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異世界温泉道中紀〜ゼロから始める温泉旅館の開業方法〜  作者: なつみかん
第二章〜新たな出会い〜
30/35

一夏の思い出 4

次回でこの話は最終回となります。

夜空の下、一列に掲げられた提灯達が夜の参道を鬼灯色に照らしている。


大気を震わせるほどの和太鼓の大きな音と独特な民謡音楽、そして整然と並ぶ様々な出店が箱に敷き詰められたクレヨンのように鮮やかな多色を見せていた。


それら全てが殺風景だった社に何処か懐かしい情景を醸し出す。


そして、そこは電灯に群れる虫達のように大勢の人々でごった返していた。




だが、この馨しい香りの前では美しい羽衣を纏った蝶もその法被からたくましい肉体を見せつける甲虫もあの明媚な景色を無視して、その足を止めずにはいられない。


「美味しそうね。

1つ頂けるかしら?」


「はい。

焼きそば、お一つ400円になります。」


俺は地獄の釜の猛熱の如き鉄板と格闘していた。


「京介君、あと10分したら上がっていいから。」


「はい、分かりました。」



俺は流れる人混みの濁流をじっと眺めた。


(ここはちょっと騒がしいな……)




やがて、俺は折りたたみ椅子を右手に拝殿の裏手に向かった。


適当な場所で椅子を開き、徐に腰をかけた。


賑やかな表とは違い、ここは寂しいぐらいに静かだった。


祭りの騒音で疲れきってしまった鼓膜に今宵の蛙の鳴き声はよく響く。


空はどんな景色をしているのだろうか。


俺は上を見上げた。


視界に映ったのは綺麗な天の川だった。


そして、ちょっと視線をずらせば、夏の大三角形やさそり座、いて座等の星星が視界の範囲を超えて縦横無尽に輝いていた。


箱根の夜空もこんなに綺麗な星が見えただろうか。




故郷を思いながら、俺は下をそっと向いた。




すると、目線の先には羽化に失敗した蝉のサナギが転がっていた。



それを見ると、俺は静かにため息を吐いた。





そいつの周囲には無数の蟻がハイエナのように群がっていた。


そんな現実に対して、サナギは自らの死をゆっくりと待っているかのように見えた。



「鳥籠の中で死を待つ運命か……」





(あれ?俺、今……)


何故俺はそんな事を呟いたのか。


(わからない……)


だが、何処かで聞いたことのあるような言葉だった。


俺は頭の中にある記憶の全てを捻り出して、それを思い出そうした。


しかし、その正体は依然不明だった。






その時、朽ち果てていくサナギがあの広大な夜空を憧れるように上空を見つめているような気がした。



俺は頭を乱暴に掻いて、直ぐにその場所を後にしようとした。





その刹那、何やら奇妙な音が聴こえた。


よく耳を澄ますと、それは何かの楽器の音色のようにも聴こえた。


それは洋楽器のように雑音を極力排した音の正確性を至上とした機械的な旋律ではない。


その雑音1つでさえも音色の中にある美として包み込んでいるような柔らかく、自然的なもの。


その一音一音がまるで生きているようだった。




その優美な音は鳥居近くの神楽殿の方から聴こえてくる。


気づいたら、その音に引き寄せられるようにして足がそこへと動いていた。


表へと近づくにつれて、静けさが次第に消えていく。


そして再び、あの騒がしさが蘇るようにして俺の耳に入ってくる。




だが、何故だろうか。

その騒音はそこまで嫌にはならなかった。


神楽殿の前には沢山の人集りが出来ていた。


彼らもこの音に導かれて、ここに来たのだろうか。


俺は群れる人混みをかき分けて、舞台へと近づいていく。




そして、俺は眼前に映った光景にはっと息を呑んだ。


舞台上では唐紅の巫女達が神楽舞を踊り、その裏では直垂姿の奏者達が和楽器を演奏していた。


上空で煌めく星と星を優雅な曲線でなぞるように扇をゆったりと振るう巫女達。


たおやかに揺れ動く巫女装束は白絹流れる清流にひらひらと舞い落ちる紅葉のようだった。


また、和楽器の生きた音色がその自然の情景に様々な趣を与えていく。


琵琶の絹弦の音はその清流により具体的な印象を与える。


尺八の粛然たる音色は竹薮のざわめきを容易に連想させる。


楽器の一つ一つが独自の音色や音階を創り出し、それぞれ違ったイメージを聴き手に与えている。


あの舞台では壮大な自然の風景が完成されているのだ。


俺は感嘆した。


そして時間が忘れるほど、聞き入ってしまった。





やがて、俺の中の自然の情景が薄らと消えていく。


既に演奏は終わっていた。


巫女達も舞台裏に下がっていく。


現実に返った俺はふと、大事なことを思い出す。



(まずい!!

神輿が出る時間だ)



俺は直ぐに源さんが待つ向かいの母屋に向かおうとした。


同時にここから退散する人々が母屋のある方へと流れ込んでいく。


(くそ、この人混みじゃ、表からは行けない。)


仕方なく、俺は隣の手水舎に回って迂回しようとした。

その時だった。


俺はそこで見覚えのある2人の姿を目にした。

侍女服の女と車椅子に乗った女性。

一人は顔で直ぐに判別できた。


だが、車椅子の女性は顔を確認することが出来なかった。


「すみません、ハルカさんですか?」



「はい、そうですが。

えっと、確か貴方は……」


「野中京介です。

先日、春香さんとはお寺の方でお会いしたのですけど、覚えていませんか?」


そんな彼女の顔を窺うことは出来ない。


彼女の顔は狐を模した仮面で覆い隠されていた。



しかし、透き通ったその声は印象に残っていた。


「あっ、野中さんですか。

急に下の名前で呼ばれたので、少し驚いてしまって……」


彼女はやや困惑した声音でそう言った。


「す、すみせん。

馴れ馴れしく呼んでしまって……」


慌てて謝罪をした俺に彼女は微笑みかける。


「いえ、大丈夫ですよ。

あまり下の名前で呼ばれた事が無かったので、少し新鮮に感じただけですから。」



そう言ってくれたお陰で俺は安堵した。


「そ、そうですか……」


俺は仮面に隠された彼女の顔をチラ見する。


俺の視線に気づいた彼女は何かを思いついたかのように声を上げる。


「あぁ、この仮面ですか?

これは結婚前の女性がつける物なんですよ。

これには魔除の意味があって……」


その時、俺はヒヤッとした。



「知ってます。

全部知ってます……」



「そうですか。」


消え入りそうな彼女の声は俺の心の中に名状し難い違和感を抱かせた。


そんな正体不明の感情に俺は冷静さを奪われ、彼女へ返す言葉さえも思いつかなかった。


仮面の二穴から見える彼女の透き通った双眸が月光に反射していた。


その視線は何も見据えていない。

ましてや、俺でさえも。


それは虚無だけを呆然と眺めているかのようだった。


「式は2日に渡って行われます。

明日の0時、私はこの仮面を取り外す事になります。

今はそれだけをお伝えしておきます。」


「それでは、また何処かで……」


そう言い残し、侍女に押されて彼女は拝殿の方へと去ってしまった。






「おぉ、来たか!

兄ちゃん。」


源さんは明るい声で遅れた俺にそう挨拶した。


「すみません。

遅れてしまい、皆さんに御迷惑をおかけしました。」


「大丈夫だぜ、兄ちゃん。

だって、アンタはちゃんと時間内に来てんだからよ!」


そう言って、源さんは壁に立て掛けられている時計を見やる。


時刻は6時半。

神輿を出すのは7時だった。


「あれ?

す、すみません。

俺、どうやら慌てているみたいで……」



先程の違和感と今の焦燥で俺は少し不快に感じた。


すると、俺の顔を正視して源さんは神妙な顔つきで話し掛ける。


「なぁ、兄ちゃん。

ここに来るまでに何かあったのか?」


俺はどう答えるべきか分からなかった。


この複雑な気持ちをどう説明すればいいのか、話したところでこの不快感を解消する事は出来るのか。


動揺した俺の目を源さんはじっと見つめる。


「その兄ちゃんの目、それは年頃の男に見られるやつだ。

その野郎の目を見れば、何があったかなんてだいたい分かる。」


源さんは角帯に携えていた巾着袋から煙草を取り出し、それにライターで火をつける。


そして、タバコをふかし始める。


「若い頃にな、俺も一度だけ兄ちゃんと同じような事を体験したことがある。

当時、俺には幼少以来の幼馴染みがいた。

彼女は気立てのいい娘だった。

何か失敗をすれば、彼女は献身的に俺を支えてくれた。

本当にいい女だった。」


そう言って、源さんは何処か懐かしむ表情をする。


「関係が進展することはなく、俺たちも互いにいい年になった時だった。

彼女はいつの間にか、とある地主の息子に嫁いでいた。

その時の俺の感情を言葉で表すなら、葛藤や困惑、それらから来る不快感だった。

正に、兄ちゃんが今抱いているそれだよ。」


源さんの言葉は鋭い針のように俺の心臓に刺さった気がした。



「そして、次第に彼女とは会わなくなった。

その時に俺はやっとあの不快感の訳に気づいた。

それは彼女に対する恋慕だったってな。」


そう言う源さんの声音は何よりも暗かった。


続けてため息を吐く彼を見て、俺はそのため息の中に後悔に似た何かが混じっているように見えた。


「後悔してからじゃあ遅い。

兄ちゃん、それは何事にも言えることだよ。

けどそんなこと言われても、直ぐに気持ちの整理なんて出来ないだろうよ。

俺もその口だったからな。」


源さんはニヒルな笑みを浮かべる。


「男ってのは本当に不器用な生き方しか出来ねぇからよ、いざって時に最善の行動は取れねぇんだよ。

だから、そん時は理屈でも誰かの見本でもねぇ。

ただ馬鹿みてぇに前だけを向いて走っていけばいいんだよ

それを信じて生きていけば、だいたいは上手くいく。

何たって、この世には理屈で説明出来ない物なんて沢山あるからな」


源さんはすっと息を吸って伝えた。


それが俺に伝える最後の言葉とでも言わばかりのものだった。


「だからよ、兄ちゃん。

悩んでる暇があるならその足で一度、飛び出していったらどうだ?」


源さんは再び時計を見やると、得心がいったように1つ頷く。


「神輿が出るまで20分はある。

それまでに帰ってくれば、俺から言うことは何も無い。

ちと猶予はすくねぇが、自分なりに後悔しないように生きろや」


それに対する返答を俺は言葉に出来なかった。


ただ、ゆっくりと頷き、俺は外へと急いで出ていった。


(兄ちゃんよ、お互い本当に難儀だよな……)


人混みを掻い潜るようにして俺はある人の元へと無我夢中で走っていた。


ここまで必死になれる動機。

しかし、それは未だに判然としない。


自分が良く分からない。

それは今回の事だけに限らない。


洋一郎との関係。


俺は彼が何かを隠していると知っている。

だが、俺はそれ以上首を突っ込もうとはしなかった。


自分が彼にどうしてあげたいのか、どう接すればいいのか。

彼はそんな事を望んでいないのでは……


あらゆる理由の衝突が俺の中に迷いを生む。


迷った挙句、俺は何もしなければ何も起こそとしなかった。


果たして、俺の立つ場所は樹海やジャングルなのか




その時、盆踊りの曲の軽快な音が聞こえた。


そして、気のせいか先よりも提灯の光が際立っているように見えた。


それらが波のように俺の背中を押していく。


あれよあれよと波は俺を前へと押し出す。


まるで、先だけを進めと伝えんばかりの勢いだった。


後ろを振り返っても道はない。


だが、波は防波堤の前ではその勢いは無力に遮られてしまう。


俺の行くてを阻む人々。


混乱して俺はその場に立ち尽くす。


その刹那、飛び交う祭囃子の賑わいは夕闇に炸裂音と共に放たれた1尺玉の菊によって掻き消される。


すると、振り動く猫の目のように彼らは一斉に視線を夜空へと向ける。


花に気を取られて皆一様に足を止める。


次第に防波堤に一筋の隙間が現れる。


来た道は戻れないが、既に道は一本しか無かった。


(人に云われずとも自分の力で)



俺はその隙間を針に糸を通すようにするりと抜けた。




一本道、その終着点にはあの拝殿があった。



彼女はきっとここに居る。

俺はそう確信した。


その時、俺は白無垢の女の姿を見つけた。


(まさか、あれは……)


彼女は黒紋付羽織袴の男に抱き上げられ、拝殿の段を上がっていく。


拝殿の中へと近づくにつれ、あの純白はもう黒に染まってしまったのではないか。


そんな考えが思考を乗っ取ろうとする。


すると、あの違和感が心に突き刺すようにして再起した。


同時に口の中がやけに乾いた。

凄く気持ち悪い。


(だが、このままでは俺は一生、変わらない)


そんな湧き出るような気持ち悪さを俺はぐっと堪えた。


そして、血反吐を吐きそうなほど喉に力を入れる。


俺は全身の血管がはち切れんばかりに彼女を呼んだ。


すると、雲が晴れたように不快感が消えた。


もやが明確な形を成していく。


それは燃えるように熱く、どんな考えよりも先に主張しだすほど大きい存在。


(そうか、これが……)


俺がようやく全ての部品を組み立てた時、彼女達は俺に気づいた。


男は何事かと振り向く。

それに作用するように女もこちらへ振り向く。


2人の顔は狐だった。


「佐竹、いいえ春香さん。

あなたに伝えたい事があります。」


その言葉に彼女はまるで別人のような声音で返答する。


それは酷く冷徹で悲痛なもの。


そして、彼女達はもはや狐ではなく人を騙し欺く妖狐に成りすましていたのだろうか。









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