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【戦国時代をはじめよう】

はるか昔、二世紀の世界。

ローマ帝国のハドリアヌス帝が、ブリタニアに城壁を築いた時も、ティグリス川のほとりにはパルティア王国が存在し、東には漢帝国が存在できた。地球という世界は、多数の帝国を包むことができる。


異なる国家、異なる文化、異なる言葉。それは、果たして非効率なのだろうか?一七九九年、ナポレオンはエジプトに渡り、ロゼッタ・ストーンを手にした。神聖文字・民用文字・ギリシア文字。全く異なる三つの言葉は、同じことを記した。三つの言葉でこそ、文明と文明は橋渡しされたのである。


一九六〇年代、ロバート・ラングランズという数学者が意欲的な計画をはじめた。数学の全ての分野は統一できる。図形も方程式も、何もかも。全ての数学の領域は統一できる。〝ラングランズ・プログラム〝である。図形で解けない問題も、方程式なら解けるかもしれない。方程式で解けない問題も、モジュラー形式なら解けるかもしれない。一つは全て、全ては一つ。全ては繋がっている。紀元前650〜550年、インドのヤージュ・ニャヴァルキヤは言った。梵我一如。我と世界は同じである。我は宇宙を認識する。二十世紀、フランスのサルトルも、存在というものを同様に看破した。


数学には「解ける領域」と「解けない領域」が存在する。一つは全て。少なくとも、「解ける領域」は、ラングランズ・プログラムの完成と共に一つの法則に統一されるのだろう。では、「解けない領域」は?

現在、宇宙は「果てなき宇宙」からはじまったと唱えられている。宇宙を分析するため、三次元時空間に生きる我々は、今やM理論と呼ばれる十一次元時空が用いられ、分析は日々進められている。いずれ、百次元や億次元や無限次元の理論が構築されていくのだろう。宇宙のインフレーションを理解するため、「四次元時空ではなく、双対な三次元の物資理論を用いる」という手法までとられはじめた。あたかも、数学で、「方程式では解き難い問題をモジュラー形式を用いて解く」ように。真理は、我々の想像よりも、もっと柔軟でもっと一つであることが、明らかになるばかりである。だが、肝心の量子論と一般相対性理論の統合は未だ実現していない。宇宙のはじまりは、未だ〝理外の理〝の中にある。だが、おそらく、人間の理解が通用しないだけで、何らかの秩序があり、だから宇宙は存在する。それもいびつではなく、驚くほど美しい形で。

単に、今の人間が認識できないだけの、なんらかの「秩序」や「法則」。結局、行き着くところは「法則」である。遥か未来、「解ける領域」も「解けない領域」も、結局は繋がっている、と誰かが証明するのだろう。


繰り返そう。ローマ帝国とパルティア王国と漢帝国は共存できた。仮に、世界が統一されない運命にあるのだとして。それは、数学に解ける領域と解けない領域が存在するようなものではないか。

どちらが解ける領域で、どちらが解けない領域なのかは分からない。西洋が「解ける領域」で、東洋が「解けない領域」だというのは早計である。逆も然り。また、「解けない領域」が混乱と見るのも浅慮である。宇宙は特異点からはじまった。


両者は結局は同じなのかもしれない。なぜなら、インドのヤージュ・ニャヴァルキアとフランスのサルトルは同じことを言った。東洋と西洋はまるで異なりながらも、同じ結論に至った。だから、ローマ帝国とパルティア王国と漢帝国は共存できた。世界は分裂しながらも一つであり、一つでありながらもそれぞれなのである。


数学が全て一つに繋がるように、ギリシアのソクラテスが解けなかった問題を魯の孔子なら解くかもしれない。老子が匙を投げた問題をプラトンなら対応するかもしれない。

だから、世界には百を超える国がある。世界はバラバラなのではない。難問を解く鍵を百以上持つのである。


東洋の島国日本。漢字、ひらがな、カタカナ。三つの文字を持つ国。一五世紀〜一六世紀、戦国時代と、呼ばれる時代。戦国大名と呼ばれる存在が、列島を分けた。各大名はバラバラでありながらも、日本を様々に発展させた。列島の人口はかつてなく増加し、生産はかつてなく増えた。まさに、一つは全て、全ては一つである。その日本を西洋が訪れる。日本、東洋、西洋。三つの統合が行われようとしていた。


ところで、数学は一つ。物理と数学は同じ。だとして、文学と数学は、歴史学と数学は果たして異なるのだろうか?数学は0〜9の十進法などを用いているだけ、文学・歴史学はあ〜んを用いているだけである。本質的に、一体何が違う?数学で解けるべき真理があるとすれば、文学・歴史学でも解けると考えるのが、理にかなう。


孔子曰く。

『吾猶及史之闕文』

〝私は、どうにも理解が及ばない歴史の時代については、空欄のまま置いておく〝

『有馬者借人乗之』

〝馬の手綱をもっと上手に操れる人に全てを任せるのだ〝

だから、時代は南北朝時代から、一気に戦国時代に飛ぶ。

カフカの至言に半分甘え、『幸福になるための完璧な方法がひとつだけある。それは、自己のなかにある確固たるものを信じ、しかもそれを磨くための努力をしない』のだ(だが、嘘つきのカフカはひたすら書き続けた、ように。)

執筆態度は、

『述而不作』

〝とことん書くが、創作はしない〝

数学者よりも先に、真理が知りたいからである。さあ、戦国時代をはじめよう。


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