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『意志と表象としての世界』 ショーペンハウアー  研究試論

作者: 舜風人

『意志と表象としての世界』 ショーペンハウアー



いまどきショーペンハウエル(ショーペンハウアー)など


誰もしらないだろうが


その昔は結構流行したものだった。


といってもその主著であるこの本は


分厚くてとても完読は無理?なので


そのもっぱら道徳論の部分ののみの


普及版で


いわゆる厭世哲学の御大としての認知だったが


厭世哲学と女性蔑視?の哲学者として有名だった。


もちろん一生独身だった。


が、隠し子がいたという説もある


インマヌエル・カントも独身だったが


カントはどうやら、不能だったらしい?




さて下世話はこのくらいにして。




ショーペンハウアーの哲学の主旨は


「この世界は私の表象としての世界である。』ということとと、


つまりドイツ観念論哲学の伝統に完全に追尾していること、


次には


 「その世界を動かすのは世界意志である」という


実践哲学としての道徳論というこれは


結局彼の愛好したストア派の道徳論に行きつくわけである。


なぜなら世界意志は衝動的で破壊的であるからである。


それから逃れるには


インドの古代の知恵のように


悟脱するしかないからである。



その書名にもなっている如く彼の哲学の主点は


この二つのテーゼに集約されるだろう。


ショーペンハウエルの哲学の根幹は


ドイツ観念論哲学の骨子に


ストア派道徳論と、


ウパニシャッド哲学の輪廻論や悟達を結びつけたものと推定される。


彼は父の残した遺産を完全に管理して




ベルリン大学の非常勤講師に一時的に務めたが


講義が不評で辞めている。


その後は


在野の哲学者として終わった。



のちにニーチェは


この意志としての世界を援用して


ビーレツールマハト(権力への意志)を書いた。


といってもこれは遺稿であり、


未完成草稿だったものを編集者が


類推してまとめたというものであるが。


ショーペンハウエルの世界意志の認識とは


もっぱらストア派的な禁欲的なモラルでふうじこめるべきもので



まあいわばルネデカルトの『隠れて生きよ」 を実践するべきと説いたが、




ニーチェは


ディオニュソス的な


酒と宴会とダンスとの


つまり祭典的な享楽の意志?だったのだろう。


内向きな意志と外向きな意志の違いとでもいおうか?


生きとし生けるものは意志によって成長している


いわば生命論哲学である。


それは強大を求め


力を求める。


つまりは


マハト(力)へのヴィーレ(意志)である。


それは永劫に伸びる命でもある。


それは決して途絶えることなく


永劫に回帰する。


だから


今の自分の人生を


恨み悔やみ嘆いても無駄である。



むしろ


私はこの人生を


全肯定すると高らかに宣言して


生き切ることこそ


必要なのだ。






より詳しくこちらに続きますのでこちらをご覧ください、↓


ショーペンハウアーの世界観  「意志と表象としての世界」とは?

https://ncode.syosetu.com/n2073dj/

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