部外者
『フリージャーナリスト 久住恵太朗の事件取材記録』より抜粋
9月3日
Y市長手台1丁目の木造2階建てアパート『コーポ長手代』203号室にて男の腐乱死体が発見された。
第一発見者は同アパートの大家である片平重夫(63)。片平は同日13:00に隣人である202号室住人、岡田恵(32)より「隣室から異臭がする」という連絡を受け、203号室の住人が数年間部屋に引きこもり状態にある事を知っていた大家は、岡田の求めに応じ2同室を訪れた。再三の来訪に応じない事を不審に思った片平が合鍵を使って入室したところ、住人である前島涼平(28)の遺体を発見した。
同日14:03に市警刑事課に入電、同課、岩崎真警部補並びに杉谷翔太巡査部長が現場へと踏み込んだ。
遺体は腐乱状態が激しく、検視により死後3週間から1ヶ月程経過していると判明。また首筋から胸部に掛けて刺傷痕が十数箇所あり、死因はそれによる出血性ショック死と診断された。
さらに、遺体は左耳及び右手小指が切り取られており、その特異な遺体の状況及び殺人に使われた凶器の関連性から、警察はこれをY市内で起きている連続殺傷事件の一連の被害者と断定。その捜査権を県警捜査本部へと移行後、既に拘留中であった同事件容疑者、朝比奈鏡子を前島涼平殺害容疑で再逮捕した。
尚、容疑者は8月5日深夜の周防宏太殺害の3日後、同市成宮町にて巡回中であった生活安全課、藤倉澄夫警部補により連行されており、その間に前島殺害を実行したのであれば、前述の死亡推定時刻も一致する。
一連の事件の共通点としては、その残虐性もさることながら、遺体の指を切り取り持ち去るという異常性にあると言えるだろう。以下は前島涼平を含む5人の被害者と損壊され持ち出された部位を記したものだ。
(並びは殺害の時系列順)
沢田央介(28)成宮町第二児童公園、公衆便所内にて殺害(親指)
篠崎明美(27)駅前ホテル街雑居ビルにて殺害(薬指)
身元不明の男性(不明) 同上 (なし)
周防宏太(27)アルバイト先のガソリンスタンド店洗車場にて殺害(中指)
前島涼平(28)被害者自宅アパートにて殺害(小指)
これらは容疑者が逮捕時所持していた、一部腐敗した4本の指と血液、DNA鑑定とも一致している。
無論、五指を連想させる最後の「人差し指」も捜査上に挙がり、本来それに対応するターゲットがいたのではないか、または、すでに殺害済であり、前島同様未発見のままになっているのではないか等、様々な憶測が飛んだが、真相は不明である。
中には篠崎明美と同日に殺害された身元不明の男性を「人差し指」とする向きもあったが、事件の異常性、執着性を鑑みればその可能性は低く、当時の捜査によりデリバリー型の風俗店に勤めていた篠崎明美が当日客であったこの男に現場である雑居ビルへ拉致されていたという状況証拠も重なり、本来この身元不明の男は殺害すべきターゲットではなかったのではないかというのが大方の見解である。
さらに、一連の事件で重要となるのが容疑者と被害者との関係性だ。
第一の被害者である沢田央介巡査の上司でもあり、容疑者確保にも貢献した藤倉警部補の証言によれば、両者はY市御影丘にて社会福祉法人雲雀会が経営する「ひばり幼稚園」(8年前に閉園)の同窓生であり、県外在住であった容疑者が20年ぶりにY市へ帰郷した際に、沢田へ接近してきたという。
捜査本部は他の被害者に関しても容疑者と一定の関係性があると見て、当時「ひばり幼稚園」で保育士を勤めていた麻田良枝(58)に証言を求めたところ、身元不明の男性を除く4人全てが同園の卒園者であることが判明した。
容疑者と被害者を繋ぐ糸がふいに浮かび上がった事から、事件は殺害動機の解明に尽力が注がれた。
唯一、第三者に接触を認められた沢田央介に関しては、ストーカー被害を匂わせた容疑者が沢田を殺害現場へと呼び寄せたという経緯も藤倉警部補から証言され、前後の証言と現場の状況から一定の親密さが窺えた両者ではあったが、当時すでに妻帯者であった沢田に少なからず思いを寄せていた容疑者が、その事実に激高し殺害に至ったではないか。というのが、捜査本部の一様の見解である。
しかしながら、他4名に関しては容疑者と接触した一切の目撃情報がなく、ほぼ通り魔的に犯行が行わていることから、一見被害者が無作為に選ばれたのでは、とも取られたが。第二の被害者でもある篠崎明美の殺害現場状況から、ある程度の計画性がなければ犯行が難しいケースもあり、動機の解明は困難を究めた。
また、殺害動機解明に並行して、容疑者自身の人格にも捜査の重点が置かれた。
朝比奈鏡子は、前述の通り幼少期をY市で過ごしている。その後他県に引越し20年余りY市とは距離を
置く訳だが、これらの経緯には彼女の実母が多大な影響を与えている。
シングルマザー家庭で育った彼女は、幼少期に母親から度重なる虐待を受けており、食事さえろくに取らせてもらえなかったという。近隣住民から通報を受け児童相談所に保護される際、その体重は4歳児の平均体重のわずか半分程度だった事もあり、相談所は事の重大性となにより母親自身に育児放棄、虐待を改善する兆しが全くなかったため、すぐさま一時保護所から雲雀会が管理する児童養護施設へと送致した。
その後、集団行動と人格形成支援のため、系列施設であった「ひばり幼稚園」へ入園させる(この時の在園者名簿に、容疑者並びに被害者4名の名前が記載されている)が、朝比奈鏡子の入園期間は僅か3ヶ月程度であり、その後里親を名乗り出た県外在住の老婦人によって引き取られている。(里親は両名とも3年前に他界)
相談所は経過確認として、定期的に里親と連絡を取り合っていたが、引越し後は特に目立った問題もなく順調に小中高と学生生活を送っていたようである。ただひとつ不審な点として、彼女は季節を問わず左腕に手袋をしており、人前ではけしてそれを外さなかったという。これは連行時の彼女の風貌からも合致している。
警察の調べでは、彼女は左手の薬指に金属製のボルトを指輪のようにはめ込んでおり、長期間装着し続けたその指は、まるでそれだけが幼少期から時が止まったように一本だけ短く痩せ細っていたという。
ともあれ、わずか3ヶ月の間とは言え「ひばり幼稚園」にて容疑者と被害者4人は同じ時を過ごしていたという確かな事実があった。
真っ黒な感情などとは無縁だったはずの幼少期、この5人の間で何があったのか。
そこで生まれた「何か」が、なぜ20年以上の時を経て「殺意」へと変わったのか。
いずれにせよ、朝比奈鏡子自身の口から語られる事がない限り、真実は闇の中に葬られるだろう。
朝比奈鏡子は現在も、逮捕当時から一貫として黙秘を続けており、捜査機関は精神鑑定も視野に入れ捜査、取調べを継続している。