前進
「ごめんなさい!」
帰宅後、サシャが俺と湯奈さんをに向けての第一声。
それが謝罪だった。
俺は全身の力が抜け、強ばっていたものが弛緩した気がした。
一方、湯奈さんはいつもの仏頂面で腕組みをしながら泰然と構えている。
(あぁ、俺の懸念は間違っていなかったんだな)
例の転移地からの帰宅後、サシャはずっと暗い顔をしていた。
無論、それはノランの事件の時に表した顔ではない。
それとは根本的に異なった暗さ。
そこから俺はその原因を何となく予測していた。
1度は放棄したその不安。
それは
「リュウ、ユナ、もしかしたらお前達をニホンに帰らせる事が出来ないかもしれない……」
それは目下、俺達にとって最悪の宣告だった。
学校どころか向こうの家族や友達にすら会うことが出来ない絶望。
勿論のこと、その転移の不可能を意味する最悪のシナリオを理解していたサシャは体を震わせ、今にも罪悪感で押し潰されそうになっていた。
その姿は普段、強気な彼女からは想像出来ない小鹿のような弱々しさを感じさせた。
そんな彼女を男として俺は当然見過ごせる訳がなかった。
「サシャ、大丈夫だよ。この前のショックから一時的に巫女の能力を失ってしまっただけで、時間が経てば戻ってくるよ!
それに俺は数日家族に会えなくても心配ないから。
だからそんなに気を病むなよ」
心の内から捻り出した言葉がそんな情けない慰めだった。
言うまでもなく、そんな陳腐な言葉で彼女の暗雲が晴れることは無かった。
そして、暫しの静寂が訪れた、
(あぁ、また墓穴を掘っちまった。)
当たって砕けろ。
それは父が俺に度々言い聞かせていた言いつけであり助言であった。
俺は少なからず父のことは尊敬している。
だから、俺はその言葉が常に正しいとは言わないまでも、時として有効な場合があると信じ、その通りに動いてきた。
たが、それは状況を間違えると負の循環を呼び起こすスパイスとなる。
そして、その理屈を証明するように今こうして俺は彼女の不安を連鎖させているのだ。
俺は自分の不甲斐なさに嫌悪感を抱いた。
やがて、俺の自己卑下が淀んだ空気を一層悪くした。
そんな濁りきった空気の中サシャが腰に携えていたポーチから徐に何かを取り出した。
果たして、サシャが取り出した物は何かの破片だった。
また、その破片は暗い翡翠色をしていた。
「おそらく、これが能力を失った原因だと思う。」
俺は突然のサシャの行動に驚いてしまった。
「サシャ、一体これは何なんだ?」
一見、ガラクタにしか見えないそれはとても今回の問題と関係があるとは思えなかった。
「腕輪。」
「腕輪?」
一体、腕輪とは何のことだろうか。
俺はその破片を舐め回すようにして凝視した。
(あっ!)
俺はふと思いだした。
淀んでしまっているが、翡翠色をした物を俺は見たことがある。
まさしく事件の時、サシャが右腕に着けていた腕輪の色にそっくりだったのだ。
そして、すっかり忘れていたが事件以前から彼女はその腕輪を身に付けていた気がする。
だが、何故その腕輪がこんな跡形もない状態になってしまったのだろうか。
「それが腕輪なら何でこんな状態になったんだ?」
すると、サシャは次第に頬を赤らめてややぎこちなく答えた。
「お前が私に告白した時だ…。」
「はっ?」
「だから、あの時お前が私を好きだと言っただろ?
忘れたのか!?」
(あっ)
彼女の突然の謎めいた言葉に俺は数秒間、放心状態になっていたが彼女の力の入った声に自覚した。
何気なく彼女の顔を窺ってみると、小麦色の肌にりんごのような初々しい紅色がじわじわと浮かんでいた。
俺は彼女のその姿に雷が心を貫いた感覚を覚えた。
今の状況を顧みず、俺は彼女に少しだけ意地悪をしたくなった。
「サシャ、何でそんなに頬を赤らめているんだ?」
全くもってこの状況には相応しくない言葉である。
傍から見れば阿呆だと言われるに違いない。
「別に恥ずかしくて頬を赤らめている訳では無い!」
ダメだ、こういう時の彼女は本当に天然だ。
「サシャ、恥ずかしいのか?」
「違うと言ってるだろ!
これは暑くて顔が赤くなってしまったのだ。」
と、言いつつも彼女の頬はますます赤くなっていた。
「ねぇ、馬鹿みたいだから止めてくれない?」
そんな冷ややかな声色で俺達を咎めたのは、虫けらでも見るような目で俺を睥睨する湯奈さんだった。
俺たちは状況を改めて理解し、冷静になった。
そして、サシャの何かを誤魔化すような咳払いで再度会話が始まった。
「その時に私は自我を戻すことが出来た。
そして、気づいたら母から貰ったこの腕輪が壊れていたのだ」
「それはサシャのお母さんから貰った腕輪だったのか?
ということは……」
「そうだ。
これが私の能力と関係がある事は間違ない。
そして、昨日私はヨウイチロー達をこちらに呼び出すことが出来なかった。
それは、腕輪が壊れた事と繋がりがあると思うんだ」
ということは今回の事は全て俺が原因だということじゃないか。
それならば彼女が今回の事で腐心し、罪悪感で悩まされる道理は微塵もない。
好きな人を自身の行動が原因で貶めるとはクズの所業ではないだろうか?
そう思うなら、やるべき事があるだろう。
「サシャ、ごめん!!
全ては俺のせいなんだ。
俺が腕輪を壊してしまったばっかりに能力が現れなかったんだ。
だから、サシャが今回の事で思い悩む事なんて無い。
むしろ、サシャは俺を非難するべきなんだ。」
「本当にごめん。」
俺の謝罪が再びこの空間に静寂を招いた。
「はぁ〜、本当に馬鹿みたい。」
「安っぽい慰めに安っぽい謝罪。
あいつを見てるようで本当に腹が立つのよ!
だいたい何なの?
自分のやった事に責任すら持てないで、優柔不断に答えを出す。
アンタ、サシャの事が好きなんでしょ!?
だったら、どうして彼女への告白が間違いだったみたいに言うの?
私はその時の事をよく知らないからあまり言えないけど、これだけは確信してる。」
「アンタが最低のクズ野郎ってことよ!」
俺は彼女の勢いに圧倒されて、瞬き一つすら出来なかった。
「いい?サシャ。
あなたは何も思い詰めなくていいの。
全てはこの男の甲斐の無さが招いた事だから。
それに私は実家にウンザリしてるの。
だから、私は帰れ無くてもいい。
むしろ、この村であなたと一緒にずっと暮らしてもいいのよ?
本当に大丈夫だから、そんな悲しい顔をしないで。
サシャにそんな顔をされたら私だって悲しいんだから」
湯奈さんの透き通った優しい言葉はサシャの目元にふつふつと涙を貯めさせていった。
「サシャ、いい?これは約束よ?」
「うん。ありがとうユナ」
「どういたしまして」
「さあ、こんな男はほって置いてさっさと朝食にしましょう?」
サシャの溌剌な返事を皮切りに今回の深刻な問題は終わりを迎えたのだった。
その脇で俺はひっそりと縮こまっていた。
本当に頼りのない主人公である……
(まぁ、でも結果的にサシャも立ち直ったようだしとりあえずは一件落着かな?)
絢爛と光る双眸で一人の男をじっと見つめていた。
「ノラン、今回のお前の処分は不問とする。
みなもそれで相違はないな?」
「"はい"」
しかし、1人だけ返事を躊躇う人物がいた。
「カイン、お前は私の決断には不服か?」
「いえ、決してそのような事は
私もそれが妥当だと存じます。」
カインの額には1粒の汗が垂れていた。
そんな彼の様子をじっと凝視していたソニアはやがて、踵を返した。
「そうか、それなら良いのだ。」
そして、ソニアはすっと息を吐いた。
「これにて、村方ノランへの査問は終了とする!
ノラン何か言いたいことはあるか?」
すると、ノランは落ち着いた声で答えた。
「本来なら私は罰則的処置を受けても当然の事でしたが、今回の寛大な判断は村長様のご慈悲に痛み入ります。
ですので、私め心から感謝させていただきます。」
「うむ。
だが、それは私ではなくコバとカノンの意見による所が大きい。
よって彼女達にも感謝し、此度の不徳をしっかりと詫びるのだぞ」
「は!」
「して、ノランよ。
お前はこの村をどう思っている?」
すると、ノランは垂れていた頭をゆっくりと上げ、ソニアの目を真っ直ぐと見つめた。
「搾取されても尚、平然と笑いのける愚としか言いようのない者どもが集まった村だと存じます。」
「ノラン!
お前はまだそんな事を言っているのか!?」
彼の挑発的発言に真っ先にいきり立ったのはカインだった。
「カイン!下がれ!!
今は奴と私が会話をしているのだ。」
「申し訳ございません……」
カインは苦虫を噛んだような表情を浮かべて、後ろに下がっていった。
「本当に愚かな事だと思います。
ですが、私は同時にそれが美徳だと気づいたのです。
当初、信念にも似た彼らの人が良過ぎる振る舞いに私は混乱し、やがてそれに歯を向けてきました。
しかし、コバ殿に真意を悟られてからその行動が人間に備わる思いやりの精神だと気づいたのです。
そして、自己の利益を奪われてもその矜持を捨てない彼らに私は感服しました。」
「そうか……」
ソニアはどこか思いのこもった眼差しで彼を見つめていた。
それは何もかもを悟った子を見る親のような目。
歳は離れているが、今はそんな事は関係無いのだろう。
「ですが、私がいる限りこの地からは何も奪わせはしません。
この私ノラン・ソリカードがその矜持を守った上でこの村を諸村が干渉出来ないほど開発の進んだ村にしてみせましょう!」
彼のその目はどこまでも真っ直ぐで、希望に満ち溢れていた。
一応述べておきますが、ノランはバブリア村の出身ではないので苗字はあります。