海賊、海羅鬼!
瀬戸内、塩飽諸島郡。
大小様々な島が連なるこの海域で今、三好とこの辺りの国人衆が大量の船を浮かべ戦を繰り広げていた。
『ダメだっ!海峡を突破されるぞ!』
海賊それは恐ろしい物、人の心には海賊への恐怖が植え付けられている
『瀬戸内を守れ!三好の好きにさせるな!』
『だが船が足りん!』
でもそうじゃない海賊も少なからずいた。
自分の信念の為に、祖国の為に、仲間の為に。
この物語はそんな信念の海賊の戦いと復讐の物語である。
「ふっ、三好め派手にやりおって」
男が船上で言った。
だが男の風体は余りに粗暴だった。
古い甲冑に小汚ない真紅の着物、そして毛皮を纏っている。
「瀬戸内は家の海だ荒らすことは許さねー」
なんとその男は200艘を超える大艦隊を伴っていた。
その船は皆一様に骸骨の旗を掲げていた。
その瞬間海が船で埋まった。
『あれは…!』
『やっと来たか!』
戦っている将兵も喜び浮き足だった。
「救うぜ!全船砲撃初めっ!」
ダァーんっダァーんっ!!
200艘の船が一気に砲弾を打ち上げる。
空を黒く埋めた砲弾はそのまま三好の船に襲いかかる。
次々と沈む船、散っていく命。
「はははっ!俺の海で好き勝手やるからこうなんだーっ!」
『海羅鬼っ!』
『海羅鬼賊!』
『義賊っ!』
彼の名は海羅鬼水吉。
瀬戸内の覇者に君臨する海羅鬼海賊第4代目頭目。
別名『義賊』。
「三好の船は一掃できたようです」
兵士が言った。
「うしっ!じゃあ帰るか、俺達の淡路島に」
辺りの三好の船をあらかた一掃すると船首に掲げられた骸骨を翻し来た方向へ帰っていった。
『ありがとう!海賊!』
『助かった、海羅鬼!』
国人衆は口々に水吉を称賛した。
瀬戸内海を塞ぐ様に浮かぶ島、淡路島。
ここは古来より海羅鬼海賊の本拠地となっている。
海羅鬼の歴史は古く遡ること約150年水吉の曾祖父にあたる海羅鬼濁流が周辺の国人衆を束ねたのが始まりだった。
その頃は瀬戸内を通る船などを襲って生計を立てていた。
それが海賊と呼ばれる由縁である。
そんな田舎海賊に改革をもたらしたのが水吉の祖父と父の水鳥、水陽親子である。
この親子は周辺の島々を次々と征服、島と島の間に関所を設けて航銭という通行料をとることによって生計を纏めた。
まだ兵農分離による職業軍人制の確立による軍備の増強などを行い海羅鬼の力は数倍に膨れ上がった。
また海の警護や国人衆の支援などによって周辺の住民からの信頼もました。
そして現頭目水吉。
水吉も積極的に他島に城を築いたりし今や海羅鬼は瀬戸内の大阪側半分を有する立派な大名となっていた。
そんな海羅鬼の本拠、洲本城の城下を駆け巡る少年が一人。
「はぁはぁ!くそっ捕まるか!」
彼の名は水吉の嫡男、名を一朗太と言う。
歳は13、海羅鬼の次期頭目だ。
「待ちなさいっ!あんた肉なんて盗んでただで済むとおもってるの!?」
一朗太を追うのはその母、名を波。
「誰が捕まるか!クソばばぁっ!」
「何だって!?クソガキぃ!」
波は足を速める。
その時一朗太は二人の子供の前を横切った。
「あ、兄上っ!」
「兄上っ!」
二人は一朗太の弟、三朗太と四郎太だ。
二人は当然の如く水吉の三男の四男。
歳は三朗太は11歳、四郎太は10歳だ。
「おい、あれ母上じゃないか?」
三朗太は言った。
四郎太は、
「本当だ二人とも良く飽きないな」
と感心している。
その二人を横目に波は凄まじい速度で駆け抜けていった。
その時の風で二人の服は靡いた。
「くそっ!まだ来んのかよ…!」
「逃がさないからね!」
二人の息は徐々に上がり始めた。
そんな一朗太の前に一人の子供が現れた。
「五郎太!母上足留めしてくれ!」
「う、うん!わかった!」
その子は水吉の五男、五郎太。
歳は9歳。
「兄上をいじめるなぁ!」
五郎太は波の前に立ちはだかった。
まだ幼い五郎太を吹き飛ばす事も出来ず波は立ち止まった。
「ご、五郎!違うのこれは…っ!」
「良くやったぞ五郎!」
この隙に一朗太は波と距離をとった。
はぁはぁ、よしここまで来れば…。
「兄上ぇっ!」
そんな兄上の元に一人の少女がやって来た。
「おう、那古!肉取ってきたぞ一緒に食うか?」
「食べるーっ!」
彼女は那古。
水吉の長女で末子だ。
歳は8歳。
そして海羅鬼唯一の女子。
一朗太はドッカとあぐらをかくと持っていた包みを開けた。
中には香ばしく炙られた肉が入っていた。
「おぉーっ!」
「わぁーっ!」
二人は歓声をあげた。
その時、
「一朗太ぁっ!待ちなさいっ!」
「げっ!母上、逃げるぞ那古!」
一朗太は包みをグシャっと適当に包み直すと那古の手を取り再び走りはじめた。
「鬼ごっこだぁ!」
那古がはしゃぐ。
「あぁ、鬼ごっこだ!」
二人は走った大通りを外れ路地に入りまた大通りに出ては路地を行く。
複雑な迷路を解いているようで一朗太のこころは踊った。
一朗太は天高く舞えるような気がした。
ドンッ!
路地を抜け大通りに飛び出したとき一朗太と那古は何かにぶつかった。
「いってぇ!何だよ!」
顔をあげると一朗太の眼前には信じがたい風景が広がっていた。
「水吉様!ご着陣っ!!」
千を超える軍、威風堂々と行く騎馬隊、勇ましい甲冑を纏った武者。
一朗太にはそれが夢の世界に見えた。
「一朗太様?大丈夫にこざいますか?」
一朗太がぶつかったのは海羅鬼つきの家臣、薬火砲船の騎馬だった。
砲船は海羅鬼の大筒衆を率いている。
戦場では最前線で戦う大筒関船隊を率いる。
だがその武功とは裏腹に風体は優しいおじさんだ。
「砲船のおっさん!帰ってきたのか?」
一朗太は興奮気味だ。
そこに、
「わ、わか!?また何か仕出かしたのですか?」
砲船の騎馬の後ろの騎馬から声が上がった。
「う、じ、爺…。べ、別にやらかしたわけじゃ…」
その老人は守部役吾朗。
海羅鬼家臣で一朗太達の守役だ。
その古ぼけた図体に似合わぬ甲冑を着ている。
「若ぁ…。いつも言ってるではありませぬか!問題は…」
守部は長々しい説教を始めた。
「砲船のおっさん!父上は、父上はどこだ?」
一朗太は守部の事など気にせず聞いた。
その時、
「ここじゃ!わが息子よ」
守部、砲船の後ろからぬっと顔を出したのは水吉だった。
「父上っ!!」
一朗太は感激の声をあげる。
「今帰ったぞ!」
優しい顔で水吉は返す。
「父上、勝ったんだよな?敵はどうだった?被害は?どんな戦いだったんだ!?」
一朗太は質問攻めした。
その目は好奇心に満ち溢れ、輝いていた。
水吉は、
「そ、そんな一編には答えられない!それにまず城に返るのが先だ」
と言って城を指差した。
その方角には山を丸々城にした洲本城が聳えたっていた。
豪華な天守閣を配したその城は水吉が工夫凝らして建立した物だ。
「さぁ、勝者の凱旋だぁっ!!」
水吉が叫ぶと再び軍が動き始めた。
その雄大な父は一朗太の憧れその物だった。
「はっははははははぁっ!!」
水吉は豪快に笑った。
先程帰ってきた水吉達は早速城に入り戦勝報告を行っていた。
広間には一朗太の他に水吉、波、砲船、砲船の幼馴染みである鉄鋼船尾、守部が来ていた。
「何を笑っておるのです!一朗太は私の事をくそババァと申したのですよ!」
波が怒鳴った。
「く、くそババァ!?若ぁ…何て事を!」
守部は取り乱している。
それに比べ水吉は、
「何とそれは誠か!?この鬼嫁をくそババァとな、良くやったぞ一朗太!お主の心意気こそ海賊の鑑じゃ!」
と一朗太を豪快に褒め称えた。
「ありがとう!父上っ!」
一朗太は水吉に褒められた事が嬉しく心を踊らせた。
その時、
「殿…?」
恐ろしい声音で波の声が響いた。
水吉は波の方をむく。
波は水吉を今にも襲いかからんばかりの形相で睨みつけていた。
「うげっ!!なぁ、波!?」
水吉は狼狽えた。
その場の全員も凍りついた。
水吉は急ぎ一朗太に、
「一朗太!やはり人をバカにするのは海賊でもダメだとおもうぞ、わしわなわしは!」
と言ったが、
「もう遅いです!」
波はそっぽを向いてしまった。
「な、波…!すまぬすまなかった!」
と水吉が謝るが波は許す気配がない。
こうなると時がたつのを待つしか無いのでどうしようもない。
それを皆も知ってるので船尾が、
「殿、そろそろ報告を」
と急かした。
「あ、あぁそうだな」
そう言って水吉は気を取り直すと語りはじめた。
「結果は圧勝だ。こちらに損害は無い」
「ほんとか!じゃあもう安心だな!」
「安心などでは無い、むしろ驚異だ!」
「え、何でだよ?」
一朗太は首を傾げた。
その時、
「問題は三好が侵攻してきたという事だ、兄上」
と後ろから声があがった。
「次郎太!」
次郎太は一朗太の双子の弟だ。
次郎太は、
「父上、無事のご帰還お帰りなさいませ」
と頭をさげた。
水吉は右手をぽんとあげて返答した。
次郎太は一朗太の隣に座ると、
「三好が侵攻したきたという事はここに目をつけたと言うこと。ですよね、父上?」
と水吉に聞いた。
「そうだ、近々三好はまたやってくる今回よりデカイ軍を引き連れてな」
と水吉は言った。
「これよりデカイ軍…」
一朗太は感慨に浸った。
「荒れるぞ、瀬戸内は」
水吉も同様だ。
辺りに流れた静寂を打ち破ったのは波だった。
「もう!何をしんみりしちゃってるの?そんなの来たらまた皆で協力して打ち破れば良いのよ!」
「打ち破ればって母上、それは結構キツい…」
「失敗を恐れない!それが家の家風でしょ?」
波は一朗太の言葉を遮るように言った。
その言葉にその場の全員がハッとした。
「フフフッ、そうじゃな波の言う通りよ。我らはいつでもそうやって危機に立ち向かい勝ってきた」
水吉が言った。
「今回もいつもの様にやれば負けることはない!」
次郎太も言った。
「おぅ!よっしゃ戦だぁっ!」
一朗太は跳び跳ねる。
その場の全員に三好に勝つと言う気風が流れ始めた。
報告が終わり一朗太は城下の外れにある寺にやって来ていた。
「何だよ?今日は静かにいられると思ったのによ」
寺の中から年老いた坊主が出てきた。
「うるせぇな仏前寺のおっさん」
「わ、若!何て事を言うのです!?」
「良いんだ良いんだ守部殿」
坊主は守部に言った。
仏前寺法能、洲本城下の外れに位置する仏前寺の住職だ。
「んで、今日は何の用だ?」
法能は一朗太に聞いた。
一朗太は、
「武術の鍛練してくれよ!」
と勢いこんでいった。
法能は一朗太の武術の師でもある。
「あ?やだよめんどくさい」
「頼むよ!俺強くなりたいんだよ、時期に三好とデカイ戦が始まるそん時にちゃんと武功をあげられるように今のうちから鍛練しときたいんだ」
「ちっ、しかたねぇな…」
そう言うと法能は一朗太に木刀を渡した。
二人は向かい合うとそれを構えた。
法能は、
「気張れ…っ!」
と吐き捨てる様に言うと、
「やぁーっ!」
襲いかかってきた。
剃りあがった頭が輝く。
バンっ!
一朗太はそれを正面で受けた。
バンバンバンっ!!
二人は激しい打ち合いになった。
へっ、師匠あれから俺は随分強くなったろ!
打ち合いの最中一朗太は法能との出会いを思い出していた。
それは4年前…。
一朗太は町の悪ガキだった。
その愚行は義賊の恥とまで言われる程で、町をふらついては盗みを働いたり暴力を振るったりしていた。
別にひもじかったとかそういう訳では無い、ただ心を病んでいただけだった。
その日もいつもの様に寺に盗みに入った。
寺には沢山のお宝が眠っているので盗みには最適だった。
そこで出会ったのだ。
一朗太が寺の棚という棚をあさっていた時ふと首につめたい何かを感じた。
一朗太は恐る恐る振り向いた。
一朗太の後ろには刀を突きつけた坊主が立っていた。
「てめー、なにやってる?」
坊主は言った。
「ち、ちょっと迷っちまって…」
一朗太ははぐらかす。
「ふっ、あね海羅鬼水吉の子せがれが聞いて呆れるぜ。自分の罪くらい素直に認めたらどうだ?」
「んだよ!?俺の事知ってるのか。なら俺を殺したらどうなるかも分かるよな?」
「ふっ、お前の親父がお前の仇取りに俺を殺しに来るか?多分そりゃねーぜ。少なくとも今のお前の仇を取りたいなんて誰も思わないさ」
「な、なんだと!てめぇっ!?」
ガシャンっ!
坊主に掴みかかろうとした一朗太を坊主は蹴り飛ばした。
「いってぇ…!何すんだ!?」
「分かるか?これが痛みだ。お前が沢山の人に与えてきた物だ。どうだ?痛てぇーだろ?そしてこれが…」
そう言いながら坊主は刀を振り上げた。
「ま、待って…っ!」
一朗太は今まで感じたことの無い恐怖を感じた。
「恐怖だぁっ!!」
ドスッ!
坊主は刀を降り下ろした。
その瞬間一朗太は死んだと確信した。
だが痛みが無い、一朗太は恐る恐る目をあけた。
刀は一朗太ではなくその傍らの床に突き刺さっていた。
一朗太が戸惑っていると坊主が、
「どうだ?怖かったろ?これが恐怖だ良く覚えとけ。お前はなこの二つに支配去れていたんだ、恐怖と痛みを与えれば人間は皆ひれ伏すそれでお前は自分が最強だと過信したんだ。
恐怖と痛みに犯されてたのはお前の方だったんだ」
「はっ、俺が犯されてる?違うね俺が恐怖と痛みを支配したんだ!」
「お前がか?笑わせるな少なくとも今のお前にそれは無理だ」
「うるせぇなっ!!何でてめぇにそんな事言われなきゃ言われなきゃいけないんだ!何やっても次郎太には勝てずにそれでも長男かってバカにされて…。だから吐きたかったんだよ!心に溜まったもの全部!俺はダメな奴だから…ダメだから…」
「じゃあお前これは感じたこと無いだろ?」
「あ…?」
坊主は微笑むと、一朗太を力一杯抱擁した。
「これがお前が喉から手が出るほど欲しがってた物、温もりだ。お前にはこれが足りてなかった…」
「温もり…。これが…っ!」
「俺と武術の鍛練をしないか?お前にはそういう拠り所が必要だ。俺がお前を本当の意味で強くしてやる、だからもうこんな事やめろ…」
不意に一朗太の目頭が熱くなった。
「くっ…んっ…。良いのか?迷惑じゃ無いのか?」
「迷惑なわけあるか。大丈夫だ俺は何が起ころうとお前の味方さ」
その言葉に一朗太の目から大粒の涙が流れた。
一朗太は坊主の胸の中で泣いた。
その坊主が法能だったのだ。
おっさんあんたがいなかったら今ごろ俺は家を追い出されてたかもしれねー。
ありがとう…。
「見切ったぁっ!」
法能の声が響く。
バシンっ!
その瞬間法能の木刀が一朗太の脳天を貫いた。
「いってぇ!何も叩くこと無いだろ!」
「考え事してるからだ、何考えてたんだ?」
「う、うるせぇ!こっちの話だ」
「ふっ、まぁ良いが。お前はこの神影流を継ぐんだもっと強くなれよ!」
「言われなくとも強くなってやるよ」
一朗太と法能は互いに互いの目を見張った。
だが法能は微笑むと、
「じゃあ安心だな」
と言った。
「あぁ、安心しろ」
と一朗太も返した。
二人の間には師弟という関係以前に堅い絆が交わされているのだ。
二人の対戦が終わったその時、
「一朗太様っ!大変にございます!」
砲船が駆け込んできた。
一朗太は怪訝そうに、
「ん?どうした」
「殿が…。殿の事を…!将軍が捕らえに参りましたぁっ!」
「何だと!?」
一朗太は声を荒げた。
守部も、
「それはどういう事じゃ?」
と訊ねる。
砲船は、
「殿が将軍の許可なく沢山の島を攻略した行為を将軍に対する謀反だと」
「ありえねぇ!将軍家はとっくに形骸化してる、それに来るなら海を渡るはずだ!なのに何で関に引っ掛からなかったんだ!」
一朗太は怒鳴る。
一朗太の疑問に答えたのは守部だった。
「水鳥殿が定めた『海航御法度』に頭目が発行した航行許可証を持つ船舶と帝及び将軍家の船は無条件で全ての関を免除すると記されておるのです」
「はぁ!?じゃあ将軍家の連中は関を全て無視してここにやって来たのか?」
そんな二人の会話遮るように砲船が、
「既に城下に将軍、三好連合軍1万が入っております!お二人も急ぎ城に」
「分かった!」
三人は急いで城に向かった。
「父上っ!!」
一朗太が城に着いたとき敵は既に城を取り囲んでいて今にも攻めかからん勢いだった。
水吉は家臣達を広間に集めて会議を行っていた。
「一朗太!来たか」
水吉は一朗太に座るよう促した。
一朗太は促されるまま座った。
「父上どういう事です!?何故三好までもがここに?」
声を挙げたのは次郎丸。
水吉は、
「海航御法度に将軍家の吊れの船舶も航行が自由になると記されておるのだ」
と苦しい声で答えた。
「じゃあ三好の軍勢も関を無視して悠々と航行してきたのか!?」
一朗太も声を荒げる。
そこに波が、
「戦いましょう!まだ間に合う!」
と進言したが、
「ダメだ!敵は一万それに対して洲本にいるのはせいぜい3千数が違う」
「ならば至急周辺の島々に援軍を!」
「それもダメだ!今は三好の船も自由に入ってきているんだぞ、既に海上は封鎖されただろう」
その言葉にその場の皆が絶望した。
「水鳥殿の代から必死に守ってきたこの体制が今たかだか法度等に、水鳥殿が作った法度に崩されたのですか…!?」
守部の声には恐怖が滲んでいた。
それは皆も同じで、皆今まで感じたことの無いような恐怖を感じていた。
それはそうだ今までどんなに希望の無い戦でも少しは勝利の希望があったでも今回は違う、今回は希望が本当に無い。
死が生々しく目の前に現れた時の恐怖はその場からすぐに逃げ出したくなる程だった。
皆がうちひしがれるその時、
「わしは行く…」
静かに水吉は言った。
「行くってどこにだよ?」
「将軍の元じゃ」
『殿っ!!』
「奴らの目的はわしじゃ、わしさえ捕らえられれば一旦は軍を退くだろう。その隙に軍備を整えよ」
「何言ってんだよっ!まだ手があるかも知れないだろ!」
「無いっ!戦も出来ぬ和睦も出来ぬ今、わしが行くしか収める術が無いのだ…!」
一朗太は初めてそこで自分が無力だと知った。
今、一朗太の前には水吉と一族をかけた天秤が置かれている。
どっちを取れば良いんだ?
どうすれば正解なんだ?
一朗太は必死に悩んだ。
悩みに悩みそして答えをだした。
「絶対帰ってくるよな…?」
「当たり前じゃ。わしは絶対帰ってくる」
「分かった…」
そこに守部が、
「若っ!殿もっ!!」
「良いっ!皆わしの留守は頼むぞ…」
水吉は立ち上がった。
「水吉様ぁっ!」
砲船が声をあげる。
水吉が見ると家臣達は一様に自分の方を向いていた。
「無事のご帰還お待ちしております!!」
そして頭をさげた。
小さくされどしっかりと頷くと部屋を出ていった。
水吉の居なくなった部屋には重苦しい空気が流れていた。
その静寂の中各々は自分の無力さを祟っていた。
そんな中一朗太は口を開いた。
「帰ってくるよな?ちゃんと帰ってくるよな…!?」
その真っ直ぐで純粋な言葉にその場の全員は我に帰ったが誰一人一朗太に返答するものは居ない。
「何で黙ってるんだよ!答えろよ!」
そんな一朗太が余りに不憫に思えたのだろう守部が口を開いた。
「残念ですが…。殿は、水吉様は帰りませぬ…!」
守部の目からは大粒の涙が滴り落ちていた。
だが一朗太にはその意味を理解できなかった。
「は?なに言ってるんだよ?だって、帰るって…、ちゃんと帰るって!?」
「それは!若を安心させる為ですっ!殿は初めから帰る気などありませぬ!死ぬ気で行ったのですっ!!」
その守部の言葉と家臣達の涙を見て一朗太はようやく状況を理解した。
「う、嘘だろ…!」
崩れ落ちる一朗太に守部が、
「これが…、乱世なのです!」
と言った。
乱世?
そうかこれがか。
甘かったんだ、俺は甘すぎたんだ!
父上は俺が売った、俺のせいで死ぬ!
そんな事あってたまるか、父上はこんな所で死んじゃいけない!
まだだ!まだなんだ!
一朗太は勢い良く駆け出した。
「若ぁっ!!ダメです…、辛くなる、だけだぁ…!!」
守部のそんな思いなど気にすること無く一朗太は駆けた。
駆けに駆け、そして大手門に立った。
父上?父上はどこだ!?
一朗太は水吉を探しただが三好の軍勢は既に遠くにおり探すのは困難だった。
どこだよ!頼むよ…!
「父゛上゛ーっ!!」
一朗太は力一杯叫んだ。
だがその言葉が水吉に伝わるわけも無く、軍勢は直ぐ様見えなくなってしまった。
眼下にはいつもの城下が帰ってきた。
そんな平和な風景を見て一朗太は泣き崩れた。
大切な人の死。
生まれて初めて体験するその傷みに一朗太は成す術もなく泣くしかなかった。
一朗太は広間に戻った。
広間は主君を無くした家臣達の悲しみに満ちていた。
押しつぶられそうになる程の空気は今の一朗太には合っていた。
一朗太は評定の際水吉が座る位置に座ってみた。
そこはどことなく高く感じ何か異質な力が掛かってる様に思えた。
一朗太はそこで水吉の座り方を真似てドシッと胡座を掻いてみるが一朗太は一朗太で水吉には慣れなかった。
やっぱり、海羅鬼の頭目は父上だ、俺じゃない。
俺にはまだ早すぎる…。
じゃあどうする?
ふっ、やることは決まってるさ。
「助けよう…」
一朗太は呟くように言った。
その一言でその場の全員が一朗太に注目した。
一朗太は続ける。
「父上を助けよう!皆でさ!」
それに守部が、
「ですが海は三好が封鎖しておりそれを突破しなければならないのですよ」
「そんな事分かってる!でもそれも皆で協力すれば突破できる!」
『一朗太様ぁ…』
『若…!』
「俺は甘かったんだ!乱世を舐めてた…。でもだからこそ後悔はしたくないんだ!俺にはまだ父上に教えて貰いたい事が沢山あるっ、話したい事も沢山あるんだ!それはもしかしたらお前らには関係の無いことかも知れないけど、父上はまだ海羅鬼に必要なんだ!だから頼むよ力を貸してくれっ!!」
一朗太のその決死の叫びはしっかりと家臣達の心に風を吹かせていた。
最初はそよ風でもその風は次第に大きくなり遂には海をも荒らす暴風となった。
その風を心の船は一身に受けて荒波を進み始めた。
一度進んだ船は留まることを知らずただひたすらに加速をするばかりであった。
『集められる船全部集めろ!』
『海図だぁっ!海図持ってこい!』
『策立てんぞ』
家臣達が口々にわめき出した。
「お前ら…!」
一朗太はそんな家臣達に感嘆の声を漏らした。
その時、
「殿!ご指示をっ!」
そう言ったのは砲船だった。
一朗太は驚き、
「と、殿!?」
と声をあげたが守部が、
「はい、水吉様がご不在の今我らの殿は一朗太様貴方です」
とやさしく言った。
守部のその言葉に一朗太は気がついた。
そうか今は俺が頭なんだ、こいつらに道を指し示さなければならないのか…。
よっしゃ!ならやってやる父上を助ける為に!
「戦力を結集させろ!だが三好にはバレるな!それと各城の守りを固める、急げっ!戦が始まるぞ!」
一朗太は家臣達に命じた。
家臣達は、
『はっ!!』
と頭をさげた。
やれる絶対にできる。
根拠の無い自信が一朗太の胸の内からフツフツと沸き上がっていた。
だが海羅鬼の悪夢はまだ終わらない。
あれから約1日。
遂に戦力が結集した。
洲本の港には、三好の包囲を掻い潜ってきた軍船100艘が堂々と繋がれていた。
既に兵達も乗り込み準備は万全だ。
戦術は海羅鬼の十八番である関船陣形に少しを手を加えた物だ。
軍船は良く使われる物で二種類だ。
小型で小回りが効く小早。
水押造りという船主が箱形でそれで水を切るという造りで、櫓40丁以下の船で防御力は低い代わりに早いので補助船として機動力を武器に戦う。
次に中型の関船。
これは海羅鬼では主力として使われる。
櫓40丁から80丁までで水押造り。
総矢倉造りという、船主から船尾迄を全てぐるっと楯板で囲んだ物で、さらに楯板の間には狭間がありそこから鉄砲をうてる。
大砲も積めるため攻守ともに高い船である。
他にも安宅船という指揮官様の大型の船があるのだがそれが出てくるのはまだ少し先だ。
因みにこのころの軍船には基本帆がなく櫓というデカイオールの様な物で船を動かしている。
船の大きさもこの櫓の数で決まる。
関船陣形というのはこの軍船の内小早をほとんど無くし関船のみにする戦法で速度は落ちるが攻撃力が格段に上がるのだ。
だが今回は少し手を加え砲戦関船陣形という陣形でいく。
これは本来陣の突端にいる砲船率いる大筒関船隊を薄く伸ばしてぐるっと陣を囲む様に配置するのだ。
今回は敵のど真ん中を無理矢理突っ切るので敵に確実に囲まれるその為に全方位均一の攻撃力を保たなければならないのだ。
「この策成功するだろうか?」
次郎太が港に浮かぶ船を見上げながら言った。
この策の発案者は次郎太だ。
一朗太は、
「何言ってやがる!今更弱気になんてなるな、もう走り始めちまったんだ!後は成功信じて走り続けるだけだろ!」
と言いながら次郎太の背中をバシッと叩いた。
次郎太は苦笑いを浮かべながら、
「不思議だな。兄上に言われると安心する」
と言った。
一朗太それに対してニッと歯を出して微笑んだ。
その時、
「一朗太っ!」
後ろから呼び止められた。
二人は振り向いた。
「私達も連れてって!」
「母上、三郎太、四郎太、五郎太、那古…!」
そこには母上達が息を切らして立っていた。
「な、何を言ってるんだ母上!死ぬかもし…!」
止めようとする次郎太を一朗太は制した。
一朗太は皆に向かって、
「死ぬかも知れないぜ…?」
と聞いた。
波は、
「水吉様なら胸を張って『死なせない』って言うわよ?」
と言った。
一朗太はその答えを聞くと満足したのか笑顔になると、
「よっしゃ!乗れっ!」
と自分が乗る関船を指差した。
「兄上っ!!」
次郎太が焦った様に言うが一朗太は、
「安心しろ、何があってもあいつらは死なせないさ」
と落ち着き払っていた。
次郎太もその様子を見て妙な安心感にかられた。
戦いの時が近づく。
「乗るか…!」
一朗太のその言葉で二人は船に乗り込んだ。
今、水吉を救うための戦が始まる。
だが、まだ水吉を救えると決まった訳じゃない。
「海羅鬼海賊!出港ーっ!!」
一朗太の声が辺りに小玉した。
それと共に船は一斉に港を出た。
一朗太達が一斉に出港してしばらくがたった。
もうそろそろ敵が出てくる頃だろう。
船上の兵達の殺気がドッと上がった。
今回一朗太達は洲本を出てひたすら北東に進み大阪を目指す。
大阪には海羅鬼の館と港があるので安心だがそれまでの道中に敵の船団が待ち受けている。
今はその時を今か今かと待ちわびていた。
「そういえば俺達これが初陣だな…」
次郎太が不意に思い出した様に言った。
一朗太もそれで気がついた。
「そうだな、これが俺達の初陣だ…!」
今まで一朗太にとって戦とはどこか遠くの絵空事で夢や希望だけが募っていた。
でも今それが現実となった。
今まで膨れ上がっていた物がどんどん大きくなり希望が増した。
「勝てるだろうか?」
次郎太が言った。
だが一朗太にとって勝ち負け等問題ではなかった。
戦場に立つその事だけが一朗太の中で暴れまわり今まで募らせた物を破裂させた。
「ったりめぇっだ!勝つに決まってる、だって俺達は海賊!海賊に『負け』なんてありえねぇんだ!」
と雄叫びをあげた。
そんな一朗太の様子を見て次郎太にも勇気が湧いた。
「兄上がそう言うなら勝てる!」
そう言って微笑んだ。
その時、
「前方っ!船首の方向に船団!紋所から三好の船団です!!」
と声が響いた。
一朗太は
「行くぜ!」
と言って右手をあげた。
次郎太は、
「あぁ、兄上!」
といってその右手をパシッと叩いた。
乾いた音と共に二人を固い友情が繋ぎ止めた。
今いくぜ、父上!
「敵船団の右翼に突っ込め!全船砲門用意っ、囲まれるぞ!」
一朗太は命を飛ばした。
全ての船が一斉に砲門を開けた。
砲門から覗くのは黒光りする大筒だ。
『間もなく接艦します!』
「鬨の声をあげよ!」
次郎太が叫ぶ。
『うぉーっ!』
『うぉーっ!』
『うぉーっ!』
兵達がそれに合わせて一斉に叫び出す。
味方の士気が上がる。
『突っ込むぞー!』
兵が告げる。
一朗太が叫んだ。
「敵船団に向けて、撃てーっ!」
ダァンッ!ダァンッ!
三好の船に向かって砲弾が撃ち込まれる。
だが大筒は三好も撃っていて、敵の砲弾もこちらに飛来していた。
『散れーっ』
両船団は散会し砲弾を避けようしたが、その程度砲弾は避けられるものではなく瞬く間に両船団から黒煙が上がった。
それが開戦の狼煙となった。
海羅鬼船団は三好の船に体当たりを仕掛けた。
バキバキっ!
という木が砕ける音が鳴り響く。
それでも海羅鬼は進む。
「船首、大筒放てーっ!」
砲船が叫ぶ。
それと同時に突端の船が一斉に船首の大筒を放った。
三好はそれを避けるため左右に割れるしかなかった。
『道が開いたぞ!』
船と船の間に僅かながら道が浮かび上がった。
これで進路は決まった、あとは持久戦だ。
ここから抜けるだけでいい。
そうすれば勝ちだ!
だが敵は容赦なく大筒を撃ちかけてくる。
乗り込んで来る者もいる。
外側の船は敵の餌食となる、それでも留まらずに沈むその時まで勝利を夢見て戦う。
それは圧倒的な指導者がいるからだ。
水吉、そしつ一朗太と…。
偉大さは紡がれる。
「あれは…!」
一朗太は感嘆の声を漏らした。
一朗太の眼前に光が指した。
戦いに血塗られた風景がその瞬間光輝いた。
「で、出口だ!あそこに行けば勝ちだ!」
一朗太は叫んだ。
その声に戦っている将兵達も喜びの声を挙げる。
進めっ!
海羅鬼進め、仲間の屍を踏み越えて。
一朗太は後ろを振り向いてみた、そこには無数の仲間の骸と骸骨の旗が浮いていた。
昔、水吉が言っていた。
この骸骨の紋はどんなに苦しい戦いでもどんなに犠牲を出そうとも信念を折ることなく歩み続けるという決意の表れだと。
だから俺は進む、いつかもっと強くなってお前達の骸を拾いに来てやるから、それまで待っててくれ!
一朗太は再び前を向いた。
出口は直ぐ側だ、敵は俺達を行かせまいと攻勢を強める。
あと少し!もう少しで…!
「進めぇーっ!!」
突然一朗太の視界が開いた。
え…っ!!
一朗太は驚き後ろを見やった。
三好の船団はもう後ろにいた。
じゃあ…!
「出たぁーっ!!」
一朗太を含む生き残った将兵達は声をあげて喜んだ。
「勝った!兄上…っ、勝った!!」
次郎太も感情を隠しきれていない。
「あぁっ!俺達の勝ちだ!勝ったんだ!」
二人は抱擁しあった。
全兵士が歓喜に沸いていたその時、
『南西の方向に船団!三好だっ!三好がまた!』
それは凶報だった。
一朗太達は皆その方向をみた。
そこには先程と同規模の船団がこちらに全速力で迫ってきていた。
「嘘だろ…っ!」
歓喜に沸いていた兵達はいっきに絶望に叩き落とされた。
どうすればいい?
さっきの戦闘でもう大分戦力を失ってる。
どうしたら勝てるんだ!
その時一朗太達の船にピタリと横を着いてくる関船が一隻。
それは守部の乗る船だった。
守部は甲板で黄昏ていた。
「爺…っ?」
一朗太は消え入りそうな声でいった。
「若、貴方は海羅鬼一門の中で一番素行が荒くいつも問題ばかり起こしておりましたね…」
「そ、そんな事言ってる場合じゃ無いだろ!」
「貴方のせいで私が何度、殿にお叱りをうけた事か…」
「爺…」
「ですが、それでも某が若にお仕えしたのは貴方に希望を見いだしたからです。貴方の雄大な背中に海羅鬼の運命を、某の命をたくしてみたくなったのです」
「おい、まさか…っ!」
「一朗太様っ!貴方には人を集める才がある、それはまさしく大名の才ですから立派な大名になられるのですよ!この老骨最後まで海羅鬼の一朗太様の将として生き、そして死ねる事幸せに思いまする…っ!」
守部はそう言って微笑んだ。
だがその目には涙がボロボロと止めどなく流れていた。
「じ、爺!よせ止めろ!」
「守部隊!これより我らは敵に突撃を仕掛ける、ここが年貢の納め時!命をかけて敵を足止めするのじゃっ!!」
『うぉーっ!』
守部隊は進路を変え突如現れた敵船団に向かう。
「止めろーっ!!」
一朗太の叫びはもう守部には届かない。
「我!海羅鬼家臣、守部役吾郎!いざ勝負!」
一朗太様、この老骨をお許しください…。
できることなら貴方の造る海羅鬼を、世界を共に歩みたかった…!
守部隊から黒煙が上がった。
「爺゛ぃーーっ!!」
一朗太はペタンと崩れ落ちた。
その場の全ての者がその様子を呆然と見ていた。
今、また一つの命が消えた。
その時皆は気がついたこれまでに沢山の人間が犠牲になっていた事、次は自分かも知れないことを…。
守部隊の奮戦のお陰で一朗太達は何とか戦域を抜けた。