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間違えた男

 ジルベルト・カーディリアン王国騎士団副団長は、まるで物語の主人公にでもなったかのように、自らの許されざる恋に傾倒していた。



 隣国から友好を深めるために訪れている、アナスタシア姫は、それは それは美しい人だった。



 その美しさは決して見た目だけではない。誰に対しても優しくほほ笑むその様は隣国において慈愛の姫と呼ばれていることも頷けるもので、専属護衛として誰よりも近くにいたジルベルトはすぐに彼女に夢中になった。

 はじめに、隣国から訪れる姫の専属護衛に任命された時、それは副団長の仕事なのかと、少し不満に思う気持ちもあった。 だが、陛下自らの指名ということもあり、もちろん断れるはずもなく、数名の部下とともにおとなしく任務につくことになった。


 くすぶっていた些細な不満は、姫の近くにいることで、きれいに消えてなくなった。 誰に対しても地位をひけらかすことなく明るい言葉をかける。失敗し てしまった侍女を優しく宥めてその過ちをあっさりと許す。 その姿に、ジルベルトは確かに慈愛の姫の美しさを見た。


 きっと姫に恋をしていたのはジルベルトだけではないだろう。

 誰も彼もが姫に好意的で今回の友好交流は成功だと言えた。 姫は日を追うごとに、ジルベルトに打ち解けてくれた。誰もが憧れ好意を持つ姫が、一番心を許しているのが自分だと思うと、一層喜びは増し、護衛の任務に没頭していった。 おのずとジルベルトが婚約者であるレティシアに構う時間はどんどん 減っていった。



 そんなある日、姫から思いを告げられたのだ。

 上目使いで、潤んだ瞳にみつめられ、ジルベルトの心は高揚した。

 高嶺の華だと思っていた姫から、好きだと言われたその時から、ジルベルトは恋に溺れた。

 一目を忍んで盗んだキスに、頬を染めながらはじける笑顔を浮かべる姫が、愛おしくてたまらなかった。



 レティシアのことは、妹のように思っていた。だから、傷つけることが怖くて、別れを告げることが出来なかった。ましてや、婚約は家と家との問題であって、ジルベルト一人の私情でどうこうできる問題ではない。 しかし、姫から泣きながら婚約を破棄して欲しいと言われた時、こんなにも自分を思ってくれる姫に迷いは消えた。


 父に事情を伝えれば、不誠実なジルベルトをなじることはなく、二人の関係を知った父の瞳は隠しきれない不穏な光を宿していた。

 姫が書いた二人の仲を許して欲しいとの手紙も功を奏したのだろう。 隣国の姫と縁続きになれるかもしれないという絶好の機会は、父の権力への野望を燃え上がらせるには十分すぎるもので、すぐにでもレティシアとの婚約を破棄すると言い出した。


 つい数日前に、結婚式の延期を申し入れたばかりだったが、ユージェミア伯爵家が何か言ってくることはなかった。きっとレティシアが上手くとりなしたのだろう。しかし、結婚式の延期ではなく婚約自体の破棄ともなれば、向こうも黙ってはいないだろう。

 そんな懸念も、隣国の姫がついていれば表だって反発もできないだろうという父の言葉に、母達も納得し、驚くほどスムーズに婚約破棄の 申し入れは行われた。ユージェミア伯爵家からは、慰謝料の請求もなく、ただ1枚の絶縁状が届いただけだった。


 こうして、ジルベルトとレティシアの2年に及ぶ婚約期間はカーディリアン伯爵家からの一方的な申し入れにより終わりを迎えた。








 初めは、まるで羽が生えたかのように、身軽な気持ちになれた。

 ジルベルトを縛り付けていた重い鎖がすべて取り払われ、晴れて姫と一緒にいれる。ただその嬉しさで、周りへ目がいくこともなかった。


 しかし、そんな幸せな気持ちも長く続かず、数日もすれば、周囲から冷たい視線を向けられていることに気づいた。 まるで、軽蔑するかのような、そんな不愉快な視線。

 目が合えばさっとそらされてしまうそれは、幼い頃よりその容姿や身分から羨望の眼差しを受け続けていたジルベルトが経験したことのない種類のもので、あまり気分の良いものではない。 それと同時期に、今まで姫を慕っていた人々がぱたりと訪れなくなったことに気付く。

 少し前であれば、頻繁にご機嫌伺いに来る貴族達で姫のスケジュールは埋まっていたというのに、それが全くと言っていいほど無くなったのだ。


 姫もそのことに気付いているのか、少し不機嫌な様子が見て取れる。


 周囲の冷たい視線に、ぱたりと訪れなくなった貴族達。そして不機嫌な姫。

 訳が分からず困惑していたジルベルトが、その理由を知ったのは、カーディリアン伯爵家と懇意にしている貴族が主催する夜会の席だった。

 本来であれば、姫の護衛という立場から、参加は見送られるはずだったが、たまには夜会の場にも顔を出す必要があるという、父の言葉で半強制的に参加させられていた。


 正直な話、ホッとしていた。

 婚約を破棄してからここ数日、姫がべったりとくっついて離れてくれないので、正直なところ少し疲れていた。 婚約破棄をする前は、遠慮がちにおずおずと甘えてくる様子が物慣れない少女のようでかわいいと思っていた。

 しかし、最近では誰にもとられたくないとばかりに、べたべたと触れてくる姫に、以前の面影はあまり見られない。 部下や侍女たちがいるのだからと宥めても、聞く耳を持たない姫に、ジルベルトは嬉しい気持ちよりも困惑の方が大きくなっていった。

 だから、今夜は少し羽を伸ばせそうだと、そう思っていたのだが、王宮で感じる視線と大差ない冷たい視線は相変わらずジルベルトにつきまとう。

 

 この様子だとあまり気分の良い時間は過ごせないだろう。そう思いテラスに出ようとすると、どうやらそこには先客がいたようで、会話が聞こえてきた。




「カーディリアンのせがれもよく社交界に顔を出せたものだ」



 どうやら自分のことを話しているらしいが、その内容は不穏なものだ。



「あぁ。あのユージェミア伯爵令嬢を紙切れ1枚で捨てておいて、隣国のわがまま姫を選ぶだなんて、正気の沙汰じゃない」


「隣国のお姫様。またわがままで侍女を一人クビにしたらしい。まったく我が国の人間をなんだと思っているんだ。お姫様のせいで、陛下も隣国へ悪感情を募らせているらしい。まあ、陛下自ら早く帰るように促したのに、勝手に滞在の延長を決めて王宮に居座っているんだか ら、それも仕方がないか…………初めは私もすっかりお姫様の猫かぶりに騙されていたが、身に沁みついたわがままは、隠しようがないな。 私もひどい目にあったよ。まさか家宝を差し出せと言われるとはね」



 冗談めいた言い方だが、その口ぶりは辛辣だ。嫌悪を隠しもしないその様子に、相当頭にきていることが分かる。



 ジルベルトが茫然としたまま耳にしたのは、初めて知る話ばかりだった。




 姫のわがままで侍女がやめさせられた?


 勝手に王宮に居座っている?


 家宝を差し出せだなんて、どこの国の傲慢な独裁者だ。



 どれもこれも、姫とは結びつかないものばかりだ。 だって、姫は慈愛に満ちていて、失敗した侍女も優しく慰めるような優しい人のはずで。

 ジルベルトが失敗してしまった侍女の顔を思い浮かべると、今は姫の側にその姿が無いことに気付いた。

 茫然とするジルベルトに気付くことなく、さらに貴族達の会話は続く。



「今回のお姫様の態度が目に余るということで、陛下は隣国と友好条約を結ぶことを見送ると、昨夜おっしゃっていた」



 どうやら、片方は陛下に近い位置にいる人間らしい。だがそんなことよりも。



「へぇ。それじゃあ、カーディリアン伯爵家がいくら隣国の王族とお近づきになっても、我が国では何の影響力もないってことか」


「そういうことになるな。ユージェミア伯爵家は、二度とカーディリアン伯爵家と関わりを持たないって宣言しているからな。この先成り上がりのあの家につく貴族は減るだろうな。ましてやユージェミア伯爵家の後ろには昔から公爵家がついているからな」


「それにしても、馬鹿なことをしたよな。カーディリアン伯爵もその息子も。もう少し待てば姫の本性も陛下の意向も分かったというのに、先走って婚約破棄などするから」


「まあ、個人的にはわがまま姫とぼんくら息子でお似合いだとは思うが」


 もう、それ以上嘲るように話す貴族達の会話を聞くことはできなかった。





 顔を真っ青にして夜会の席を後にしたジルベルトは、王宮に戻るやいなや姫の居室へと向かった。 ノックをして許しを得ると、間髪入れずにドアを開く。そして、侍女たちに髪の手入れをされていた姫が、ジルベルトの姿を見て、嬉しそうにほほ笑んだ。



「どうしたのジル。今日は夜会だから遅くなるって言っていたのに。わたくしが寂しいと言ったから、切り上げて来てくれたの?」



 いつもであれば、微笑み返して、頬にキスの一つでも送っていただろう。だが、そんな気持ちは少しも湧き上がらない。




「姫、あなたが、侍女を何人もクビにしたというのは本当ですか」



 ジルベルトの言葉に、姫の髪の手入れをしていた侍女たちは青ざめた顔で固まる。



「それに、とある貴族に家宝を差し出すようおっしゃったとか」



 あんなにも焦がれたその人を冷めた目で見つめる自分が不思議で仕方がない。貴族達の言葉が嘘ではないことに、ジルベルトはすでに気づいていた。


 その片鱗は、いたるところに転がっていたのだから。


 小さなミスにさえ自害しそうなほど顔を青ざめ低頭していた侍女たち。

 隣国の姫のご機嫌を損なったクビになったとなれば、行儀見習いで城に出仕している侍女達からすれば、縁談にも響きかねない。



 次第に訪れなくなった貴族達。

 昨日まで見かけなかった宝石を身に付けていた姫を幾度となく見た。

 きっと、家宝を求められた貴族は一人や二人ではなかったのだろう。



 周囲からの冷たい視線。 専属護衛といえども、四六時中ついていることは不可能だ。副団長としての仕事もあるため、どうしても抜けなければならない時もあった。自分がいないときに、それらの我儘ぶりは発揮されていたのだろう。

 初めは誰に対しても完璧に猫を被っていたようだが、もともとが我儘な姫だとしたら、自分の願いが通らない状況に嫌気がさして、権力をかさに我を通すようになったことなど、簡単に想像できる。



「それが、なに?」



 まるで大したことではないと言わんばかりのその表情に、ジルベルトは吐き気を覚えた。

 どうして、こんな人を身も心も美しい女性だなんて思っていたのだろうか。自分で自分が信じられない。

 人を人とも思わず切り捨て、人の宝物を平気で欲しがる。ただのどこにでもいる強欲な女ではないか。しかも権力を持ってるばかりに一際たちの悪い。



「わたくしのドレスに紅茶がかかったのよ。クビにするのは当然でしょう。それに、わたくしが時間をとってお話して差し上げているのよ?家宝くらい献上するのが当然じゃなくて?」



 ジルベルトに全て露見したことで、開き直ったようだ。優しくで控えめな美しい人はもうどこにもいなかった。 眉を吊り上げてぺらぺらと赤い唇から零れる理解不能の言葉に、ジルベルトは顔を顰める。




「あなたは、醜い」




 その言葉に、初めはきょとんとしていた姫だったが、意味を理解した途端その顔は歪んだ。



「わたくしが醜いですって?このわたくしが?いくらジルでも許さなくてよ!」



 どうして気づかなかったのだろう。誰もが姫の本当の姿に気付いていたのに。


 それこそ恋は盲目といった言葉が浮かぶ。 だが、もはや姫のどこが好きだったのかさえジルベルトには分からなかった。



 傾倒していた恋からはっきりと覚醒した瞬間、思い浮かんだのはレティシアのことだった。

 今更許されるはずなんてないのに、脳裏をよぎるのは、式の延期を告げた時の辛そうな表情。 妹のように大切にしていたはずなのに。熱に浮かされたようにのぼせ上っていたジルベルトは、まるで古びた洋服を捨てるように、あっさりと何のためらいもなくレティシアを捨てたのだ。



 一度冷静になると、ますます自分の行動が信じられない。 なぜ、将来を誓い合った相手をあんなにも不実に、横暴に切り捨てる事が出来たのだろうか。少し前の自分が許せない。

 怒りの形相で金切り声をあげながら睨み付けてくる姫を見返すことなく、無言で部屋を出たジルベルトは、少しでも姫のいる場所から離れたくてあてもなく歩いていたが、やがて静かな廊下で力尽きたように崩れ落ちた。




「…………醜いのは、僕だ」




 全てを姫のせいにしていいはずなんてない。もちろん、姫のやったことは心底軽蔑するが、瞳を曇らせて、真実に気づけなかったのは、ジルベルトだ。


 そして、二度と取り戻せないと自覚してからかつての婚約者が惜しくなるなんて、なんと浅はかで汚い男なのだろうか。 心のどこかではずっと気にしていた。だが、意識しないようにしていた。もう後戻りなどできないのだと自分に言い聞かせていた。

 

 そうまでして選んだものは、本当に欲しかったものなのかさえ分からない。






 座り込んだまま目を瞑っていると、コツコツと誰かの足音が近づいてきた。


 夜とはいえ、まだ遅い時間ではない。王宮の廊下など誰が通ってもおかしくはないだろう。 しかし、立ち上がることはできなかった。

 不思議なほど体に力が入らないのだ。 王国騎士団の副団長ともあろう人間が、この体たらくなど、情けないにもほどがある。


 どうかそのまま通り過ぎて行ってほしい。その祈るような願いは、目の前で止まった足音で潰えた。




「気分でも悪いのかい?」




 低く甘い美声。




 ジルベルトは、この声を知っている。


 はっと顔を上げると、そこには予想通りの美貌の人が立っていた。

 宰相であるライアン・シュバルツ公爵。伯爵子息であるジルベルトからすると王に次いで雲の上の存在である人。


 なぜ、そのような人が、わざわざ自分などに声かけるのか。




「いえ、申し訳ありません。少し立ちくらみがしただけなので、ご心配なく」



 流石に公爵の前で情けなくしゃがみこんだままという訳にはいかない。なんとか立ち上がると、頭を下げて、立ち去るのを待つ。 しかし、一向に立ち去る気配を見せない公爵に、ジルベルトが訝しげに顔を上げると、その美しい瞳はじっとこちらをみつめていた。





「君には感謝しているよ」





 前後の脈絡のない言葉に、ジルベルトは困惑したように、目の前の人を見つめる。



「…………感謝、ですか?」



 何がおかしいのか、くすっと笑ったその人は、ほころんでいる口元とは裏腹に、冷たい瞳でジルベルトを見据える。



「そう、感謝。レティシアを私に返してくれてありがとう」



 思いがけない言葉に、目を見開いて、目の前に立つ美貌の公爵を見る。


 なぜ、レティシアの名前がこの人から出てくるのだろうか。

 シュバルツ前公爵とユージェミア伯爵が旧知の仲ということは、よく知られた話だが、現公爵とレティシアに交流があるだなんて話は聞いたことがない。

 レティシアも一度としてシュバルツ公爵の話をしたことはなかった。

 それに、『返す』とはどういうことだろうか。


 嫌な汗が背中をつたう。

 心臓がバクバクと音を立てている。




「レティシアのことは私がこれ以上ないほど幸せにする。だから君もお姫様とお幸せに」



 気が付けば、いつの間にか公爵の姿はどこにもなかった。 一体どれくらいここに立ち尽くしていたのだろうか。




 レティシア。 ジルベルトにとって妹のような存在。 大切に思っていたはずなのに、偽りの仮面を被った姫にのぼせあがり、あっさりと捨ててしまった彼女。



 きっと、あの公爵なら幸せにしてくれるだろう。 自分なんかよりよっぽど、幸せに。



 だが、この何もかもを壊してしまいたいほどの凶暴な感情は一体何なのか。 震える手を握りしめて、強く目を瞑る。


 犯した過ちの大きさなんて分かり切っている。

 それなのに、他人のものになってから、惜しくなるだなんて、許されるはずがない。醜悪な自分をジルベルト自身が許せない。 それでも、後から後からこみ上げる思いは全てレティシアへと向かうものばかり。


 姫を思うと心が温かくなった。笑顔を見ると嬉しくなった。 姫を思う時は、ただただぬるま湯につかるような、温かい感情ばかりがあった。


 レティシアを思うと身を焦がすような焦燥感を覚え、笑顔を思い出すと、胸が締め付けられるように苦しくなる。



 二人へ向ける思いの違いにジルベルトは気づいてしまった。

 他人のものになると知ってから気づかされた思い。

 きっとこれは罰だ。 あんなにも真っ直ぐに慕ってくれていたレティシアを、妹の様な存在だと決めつけて、自分の思いにきちんと向かい合わなかったから。


 気付いてみれば何てことはない。ただ自分の醜い部分をさらけ出してレティシアに嫌われてしまうのが怖かっただけだ。


 仮初の恋に溺れたジルベルトを、レティシアは二度とあの熱を持った瞳で見つめてはくれないだろう。 傷ついた彼女を優しく包み込むのは、きっとあの美貌の男。



 失ったものは二度ともとには戻らない。



 ジルベルト・カーディリアンは、再び力なくその場に座り込んだ。






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