★☆★第2夜★☆★ ベティと黄金の犬
みなさん、メリー・クリスマス!!
毎年、クリスマスの日に1話ずつ更新していきます。
第2話目です。
どうぞお楽しみ下さいませ♪♪
ここ数日降り続けた雪が、街中を幻想的な世界へと染め上げていく。
休むことを知らない冬の妖精たちが、天から地へと雪の結晶を運び続けてくれる。そんな中、子供は目を輝かせて喜び、犬は嬉しそうに辺りを駆け回り、猫は風雪から逃れるように狭い場所でじっとしている。
純白の雪は、人と動物の垣根もなく、また貧富にも関わりなく、誰の上にも平等に降り積もった。そして、道端で縮こまりながら靴を磨く、アダの上にさえも。その汚れきった身を洗い流そうとでもするかのように、冬の妖精はアダの上に雪を運び続けていた。
「はい、終わりましたよ」
「うん、そうか。ありがとう」
「45マルカです」
「ああ。……ほら」
「50マルカですね。今、お釣りを……」
「いや、いい。それは君にあげるよ」
「え、でも……」
「いいんだ。僕はこれからデートでね。雪の中を急いできたら、随分と汚れてしまった。どうしたものかと思っていたら、君を見つけたんだよ。本当に助かった」
「いえ、靴を磨くのが私の仕事ですから」
「まあ、それはそうだろうが……。ほら、今日はクリスマス・イヴじゃないか。メリー・クリスマス! 僕からのささやかなプレゼントだと思って、受け取っておくれよ」
そう言うと客の男性は、とても満たされた笑顔でアダに手を振り、きらきらと輝く街の賑わいの中へと消えて行った。
残されたアダは、手のひらに乗せられた5枚の銅貨を冷めた目で見つめる。
「たった5マルカがクリスマスプレゼントか」
5マルカなど子供の駄賃にもなりはしない……そう思いながら、アダは握りしめたコインを無造作にポケットへと押し込んだ。その時、指の先に硬い物があたった。溜め息混じりにそれを取り出してみる。それは、アダの手のひらほどの大きさの懐中時計だった。
金色の輝きを放ち、青い貝の盤面に星型のインデックスが散りばめられ、銀色の研ぎ澄まされた3本の針が時を示していた。もう日も暮れかけ、午後5時を回ろうとしている。ちょうど1年前のこの日、サンタクロースを名乗るニコラウスという青年に出会った。そして、この懐中時計を託されたのだ。
二コラは言った。苦しくなったらこれを使ってごらん、と。
アダは、ぎゅっと懐中時計を握りしめた。
だが、ニコラはこうも言った。これは、毎年1度だけ…聖なる夜にのみその力を解放できるのだと。
「聖なる夜……」
アダは、1年も前から覚悟を決めていた。その力が本物であるとするなら、今夜、アダはそれを使おうと考えていたのだ。
辺りは徐々に暗くなり、それに伴うように色とりどりの光が街中を包み込んだ。華やかな音楽が流れ、この日の夜は日中よりもずっと賑わいを増したようだった。
「もう、いいかしら」
日が暮れて客足も遠くなったので、路上に座り込んで夜を待っていたアダは、街がより一層に賑わい出したのを見て立ち上がる。そして、ポケットから黄金に輝く懐中時計を取り出した。時計の針は、夜の6時を回っていた。アダは、時計を額に押し当てるようにして願う。
「お願い。私を死なせて」
何も起こらなかった。賑やかな街の様子とは裏腹に、アダの周りだけは変わらず静寂が支配していた。
「ねえ、今日は聖なる夜よ。聖なる夜に1度だけ願いを聞いてくれるのでしょう? お願い、私を死なせて。お願い…私を、お母さんのところに連れて行ってよ!」
アダの母は、長らく病床にいた。1年前、母の病を治して欲しいと二コラに願ったのだが、彼は首を横にふった。たとえ薬があったとしても一時凌ぎにしかならないから、と。余計にアダと母を苦しめるだけだと言い、ニコラはアダの願いを退けた。そうして、その年が明けて間もなく、アダの母は天に召されたのだった。
母を亡くして以来、アダは生きる気力を失っていた。何をするでもなく、家でぼうっとする日々を送っていたのだ。それが、ある日、気がつくと心配そうにこちらをのぞき込む女性と目が合った。それは、隣の家に住む女性で、年の頃はちょうどアダの母と同じぐらいだった。
アダは、脱水症状と空腹のために気を失っていたらしい。もう少し発見が遅かったなら、母のもとへと旅立っていたかもしれなかっただろうとおばさんは言っていた。隣の家のおばさんは気の良い人で、母を亡くして鬱ぎ込んでいるアダを陰ながら気にかけてくれていたのだ。
おばさんは、アダに雪を含ませ、少ない食糧を分け与えた。そうして命を拾ったアダは、次の日からまた街に働きに出ることにしたのだ。それは、優しいおばさんに心配をかけたくないという思いからだった。だが、ふとした瞬間に思う「死んでしまいたい」という気持ちだけは、ずっと消えずにアダの中に残った。
母を思い出すたびに、同じだけクリスマス・イヴの夜に出会った青年のことも思い出した。そして、託された懐中時計のことも……。
ニコラは言った。
―毎年1度だけ、聖なる夜にのみその力を解放することができるんだ。苦しくなったら使ってごらんー
だから、アダは待った。母を亡くして以来、この日をずっと待ち望んでいたのだった。
突然、オルゴールが鳴り出した。蓋がわずかに開いている。
時計の針が、高速で逆回転していく。
文字盤に描かれた、サンタクロースを乗せたソリが動き出したように見えた。いや、確かに動いている。小さな文字盤の中で、7頭のトナカイが夜空を軽快に駆けていた。
ぱかりと、文字盤が反り返り蓋が完全に開かれた。
「あっ……」
―まぶしい……!
そう思った瞬間、アダは反射的にぎゅっと目をつむる。温かい光の雨が、冷え切った肌に心地良かった。
目を開くと、アダは見知らぬところにいた。
まばゆいばかりの光に包まれた、広い場所だった。見たこともない、高価そうな物がたくさん並べられている。見上げると天井はかなり高く、きらびやかに飾りつけられた電灯がぶら下げられていた。
「うわあ……」
そう感嘆の声を上げたつもりだったが、実際に出たのは、
「くうん……」
という声である。
「え……!」
驚きに声を上げるも、
「わん……!」
という声が耳に届いた。しかも、それは、明らかにアダの声とは違う。頭が真っ白になって途方にくれていると、部屋の扉が開かれた。
「どうしたの? コメット」
女の子だ。ふわふわの金髪を靡かせた背の高い女の子が、部屋に入るなりアダに声をかけたのだ。女の子はアダの前にしゃがみ込む。そこで気がついた。女の子が背が高かったのではない。アダが伏せていただけだったのだ。
「コメット」
女の子が言う。
「違うよ、私はアダ」
そう言ったつもりだったが、またも、
「くうん、わん」
と、まるで犬のような声が漏れた。いや、まるで、ではない。部屋の片隅には、全身を映せる鏡が置かれていた。それはちょうどこちらを向いていて、アダと女の子を映し出していたのだが……。どういうわけか、そこにアダはいなかった。アダは、女の子に向いているのが自分だと認識できる。しかし、鏡に映る自分は、自分ではなかったのだ。
それは、美しい黄金の毛並みを持つ動物だった。女の子ぐらいならその背に乗せられるのではないかと思えるほど、大きな大きな犬の姿だった。
「そうね、そろそろご飯の時間よね」
アダの鳴き声をどのように解釈したのか、女の子は部屋の扉を開けると、
「ユリウス」
と呼ばわった。間もなく、黒スーツをびしっと着こなした、白髪の混じった茶髪の初老男性が現れた。
「はい、お呼びでしょうか。ベティお嬢様」
「コメットにご飯を」
「はい、ただいまお持ち致します」
女の子はベティというらしい。お嬢様と呼ばれているということは、富裕層の子なのだろう。ユリウスという使用人らしき男性が去ると、ベティはまた部屋の扉を閉めた。
「コメット、もうすぐご飯がくるからね」
ベティは、アダの前にしゃがみ込むと、綺麗に笑いながら頭を優しく撫でてくれた。
それから間もなく、部屋の扉が叩かれると同時に、
「ベティお嬢様、お持ち致しました」
との声とともに、ユリウスが入室する。その手には、銀製の大皿があった。それをアダの前に置く。
「さあ、コメット。召し上がれ」
ベティが優しげな眼差しを送ってくる。実は、アダも空腹ではあった。しかし、アダにもプライドはある。いくらなんでも、犬の餌を口にするなど耐えられなかった。
「どうしたの、コメット?」
ベティが心配そうにこちらをのぞき込む。
「お腹、空いているのでしょう?」
―空いているわ……。
そう思ったら、思わず、
「くうん」
と鳴いてしまった。
「ほら、やっぱり空いているんじゃないの」
ベティがふわりと笑うので、アダは自分が痩せ我慢をしているようで、少し恥ずかしくなって視線を落とした。すると、銀製の大皿に乗せられた餌が目に入る。ごくりと、アダの喉が鳴った。
これは、本当に犬の餌なのだろうか。アダが今までに見たこともないような、美しく盛りつけられた料理がそこにあった。見た目だけではない。今までに嗅いだことのないような芳醇な香りも漂ってきている。
ごくり……。
また、喉が鳴る。
次の瞬間、アダは餌にかぶりついていた。
……美味しかった。これまでに口にしてきたどの料理よりも。アダは、ひと口ごとに満たされるような思いであった。
あっという間に食べ終えると、ベティは笑いながら頭を撫でてくれた。犬の餌がこんなに贅沢なものであるなら、ベティはいったいどんな素晴らしい料理を食べているのだろうと思っていると、
「ベティお嬢様、お嬢様もそろそろお食事になさいませんか?」
ユリウスがお伺いを立てた。しかし、
「まだいいわ」
ベティがアダを撫でながら言う。しばらくの沈黙があり、再びユリウスが口を開いた。
「お嬢様……」
「わかったわ。食事を摂ります。持ってきてちょうだい」
「……かしこまりました」
間もなく食事が運ばれてきて、食卓に並べられた。寝そべっていたアダは、身を起こしてそれをのぞき込む。思った通り豪華な食事だった。だが、その量はかなり少なかった。アダに出された餌の半分ぐらいの量だったのだ。それを、ベティはナイフとフォークを上手に使って食べる。2、3回口に運んだあたりで、ベティはナイフとフォークを置いた。
「もう下げてちょうだい」
「お嬢様、いけません。もう少しお召し上がり下さい」
「もう無理……」
「お嬢様」
「食べたくないの」
「それではお体が……」
「食べられないの! どうせ私はもうすぐ死んじゃうんだもの。放っておいてよ!」
言ったあと、言い過ぎたと思ったのか、
「……ごめんなさい」
ベティは素直に謝った。ユリウスはまったく気にしていない様子で、
「わかりました。では、食後のお茶をお持ち致しましょう」
そう言うと、ほとんど手のつけられていない食事を持って退室していった。
うつむくベティを見て、アダは励ましてやりたくなった。ベティのもとへ行き、その身をベティの足元に擦りつける。ベティは笑いながら、アダを撫でてくれた。しかし、その手は小刻みに震えている。
「コメットはいいわね、たくさん食べられて。私は駄目なの。喉の奥に出来物ができて、どんどん大きくなって、食べるたびにすっごく痛むの」
よく見れば、ベティは裕福な家のお嬢様とは思えないほど、がりがりの体つきをしていた。また、声も、時折濁音が混じったように聞こえてくる。
「ユリウスを怒鳴ってしまったわ。ユリウスは、お父様やお母様よりも長く、ずっと私の傍にいてくれたのに……」
アダの鼻先に滴がぽとりと落ちた。思わず舐めとると、塩の味がした。
「今日はクリスマス・イヴよ。なのに、お父様もお母様も、ずっと遠い所に行っているの。帰るのはひと月後ですって。珍しいお土産を買って帰るからって言っていたけれど、ふたりとも全然わかってないのよ。私、そんなもの望んでないの。ただ、普通の家庭のように、家族でクリスマスを過ごしたいだけなの」
滴は止めどなく流れ落ち、アダの毛を濡らしていった。
「私ね、もう助からないの。お父様とお母様は、必ず治すと言ってくれているわ。それで、今もその方法を探しにでかけているの。でも、私にはわかるの。きっと、今夜、私は死んじゃうんだわ」
思わずベティを見上げた。ベティは、涙に濡れながらも、優しい眼差しをアダに向けている。
「コメットに出会ったのは、7年前のクリスマス・イヴだったわね。パーティに行った帰り道、泥だらけのあなたを拾ったのよ。覚えてる? そして、ちょうどその頃、私に病があることがわかったの。私、あなたはきっと、サンタクロースの使いなんだって思っていたわ」
「……」
「それから年々、私の体は思うようにならなくなった。それで、思ったの。私は、コメットが私のもとに使わされた日から7回目のクリスマス・イヴの夜に天に還るのだろうって。ほら、7は完全を表す数字でしょう? 私の人生が、そこで完了する……みたいな、ね。それに、私も願っているの。もうこれ以上、痛いのも辛いのも嫌なの。ユリウスだって、いつも私の世話ばかりで……。私、楽になりたいのよ。ユリウスのことも、楽にしてあげたいの」
これが、本当にアダと同じ年頃の少女の言葉だろうか。アダも目頭が熱くなるのを感じていた。それとほぼ同時に、自分がなぜコメットの体を借りてここに呼ばれたかを理解した。
―私とベティは、似ているんだわ……。
環境も立場もまるで違うけれど、寂しくて、苦しくて、死んでしまいたいと思うほどに切ない……。その心において、ふたりはよく似ていた。ベティを見て、客観的に自分を見てみなさいと言われているようにアダには思えたのだ。
そして、アダは客観的に見て、ベティの友人としてなにをしてあげられるのだろうかと考えた。
ベティを助けられるのなら助けてあげたい。でも、富豪の両親が7年もの間探し続けても見つからないのだ。おそらく、今の医学では治すことはできないのだろう。
治せないなら、延命しかない。しかし、その結果がこれなのだ。年々出来物が大きくなり、痛みが増し、食事もろくに喉を通らず、風が吹けば飛びそうなほどにがりがりに痩せてしまっている。その上、傍にいて欲しいはずの両親は、ベティの病を治すためにその治療法を探し求めてほとんど家には帰ってこないという。命を長らえたからといって、これが本当に幸せだと言えるだろうか。
―なら、他には……?
アダは考えた。ベティが言うように、心安らかに死なせてあげることを願うのも、友人としてのひとつの愛なのではないだろうか。もう助かる見込みがないのなら、せめて苦しまないように、心穏やかに、と……。
―二コラ……。
アダは、心の中でサンタクロースの名を呼んだ。
がちゃり、扉が開かれる音に目を覚ました。アダは、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。背中に温かい重みを感じる。
「ベティお嬢様」
ユリウスだ。足早にこちらに向かってくる。
「ベティお嬢様。……お嬢様!」
アダの前に膝まづくと、ユリウスはアダの背中に乗っかかっていたものをどけた。それは、ベティだったらしい。
―眠っているのかしら……。
そう思ったアダだったが、ユリウスの表情を見てそうではないのだと悟った。ふと、ユリウスの背にした壁にかけ時計が見える。時刻は、ちょうど夜の12時を回っていた。
ひとつ瞬きをし、目を開いた瞬間、アダの目には銀世界が広がっていた。いつの間にか、家の外に出されたようだ。目の前の家の窓から、ベティとユリウスが見える。コメットの姿はなかったが、なぜかユリウスがそれを気にする様子は見られなかった。
降り続く雪が、黄金の毛並をひんやりと湿らせていく。アダは、まだコメットの体の中にいるらしい。
「お帰り、コメット」
突然に声をかけられ、驚いてふり向いた先には、もみの木の枝に腰をかけた銀髪の中年男性がいた。
「うん? コメット……いや、君はいったい誰だい?」
ふり向いたアダに男性が尋ねる。その時、アダとコメットの間に、引き裂くような強い力を感じた。コメットの中から追い出された精神が、みるみるうちに形作っていく。手足がはっきりと分かれ、しばらくぶりに2本足で立ったアダは、ようやく自分が人間に戻れたことを実感した。隣を見ると、いつの間にかコメットは犬の姿から、立派な長い角を2本生やした凛々しいトナカイの姿へと変貌を遂げていた。黄金の毛並を持つ大型犬のコメットは、1年前に出会ったトナカイのコメットだったのだ。
「君は……」
言ったあと、アダの胸に光る懐中時計を見た男性は、すべてを知ったようにうなずいた。
「そうか。君は、僕に会ったんだね」
アダが首を傾げる。
「君が会った僕は、この姿ではなかったのかな。いつの時代であったのかはわからないけれど、それを持っているということは、君が僕に会ったという証拠だよ」
「あなたは……?」
「僕は、人がサンタクロースと呼ぶ存在」
「もしかして、ニコラ……? ニコラウスなの?」
「ほら、やっぱり会ってた」
中年の姿でも、ニコラは初めて会った時とまるで変わらない、柔らかい笑顔をアダに向けた。
もみの木から飛び降りると、ニコラはアダの前に歩み寄る。
「それを手にしてここにいるということは、君の願いは叶えられたのかい?」
「私の願い……」
アダは考えた。この世界にくる前にアダが願ったのは、死ぬことだった。
今年の初め、最愛の母を亡くしてからというもの、アダは生きる希望を見出せず無気力になってしまっていた。また、母に会いたいという思いは日に日に募り、いつしかそれが死にたいという願いへと変わった。そして今夜、その思いを二コラから託された懐中時計に込めたのだ。
そうして訪れたこの世界で、アダは、初めこそまるで似つかないように見えたが、それでもどことなく自分と似ているように思えたベティという少女と出会った。彼女もまた、死を望んでいた。しかし、その理由はアダとはまったく違う。アダは、母の死という重みから逃れたくて死にたいと願った。けれどもベティは、自分が楽になりたいというだけでなく、自分の世話をしてくれるユリウスのことも楽にしてあげたいのだと言った。
―ベティは、本当は生きたかったのだわ……。
そう思うと、つうっと涙が頬を伝い、雪の中に吸い込まれるように消えていった。
ベティが死を望んだのは、病が良くなることはないということを知っていたからだ。良くならない病の治療法を探し回る両親と、両親の代わりに自分の世話をかいがいしくしてくれるユリウスを見ていて、自分のためにこれ以上苦しんで欲しくないと思ったからなのだ。周りの人々が自分のために一生懸命に頑張ってくれているのを知って、嬉しくもあり、きっと心苦しくもあったのだろう。治る見込みのない病であればなおのこと……。
―ベティ……ありがとう。
窓の向こうのベティを見てそう胸のうちでつぶやくと、
「叶ったわ」
二コラに向き直り、笑顔で、それでいてはっきりとした口調で答えた。
「私、強く生きていきたいって願ったの」
「へえ? それはまた、変わったお願いだね」
「ええ、自分でもそう思うわ。でも、サンタクロースはどんな願いだって叶えてくれるのでしょう?」
「うん。ただ、それにはひとつだけ条件があるよ」
「条件?」
「夢見ることをわすれないこと」
「忘れないわ」
アダは真剣な眼差しで言った。
「二コラ……私、きっと長生きするわよ」
そう言った途端、アダの体をまばゆいばかりの光が包み出した。光の中心にある時計を見ると、時計回りに高速で針が回転している。
「アダ」
二コラが言う。いつの間にか、中年男性から1年前に出会った時と同じ青年の姿に変わっていた。
「思い出したよ。というよりも、君と出会った二コラウスが、僕にその時のことを教えてくれたんだ」
アダには二コラの言うことがよくわからなかったが、それでもなんとなく、ほんの少しだけわかるような気がして微笑んだ。
「メリー・クリスマス。成長したアダ……君にね」
チチチチチチと針の回転は続き、光の渦に流されるような感覚に思わず目を閉じた。そして開けた時、アダはいつもの街角にいた。時計の針は、夜の6時を回ったところだった。アダが、ベティのいた世界に行った時間まで戻されていた。
「……さて、帰ろうかしら」
しばらくは夢見心地だったアダだが、いい加減に寒さが募ってきたので、早く家に帰ろうと商売道具を片付けはじめたところであることに気がついた。お客さんの靴を上げる台に、なにかが置いてある。手にすると、手紙のようだった。雪明りに照らして読む。差出人の名は、「サンタクロース」……。
中には紙が1枚きりで、開くと実にシンプルな文章がそこにはあった。
―僕のことを、いつも感じていてね―
アダは、くすりと笑った。こんなふうに笑うのは、母が亡くなって以来初めてのことかもしれない。それに気づいたアダは、今度は声を上げて笑う。冷え込む肌とは対照的に、心がぽかぽかとしていくのを感じた。
「メリー・クリスマス、ニコラ」
その時、ちりんちりんというベルの鳴る音が聞こえた気がした。空を見上げると、雲の絨毯が敷かれている。その上を走るのは……。
「ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る……」
突然歌い出すアダ。だが、それを見ても、誰ひとり訝しむ人はいなかった。
なぜなら、今宵はクリスマス・イヴ。大人も子供も開放的な気分にさせる、年に1度の聖なる夜なのだから。




