約束
更新遅れてすみません。
1人の男を紹介しよう。
彼はバブリア村の民だ。
だか、彼はバブリア村の生まれではない。
彼はバブリア村から遠く離れた場所、シャマ国の隣国トゥアナ国のとある街で商屋を営なむ夫婦の一人息子であった。
トゥアナ国とはラヴァ大陸に存在する100余国の内、シャマ国を含めた10国との中継ぎ貿易国であり、多くの商人や出稼ぎに訪れる人々で溢れる経済発展国であった。
そんな経済成長著しい国に住んでいた彼は当時、物心ついたばかりの子供であったが、その国の政治、経済的仕組みを早くから理解し、どこにでもいそうなごく普通の子供というより、商屋の経営者の一人息子として振舞っていた。
誰から見ても彼は異才であった。
そんな早熟の天才である彼に父はこう言った。
「人間は富や権力だけに従うゆえ、それを最も保有する者こそが絶対者だ。
だから、利益だけで物事を見極め、1番益が残りそうな方を選べ」
父は耳にタコができそうなほど、その助言を息子に言い聞かせていた。
それを毎日のように聞かされていた彼はその言葉を助言というより真理や原理といったものとして解釈していた。
以前に、貧しそうな身なりをした者が食料や交易価値のある物品を貸与してくれるよう父のもとへ、懇願しに訪ねて来たのを見たことがある。
父はそれを否応なしに断った。
だが、その次に訪れた商業界隈では有名な同業者の儲け話に彼の父は着手したのだ。
その計画は重畳に思われた。
しかし、事業は半ば途中で頓挫してしまい、信頼を失った父は責任を負うため、商屋があった土地を押収され、商人としての地位を剥奪されてしまった。
一方、その儲け話を持ち出した有名同業者は相応の財産を横に流し、裏で根回しをしていたため責任を問われることは無かった。
その後、父は息子と妻を放置して失踪。
父が唯一、息子と妻に残していったその不名誉が忽ちに噂として広がった。
そして、彼らは生まれた街だけではなく、その国からも迫害を受けることになった。
というのも、父が着手した事業というものが国家を脅かす危険のあるものだったという。
やがて、一家はあえなく、国家犯罪人としてのレッテルを貼られてしまい、日々、空腹に耐えながら安寧の続く新天地へと目指したのである。
そんな惨めな状況を彼はこう思っていた。
(今、こんなに苦労をしているのは自分が何も力を持っていないからである。
父が失敗をしたのも、彼に力がなく、確かな利益を見通せる眼識を十分に持っていなかったからだ。)
そして、彼はこの境地において、改めて自覚したのである。
"金"と"権力"、"利益を見極める眼識"を持った者こそが絶対者であるという真理を……
しかし、ある時を契機にその真理が1人の男の自論に成り下がってしまう。
母と安逸とした地を求めるために放浪して、辿り着いたのが隣国シャマ国の端に位置する辺境の地バブリア村であった。
彼はそこに来て驚いた。
(何で誰も利益に準じて動こうとしないんだ!?)
彼には信じられなかった。
そこの村人1人、1人が笑顔で彼らを迎え入れ、排斥すること無く、自分たちのグループに加え、困った時は幾度となく助けてくれた。
特に、コバという壮年の女が煩わしく感じるほど彼に世話を焼いてくれたのだ。
しかし、彼はその優しさを何かの間違いだと思った。
彼の中で長らく、拠り所にもなり続けていた真理が瓦解しようとしているのである。
受け入れられるはずがない。
きっと、彼ら村人が自分達を騙しているのだ。
そんな事でしか、目の前に起きている事実を塗りつぶすことが出来なかった。
そんな葛藤が暫く続き、この村での生活もそこそになった彼は南の村方に任命されることになった。
村方とはその地域に住む村人の信任を経て、ようやく選ばれるものだと言うが、果たして彼らに自分を選ぶメリットはあるのだろうか。
そんな今も尚続く当惑に彼はようやく理解を得たのである。
否、理解というより数学や科学の問題に課されるような一定の法則を発見したとでも言うのだろか。
とにかく、彼は南の村方になって、初めて長年来続いた疑問に気づくのである。
「この世界には利益を主として考えない人間もいるのではないか?」
それは利益史上主義の社会で生きてきた父と彼が経験則から生み出した真理へのアンチテーゼだった。
根拠の無い憶測だと反証してしまえばよかった。
しかし、出来なかった。
なぜなら、彼ら村人の行動が有無を言わすことなく皆、情動的なのだ。
損得勘定で動く者はいなかった。
一昔前の思い出を少し話してやるだけで、感傷的になったり、あるいは、卑近でチープな言葉でしか励ましていないにもかかわらず、見違えるほどやる気になったり。
バブリア村の人々は皆単純だ。
地位や財力を求める人はおらず、弱者も平気で助ける。
村方などという地位も一定の自治権を与えられただけの名ばかりの名誉職にしか過ぎない。
それでも、彼らは日々を充実して過ごしてた。
果たして、そんな謙虚で誠実な村人達の優しさに彼は決して触発されることは無かった。
どうして忘れることが出来るか?
過去には上の者だけでなく、身分も卑しく、富さえも持ち合わせていない者達でさえ彼ら一家を迫害したことがあるのだ。
バブリア村の人々のその性質は同族に対してだけの表面的なものであり、彼らは村方役を彼に仕立て上げ、行く行くは食い物にしてしまうのだろう。
そんな未来が彼の心を支配しようとしていた。
しかし、彼は屈することなく、その未来に抗うことにした。
(私を食い物にする?上等だ。
思惑通りに私は最高位の権力者になってやろう。
それと同時に今度は私がお前らを餌食にしてやる。
この地で母を亡くして暫くが経った今日、ノラン・ソリカードは明確な野望を抱いたのである。
そんなこともつゆ知らず、松田龍はサシャの家で朝食を食べていた。
ちなみに、父と京介さんは朝早くから出かけてしまった。
(気まずい……)
俺は口数の少ないサシャと一昨日の一件から口すら聞いてくれなくなった湯奈さんに囲まれて、沈黙の朝餐の時間を送っていた。
俺はこの粛然たる空間に耐えきれず、話の口火を切った。
「サシャ、今日は何をするんだ?」
「いつものように、洗濯と掃除、食材の調達、をするだけだ。」
「そっ、そうか」
それで会話は途切れてしまった。
切り替えて湯奈さんに話を振ろうとするが……
「ごちそうさま」
「あっ」
会話のタイミングすら逃してしまった。
意図的に会話の機会を遮ったとも思えるが……
(はぁ)
俺はため息を心の中で吐くしかなかった。
言っておくが、別に俺はコミニュケーション障害を患っている訳では無い。
人並みには会話を弾ませることが出来るはずだ。
その確かな自信があったからこそ、会話をすればするほど、静寂が彼女達との関係を跋扈しだすという負のスパイラルに俺は悶々としていた。
(こういう時は強硬手段に出るべきだな)
俺は食事を済ませ、部屋に戻ってしまった湯奈さんを残して、サシャと一方的な会話を始めることにした。
現状、考えられるだけの話題を引き合いに出して、会話のエッセンスとした。
村の事、他国の話、この地域の自然の事、そういった常識からサシャが食入りそうな話題も含めてだ。
しかし、彼女の返答といえば「そうだな」、「あぁ」、「確かにな」ぐらいのほとんど口の動きを必要としない相槌と張りのない声音から発せられる説明ばかりで彼女自ら話題を持ち出すことは無かった。
(でも、料理の話になると若干口調が弾んでいたような気が……)
(まぁ、今回、サシャに関しては何かしらのプラスを掴むことが出来たかもしれないな。)
元々、口数の少ない彼女だったから、会話も続かないのも当たり前で、今回もくどいほど話を持ちかけても、嫌顔一つとしなかった。
だから、彼女に関しては関係を築くことに急を要することはないだろう。
(問題は湯奈さんなんだよなぁ)
「はぁ」
前途多難な関係に思わず口に出てしまったため息をサシャはキョトンとした表情で見ていた。
朝食を済ませて、俺は単独行動を取っていた。
(1人でこの村を歩くのも、初めてだなぁ)
俺は村長ソニアさんの住む巨大岩建造物に向かっていた。
昨日の会合の後、俺はソニアさんと談笑の約束事を交わしていた。
その時の彼女といったら、童心を思い出したような喜色の笑みを浮かべていた。
大人びて見えるが、じつは天真爛漫なギャップ萌えな彼女と再び会う確約を得たのだ。
俺はいつに無く、浮かれていた。
昨日の会合でその事を父に指摘されている。
(俺はもちろんそれをとことん否定したが……)
今はあながち父の指摘も間違いではないと思った。
気分が高揚し、なぜか楽しく感じる。
また、心もどこか落ち着きがないように感じる。
(もしかして、これって恋なの?)
(なーんてな)
少女マンガのヒロインの恋への自覚を俺風に面白おかしくアレンジさせてもらった。
そんな感じで人生で二度あるかないかぐらいの調子に乗り始めた俺は上ずった声で、例の建造物の前に立つ女性に声を掛けた。
「おはようございます。ナターシャさん!」
そんな俺の高らかな調子にナターシャさんは合わせる素振りすら見せず、平坦な声音で挨拶を返した。
「おはようございますリュウさん。中でソニア様がお待ちです。」
(いつでも事務的な人だな)
しかし、その反面、彼女はかなり適当なところがある。
昨夜、ソニアさんから俺たちの身の回りの世話をするよう仰せつかった彼女は早速、サシャの家に俺達と一緒に同行したが、家長であるサシャに「私がいるから世話は必要ない」と断られ、任務を断念してしまった。
断られた後、彼女は「家長が断わっても尚、私がしつこく申し出るのは無礼でしょう」と言い、ソニアさんの命令を果たすことなく去ってしまった。
上司であるソニアさんに叱責されたのではないだろうか、そんなお節介が頭をよぎったが、どうやらそのような事は無かったらしい。
というのも、理由はよく話してくれなかったが、ナターシャさんによると、ソニアさんはサシャにはあまり強く出れないらしい。
どうやら、その辺も詳しく聞いた方がいいのかもしれない。
(美人とお近づきになれることに、越したことはないからな)
俺はナターシャさんの後ろに追行し、巨大岩の中へと入っていった。
そこは昨日見たとおり、天まで続きそうな壮厳な螺旋階段と各層にそれぞれの部屋と続く空間があるだけの殺風景な場所だった。
しかし、一つ昨日との違いを上げるとすれば、それは螺旋階段があるこの1層の大広間に麗しの彼女がいる事だ。
「待っておったぞ!リュウ!」
彼女は昨日の会合の際に着ていた正装を今日も抜群に着こなし、威風堂々たる面持ちで俺を待ち構えていた。
「待ちくたびれて、わざわざ最上層の私の広間から飛び降りて、ここまで来てしまったぞ!」
どうやら、彼女も超人的筋力を持った女性らしい。
ここの女性は短気なようで、(ナターシャさんもそうだが……)
一段一段階段を降りるより、下層まで一気に飛び降りてしまうようだ。
俺も小学生の頃は階段を降りる際に屡々、一段飛ばしや二段飛ばしをしたことはあるが、流石に高層マンションの中層ぐらいの高さから飛び降りるような命知らずなことはしなかった。
この村の女性だったら、そういった危険な行為は普通のことなのだろうが、しかし、俺と話すためだけにソニアさんがそこまでしてくれたと思うと、言い表せない愉悦を感じた。
(浮かれてんな俺)
自覚していても、カワイイ子からそういったハプニングを受け取ると、浮かれた気持ちを抜くことが出来ないのが男という生き物なのである。
すると、階段を慌ただしく、駆け下りてくる音が聞こえた。
「ソニア様ー!」
年の割に張りを感じる声を上げたのはラパンさんだ。
彼は今日も今日とて、ソニアさんの大胆な振る舞いに振り回されているらしい。
「ソニア様!あのような事をされてはお召し物にシワが付いてしまいます。」
「案ずるなじぃ、飛び降りる時は着替えておったからな。」
そんなソニアさんの返答にラパンさんは呆れ返っていたが、彼の眼差しはどこか優しさと慈愛に満ちたものだった。
「そんなことよりもリュウ!
今日は約束通りお前と話がしたい!」
彼女の要求に俺は陽気な返事で応じた。
そして、俺達は時間を忘れるほど語り明かした。
俺の世界の事。(文化や様々な技術に至るまで)
時には俺の方からソニアさんの事についても聞いた。
彼女が幼いときの話、ラパンさんやナターシャさんの面白話など。
俺は女の子との会話がこんなにも楽しいものとは思わなかった。
思えば、俺は日本では女の子とここまで会話を弾ませたことは無い。
最近の出来事や面白い話を話すだけで、そこで会話が途切れてしまうのだ。
しかし、彼女と話して、それが現実ではなかったと気づく。
なぜなら、彼女のとの会話が面白いほど続き、何よりも楽しいと感じるのだ。
平時のサシャとの会話は俺が一方的に話すだけの消極的なものだが、ソニアさんとの会話は双方的に話題を出し合い、共感する積極的なものなのだ。
彼女の会話に相槌を打ちながら、コメントも述べる。
そして、それに対して彼女は一喜一憂し、また同じように意見を述懐してくれる。
今まさにこの状況が親しい中だけにできる遠慮のいらない共通空間なのである。
そんな空間が知らず知らずの内に構築されているのを他所に、俺は徐にソニアさんに聞いてみた。
「ソニアさん、サシャとは何か関係があるんですか?」
すると、彼女は先程までのほくほく顔から昔を懐かしむような表情を浮かべ始めた。
「私の両親が、サシャのご両親と親友だったんだ。
その関係で、昔は良くサシャと一緒に遊んでおった。
私はなかなか、この建物から出られない身だからな、サシャだけが唯一の友達だったのだ。」
彼女は自嘲気味にそう話した。
「でも、サシャの母君が亡くなられてから彼女の周りも色々と混みあってしまってな。
正式に村長になってからというもの、サシャとは全く会っておらんのだ。
それに、村長という身分である以上、村の正式な客人や村方以外の者に簡単に会うことは許されないのだ。」
彼女のその表情は寂寥を感じさせた。
だから、俺は彼女の言動から何処か物憂げな雰囲気を察した。
俺にもその寂しさはよく理解できる。
かつて、仲が1番良かった親友が突然、遠くの地方へ引っ越してしまった時、俺も形容しがたい寂しさと不安を感じたことがある。
だからこそ、俺は俺と1歳ぐらいしか歳の変わらない女子が幼い頃から孤独に村長という大役を務め、村人を牽引してきたと思うと、それは、先の見えない暗がりを周りから、どこに行き着くかも分からない道を勧められ、ただただ、それに従うようにして歩き続けるという不安で過酷なものだったと思う。
それに加えて、かつての唯一の親友と会えることすら許されなくなってしまうという悲劇に俺は筆舌しがたい悔恨を抱いた。
(同じ場所に住んでいるのに、どうしてこんなにも遠い隔たりがあるんだ。)
出会って1日と経たないが、俺は厚かましく、できる限り彼女をサポートしたいと思った。
きっかけは正直、何でもいい。
例えどんな出会い、やり取りがあったとしても、オレは彼女のために腐心すると思う。
ならば、答えは一つのみ。
「ソニア!俺が今日から友達になってやるよ!」
彼女は一瞬、ど肝を抜かれたような表情をしていた。
「正式な客人なら会っても問題ないんだろう?
だったら、俺が毎日ここに通ってソニアと日が暮れるまで語り明かしてやるさ。」
フリーズしていた彼女だったが、やがて、彼女は氷柱の下に溜まった極小の楕円形ガラス細工のように澄んだ溶け水の1滴がゆっくりと滴り落ちるように涙を零した。
「ありがとう」
彼女のその言葉が何よりも俺の心に深く浸透するものだった。
境遇やきっかけなんて、どうでもいいのだ。
俺は彼女に関わりたい。
それが自己満足や邪な感情であると非難されても、俺はその意思をけっして変えないだろ。
ソニアやラパンさんが日本語を喋れるのは他に理由があります。