第三話~対話と呪いと追手たち~
「……っぶなぁっ!?」
少女の蹴りをまともに受けたと思った。しかし、咄嗟に体を後ろに引っ張られ何とか回避。体勢を崩して地べたに這うことになりながらも、未だに健在。
慌てて体勢を整え後方を向けば、四足獣のごときポーズをとる少女が見えた。おそらく、彼女も神器を持っているのだろう。その証拠に、地面にはくっきりと轍が残り、わずかながら煙を上げている。
先ほどの突進といい、人知を超えた速度だった。あれを顔面で受けていたら、痛いではすまない。少なくとも、生きてはいなかったはずだ。
「……助かった」
背筋が粟立つのを感じながらも、ミュゼに頭を下げる。彼女がいなければ、俺は今ここにいないだろう。
「なぁに、気にするでない。それよりほれ。構えよ」
ミュゼは好戦的な笑みを浮かべながら両手を前に構える。俺も頷き返し、ナイフを正眼に――
「参った!」
「……は?」
構えようとしたその時だ。少女が地面に頭を擦りつけ、負けを認めたのは。
「……どういうことだ?」
隣にいるミュゼに意見を伺うが、彼女も訳がわからないようで肩を竦めている。仕方がないので再び少女の方を見れば、やはり戦意はない。先ほどまで足に浮かんでいた奇怪な紋様も消え失せている。
しかし、疑問が残らないわけではない。これがブラフで、俺たちの寝首を掻こうとしているとも限らないからだ。
「本当にこれ以上やる気はないからさ! 勘弁して! お願いします!」
そんな俺たちの心情を読んだかのように少女は顔を上げ、それからまたペコペコと頭を下げてみせる。正直、嘘を言っているようには見えないし、俺も毒気を抜かれてしまった。
盛大にため息をつき、ナイフを仕舞う。ミュゼもそれを見てか一応両手は下ろしたものの、未だ警戒は解いていないのか少女を睨みつけている。
「小娘。これはどういうつもりじゃ? 謀っておるのか?」
「いや、おにーさんたち強そうだから、もう降参しておこうかなって。それに……」
チラ、と少女が自分の両足に視線を向ける。よく見てみれば、彼女の両足は小刻みに痙攣していた。あれでは戦うことはおろか、逃げることもかなわないだろう。
ひょっとして、あれが『呪い』という奴だろうか? 詳しいことはわからないが、争いが回避できたのならば好都合だ。俺は少女の方へ足を向ける。
「お前、名前は?」
「ココ」
「じゃあ、ココ。俺たちはお前の持っているそれが欲しい。譲ってもらえるか?」
「だからそれは無理だって……あぁ、ここで話すのもなんだからさ、アタシのアジトにおいでよ。もてなすからさ」
ミュゼはふらふらとした様子ながらも立ち上がり、俺たちに視線を送ってくる。やはり戦意はなく、逃げる様子でもない。ただ単に、話し合おうとしているようだ。
「……わかった。じゃあ、案内してくれ」
「うん。でも、悪いけどおぶってくれる? これ使った後は足が上手く動かなくてさ……」
「しょうがないな」
「わわっ!? 市場の魚じゃあるまいし、もっと丁寧に持ってよぅ!」
ため息をつきながらココの体を持ち上げるが、彼女的には納得がいかなかったらしい。俺は肩に担いで彼女の喚き声を聞きながら、歩を進める。
「お前のアジトはどこにあるんだ?」
「この先……あ、見えてきた」
彼女が指差す先にあったのは髭爺の家に勝るとも劣らないボロ家だった。廃材をかき集めて作ったテント、と言った方が正しいように思える。最果てにふさわしい、いかにもな廃屋だ。
「よし、ありがと。さ、入って入って」
ココに促されるまま中に入り、俺は目を丸くした。外観は最悪だったが、テントの中には盗品と思われる宝石や骨とう品が多数転がっている。半面、この年頃の少女らしさは欠片もなく、スラム街育ちの逞しさを見せつけられた気分だ。
「ほぅ。この宝石は中々にいいものじゃな」
「ちょっと、盗らないでよ!?」
「お主が言えた義理か。盗人め」
ミュゼはマイペースに宝石を物色している。時折覗かせる老獪さそのままに、さりげなく宝石を盗んでいるあたりが流石だ。
苦笑しながらもテントの中央にやってきた俺はココを毛布の上に下ろす。彼女は小さく悲鳴を上げた後であぐらをかき、俺たちの方に向きなおってきた。
「ありがとね、おにーさん。ちょうど食事の時間だったから、一緒にどう?」
ココはニカッとはにかんだかと思うと、服の下から果物を投げてきた。アペルという、赤い果実である。こいつの性分から考えるに、これもかっぱらってきたのだろう。
同じ盗人として尊敬する生き汚さだ。肩を竦めながら果実を齧り、甘酸っぱい味わいに舌鼓を打つ。
「して、ココよ。主にはいくつか聞きたいことがある。よいか?」
ミュゼはすっかりモードに入っているらしく、ズズイッとココの方へと歩み寄った。その目には真剣さが溢れていて、俺ですらゴクリと喉を鳴らしてしまうほどである。
「まず、その神器についてじゃ。どこまで知っておる?」
「へぇ、これ神器って言うんだ。知らなかった」
ココは心底驚いた様子で自分の太ももに装着しているバンドに目を移した。先ほど感じた禍々しさは欠片もないが、やはりただの器物には思えない。
タイプは違うが、ミュゼと同じ神器だ。どのような機能があるのか、気にならないと言えば嘘になる。知らずの内に、俺も身を乗り出して話に加わっていた。
「神器の三十五番・蛇鋼帯。所有者の脚力を大幅に引き上げる神器じゃ。しかし、神器には所有者との相性もある……あれだけの速度が出せるとは、お主相当こやつと相性がいいな」
「う~ん、よくわかんないけど、この子とは産まれた時から一緒だからね。おかげで盗みをするには困らなかったから」
それもそうだろう。あれほどの脚力を生み出せるのならば、盗みに用いるのはもちろん追手との戦闘にも役立つ。それは俺が身を持って知っている。
「で、おねーさんたちはこの『神器』っていうのが欲しいの?」
「うむ。それをあるべき場所へと戻すのが我らの務めじゃ」
我ら、となっているのが憎たらしい。俺もその数に含められているようだ。
が、そんな俺の心情をよそに、二人は会話を続ける。
「でも、やっぱりこの子は渡せないね」
「盗みのためか? これだけの宝石があれば、ここを出ることも可能じゃろうに」
「あはは、違う違う。宝石は売るものじゃないよ。食べるもの」
その言葉に疑問を覚えた次の瞬間、ココが信じられない行動に出た。
地面に落ちていた手のひらサイズの宝石を手に取り――それを噛み砕いた。
「は……はぁ!?」
ありえない。宝石はかなりの硬度を誇っているはずであり、人間の顎の力では噛み砕けるはずもない。しかし、ここは何の苦もなく、それこそ先ほど俺が果実を齧った時の如くさも当然のように噛み砕いてみせた。
まさか、これが……。
「『呪い』か」
答えに行きついたのは、ほぼ同時だった。ミュゼは神妙な顔つきになり、小さく唸る。
「そ。アタシは宝石しか食べられないの。昔はそうでもなかったんだけどね? 最近は宝石以外の物を食べると吐いたりするようになって……」
「それが『呪い』じゃ。神器を持つ以上、逃れられぬ。確かにそこまで進行しておれば、今さら手放したとしても元の生活には戻れまいな」
「まぁ、でも不便はしないよ? 意外に宝石って美味しいし。甘いのがあったり、辛いのがあったり……歯ごたえも色々! って、これはどうでもいいか。とにかく、この子は生まれた時からの相棒だし、盗みをするためにも必要だから譲れない!」
ふんっと胸を反らすココの姿は年相応の子どもらしく可愛らしいものだった。その様に頬を緩ませる俺とは裏腹に、ミュゼは気落ちした様子で宝石を手中で弄ぶ。
「そうか……まぁ、事情があるならば無理強いはせぬ。しかし、最初に出会った神器を回収できんとはなぁ……はぁ」
「そう気落ちするなよ。まず一つ見つかったんだからいいじゃねえか」
「しかしな、トーヤ。我の最終目標は失われた神器を王国に献上すること。確かに呪いがここまで進行しておれば、取り上げることは叶わぬ……そうそうに計画を練り直す必要性がありそうじゃなあ」
相当こたえているのか、ミュゼはガクリと肩を落としている。出会った当初から表情豊かな奴だとは思っていたが、予想以上だ。ココの持っている神器とも違うし、彼女にもまだまだ謎が多い。
まぁ、これから過ごしていけばわかるだろう……先の長い話だが。
「う~ん……二人とも、アタシの持ってる奴みたいな、不思議な力がある道具を探してるんだよね?」
「うむ。心当たりはあるか?」
「ごめん。アタシは盗み専門で、情報には疎いんだ。でも、闇市に行ってみればいいんじゃない? もしかしたら、面白いものがあるかも」
「闇市か。ふむ……確かにいい案かもしれんな。よし、トーヤ。明日は闇市に行くぞ」
ミュゼは何度か頷いた後でポンと手を打ちあわせ、ニッコリと笑いかけてきた。当然、拒否する余地はないのだろう。俺は黙って頷き、
「了解。だが、とりあえず今日は休んだ方がいいんじゃないか?」
「あ、じゃあウチに泊まりなよ。お客さんが来るなんて久しぶりだからさ」
「我らが寝ておる間に何か盗むつもりではなかろうな?」
「あはは、それはない。だって、おにーさんたちアタシと同類っぽいもん。その割に札束持ってたけど」
「領主の屋敷からかっぱらってきたんだよ。で、こいつと出会った」
「……え?」
そう答えた時、ココの顔色が変わった。手にしていた宝石が転がり落ち、硬質な音を響かせる。
「? どうした、小娘」
「おにーさんたち、領主の屋敷から盗んだって言ったよね?」
「あぁ、それがどうかしたか?」
「今、領主の屋敷に勤めている衛士たちがスラムに来てるんだよ! 見つかったら殺されちゃうよ!」
「ふぅん……」
「ふぅんって! そんな悠長にしてる場合じゃないよ!」
と、言われても正直なところピンとこない。昔の俺ならすぐにでもトンずらこいたところだろうが、今は一騎当千のミュゼがいるからだろうか。あまり怖いとも思わない。
実際、屋敷では大勢の衛士たち相手に大立ち回りを演じたのだ。彼女がいれば、少なくとも負けはない。否、一撃貰うことすらないだろう。
「まぁ、そうピリピリすることでもなかろう。向かってくる奴らは我が吹き飛ばしてやるわい!」
ガハハ、と豪快に笑うミュゼが頼もしい。おろおろとするココをよそに、俺とミュゼは顔を見合わせて笑い合った。