一難去ってまた一難
(遅い……)
俺とサシャは荒野で待ちぼうけを食らっていた。
どれくらい待ったかは分からない。
宵闇の空に淡く黄金色の光が写り始めて、次第に朝日が登り始めていた。
俺達は今日帰ってくる筈の父と京介さんをこの転移地で待っていたのだが、しかし彼らは結局帰ってくることは無かった。
彼らが日本に帰ってからこの世界の時間で2日が経った。
ということは、向こうではあれから2週間後ということになる。
刻々と登校日へのカウントダウンが進んでいる。
学校の登校日は9月1日。
そして、現在の日付は8月25~26日辺り。
幸いにも7月中に課題は全て終わらせていたので、登校日間際にハードな課題処理を行うことはないが、課題の提出日を過ぎてもこのまま父達を待つはめになっては元も子もない。
(あれ?というか、別に親父を待たなくても良くね?)
そうだ。
別に彼らが戻ってくるのを待つことは無いのだ。
彼らが日本に帰る前に「不在の間の開発計画は俺に任せとけ」と俺は父に壮語を吐いてはいたが、登校日という終焉が近づいている喫緊とした状況でそんな流暢な事も言っていられないだろう。
無責任な事をしてしまうが、今は緊急事態である。
要するに方便だ。
(うむ、仕方が無いのだ)
ということで俺は遅刻している父達を見捨てて、早々にサシャの家へと戻ることにした。
すると、サシャが何か沈んだような表情をしていた。
例の"あの状態"の時の様子ではない。
その証拠に彼女の目とその様子は彼女の自我を生き生きと感じさせていた。
と言うよりも、彼女はあの事件以来からあの姿を見せない。
それに関しては結構なことなのだ。
俺の我儘でしかないが、彼女のあんな暗い姿はもう見たくはないし。
だが、何かが引っかかる気がする。
俺はふと、最悪の懸念を心に抱いてしまった。
(まさか、帰ることも戻ることすらも出来るわけないよな)
それはあの事件で判明した事が原因だった。
サシャに乗り移った"アレ"が俺達の転移に大いに関係があるという話である。
サシャは俺達の転移、転送をこの数日間何度となく行ってきた。
その度に彼女は何かに操られたような状態に陥りまた、しばしばそれは俺を含む彼女の周りの人々に少なからず影響を及ぼしてきた。
やがてこの村の発展の真実が明るみになったことにより、それが子々孫々と受け継がれてきたカランの巫女と呼ばれる女性の能力だと分かった。
本人はその事実を知るまで自覚していなかったようだが、俺が目撃した事実と村の言い伝えを総括すると、カランの巫女の血を受け継いでいる者がサシャ自身の事で間違いないのだ。
だいぶ遠回りをしてしまったが、俺の最悪の懸念というのがそれの事である。
俺は現在彼女のその能力が衰えた、もしくは消失したのではないかと考えてしまった。
要するに、俺と湯奈さんは日本にもう二度と帰れないかもしれないという事だ。
いや、まだその考えに行き着くには早計だな。
第一、彼女の能力が消えたなんていうのは俺の憶測にしか過ぎないだろう。
そう彼女のあの姿を最近は見ないというだけにしか過ぎないのだ。
それに、あれは成りたくて成るような状態ではないのだ。
俺達の転移、転送時にまた現れることだろう。
(いや、でも今日はサシャに全く変わりは無かったような気が……)
否、変わりはなかった?
それで良いではないか。
最近の彼女の表情には今まで無かった笑いが見られるようになった。
俺はそれで満足だ。
もはや、あの顔を見れるのなら学校の事などどうでもいい。
俺は考えることを放棄した。
それは父が思い悩んだ時によく行う解決方法だった。
しかし、人はそれを逃避と言うだろう。
だが、今回だけはその逃避に助かった気がする。
何時までも考えても埒が明かないことはいくらだってある。
そういう時はそれに限るのだ。
「サシャ、そんな暗い顔をしてないで朝ごはん食べよう?」
「ああ、そうだな」
彼女は苦笑してそう答えた。
そして、俺たちはサシャの家へと歩を進めたのだった。
途中、俺は彼女の顔を窺うために少しだけ後ろへ振り返ってみた。
果たして彼女の表情は先程と同じようにやや晴れない暗い顔をしていた。
一方日本では……
「午後15時現在、神奈川県足柄下群箱根町に1時間に80mm以上の猛烈な雨が襲っており、土砂崩れや川の氾濫等の大規模な災害が予想されます。
住民の方々はお近くの避難場所に早めに避難してください。」
けたたましい雨音の中、テレビの報道に映るアナウンサーの声が6畳半の居間にはっきりと響いていた。
「一、避難してきた人の為に布団を何枚か持ってきてくれる?」
松田屋の廊下は従業員達が駆ける足音で騒がしくなっていた。
皆必死なのだ。
この災害に対処するために一人一人が今自分に出来ることを全力でなしている。
それは松田龍の12才の弟"松田一"にも理解出来ることだった。
理解できる事だったからこそ、一は先程まで夢中になっていた携帯ゲームを停止して母親の頼みを素直に聞くことにした。
とりあえず襖から布団を何枚か引っ張りだし、彼は避難者の元へそれを届けに向かった。
「一、今から俺は京介と一緒にまだ避難していない人がいないか探して来るから、お前は母さんと旅館の皆で協力してこっちに避難してきた人を保護するんだぞ!」
一はコクリと頷き彼の言いつけに応じた。
そして、京介は別れのあいさつも早々に降りしきる豪雨の中へと駆けていった。
その様子を一は真っ直ぐと見つめていた。
「京介!お前んとこは大丈夫なのか?」
彼らは視界すらはっきりとしない殴り降る雨の中猛然と走っていた。
「大丈夫だ!従業員も全て泉が避難させている!
心配なのは間欠泉がある場所だ!」
彼らの怒鳴り声でも、その雨の豪音は簡単にそれをかき消そうとしていた。
(あそこだけは被害にあってないといいんだが……)
洋一郎はこの絶望的な状況でそんな一縷の望みに賭けていた。
近隣の避難状況を確認した後、彼らは間欠泉のある京介の自宅へと向かった。
しかし、彼らはそこへ行き着くことが出来なかった。
「なんだ、こりゃあ……」
果たして、京介の自宅である温泉施設へと続く道路が土砂崩れで無残な状態になっていたのだ。
すると、オレンジ色の防災ジャケットを身に着けた警察官が京介達に気付き、こちらへ走り寄ってきた。
「ご覧の通り、こちらは現在土砂崩れで通れなくなっております。
二次災害も予想されますのでお早めに避難場所へ避難してください」
洋一郎達は絶望した。
危惧していたことが現実になってしまったのだ。
次第に彼らの目が曇り始めた。
しかし、洋一郎は諦めきれなかった。
「京介!他に通れる道は無いのか?」
「無理だ!
家に向かう道はこの道一本しかない。
他にはヘリで行くという手段もあるが、この豪雨じゃ飛ばすことも出来ないだろう。」
京介の声音は既に沈みきっていた。
それは目前の絶望に打ちひしがれた故のものだった。
「おい!
お前の娘も向こうにいるんだぞ!
お前がこんな事でいいのかよ!!
こんな時だからこそ、父親のお前がしっかりとしてなくてどうすんだよ!」
すると、京介は沈んだ声音を一変させ、底から張り上げた声で洋一郎に怒鳴り散らした。
「向こうで散々、息子を前にしてウジウジしてたお前が何言ってんだよ!
だいたい、俺だってそんな事は分かってんだよ
でも、これじゃあしょうがないだろ!」
そんな彼の胸ぐらを掴み、反論をしようとした洋一郎だったが、こみ上げてくる勢いを押し殺し、やがて落ち着いた口調で話し出した。
「すまん。
イライラしてついお前に食いかかってしまった。
本当に無駄なことをしたな。」
京介は彼の言葉を黙って聞いていた。
「今はあいつらに任せよう。
だから、とりあえず俺たちは今出来ることを果たそう。」
果たして、京介は洋一郎のその考えに首肯した……