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【戦国時代 ー人の難 衆の狂ー】  作者: ヒデキ


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【脱線二・加賀分断】

加賀の騒乱は、将軍足利義教の時代に端を発する。一四四一年、加賀守護富樫教家は義教と対立して加賀を出奔し、弟の泰高が守護職を継いだ。

一四四三年二月、加賀守護代・山川八郎が幕府の裁定に異を唱えた。加賀は騒乱に陥った。八郎とその父は、幕府の検使を前に屈したが、最期が壮絶であった。

『あづさ弓 五十をこゆる 年浪の まことの道に 入にけるかな』

死を前に、山川は、そう詠み検使に請うた。どうか、教家と泰高、御兄弟の双方を加賀半国守護に。そして腹を切った。山川の生き様は、加賀はおろか、天下の心を揺らした。

●親幕府・細川派:富樫泰高

●反幕府裁定派:富樫教家・成春父子

一四四六年七月、幕府は成春討伐に摂津満親を派し、十月教家討伐に斯波持種を派した。


だが、一四四七年五月十七日、泰高と成春の間で和議が成立した。

『京都今度半分之御成敗成下』(建内記)

幕府も尊重し、加賀は泰高と成春が半国ずつ守護を務める国とされた。だが、幕府上使・波多野が現地入りしたところ、雑掌が御教書(将軍の書状)を握りつぶし、果ては上使が襲撃を受けた。六月八日頃、波多野は討たれたという噂が流れた。

 その余波は大きかった。

『近日、畠山辺用心、夜々兵杖如有相待事』

“近日、畠山持国が用心し、夜間邸を兵で固めている”

七月十日、晩になり急に雨が降り出した。富樫成春は、加賀折半に納得していない。この報に、管領細川勝元は、邸で予定していた催しを取り止めた。


 十六日曇り。畠山持国が「早く守護を折半せよ、仔細があるなら畠山が沙汰する」との使者を成春に送った。持国は河内・紀伊、そして越中の守護である。隣国加賀の内紛を放置できなかった。加えて、都も動揺していた。

『徳政一基蜂起事、四方各仰諸大□警固、不入洛之様厳密之沙汰』

“(十六日)徳政を求め土一揆が蜂起した。入洛を阻止し警固するよう諸大名が命を受けた”

折も折、都には畠山が山名宗全を討とうとしているという噂が流れた。

『今夕彼宿所芝邊也、邊勇士不知其數』

“夕方から山名の宿所には、兵が充満している“

寺々からは読経の鐘の声が鳴り止まず、夜になっていよいよ世上は騒がしくなった。これに驚いた元内大臣万里小路時房・日野資廣・正親町持季らが参内した。

『就賀州事管領前管領両家有[石霍]執之由』

“加賀の事で、畠山持国と管領細川勝元が対立しているようだ“

東坊城長政も参内した。長政は、管領邸に出入りしている比丘尼と知音であった。比丘尼は管領から内々に「朝廷が山名を討伐しようとしているのは本当か」と聞かれたという。

時房は驚くばかりであった。

『以外之重事也、不知食者、急速被仰遣管領』

“もってのほかじゃ。朝廷は知らぬと、急ぎ管領のもとに使いを送れ“

こんな妄説を信じる者が出れば、都は争乱となる。室町殿(足利義政)が幼少である今、そんな事があってはならなかった。時房は、義教生前に、関東の足利持氏との間で似たような噂が都に流れた事を思い出した。その時は、時房と亡き満済で噂を消したが。


 結局、管領邸から使者が呼ばれた。名塩入道と「賀一」が現れ、両人に朝廷の見解が伝えられる。両人は山名邸と将軍邸に向かっていった。

 やがて、将軍邸から伊勢貞仲が来た。時房は庭上で会い、正親町持季達に応対させた。

『今夜虚説言語道断事候、更不可有御驚候、御心安思食由 室町殿被申』

“今夜の虚説、言語道断の事です。驚く他ありませぬ。御心やすくなさいますよう、上様も申しております“

『珍重』

“珍重である“

細川持賢入門が、将軍邸で朝廷の意を進言していたようだった。貞仲が退出して、ようやく落ち着いた時房は、後は退屈なばかりだと退出した。その後、管領の使者が御礼を言上し、中御門らが糾明の使者として将軍邸に行く事が決まった。この夜、朝廷は警固が鎧を付け、細川邸は内外に武者が集まり、畠山・山名邸は閉門し、庭に武者が詰めた。

『近日諸國牢籠人集洛中』

“このところ、諸国の牢人が都に集まっている“

時房は、このことに暗澹たる想いを持たずにはいられなかった。


十八日曇り。朝から、土一揆が東寺と清水寺に籠もった。この頃の日常である。この日、万里小路時房は興福寺重芸法師の来訪を受け、山城大和でも一揆が起きたことを聞いた。民は引き下がらないという。越前国坂井郡河口荘でも騒ぎは起きていた。

『代官朝倉但馬守与百姓有□論』

“代官の朝倉但馬守が百姓と揉めている”

百姓は朝倉に不法を働き、朝倉は実力行使を辞さないという。十郷の百姓が一味同心して朝倉を訴え、ついには甲斐入道から裁許を得たが、両者の相論は絶えなかった。播磨では美嚢郡守護代・斎藤若狭守が悪政を行い、この日守護の追討を受けて逐電した。

十九日曇り。土一揆は七条油小路を発向し、大名二三が防戦した。火事が広がり、土一揆は散々に誅された。二十日近江の軍勢が招集され、二十二日雨の中、山城西岡に軍勢が向けられた。西岡の土一揆には畠山の被官が多く混じった。二十四日、細川勢は鳥羽の土一揆を討った。土一揆には、民の思惑と、細川・畠山の主導権争いが入り混じった。


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