KASHIWAGI:2016 甘い香り
日曜のランチタイムが終って麻布十番の駅から程近いカフェでは、経営者である柏木がカウンターの中でグラスを磨き上げている。目の前のカウンター席にはオープン当初から通い詰めてくれている百目鬼という40代後半の男性が静かにコーヒーを飲んで居る。
白の煉瓦造りの店内には、テーブル席がたった5卓。それでもこの界隈では規模としては小さくはない。落ち着いたクラシックが流れている。三十代後半に差し掛かった柏木が緩やかにウエーブがかかった長い髪を束ねた頭を少し下げてグラスを覗きこむ。
「この前また雑誌に載っていただろう?会社の女の子が騒いでいたんだ。イケメン店長と美形揃いの店員達だって。」
ソーサーにカップをゆっくりと下ろしながら百目鬼が思い出し笑いをしながらそれを言う。
「うちのコンセプトなんでね。顔がいいのをそろえると広告料をかけなくても勝手に口コミで客が来るんですよ。」
中年に差し掛かっているとは思えないほど艶やかな表情でニヤッと笑うと、百目鬼に背を向けてグラスを棚にしまい込む。
「あざといな。」百目鬼が口元を上げて言うと、「経営者ですからね。」と柏木も口角をゆったり上げる。
百目鬼は顔を店内に向けると女子高生くらいのグループと、深刻そうな顔をした男女が向かい合っているのを見て元に戻る。
「若い子はあれか?保くんを見に来ているのか?」
常連らしい気安さで店員の一人である保の名前を百目鬼が出すと、柏木は可笑しそうに目尻を下げる。
「アイツ、ゲイなのに見てくれがあんなだから居るだけで若い女がどんどん来てくれるんですよ。」
ははっと百目鬼は声を出して笑い、再びコーヒーを口に運ぶ。
女の子達の話し声が賑やかに聞こえて来る。残念ながら目当ての保は今日は休みで来ていない。他の店員ももうすぐ昼と夜の交代の時間なので厨房などで作業をしている。
「だから、もう無理なんだって!」
先ほどから何やら暗い表情で話し合いをしていた二人のうち、男がそう言いながら立ち上がる。
がたんっと椅子が音を立てたし、その場に居た誰よりも大きな声でそれを言うので、一瞬にして場が静まり返る。
20代と思われる男は注目を浴びていることに気が付いて、苦い表情をする。言われた方の同じくらいの髪の長い女は自分の顔を覆うように髪を横で下ろしたまま俯いている。
男が小さく唇を噛むと手を握りしめる。
「ごめん。」柏木は耳には届かなくても男の口がそう言うのを見る。
そして、目をきゅっと瞑ると女を残して去っていく。女はそれを目で追う訳でもなくただ俯いている。
「柏木君、あの子に甘い何かをだしてやってくれるかな。」
百目鬼は真っ直ぐ前を向いて柏木を見上げて言うが、柏木は首を振ってため息をつく。
「余計なことだと思いますよ?」
百目鬼は目尻で笑っていいからと言う感じで顎でしゃくって柏木にやるように促す。柏木は渋々甘いキャラメルマキラテを手際よく淹れていく。甘い香りを含んだ湯気を上げたそれを柏木はトレーに乗せてカウンターから出る。
黒い長いエプロンを揺らしながら女の元に行くと、そっとそれをテーブルの上に置く。
「あちらのお客様がこれを。」
女は出されたそれを見てから静かに面を上げる。
「私惨めに見えるんですね。」
女は元気はなかったけれど意外としっかりとした口調でそれを言い、柏木をしっかりと見据えている。
「そんなことないですよ、きっと口説きたいだけだと思います。」
柏木は肩を上げて困ったような顔をしてそう言うと、女はふっと肩の力を抜いて小さく笑う。
「あちらの方ですよね?」
女が柏木の体で遮られて見えないようで、体を少し斜めにしてカウンターを覗きこむ。
「お礼とか言わない方が賢明です。あの人、落ち着いて見えてかなりの肉食なんで。しかも、あの年で。」
その言葉にまた女が柔らかく笑う。柏木はこの人は笑うとかなりイケると思う。
「笑わない方がいいな。ますます、あの人がやる気を起こすから。」
女がそれを聞いて何か言おうと口を開きかけると、奥のテーブルで女子高生のグループが「すいませーん。」と柏木に向かって手を上げる。柏木はそれを目で受け止めてから女に言う。
「あの人が居なくなったら笑ったらいいですよ。」
女は柏木の忠告にますます笑顔を広げて頷く。
柏木は女子高生グループの元へ行く前にちらっとカウンターを見る。
言わんこっちゃない。
百目鬼が真っ直ぐ女を見て、そして微笑んでいる。
目をくるっと回しながら、それでも柏木は楽しそうに視線を落とす。
甘い香りが漂っている。
オムニバス企画
「YUUNA:2016」作者 藤田なない
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