お前にかかってんだ、全てはな」

 壱次は(わざ)と言った。その顔は笑っている。

「……勿論だ。俺がみんなを絶対に死なせない! 必ず、必ずこの戦に勝つ‼」

 今ここに、隻眼の黒龍と漆黒の軍団を倒すべく結成した義勇軍『不動六衆』が誕生した。


二十九、法印、動く


 伊南郷()(ぶし)村、蓮華院本堂――

 同じくその一方で、義兵衛の噂を耳にしていた蓮華院第五世法印、内藤大学も何かできないかと考えを巡らせていた。

 大学は修験者を集め、密かに反伊達軍の勢力を結集しようとしていたのだった。

「大学殿、(わたくし)も是非! まだまだ修業中の身でありますが、これでも(こう)()(ひじり)(はし)くれ。微力ながらお仕え致したい」

「うむ……ならば道戒! お主の力添え、この大学、ありがたく受けようぞ」

 さらに、義兵衛たちの活躍に感化された領民たちが次々と集い有志が結成された。

 そこには山口村庄屋、山口定義もいた。

 定義の屋敷は家屋こそ辛うじて原形を留めていたが、中は足の踏み場もないほどに荒らされていた。ただ、何とか村人たちが集まることができる程度に片付けることはできた。

 定義の働きかけによって各村の庄屋たちも協力し、なけなしの食糧や馬などが屋敷に集められた。皆、義兵衛たちに勇気づけられ、『不動六衆』に加勢しようとしていた。

 また、すでにこの頃、黒川から河原崎城へと次々に物資が輸送され、小荷駄隊が頻繁に往来していた。

 伊達軍は本陣を構え、出陣の準備をほぼ整えていたのだ。


 本格的に動き出した伊達軍――。


 河原田側の密使によって、この情報はすでに盛次の耳にも入っていた。

 程なく盛次は挙兵した。また、「野武士捜索隊」とは別班に編制された精鋭部隊が上山口・中山口周辺を警邏していた。

 ところで、相変わらず義兵衛たちを探し回っていた河原田勢だったが、いくら探しても見つからなかった。


 伊南郷青柳村、久川城――

 大将馬場安房守平左衛門、(いくさ)大将(たいしょう)(うま)(まわり)(しゅう)筆頭佐藤源助、(さむらい)大将(たいしょう)江川兵庫、副大将兼(せん)()(たい)(しょう)河原田大膳亮盛勝、(いくさ)()(つけ)(たちばな)(てる)()、足軽大将()()(もり)(ひら)(かた)(いみな)により巳代治より改名)以下、鉄砲・弓・槍大将ら各武将は、主君盛次の御前にて全軍団を率い隊列を組んだ。

 そこには五十嵐和泉守道正・大塚織部正・酒井周防守を始め、河原田家臣や星勘輔の姿もあった。

「よいか! 我らが(おん)(てき)、伊達の大本営はすでに和泉田に本陣を構えている‼ 目と鼻の先だ!」

「さらに、伊達の一派長沼の軍がすでに梁取城を落としておる!」

「我が河原田軍を勝利に導くべく、敵を悉く看破せよ! 我こそはと思う者、河原田の意地を見せつけ、その武、存分に揮い、大いに武功を挙げよ! 伊達を凌駕するのだ! 皆の奮戦に期待する‼」

「いいか、本陣は(おお)()()。我らが御館様のご期待に沿うべく、うぬら河原田の名に恥じぬ戦をして参れ!」

 各武将たちの檄が飛ぶ。

 その一番最後に、盛次は各軍団の一人ひとりを見渡しながら大号令をかけた。

「伊達は狂気の戦集団。各々、その武余すところなく存分に揮って参れ! 山岳武者の意地を見せつけよ! いざ、出陣のとき‼」

 兵たちの鯨波(とき)の声と共に陣太鼓が激しく打ち鳴らされた。

「行くぞ! 勝利を我が手に!」

 一足軽から足軽軍団の大将に大出世した巳代治(盛平)。その中には組頭の仮面を被ったあの重次郎がいた。

「巳代、いよいよだなあ。お主の武勇、とくと拝見させて頂くぞ」

「なあ(しげ)、もう冗談言ってる場合じゃねえぞ」

「ふん、うつけ! 振られ男が何抜かす」

「うぐっ、まだ振られてはいない!」

「かっかっか! その悔しさを糧に、見事伊達の輩を粉砕してみよ。しかし、それにしても出世したもんだ、お前が足軽の大将とはなあ。上手くやったもんだ。ま、尤もその俺も、おっと……」

「はあ、お前なんなんだよ、番頭のつもりか? (しま)いに兵庫さんに怒られるぞ。そうだ、ところでお前さ、ここ最近ちょくちょく顔見ないけど、どこ行ってたんだ?」

「……」

「お、お前、まさか? この俺を出し抜いて……ア、アキちゃんとか?」

「……(やかま)しい、うつけが」

(くそっ! すぐ目の前に標的がいるってのに討てねえなんてな。それにしても、このお坊ちゃんは頭ん中それだけか。だから、うつけ! って言われるんだよ。おっとっと、まあ、そんな事より……)

 重次郎は一瞬だけ、ちらりと盛次を見た。


()(どう)(りく)(しゅう)

 義兵衛を大将として結成された反伊達勢力の義勇軍。

 強大な組織に対抗するべく義兵衛の仲間が集い、今まさに出陣のときを迎えていたこのたった六名に、この地の命運が委ねられた。

 義兵衛・佐源次・五郎太・壱次・吉次・そして、反伊達軍として叛旗を翻した若武者、菅原一馬。

 (いっ)()の不動明王を先陣に、戦渦に巻き込まれその命を奪われた者たちの無念を必ずや晴らすと肝に銘じ、「()()(ちん)(せん)」の戦に臨む。


(れん)()(いん)(しゅ)(げん)(どう)(しゅう)

 不動明王の導きであると信じて結成された蓮華院第五世法印、内藤大学率いる山伏の僧兵軍団。

 大学を初め、(だい)(とく)(どう)(かい)ら九人。

 大日如来の法力を自在に操り「(だい)()(ごう)(ぶく)」、『不動六衆』と運命を共にする覚悟を決める。


(だい)(しょう)(りゅう)(おう)(しゅう)

 不動尊を篤く信仰していた郷民百余名が立ち上がり結成した集団。

 その頭領(かしら)は山口村庄屋、山口定義。

 義兵衛の奇跡的な回復は不動明王の御加護であり、義兵衛をその化身であると信じ、「(けん)(こん)(いっ)(てき)」その身を捧げ共に戦うことを誓う。


()()()(えん)(じょう)()(たい)

 夫喜代三郎を失った妻小夜を筆頭とし、戦で傷ついた者を応急処置するための衛生救護兵二十七名。

 出陣したそれそれが皆、戦禍に巻き込まれ親を失った娘たちや夫を失った妻たちだった。

 その()(きり)(やく)は片貝村大成院療養所医師、渡部成賢。

 約束では小夜ら二十七名は絶対に戦闘には参加しない筈だった。しかし、義兵衛たちには何も告げず、「(いっ)()(ほう)(こく)」自らも鎌や鉈を手にし戦火に身を投じる決心をする。


【伊南河原田軍本隊、広目天本軍足軽軍団】

 大将馬場盛平(巳代治)率いる凡そ三百名の騎馬・歩兵混成軍団。その中の三十名、一番隊は精鋭揃いの特務機関である。

 この隊が最前線斬込隊の役目と軍団統率を担う中枢となり「(きん)(こん)(いち)(ばん)」、『不動六衆』と共にその鍛え上げられた武を揮う。


【伊南河原田軍、()()(ふくろう)(しゅう)

 芳賀内膳を頭領とする(しのび)集団。数十名の細作を戦場で率いるは「熊捕り」の副頭領、森九郎左衛門。

 闇の中で生きる彼らもまた、義兵衛の力が不動明王の力であると信じている。

 この地を守る影として漆黒の軍団に立ち向かう『不動六衆』の目となり耳となり「(きょう)()(いっ)(てき)」、白日の下にその姿を曝すことを決意する。


三十、集結、「焔衆」


 河原田軍を除いたこの総勢百四十余名の勇者たちを、人々は『(ほむら)(しゅう)』と呼んだ。

 火焔の如く激しく燃え盛る闘志、未来を照らし出す光明、煩悩を打破し、(だい)()(ごう)(ぶく)して焼き払う(ごう)()

 無論、総大将は片腕の山師、義兵衛。


 その全ては不動明王の導きによって――。


 この混成軍と当主河原田盛次率いる騎馬百五十、弓隊四十、鉄砲隊五十、槍、長刀含め、雑兵ら凡そ二千五百で、黒竜王の魔人伊達政宗とその麾下長沼勢を含む総勢、六千に戦いを挑む。


 山口村上山口、沼田街道某所――

 日没を待ち、義兵衛率いる『不動六衆』が下山口から木伏村蓮華院に向かい数頭の馬を引いて歩いていた。

 一気に辺りも暗くなってきた。すると、向こうから何者かが数名こちらに向かって歩いてきた。

 風に煽られ提灯の明かりが揺れているのが見える。

「待て、誰か来る」

「伊達の奴らか?」

「……いや、分からない」

 しかし、何かが違う――、殺気を感じないのだ。しかも、雪を踏む音だけでなく、シャリン、シャリン、と金属音がする。

「何だ? この音」

「おい、義兵衛、用心しろ」

 義兵衛たちが警戒しつつ、その者たちに近づいていった。それは、大学ら数人が持っている錫杖の音だった。

 大学が修験道の仲間を引き連れて歩いてきたのだ。

「ほ、法印様!」

「おう、これはこれは義兵衛ではないか。やはり、『謎の野武士』の正体はお前らじゃったか。いや、わしものう、きっとお前たちが戦っておるのじゃろうと思ってな。お前を探しておったのじゃ。(えにし)はお前とわしを引き合わせた。これも(ひとえ)にお不動様のお導きじゃろうて」


 十一月十日、その夜、蓮華院本堂にて一同が会した――。

 時折、激しく揺れる蝋燭の炎がゆらゆらと大日如来坐像を照らしている。

 義勇軍を組織した義兵衛たちに定義が集めた食糧と馬が渡された。本堂脇の()がり()には数頭馬が繋いである。

 佐源次と一馬が皆に馬の乗り方を教えている。

 修験者の一人、大徳が作成した戦略図面を法印が説明していた。

「伊達・長沼の連合軍は恐ろしく統率されておる。恐らくじゃが……隊を何隊かに分け、最終的には全隊が合流し、一気に盛次殿を畳み掛ける(はら)じゃろうの。一方、こちらは(にわか)仕込みの軍団じゃ。よいか、おいそれとはいかぬぞ?」

 大徳が大学に訊いた。

「大学殿、こちらの兵力は?」

「うむ、盛次様の兵力は凡そ二、三千。しかし、伊達、長沼を合わせれば、奴らは裕にその倍はあるじゃろう」

 それを聞いた龍王衆が口々に言う。

「そ、そんな……」

「そんじゃ、圧倒的にこっちが不利だべや」

「じゃあ何さ、負け戦ってことかい? それじゃ、(いぬ)(じに)で終わりじゃないのさ」

「なあに弱気なこと言ってやがんでえ! こっちにゃ不動様と伊達の若武者とそれに法印様までいるんだぜ?」

「まあまあ、五郎兄(あん)(にゃ)

「どうじゃ、義兵衛よ。ここで一つ提案なんじゃが、わしらは隊を分散せずに――」

「いや、法印様、俺たち『不動六衆』が先陣を切る。法印様は娘子隊と龍王衆を掩護してやってもらえないか?」

「……うむ、ならばそうしよう」

「ところでさ、これ言おうと思ってたんだけんど。あたしゃねえ、実は旗作りたいのよ。ほら、よくあるじゃない? どうせなら格好いいの作りたいわね。伊達軍の旗あるじゃない? あの布の部分だけ引き千切ってさ、付け替えんのよ、中々(いや)()でしょう?」

「なるほど、そりゃいい案だな。指物旗かあ」

 吉次と壱次が頷きながら言う。

「その件ならば、すでに我々が……」

 修験道衆の一人が言った。

「流石だわあ、ねえ法印様?」

「うむ、すでに旗は何本も頂戴しておる。さらに(むら)(なか)の志郎が反物を分けてくれたんじゃ」

「志郎って、あの呉服屋のか?」

 本堂の片隅で修験者たちが何やら作業しているのを覗き見しながら五郎太が振り返った。

「ところで五郎太、何か不思議そうな顔をしておるが?」

 修験者数人が何やら八寸ほどの金属の棒を何本も研いでいた。

 それは「(どっ)()(しょ)」と呼ばれる法具の一つで両端が鋭く尖っている。その尖った先端部分を頻りに研いでいるのだ。

 その傍らでは、道戒と残りの修験者が幟旗を作っていた。真剣に作業する修験者たちに五郎太が話しかけている。

「おいおい、お坊さんたち。ずいぶんと張り切ってんな。ところで、そいつは何に使うんだ?」

「これですか? これは、独鈷杵という法具でありまして……」

「ど、どっこ? 何だか俺にゃさっぱり分かんねえな。それにしたってよお、この杖ずいぶんと(ぶって)えな。お、重いな……かんなり重い棒だな、こりゃ。坊さんよ、これって(くろがね)で出来てんのか?」

 五郎太は修験者が使う法具や錫杖に興味津々の様子だ。

「ところで大学殿、旗印は如何がなされますか?」

「うむ…………そうじゃ! 『カーン』という文字はどうじゃろう? (ぼん)()で不動明王を表す。それと、倶利伽羅剣に(ほのお)じゃ」

 大学は筆を取ると、紙に『カーン』の文字を書き、それを義兵衛たちに見せた。

「お、いいんじゃねえか! さっすが法印様だ。義兵衛、一馬、中々いいよな?」

「今までにない指物旗、これなら戦場で一際目立ちます。中々のものです。それに、自軍の位置が容易に分かる」

 一馬も納得している様子だ。

「カーン……か。よし、決まりだ。それでいく!」


 その頃、伊達軍麾下の別動隊長沼勢本隊は伊南久川城を攻略するべく、河原田軍が(こま)()峠に構えた砦に夜襲を仕掛け、難なく奪取すると峠を越えて(いり)()()村(南郷地区(あずま))に入った。

 そのまま山口村に入ると長沼盛秀は伊達軍との評議通りに隊を二手に分け、伊南川を挟み東西にそれぞれ二隊を沼田街道と裏街道沿いに配した。

 一隊を河原田配下大塚織部正居城の大橋城側から進撃する事とし、もう一隊を河原田本陣がある(おお)()()側へ進む配置とした。

 そして、盛秀を大将、(おり)(はし)(だん)(じょう)(さむらい)(たい)(しょう)とした二百余騎と伊達の援軍五百名が中山口に宿営したのだった。

 都合七百名余りの伊達・長沼勢は伊達本隊との合流を待っていた。しかし、盛秀・折橋弾正率いる連合軍はそこで驚愕する。

 なぜなら、到着した山口村には伊達本隊に所属する小隊二隊が何者かの手によって壊滅させられていたからだった。

「な、何だこれは‼」

「おい、折橋! これは一体どうしたことか?」

「……いや、某にも判りませぬ」

 伊達兵の死体が雪に埋もれながら散乱していた。

「待てよ、()(よう)な芸当を成せる奴らといえば、唯一つ――」

「もしや、あやつらか?」

「……恐らく。大斧を振るう、あの片腕の男かと」

「原田殿と片倉殿はこの事態を存じておるのか?」

「しかし、恐ろしき者共よ」

「ええい折橋、何も畏れるでない! 高々三、四人の野武士など。兵など掃いて捨てるほどおるではないか」

「されど、そう申されましても、まだこの辺りに潜んでおるやも知れません。奴らも同様に奇襲を得意とします故、尚、引き続き兵に警戒を怠るな、とのご指示を」

「……ううむ、まあ、そう言われればそうじゃが」


三十一、決戦、(いらい)(さき)


 ときに天正十七年、十一月十二日(新暦十二月)。

 早朝、一臂の焔龍対隻眼の黒竜との壮絶な戦いの火蓋が、今まさに切って落とされようとしていた。

決戦の場は伊南郷山口村、答ヶ崎――。


 その日は朝から大雪に見舞われ、(うま)(あし)も自由にならぬほどだった、と云う。


 答ヶ崎は現在の上山口から中山口にかけての伊南川沿いで、南郷地区のほぼ中央を流れる現在の位置とは異なりかなり蛇行していた。その場所は国道が通る台地から数メートル下がった崖の下に広がる野原(河原)だった。


 政宗も野戦を得意としており、その意味では伊達軍にうってつけの場でもあった。

 伊達軍が先に答ヶ崎に到達し、後手にまわる形で河原田軍が到着した。双方、暫しの睨み合いが続く。緊張が張り詰め、両軍の兵たちの鼓動が聞こえてくるようだ。

 先手必勝とばかりに、伊達軍大将原田左馬介宗時が名乗りを上げた。続いて後手、河原田軍大将馬場安房守平左衛門が同じく名乗りを上げた。

 すると景綱が宗時に言った。

「しかし、田舎武者共め! 宗時殿、伊達も相当舐められたものですな。控えも含め、こちらは総勢六千余り。一方、河原田勢は僅か三千程度。それもその殆んどが(にわか)仕込みの農兵共ではござらぬか」

 伊達軍はその力を如何なく発揮するため自慢の鉄砲隊を用意していた。そして、鉄砲隊の後方に長槍隊・槍隊・(いしゆみ)隊・弓隊・長刀隊などが控えていた。

 さらには、ソリで引いてきたと思われる(おお)(づつ)(大砲)も数門用意されていた。対する河原田軍も同じく鉄砲隊を用意すれども、その数は到底及ぶものではなかった。


 吹雪が一段と強まったその時、宗時が軍扇を振って号令を掛けた。


「いざ、行けえーーー‼」

 戦鼓が大きく打ち鳴らされ、一斉に鉄砲の轟音が鳴り響く。

 両軍の足軽が「うおーー‼」という鯨波(とき)とともに気勢を上げて先陣を切り、放たれた矢を追うように騎馬が後に続いた。

 雪に慣れぬ伊達兵は余りの(ふか)(ゆき)のために馬が足を取られ思うように動くことができない。

 河原田軍の足軽たちには豪雨の如き弾丸と矢が浴びせられ、開戦直後にして次々と呻き声を上げて倒れていった。


 (おお)()()村、河原田軍本陣――

 本陣にて戦況を聞いた盛次は一言呟いた。

「……やはり、某の思惑通り」

 明らかに戦況が不利と知りながら、相変わらず顔色一つ変えない盛次を気にしている様子の家臣たち。

「殿はこの状況をどうお思いになられておられるのですか……。()(よう)な事態なればこそ、何とか策を! 敵軍は(おお)(づつ)も数門備え、こ、このままでは我が軍は――」

「うむ、読んでおる。但し、敵もこの大雪でかなり苦戦しておる筈。おい、(たん)(づつ)を持て」

 盛次は周りに聞こえぬように小声でその家臣に伝えた。

「はっ? た、短筒ですか?」

「例のものを……。新式の短身火縄筒だ、二十(ちょう)ばかりあるだろう。急ぎ運べ、源助には伝えてある」

「は、畏まりました。では、急ぎ馬を走らせます」

「頼むぞ」

 程なく本陣から十数騎の小荷駄兵が駆け出していった。


 山口村、答ヶ崎合戦場――

 両軍の兵たちの血によって、雪原が見る間に真赤に染まっていく。

 兵力の差は歴然としていた中で、天候も加担し一見河原田勢が押しているかのようにも見えたが、倒しても倒しても次から次へと伊達兵は増えていくばかりだった。

 源助も身を粉にして奮闘するが、河原田勢は徐々に疲弊していき押し返されていった。

 しかし、意外にも河原田勢の予想以上の粘りもあり、さらには倍以上の兵力がある伊達軍は雪に阻まれ悪戦苦闘していた。

 そのためか戦況は大幅に長引き、伊達軍もその麾下長沼の軍勢も疲労の色が隠せない。

 盛次が遣わせた輸送兵によって、箱に入れられた二十(ちょう)の短筒が平左衛門と源助に渡された。

「殿より仰せつかりました。安房(平左衛門)様と源助殿にこれを、と」

「んん? 源助、これは何じゃ?」

「安房殿、これが三池屋が極秘に納めたという――」

「短筒隊へ、とのことで」

 平左衛門がその一(ちょう)を手に取ると大きく頷いた。

「おお、これがそうじゃったか。なるほど、例の新式火縄筒じゃな。よし! 源助、早うこれを短筒隊に」

 実は足軽軍団の一隊である一番隊(特務部隊)の他に、極秘裏に河原田軍が用意していたもう一隊があった。

 馬を駆り馬上から射撃する特殊訓練を受けた謎の騎馬隊。それは隊列を組んだ兵の一番後方に控えさせ、平左衛門・源助とその側近の前方に配していた。

 隊の名は騎馬短筒隊――、挺数に制限があるため兵数二十一名、四組で編制される精鋭部隊である。

 短筒大将は盛次の一子、河原田(だい)(がく)亮。以下、河原田侍大将江川兵庫、河原田左馬助吉次、杉岸右近進、馬場蔵人佐らで構成されていた。

「兵庫、いよいよこれを使うときがきたようだ」

 源助は兵庫らに短筒を差し出した。

「……そうか、切り札を出すのか。では確かに預かるぞ、源助殿。若様、只今御父上様からこれが」

「大学(亮)様、何卒、何卒、無理をなさりませぬよう。どうかご武運を」

 平左衛門は大学亮が幼少の頃から孫のように可愛がっていた。ましてや、それが領主盛次の子であれば尚更心配で仕方がなかったのだ。

「安房、心配はいらぬ。寧ろそなたが心配なのだ。老体に鞭打って、よくぞ大将の大役引き受けてくれた。余は、それが嬉しくて(たま)らない」

「だ、大学(亮)様……。逞しく、逞しくご成長なさられて。御父上様に、似てこられましたな」

 大学亮は兵庫から短身火縄筒を受け取り、全員に行き渡ったことを確認すると右手にそれを持ち、高々と天に掲げ大声で叫んだ。

「よいか、河原田騎馬短筒隊、これより出撃す! 一同、余に続けえーーーー‼」


 一方、盛勝は伊達軍武将らと対峙していた。

「がーっはっはっは! やあやあ、我こそは河原田持國天、河原田大膳亮盛勝! いざ、尋常に勝負せえーーーーい‼」

 仁王立ちした盛勝は自慢の大薙刀を地面に突き立てて、取り囲む敵武将らを睨みつけた。

 鐘馗の一喝で周りの伊達兵たちは皆、震え上がっている。

「さあ、どこからでも来い! 伊達武者共よ。この大薙刀で一刀両断してくれるわ! がっはっはっは‼」

 まるで戦を楽しむかのような豪快な笑い声。すると、盛勝を囲む伊達兵が一斉に太刀や槍を構えて突進してきた。

「ぬうあ! そおうりゃあ!」

 大薙刀を振るう盛勝は、巳代治(盛平)と対戦したときと同じく舞のような動きだ。

 雪面を撫でるようにすうっと掠めるかと思えば、襲い掛かる太刀を跳ね除けつつ、次の瞬間には伊達兵の頭上から静かに振り下ろす。

「ぎゃあああ‼」

 次々と斬り倒れていく伊達兵たち。

「がっはっはっは! どうじゃ、わしの前では手も足も出まい!」

 しかしその時、僅かな隙を見せた盛勝の背後に敵武将の槍が迫った。

「隙あり、その首貰(もろ)たわーーーー!」

 敵武将の声が響いた。

「盛勝様ーーー‼」

 その声は盛平(巳代治)だった。

 振り返る盛勝、その穂先は確実にその右目を狙っていた。

「盛勝様伏せてえええ! せいやっ‼」

 敵武将の背後から喉元を貫通する盛平の(おお)()(やり)。盛勝の右目、二寸手前でピタリと止まった敵武将の穂先。

「……お、おう、盛平、危ないところじゃった。まさか二度までも貴様に助けられるとはな!」

 さらに盛平は襲い掛かる伊達兵たちの猛攻を弾き返す。

 ときに槍を地面に突き刺し、その反動で空中回転したり、またときには敵に突き刺した槍を撓らせて跳び上がり、伊達兵の首を両膝で挟んで捻りながらその首を()し折ったりもする。

 盛平の独特な戦法に伊達兵たちは翻弄されている。

「がっはっは! 重ね重ね貴様のその体術には感服させられる。やはり、わしの目に狂いはなかったわ!」

(みんな戦っている。俺にだって……俺にだって、きっとやれる筈だ!)

 だが、盛勝や盛平の活躍にもかかわらず、気がつくと河原田軍は兵の大半を失い窮地に立たされていた。

すでに半日以上戦闘を続け、答ヶ崎は血生臭さと大量の屍で覆い尽くされていた。

 苛立つ伊達軍の副将、片倉景綱。

「ええい、何をしておる! たったこれだけの兵に何を梃子摺っておるか。さっさと片付けえい‼」


 方や、河原田・上杉混成軍は焦燥感に襲われ、次第に悲壮感へと変わっていく。この予想以上の長丁場によって、源助たちにも疲れが見え始めていた。

「くそ、斬っても斬っても敵が減らない。これでは我が軍が大敗を期すのも最早刻(とき)の問題。一体、一体どうすれば……」


 諦めかけたその時だった――。


 猛吹雪が一瞬止み、遠く街道沿いの丘に見たことのない指物旗を掲げた十数騎の騎馬隊と百数十名の足軽隊らしきものが現れた。


 その旗には黒地の布に何やら白字で文字らしきものが書かれている。

風にはためく謎の指物旗。両軍一斉にその旗に釘付けになった。

「あ、あの旗は何だ⁉」

「見たこともない旗印だ」

「あの軍団、援軍か? い、いや……」

 宗時にはそれが何であるかすぐに判った。

(ふっふっふ、ついに現れたか……。片腕の利かぬ男、待っておったぞ! いよいよ決着のときが来たようだ)

 盛平は両軍の兵たちのざわめきに気づき、はっ! と振り返った。

 目を凝らして遠くを見ると、それは義兵衛や佐源次たちだった。

(あ、あれって……佐源次さん、義兵衛さん? やっぱり、やっぱりそうだったんだ! 『謎の野武士』って、佐源次さんたちだったんだ!)

 同時に源助もふと思った。

(まさかっ⁉ あ、あれが謎の……。い、いや、それにしては異様に数が多い。だが、これは明らかに援軍ではないか)

 配下に向かって叫ぶ源助。

「よーし、皆の者、援軍だーー! (とき)を上げよーーーー‼」

 言わずもがな、その軍団は義兵衛率いる『焔衆』だった。

 義兵衛は額に紅色の陣鉢、髪はざんばらのまま紺の厚手の胴着を羽織り、左手に龍の刺繍が施されている籠手を着け、大熊の毛皮を右肩から腰にかけて纏っている。

 それを右腕もろとも太い荒縄で(どう)(っぱら)にきつく縛りつけていた。さらに、その縄の端は利かぬ筈の右手でしっかりと握られていたのだった。

『焔衆』の出現により、河原田勢の士気が一気に爆発し、意気消沈していた兵たちに力が漲った。

『不動六衆』が先陣を切り、一斉に馬を駆る。

 その旗には「倶利伽羅剣」が描かれ、それぞれに大きく「(ほむら)」の文字と「カーン」の文字が刺繍されていた。

 義兵衛は馬を止め、馬の胴に留めてある『龍王斧』を引き抜くと、その刃先を宗時に向けてこう叫んだ。

「原田宗時! 今こそ、因縁の決着をつけるとき‼ そして、必ずこの戦に勝利する!」

「はっはっは! 何を抜かすか、下衆共‼ 名乗りを挙げることも知らぬ俄武者が! 我が伊達軍は無敵ぞ。この宗時に刃向かうは我が主君、政宗様に刃向かうと同じ‼ よいか、俄仕込みの農兵と雖も容赦はせぬからな!」

「大筒大将、何を愚図愚図しておるのじゃ‼ あの俄武者共に早う狙いを定めんか! 奴を絶対に近づけてはならん!」

 余裕綽(しゃく)々(しゃく)の宗時に比べ、景綱は些か気が気ではない様子だ。

 その一方、大学率いる『修験道衆』は大筒の集中砲火を浴びる義兵衛の後方に控え、『龍王衆』や小夜率いる『(じょう)()隊』の盾になりながら、必死でその掩護にまわっていた。

 大学は懸念していた――、それは夫や家族を奪われた小夜たちが自暴自棄になり、自らの死をも望んで無謀な行動に出るのでは、という事だった。

 皆、橙や紫の法衣を纏っている修験者たち。

 色彩豊かなその九人は目を瞑り、馬に跨ったまま経文を取り出すと経を唱え始めた。

 それは討死していった両軍の兵たちへの鎮魂のため、そして()(ほとけ)の加護と法力を授かるための祈りでもあった。

「あ、あれは山伏か⁉ そうか、奴ら僧兵まで……。な、何をしておるのだ、急に経など上げおって。薄気味悪い坊主共め、斬れ、構わん! 坊主共もまとめて斬り伏せえい‼」

 自軍の兵たちに向かって必死で叫ぶ景綱だった。


三十二、(おお)(わし)小鷹(はやぶさ)()(もう)見参


 戦いは一気に混戦模様となった――。


 吉次と壱次は馬から降りた。

 籠手や脛当を身に付け、吉次の手には刀と槍、壱次は手斧と薙刀をそれぞれ持っている。

「壱次、俺の一世一代の晴れ舞台、よーく見とけよ。俺は奴らにゃ憎さ百倍だからな」

「吉さん、いいとこ取りはなしっすよ!」

 伊達軍の足軽や騎馬隊が二人を取り囲む。

「あちゃあ、やっぱ囲まれちまったよ」

「阿呆、心配すんな。男はな、一度ぐらいは命賭けて戦わなきゃいけねえときがあるんだ」

「吉さん……」

 二人は背中合わせになり、伊達兵に斬り込む隙を窺った。

 槍や薙刀を振り翳し一斉に攻撃態勢に入る伊達の騎馬兵。それに合わせて足軽たちも太刀や槍を構える。

 吉次と壱次は互いに目で合図しながら、襲い掛かる無数の刃を振り払い、息を合わせて騎馬兵の足を(ちから)(がわ)ごと斬りつけた。

 壱次は襲いくる足軽と刃を交え、吉次は騎馬兵と交戦している。

 五郎太は単身斬り込んで槍を振るっている。その腕力は力強く、次々と雑魚共を蹴散らしていった。

「うおおお、俺様は五郎太だあ! さあさあ、まとめてかかってきやがれえええ‼」

 叫んだ直後、背後から迫る騎馬兵が五郎太の背中を斬りつけた。

 着物が破け、左肩から腰にかけて鮮やかな血飛沫が上がった。しかし、幸いにも傷は余り深くはない。

「ぬあああ、いってえな! ちきしょう、このくそったれがあ‼」

 歯を食いしばり、必死で痛みに耐えながらも五郎太は自らを奮い立たせ、一つも臆する事せず騎馬兵に立ち向かっていった。

 猛突進する五郎太の前方に突如、轟音が鳴り響いて地面に大穴が開いた。その瞬間、雪煙で前が全く見えなくなった。それは、伊達の大筒から放たれた砲弾が着弾した音だった。


 舞い上がる大量の雪と土――。


「ご、五郎太殿ーーー‼」

 一馬の叫びが聞こえる。しかし、その心配も余所に五郎太はビクともしていない。

「一馬、心配すんじゃねえ! 俺は、たとえこの戦で命を捨てることになっても悔いはねえんだあ! うおおおおお‼」

 また、馬に長けた佐源次は巧みに伊達兵の攻撃を避けながら薙刀で払い除けつつ、我が身を顧みず突き進む義兵衛や五郎太に何やら叫んでいる。

「五郎さーーん、大丈夫ーーーー! 一旦、引きなよ‼ 小夜さーーん!」

「ばっかやろう、()()の心配よりてめえの頭の蝿追ってやがれ! これぐらい大した傷じゃねえや、分かったかよ!」

 佐源次は戦場を縦横無尽に駆け回り、味方を監察しながら状況を伝える使(つかい)(やく)(こな)している。

 その佐源次を守るようにして、馬から降りた一馬は自慢の大太刀『()()(ぎり)』を引き抜いた。

 漆黒の伊達具足に身を包んだ一馬。

 雪原の答ヶ崎に一際目立つその大男は、額に煌めく虎の(まえ)(だて)と火焔とも翼ともいえる鍬形が一層迫力を増した。

「佐源次殿、お怪我はござらぬか?」

 ちらりと後ろを振り向いて一馬は言った。その剣技は他のどの武将のそれをも凌駕するものだった。

 驚くことに、伊達の鉄砲隊が一馬や佐源次に狙いを定めて放つ弾丸を太刀一本で弾き返している。

 一馬の戦いぶりを見た五郎太が遠くで叫んだ。

「おい、若武者、おめえも中々やるなあ! ようし、俺も負けちゃいられねえ!」

 だが、その時だった。

 一馬の右頬を一発の弾丸が掠めた。右手で頬を押さえる一馬。手を退けると横真一文字に鮮血が滲んだ。

 今度は佐源次が一馬に向かって叫んだ。

「一馬! 大丈夫か?」

「くっ……。平気です、高がこれぐらい」

 一馬が頬の血を拭ったとき、隙ありとみた長沼副将折橋弾正が馬を駆り、伊達の足軽を掻き分けて一気に一馬目がけて勝負を挑んできた。

 それに気づいた佐源次がさらに叫ぶ。

「後ろ! 一馬、後ろだあ‼」

 馬を止めた折橋が一馬を睨み口を開いた。

「それにしても、変わった大太刀を持っておるのう。ふん、伊達に叛旗を翻す輩とは貴様のことか! 裏切り者は容赦なく斬り伏せよとの宗時様のご命令だ。俺は伊達軍麾下長沼副将折橋、貴様を斬る‼」

「来い! この菅原一馬の剣技、お前に見せてやる!」

 折橋が馬からゆっくりと降りた。

 一馬には及ばずとも、この折橋の身の丈、鍛え上げられた肉体、そして恰幅の良さも相まってかなりの巨漢だ。

 通称「(おお)(わし)」と呼ばれるこの男が長沼軍の両翼を担う「(しぎ)(やま)()(もう)」のもう一方の片割れなのだ。

 折橋は少ししゃがれた野太い声でこう叫んだ。

「お前ら、絶対に手を貸すでないぞ! これは俺の獲物、確実に仕留める。行くぞ、菅原‼」

「ぬあああああ!」

 刃と刃が何度も交じり合う――。

 何発も何発も刃がぶつかる音が聞こえ、両者一歩も退かない。

 鍔ぜり合いになり、一馬と折橋は共に歯を食いしばりながら睨み合っている。しかし、一瞬、折橋が雪に足を取られ膝が落ちた。

 その僅かな隙を狙い、一馬が折橋を突き飛ばして斜め下方から刀を払い上げた。

 金属音とともに折橋の太刀が折れた。

「ぬう、ぐああ……き、貴様あああ‼」

 折橋が打太刀を捨て怯んだそのとき、一馬が思い切り懐に入り胴を払った。その勢いで雪に深くめり込む一馬の右足。

 折橋の甲冑に一馬の大太刀が一筋の斬り込みを入れた。

「おうあ、あ、あ……み、見事なり……」

 折橋は雪原に崩れ落ち、その雪には血飛沫が真赤に飛び散った。若き猛虎は、鍛え上げられたその牙で長沼の大鷲を見事に仕留めたのだ。

「……勝負あったな、折橋!」

 肩越しに振り向き、折橋を見ながら一馬は言った。ところが、敵はそれだけではなかった。

「若造、中々やるようだな」

 どこからか声が聞こえる。しかも、かなり近くで囁くように。

「一馬危ない! 気をつけろ、お前の目の前にいる‼」

 遠くから佐源次が叫んだ。ところが、振り向いた先には誰の姿もなかった。

「……?」

「ここだあああ! 我が名は伊達軍麾下長沼地走団頭領、阿久津主水。菅原とやら、すでに貴様は我が術中に嵌ったのだあ‼」

 その声は上から聞こえてくる。すかさず見上げると、すでに一馬の頭上に跳び上がっていた。

「喰らうがいい! そりゃ、そりゃあ!」

 そう叫ぶと、阿久津は両手で握り手に持った八本の()(ナイ)を一気に放った。さらに一瞬で弓を手にし、無数の矢を早撃ちしてきた。

 凡そ一間半(約二、七メートル)、ましてこの(ふか)(ゆき)の中でとても人間が跳び上がれる高さではない。

 無論、その身は甲冑など身に着けていない――、闇に紛れる者、(しのび)が身に纏う黒装束である。

上空で片脚を上げ、両腕を広げるその姿はまさに獲物を捉えた「小鷹(はやぶさ)」そのものだ。

「どうだ小僧! さすがの伊達武者もこれでは避けられまい!」

 自信に満ち溢れた表情を見せる阿久津。しかし、一馬は向かってくる()(ナイ)を大太刀で次々と落としていく。その中の数本は真っ二つにされているものもあった。

(――なっ⁉ 何という奴だ‼)

「阿久津、貴様の動きなど疾うに見切っている! いいか、次は俺からだ」

 一馬は地面に降り立った阿久津めがけて右下から斜めに斬り上げた。阿久津は後方に宙返りして、それをすんで(かわ)した。

「は、早い⁉」

「ふふふ、お遊びはこれまでだ。幾ら剣豪の貴様と言えど、これでは一溜まりもあるまい。はっはっはっ! やあ!」

 再び目の前から消えた阿久津。

 遂に隠し持った焙烙玉に火を点け、一馬もろともその周囲一帯を吹き飛ばそうとした。

「皆、木っ端微塵に吹き飛ぶがいいーーーー‼」

 一馬に向けて今まさに投げられようとしたその瞬間だった――、上空にいる阿久津に向かって地上から跳びかかるもう一つの黒い影があった。

 そのとき確かに、阿久津の耳元で薄っすらと声が聞こえた。


――(なんじ)は闇に生きる者、そして、我もまた闇に生きる者――


 何が起こったのか分からなかった。焙烙玉は雪に放り出され導火線の火花が次々と消えていく。

「隙あり! 覚悟だ、阿久津!」

 一馬は倒れた阿久津が雪に足を取られ、たじろいだ一瞬の隙を突き、その頭上から大振りに振り被った太刀を力一杯振り降ろした。

「あぎゃああああ!」

 叫び声を上げた阿久津の身体は真っ二つになっていた。その身の中心を綺麗に切り裂いた『五虎斬』。

余りの力に刀身が(ふか)(ゆき)を分け、地面に深々と突き刺さっていた。

「……二羽の猛禽、討ち取ったり!」

(それにしても一体何者だったんだ、あの大きな黒い影。俺、助けられたんだよな……)

 真冬にもかかわらず首筋には滝のような汗が流れていた。

 一馬を助けたあの黒い影の正体は、他でもない森九郎左衛門だった。しかし、もうそこには九郎の姿はなかった。


三十三、裏切り者、うつけ者、そして闇に生きる者


 先の阿久津地走軍団との戦いにより、大半を失った盛平率いる足軽軍団だったがその後に急ぎ兵の補充が行われていた。

(しげ)、おい、(しげ)! 後ろを――」

「た、大将殿、大変です! 重次郎殿がどこにも見当たりませぬ!」

 敵の騎馬隊と足軽隊に囲まれてしまった一番隊と二番隊。微笑を浮かべながらじわりじわりと近づいてくる伊達の足軽兵たち。

 河原田兵の生血が滴る太刀や槍を振り被り、今まさに盛平たちに襲いかかろうとしていた。

 敵武将の一人が叫んだ。

「未だ血に餓えた我ら伊達の足軽だ。お前らなど血の一滴も残さず八つ裂きにしてくれるわ!」

「大将殿、このままでは……」

(さすがにこの数じゃ……これまでなのか……)

「ふはははは! どうした、(おそれ)をなしたかあ? さあ、追い詰められた()(わっぱ)、後はないぞ! このままどうする、んん? 返答がないな、ならばっ‼」

 敵武将が太刀を持った右手を高々と上げた、それが合図だった。足軽たちは不気味に唸り声を上げながら一斉に駆け寄って来る。

万事休す――、かと思えたその時、その僅かな間合いに煙幕と共に飛び込んでくる数十人の黒い影があった。

「なぬ? これは、煙幕! こやつらは一体何者だ!」

 盛平たちの前に降り立った黒い影。

 そう、それは一馬を窮地から救い、闇に徹しながらもあえて光の下に身を晒した『河原田安房梟衆』副頭領、森九郎左衛門率いる(しのび)たちだったのだ。

 九郎は盛平に振り返りこう言った。

「我らは河原田の影。闇に生き、闇に死すべき者。しかし、その禁を破り只今ここに推参した」

「あ、あなた方は? (しのび)?」

「……左様。拙者、安房様の下に仕える森九郎左衛門と申す」

あわ(・・)って、あの平左衛門の親仁さんのこと?」

「如何にも。巳代治(盛平)殿、お噂はかねがね」

「も、森殿、助太刀忝い!」

 漸く辺りを包んでいた煙幕が消えた。咳き込みながら伊達軍の武将が叫ぶ。

「貴様らあ、見るに(しのび)の連中だな? 河原田め、洒落た真似をしおって。田舎侍が(しのび)などと。ほれ、何をしておる! そんな輩共など畏るるに足りん、さっさと斬り殺せえええ!」

 次々に振り下ろされる太刀と突きかかる槍。盛平たちは『梟衆』と協力し、必死に応戦した。

 足軽軍団は槍を活かし後方から、『梟衆』は素早い身のこなしで攻撃を避けつつ、忍術を駆使しながら敵を翻弄していく。

 そのとき、九郎は盛平の常人離れした身のこなしを初めて目の当たりにした。

 明らかに違うその動き――、巳代治の戦い方は馬上からだけではない。

 馬から飛び降り、前屈みになったかと思うと自慢の大身槍を背中で回転させ、敵軍の太刀を弾き返した。さらには体を蝦反りにしたままで避けつつ、頭越しから背後の標的に槍を突き刺し、そのまま空中で回転しながら次の標的の首元を斬りつけるなど、『梟衆』を超えるほどの動きを見せた。

「巳代治殿、その体技、いつぞやどこで会得された?」

「これは――」

 その時――、隙を突いて何者かが巳代治の頭上から切っ先を垂直に向けて飛び降りてきた。

「巳代治殿、上から来る! 危ない、避けられよおおお!」

「かっかっかっかあっ! 隙ああああり、こーーの、うつけがあああ‼」

(はっ⁉ その声……その笑い癖……その言い(ぐさ)……)

 確かに聞き覚えのあるあの声、そしていつもと同じ言い回し。

 盛平は我が耳を疑った。そんな筈はない。まさか、まさか自分に向かって刃を向ける事などある筈がない。

「死ねえええ! (ひま)(たい)(がしら)あああ!」

 真上から確実に自分を狙って飛び降りてくる。それはまさしく、巳代治がずっと信頼してきた重次郎だった。

 盛平は重次郎の切っ先を槍で振り払おうとした。

「甘い! 貴様がなぜにうつけなのか、その理由を教えてやる!」

 九郎は斬りかかって来る無数の伊達兵を追い払うことに必死で、重次郎の動きを止めることができなかった。

 辛うじて何とか()(ナイ)を一本投げつけた。

 キンッ! と、金属音が響く。重次郎の切っ先に当たりその鉾先がわずかに逸れ、運悪く盛平の左腕に突き刺さった。

「うぐああああ! し、(しげ)っ! 重次郎なんだろ? 何でこんな真似をする! (ち、違う! 俺が知ってる重次郎とは全く……)」

 痛さの余り次第に意識が遠退いていく。

 (うずくま)る盛平の前に悠然と降り立つ重次郎。蔑むような目で見下ろし、仲間の兵らに大声で言った。

「おい、この者の首は俺が取る‼ 誰も手を貸すな! その代わり、向こうにいる賊一匹はお前らに任す! ふん、またやられたんじゃ(たま)んねえからなあ」

「……し、しげ、おまえ、おまえ……何者なん……だ」

 槍を地面に突き刺し、歯を食いしばって必死で立ち上がろうとする盛平。

「かっかっか! しげ、だとお? しげ、とはどこぞの誰ぞ。はて、そんな者がいつぞや、どこかにいたのかねえ?」

「ううっ……。じゃあ、おまえは、いったい……いったい、だれなんだ!」

「ふん、うつけに答える必要などないわ!」

 腕を押さえながら苦しそうにしている盛平。咄嗟に九郎の配下が盛平を助太刀しようと割り込んだ。

 重次郎の横、後ろ、と四方から()(ナイ)が投げつけられた。それに気づいた重次郎は跳び上がり難なく(かわ)す。

 盛平の配下の一人がすかさず近づき、その体を支えようとしていた。

「大将殿、大丈夫ですか? 九郎様、早くこちらへえええ!」

 声に気づいた九郎は、その場からサッと消え盛平の元に駆けつけた。

「盛平殿、済まぬ……。これは傷が深い。早く、誰か早く盛平殿を!」

 『梟衆』が盛平を守ろうと周りを囲み、急いで馬に乗せようと抱え上げていた。ところが、そこへ阿久津の残党が追い討ちを仕掛けてきた。

「ひゃあああお! 頭領の仇じゃ、喰らええええ‼」

 残党の一人が火の点いた(いし)飛礫(つぶて)を投げ込もうとしたまさにその時、穂先が真赤に焼けた伊達軍の槍が空を切り裂き、残党の額にグッサリと突き刺さった。

「ぎゃあああ!」

 槍の勢いとその焔によって阿久津の兵は燃えながら後ろへ吹き飛んでいき、盛平たちを取り囲む伊達軍の武将の頭上で炸裂した。

 爆音を上げ飛び散る無数の焼けた石の破片。その鋭利な破片と強烈な爆風によって、周囲にいた伊達の軍兵らを巻き込んだ。

 その槍を投げたのは他でもない、義兵衛だった。

 この広い答ヶ崎の中で、ましてや乱戦模様と化しているこの戦場で、どこにいるのかも判別できないほど遠くにいるのだ。

 皆、義兵衛が確実にその兵を狙い放ったとは到底思えなかった。

「な、何だ⁉ 誰が放った……。なぜ穂先が焼けている。し、信じられん……」

 動揺する重次郎と名乗る男の言葉に九郎は答えた。

「……それは、片腕の龍王」

「なあにい! そんな者がおるわけがなかろう‼」

「残念だが、いるのさ。(しげ)……俺は、俺はまだ戦えるぞ! (佐源次さんの幼馴染……そして、俺の、俺の恋敵。そう、義兵衛さんなんだ。片腕で戦う……)」

「うおああああ、重次郎! 河原田を裏切り、この俺を裏切り……貴様あああ‼」

 大声で叫びながら、慢心の力を込めて立ち上がった盛平。

「笑止! 死にぞこないのうつけがあ‼ ならば冥土の土産に教えてやる。俺はなあ、河原田でもなけりゃあ長沼でもねえ。政宗様直属『(くろ)(はば)()(ぐみ)』に属する間者よ。まあ、生まれは……おっとっと、それはさて置き、長かったあ、このときが。ところでや、おめえに何で俺の名を名乗んなきゃなんねえのや、あ? おだづなよ(調子に乗るなよ)。大体やあ、その腕でや、俺とまともに戦えんのかってや。ほんっとにやあ、やれるもんなら早くやれよわ! かっかっか! べらべら喋ったが、ま、そんな事はどうでもいいっちゃあ! おめえらは我らが主君、政宗様に反する賊徒。どうせ消え失せる蛆虫共なんだからやあ。せいぜい独りでむつけて(いじけて)ろ!」

「ううぐ、く、九郎さん」

 怒りに身を震わせながら盛平は九郎に目配せした。それに答えるように黙って頷く九郎。

 盛平の眼にはうっすら涙が浮かんでいる。

「かっかっか! おい、ちなみに脇にいる山賊! 貴様も誤算だったなあ。そんでは駄目だっちゃあ。そう、あのとき、この俺に(とど)めを刺さなかった己を悔いろよわあ、あの世でな」

 重次郎と名乗る間者は勝ち誇ったようにニヤリとした。だが次の瞬間、盛平と九郎は同時にその男に向かって両脇から間合いを詰め、一気に攻め寄った。

「覚悟しろーーー!」

 盛平は頬に伝う涙を拭わなかった。

 涙に滲んで男の顔が分からない。その思いをぶつけるように槍を地面に突き立て空中で回転した。

「うつけのくせにやあ! ほんとにや、おめえの戦法なんかとっくに見切ってるよわ! 泣いてばあり(ばっかり)いっとやあ、いい加減、帝(平左衛門)のおんちゃん(おじさん)にごしゃがれる(どやされる)よわあ!」

 謎の間者の慢心を余所に、目の前から盛平の姿が消え、さらに九郎の姿も消えた。

「ありゃ、な、何だ⁉ な、お、おかしな術ばあり(ばかり)使ってやあ。俺だってや、政宗様にお仕えする(しのび)……。こんな子供騙しの術なんかや、ふざけんなってやあ!」

 盛平の槍をさっと避けたその男に一瞬の隙ができ、九郎が手に持つ小さな焙烙玉を男の口に無理やり押し込んだ。

「あがあ、あが……あぐ、がああああ、ぐあっ! あっ⁉」

 それは、九郎が二度と使うまいと封印していた小型の焙烙玉だった。

 実は九郎も持っていたのだ。こうして、重次郎と名乗る謎の間者は木っ端微塵に吹き飛んだ。舞い上がる血に染まった雪と塵、そして肉片を見つめながら、盛平はただひたすら涙を拭っていた。


三十四、軍配に託す思い


 修験道衆は大学を始め、大徳や道戒らがそれぞれ錫杖・八角棒・金剛杵を豪快に振り回し、伊達の騎馬兵を薙ぎ倒している。

 槍術・棒術の使い手、義丞と剛岱は錫杖や金剛杖を手足の如く操っている。

 剛岱は巨大な金剛杖を右の掌で一回転させると力強く地面に突き立てた。

 それを右足で内払いし、大きく半回転させると、金剛杖ごと伊達の足軽と騎馬兵に体当たりを食らわせた。

 馬上からは大徳が、走る馬から飛び降りた道戒と共に迫り来る伊達の足軽に()(ナイ)独鈷杵を投げつける。

 その身のこなしは実に鮮やかである。

 特に道戒の動きには目を見張るものがあった。並走してきた二人が敵兵らの手前で二手に分かれた。

 その瞬間、道戒は手綱を掴む左手を思い切り引いた。そうする事で馬は急に立ち止まり、前脚を高く上げて上体を大きく仰け反らす。

 その反動に合わせるように(あぶみ)を蹴って斜め後方に飛び上がり、そのまま身を屈め片膝立ちで地面に降り立つと、すかさず二本の独鈷杵を放った。

 その時、遠くから大徳が叫んだ。

「義兵衛ーー! 聞えるかーーー! ここは我々が抑える。お主は一刻も早く原田を討てえーーー‼」

『焔衆』一同、皆、獅子奮迅の活躍を見せた――。

 義兵衛は大斧『龍王斧』を構え、一気に宗時と景綱に迫っていった。

 追撃する伊達の騎馬隊に阻まれながら尚も斧を振るい、バッサ、バッサと化け物たちを斬り落としていく。

「宗時、景綱、覚悟しろーーー‼」

 着物を脱ぎ捨てた義兵衛は宗時に振り向いてこう言った。

「いいか! 俺の体には不動様が宿ってる。必ず、貴様らを地獄に導いてやる。犯した罪の数々、その命で償うがいい!」

「ふん、何をほざくか‼」

 宗時は義兵衛に最後の戦いを挑んだ。馬に跨ったまま太刀を構えて突進してくる宗時。

「うおおおおお! 死すべし、義兵衛‼」

 義兵衛は微動だにしない。

 迫り来る宗時を仁王立ちして待ちながらさらにこう叫んだ。

「鬼畜の所業、許すわけにはいかぬ! よいか宗時、覚悟しろ!」

 宗時が怒りに身を任せ太刀を振り翳し、義兵衛に向けて振り下ろしてきた。それをすんでで避け、宗時の(どう)(ぱら)めがけて力一杯斬りつけた。

「うあぎゃああああ!」

 宗時の千切れた上半身がドサッと地面に転がり落ちた。

 あの時――、そう、和泉田の戦いで炎に包まれた杉のように、宗時の身体は突如発火して焼き焦がれてしまった。

 だが、義兵衛が討取ったその男は宗時ではなかった。それは宗時の影武者だったのだ。

「お、おお、こ、こ、これはまずい! 逃げねば。ば、ば、化け物じゃ。やはり、こやつ化け物じゃーー‼」

 逃げようとする景綱を追うと、今度は右手に握られていた荒縄が鞭のように撓った。そして、景綱めがけ伸びていき大蛇(おろち)の如く胴にぐるりと巻きついた。

 見る見るうちにその荒縄は(こん)(じき)に変わっていく。それはまるで(だい)()を捕縛する『(けん)(じゃく)』のようだ。

 景綱を力一杯引き寄せ、満身の力を込めて背後から斬りつける義兵衛。

「あ、うぐ、ぐはあーーーー!」

 景綱の体は頭から真っ二つに裂けたかに見えた。しかし、その瞬間『黒脛巾組』の(しのび)たちが景綱を庇い、その体を覆った。

 (しのび)たちが激しく燃えながら地面に落ちていく。

 灰と化す伊達の(しのび)たちを見つめるその眼は真赤に血走り、カアッと見開いている。

 その顔はさながら鬼の形相を呈し、不動明王そのものに見えた。


 またその一方で、『(じょう)()隊』と『龍王衆』は苦戦を強いられていた。

 娘子隊は救護班として編制したにもかかわらず、義兵衛たちに内緒でそれぞれが鎌や鉈を手にして戦っていた。『不動六衆』も『修験道衆』も、まさか小夜たちが戦闘を行うとは想定していなかった。

 それに気づいた吉次が、ありったけの大声で叫んだ。

「小夜ーー! 何やってる、早く下がれーーー‼ 法印様ーーー! 小夜を、小夜たちを頼むーーー‼」

 さらに小夜に向かって壱次が怒鳴る。

「ばっかやろう‼ おめえら死にてえのかっ! 早く逃げろーーーー! 喜代(三郎)の死を無駄にすんじゃねえ‼」

 ところが小夜らは一向に退こうとしない。

 そうこうしている内に、いつの間にか伊達兵に囲まれてしまった。不気味な笑みを浮かべ、涎を垂らして小夜に近寄ってくる。

「な、なにさ、こんな命、欲しけりゃくれてやるよ! さあ、ひと思いにやっておくれよ!」

 小夜は初めから命を投げ出すつもりだったのだ。そこに大学率いる『修験道衆』が駆けつけた。

「なぜわしらの後ろにいない! 命を粗末にするでないぞ‼ よいか、あんた方は兵ではない。あくまで怪我の手当てが本分なんじゃ。我々があんた方を守る、んじゃから無理をするな!」

 疲弊していた『龍王衆』もまた、義兵衛の人智を超えた力や仲間の闘志を目の当たりにし、皆再び奮い立った。

 それぞれが武器を手にして懸命に戦っている。

 修験道衆は『娘子隊』と『龍王衆』とを庇いながら命を賭して戦った。だがしかし、大学たちの奮闘も虚しく戦場に散っていった若い女や領民たちがいたことも事実だった。


 (おお)()()村、河原田軍本陣――

 吹雪の中、武将の一人が馬を駆り、側近を連れ立ち大急ぎで盛次の元に来た。そこには五十嵐道正、その子掃部助道忠、大塚織部、酒井周防らもいた。

 陣松明の明かりが本陣を照らしだし、吹雪で炎が激しく揺らいでいる。

 盛次は地味な戦装束。それとは対照的に、派手な色使いの陣羽織で一際目を引く道正。

 落ち着いた様子の盛次と、またそれとは対照的に道正は相変わらず落ち着かない様子で、(せわ)しなく足を揺すり膝を叩いていた。

「伝令! 殿、ご報告がございます‼」

「ん? 何事だ」

「実は、援軍……と、言いましょうか、その、探していた例の野武士と思われる者どもが、突如答ヶ崎に現れまして。たった今、敵軍と対峙しております」

「なにっ⁉ それは(まこと)か?」

「……はい、それがその数、情報では男共三名と聞いておりましたが、老若男女含め凡そ百数十名ほどいると思われ、丁度小規模な軍団ほど。また、その掲げている指物旗が非常に珍しく、その旗印には『(ほむら)』という文字と梵字、そして龍のような剣のような何かが書かれております」

 すぐさま道正が口を挟んだ。

「ほ・む・ら? 何じゃ、それは? 大塚殿、そなたは何か知らぬか?」

「いえ、某も何も……。それにしても、百数十とは……」

「……そうか、遂に来たか。どうやら某の祈りは通じたようだ。して、その者たちは?」

「は、やはり噂どおり片腕の利かぬ男が兵を率いております。しかも確認した所、その者どもの中には木伏村の法印もおりまして」

「法印?」

 もう一人が状況を話し始めた。

「法印も山伏を数名引き連れ伊達軍と交戦を。それと……もう一人、こちらの手違いではないと思われますが、伊達の甲冑に身を包んだ謎の騎馬武者がおりまして」

「な、何だと⁉ その者も野武士の味方なのか?」

「伊達の兵が……それは(まこと)か? 差し詰め奪った具足を身に付けているだけじゃろう」

「何を言っておるのじゃ! そ、そのような馬鹿げた話などある筈もなかろう! (わざ)々(わざ)、それもよりによって敵軍から客将など前代未聞じゃ‼」

 三人は俄に信じられない様子だ。

「い、いえ、恐らくその様に思われます。どういった(いき)(さつ)なのかは一切不明ですが、しかし一際目を引く大男でして、大太刀よりも大きな、我々は見たこともない長剣を振るっております。冑には珍しい虎を模った(まえ)(だて)が光り、火焔にも似た翼のような鍬形が」

盛次は大きく頷きながら言った。

「なるほど……。ううむ、よいか、安房と源助にこう伝えよ。その者たちを掩護し、必ずや伊達を討ち払えと」

 そこへ道正が余計な口を挟んできた。

「も、盛次殿、貴殿はそのような話を信じるおつもりか! (全く! 全く、盛次殿はいつもこうじゃ‼ 某には、最早……もう、どうにも理解できぬ)」

 盛次は道正らを見渡してこう言った。

「いや、間違いないであろう。その片腕の利かぬ男ならば、何が起きても不思議ではない。奇跡を起こせるやも知れぬ。おい、すぐに馬を走らせよ!」

「はは、畏まりました!」

「安房殿、源助殿に必ずや盛次様のご命令をお伝え致します」

 盛次は馬で走り去る二人を見つめながら独り呟いた。

「……『(ほむら)』か、頼んだぞ」

 そして、願いを込めるように軍扇を力強く握った。


三十五、(こく)(りゅう)(おう)、降臨せり


 山口村、答ヶ崎合戦場――

 大将が逃げ退いても未だ戦い続ける伊達の軍兵たち。

「安房殿、源助殿‼」

「おお、無事戻ったか! して、盛次様は何と仰せられた?」

「は、只今、盛次様へお伝えして参りましたところ――」

「盛次様は何と? 早う、早う申せ!」

 源助は(はや)る気持ちを抑えながら伝令に迫った。

「盛次様はあの者どもを掩護し、共に敵軍を討ち払えと」

「……そうか。ならば承知した! よいか、皆の者ーーーー、よーーく聞けい‼ これは我らが(あるじ)、盛次様のご命令である! 全軍、あの者共を掩護し、敵軍を討ち払うのだ‼ そして、必ずこの戦に勝利するぞ!」

 徐々に日も暮れかけていた空に河原田軍は再び鯨波(とき)を上げた。


 日没まで、もう(とき)はない――。


 伊達の残兵と戦い続ける義兵衛。

 背後から放たれた矢を『龍王斧』で払い落とし振り返ったその瞬間、もう一本の矢が義兵衛の右胸をグッサリと貫通した。

 その矢は異様に長く鋭い。

(なんだ? か、からだが……か、ら、だ、が痺れる)

 同時に目も霞んでくる。義兵衛は胸を押さえたまま落馬してしまった。

「義兵衛えええーーー‼」

「義兵衛殿おおお!」

 雪上に倒れ込みながら、遠くへ目をやったその先に見たもの――、何と、その矢を射たのは他ならぬあの隻眼の黒竜、伊達政宗だった。


 暗黒の妖気(オーラ)を纏い、巨大な黒馬に跨る黒竜王の魔人。

 冑には細く長く鋭い、大きな下弦の月が輝き、全身黒ずくめの戦装束。

 黒光りする不気味な伊達大鎧と黒地に金の刺繍が施された陣羽織を羽織り、(さん)(にん)(ばり)の大弓を携え遠くから高笑いしていた。

「はっはっはっはあ! 貴様、中々愉快じゃのう。そして実に奇妙じゃ。はーはっはっはっは‼」


 一同、目を疑った――。


 それもその筈、この地に現れる筈などないのだ。ましてや、この答ヶ崎に。

 政宗は黒川から手を汚すことなく、高みの見物をしている筈だった。

「物見遊山じゃ! 宗時のやつ、このわしの手を煩わせること無きようにとあれほど言った筈じゃったが、まさかこの有様とは……。はっはっは! 全く、片腹痛いわ。しかし、もう案ずるでない。その男は二度と目覚めることなど有り得まいぞ。はーはっはっはっは!」


 『焔衆』と河原田勢は一気に奈落の底に叩き落された。


「いくら叫ぼうとも無駄じゃ‼ その矢には、わしの怨念が封じ込めてある。加えて(やじり)には大蛇(おろち)をも殺す猛毒が仕込んであるのじゃ。うわーはっはっはっはっは! この政宗に仇をなす愚者共が‼ ん、どうした? その男がいなければ手も足も出まい。ところで、そういえば一人、原田の下から逃げ出した臆病者がいたとか。名は菅原……はて、何と言ったか。何万といる我が軍にあって一郎等などいちいち憶えてられん。まあ、名すら思い出せん程度の者。ふん、悲しき者よ、自らの(あるじ)を裏切るばかりでなく、()(よう)な田舎武者などに(くだ)るとは。伊達の誇りを忘れたか、全く馬鹿げた者もおったものじゃ。天下の伊達武者が聞いて呆れるわ‼」

 冷静沈着なあの政宗が初めて見せる姿だった。その侮蔑した言葉に一馬は唇を噛み締め、政宗をじっと睨みつけていた。しかし、息巻く政宗の期待は見事に裏切られた。

「……んん? まさか⁉」

 地面に横たわる義兵衛の身体が一瞬ビクッと動いた。するとゆっくり立ち上がり雪を払った。そして、胸に突き刺さった矢を力一杯引き抜いた。

 義兵衛の右胸から大量の血が流れ出している。

 いざ立ち上がったはいいが、痺れが全身に回っていくのを感じた。

「ふんっ! (こら)えるとは中々大したものだ。だがな、その毒はお前の四肢の自由を確実に奪っていくぞ、ん?」

「……」

 義兵衛は最後の力を振り絞った。

 歯を食いしばり激痛に耐えながらも矢を投げ捨てて馬に飛び乗ると、一気に政宗に向かっていった。

 同時に政宗も巨大な黒馬を走らせ、太刀を振り被り義兵衛に向かって突き進んでくる。

「まさむねえええーーーー!(こく)(じょう)地獄に落ちるがいいーーーーーー‼」

「うおおおおおお、死にぞこないがあーーーー! 今度こそ貴様をあの世に送ってやる‼」


 その時だった――、義兵衛に信じられない異変が起こった。


 義兵衛の背中からは焦がれんばかりの火焔が巻きながら噴き出し、手にしていた『龍王斧』も(ほのお)に包まれたかと思うと、見る見るその姿を変え、細長く渦巻く龍と化した。

 そして、燃え盛る地獄の業火を纏う火焔龍が巻きつき、遂に『(ごう)()()(けん)(倶利伽羅剣)』に(へん)()した。

 一方、政宗の愛刀『(おお)()()()()(ひろ)(みつ)』は次第に刀身が青黒く変化し、妖気を帯びながら空を切り裂き始めた。

 その妖気が毒霧となって刃の周りを包んでいる。さらに、政宗が吐く白い息が同じく青黒い毒霧となっていった。

 二人を取り囲む空気が、明らかにただの人間のそれではなかった。

 一瞬だが、暮れかかる太陽が政宗の顔を照らす。その顔はやはり土気色で生気が完全に失われ、雪原に映るその影も魔界の王そのものに見えた。

 伊達方も河原田方も双方、二人のその異様な姿に戦慄を覚えた。

 とうとう義兵衛と政宗との一騎打ちとなった。その光景を皆、何もできずただただ固唾を呑んで見守ることしかできないでいた。

 一発、刃と刃が交わる音がした。

 次の瞬間、利剣が宙を舞い回転しながら地面に突き刺さった。冷気に冷やされるように徐々に『龍王斧』の姿に戻っていく。

 『焔衆』の誰もが思った。

(ぎ、義兵衛……まさか、ま、負けたのか?)

 しかし、見れば政宗の額に一筋の血が滲み、眼帯がはらりと落ちた。

 冑に煌く三日月の(まえ)(だて)が折れ、甲冑も砕け、最早戦う力は残っていなかった。

 折れた鍬形の破片が飛び散り、その一片が馬に跨る佐源次の手前に突き刺さった。

 義兵衛はこのときすでに全身に毒が回り、立っているのも儘ならなかった。次第に薄れていく意識、強烈な痺れ、そして激痛が全身を駆け巡る。

「……勝負あったな、政宗。もう……もう二度と、貴様にこの地は踏ませぬ!」

 政宗は顔を手で覆いながら義兵衛に向かってこう言った。

「う、うああ、ぐ、が、み、見事なり。はあ、ああ……このわしに傷を負わせるとは、貴様、一体、何奴か。うっ、ぐはっ! 者共、聞こえるか、全軍退けえーーーーーーい‼」

 苦しそうに呻き声を上げながら血を吐いた政宗。その顔には生気が戻り、何か黒い影が政宗の身体から離れていく。

 そして、馬ごと身を翻すと、一気にその場を走り去っていった。

 義兵衛は全てが終わったことを悟った。しかし、それは同時に義兵衛自身の死を意味していた。

 気がつけば、辺りはすでに暗くなっていた。背中を包む迦楼羅焔も消え、元の姿に戻っていた義兵衛。

 静かに馬を降り、地面に突き刺さった『龍王斧』を手にすると、天を仰ぎ一言呟いた。

「遂に終わった、その全てが……」

 すると、義兵衛の全身から大量の血が噴き出した。そして、突如巨大な火柱が義兵衛を包んだ。

 その焔は義兵衛の全てを焼き尽くしていく。膝から地面に崩れ落ち、無残にも焼け(ただ)れ一気に灰と化していく。

 その時、渾身の力で空に叫んだ。

「アキィィィーーーーーー‼」

 アキは狂ったように叫びながら燃え尽きていく義兵衛の元に走り出そうとしたが、大学は首を振りアキの腕を掴んで絶対に離さなかった。

 いつしか吹雪も収まっていた。仲間たちは、いつまでも義兵衛の名を叫び続けていた。


三十六、雪原の英傑、塵芥に帰す


 翌日、アキは一人、閑散とした「答ヶ崎」に来ていた。

 昨日までの猛吹雪がまるで嘘のように、今朝は抜けるような青空が広がっている。辺りは元の静けさを取り戻し、ここが戦場であったなどとは到底思えない。

(……義兵衛、ほんとに消えてしまったの?)

 アキは涙を(こら)えることができずにいた。雪原を今ゆっくりと、一歩、また一歩と踏みしめながら歩く。しかし、(つい)に両手で顔を塞ぎ、泣き叫び、そのままその場に崩れるように(ひざまず)いた。

 義兵衛の顔、声、全てが愛しい。もう一度、義兵衛に会いたい。

 あの不器用な笑顔、ぶっきら棒な言い(ぐさ)、義兵衛と過ごした全ての思い出が走馬灯のように頭を過ぎっていく。

 そして、目に焼きついて離れない。

 父源一郎が初めてアキに洩らした言葉。

「アキ、俺はあの男にとても済まないことをしたと思っている。義兵衛がそこまでする男だとは思わなかった。あの男はとても勇敢で真っ直ぐな、心の優しい男だったんだな。命を懸けてまで……。今さらながら、それに気づくとは……」

 アキはその言葉を思い返していた。

(……もう、もう遅いよ、そんなの)

 ふと気がつくと、(ひざまず)いたその場所に薄っすらと灰のような粉に(まみ)れた何かが落ちていた。

 見ると、それはあのとき市で購入し、義兵衛にあげた御守りだった。アキはそれを灰ごと拾い、右手に強く握り締めると(おもむろ)に胸に当てた。

 枯れるほど涙を流したのに、また溢れてくる。

 アキは大空に叫んだ。

「ぎへえーーーー、ぎへえーーーー‼」

 山々に哀しくこだまするアキの悲痛な呼び声。

 すると突然、一陣の風が吹きアキの髪をさらりと撫でた。手から(こぼ)れ、風に(さら)われていく義兵衛の遺灰。

(あっ⁉ 義兵衛……?)

 その一瞬、アキは風の中に義兵衛を見た気がした。それは、ほんの少しだけアキに(ほほ)()んでいるようだった。


『我が命 不動の(ほむら)と成りしかば 儚き思い通ぜずとも 伊南の誉れと偲ばれん』


 天正十七年、冬――、この戦いに身を投じた勇敢な彼らは、華やかな歴史の表舞台に立つことなど決してなかった。

 悲しき宿命の中で懸命に生き、この戦乱末期の世を(はやて)の如く駆け抜けていった義兵衛。そして、この南会津の地を命懸けで守り死んでいった者たち。

 この戦によって討死した長沼勢を葬った塚「(こう)(みょう)(いん)塚」が、今も南会津町旧南郷地区山口に残されている、と云う。


「その後の経過」――

 この年はますます雪が降り積もり、遂に駒止峠も(とざ)されてしまった。

 翌、天正十八(一五九〇)年三月、河原田盛次の一派、河原田大膳亮盛勝が駒止峠を越えて針生(はりゅう)村(南会津町田島地区針生)に攻め入っている。

 対するは、先の戦にも参戦していた鴫山城主長沼弥七郎盛秀。双方、その兵力互角にて死傷者多数であり、また大膳亮盛勝・長沼両大将も負傷したため停戦となった。

 その後、大膳亮盛勝は大豆(まめ)(わた)村(同地区()(さわ)付近)で死去。また、長沼盛秀はその居城鴫山城に戻り、三月に死去したと云われている。

 四月以降、會津での戦闘は一切行われておらず、伊達政宗は小田原征伐に参陣、八月には豊臣秀吉が黒川(会津若松市)へ到着した。

 さらに秀吉の「奥州総仕置」が始まり、政宗は米沢へ、また河原田・山内・長沼の三氏は領地取り上げとなった。

 河原田側が秀吉に対して事前工作をしていたにもかかわらず、秀吉に却下され新たな(あるじ)を探さなければならなくなった。

 これを機に、豊臣政権下の會津全域は当時伊勢国松坂城主だった(がも)()(うじ)(さと)の支配下に入ることとなり、「(くろ)(かわ)」が「(わか)(まつ)」に改称された( [南郷村史編さん委員会, 南郷村史第一巻通史, 昭和六十二]参照及び一部抜粋)。


 この年九月、豊臣秀吉の全国統一は完遂し、長きに亘った混迷の時代は一応の収束をみた。

 乱世、戦渦に巻き込まれ、その犠牲を余儀なくされた人々の命は計り知れない――。


『曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く』


「果たして、わしは悪い夢でも見ておったのか……。さあ、皆の者、急ぎ支度をせい! 小田原参陣じゃ‼」

                                           【 完 】


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