第七話
シーヴ達が出て行って、わずかな時が経った頃に、再び部屋がノックされ、クリスティーナは、応対に向かう。
相手は先ほど使いに出した護衛兵の一人だ。その相手からクリスは頼んだものを受け取ると、宿にある台所へと向かう。
すでに、火などが入れられており、支配人はいつでも使えるように準備をしてくれていた。
早速クリスは料理に取り掛かる。
まず卵をわり、この地方に伝わる酒と、わずかに果実の汁を混ぜ、軽く火を通し、簡単な卵酒を作る。
続いて、この宿にある、良く冷えている牛乳に、グレープフルーツやアップルなどを細かく切り、それらを混ぜ合わせ、加えて人参などを細かく刻んだ野菜をいれて、最後に軽く蜂蜜をたらして、デザートを作り、食器に盛る。
ほんとに簡素な料理だが、胃には優しく、消化に良いものなので病人食として人気がある食事だ。
シーヴが幼い頃、風邪などを引いたときに良く作った食事でもある。
そして完成した料理を、エルネとフレードリクの部屋までに運び、扉をノックした。
わずかに沈黙が流れたが、フレードリクが扉を開けて応対に出てきた。
「あの、先ほど簡単なお食事をご所望ということで、お持ちいたしました」
「ああ、これはありがたい。このような立派な宿では望めないかと思いましたが、卵酒まで用意してくれるとは、主に代わってお礼を申し上げます」
そういって金髪でくせっ毛のような巻き毛で、15歳にしては背が高く、どちらかというと体格も立派なフレードリクはお礼を言う。
「いえ、当然のことです」
クリスティーナは表情をあまり変えるタイプではなく、普段であれば、人に冷たい印象を与えるタイプだが、恩人に対して無表情を装うのは、失礼に当たると思い、わずかに微笑む。
「あの……ヴィクセル様のご様子はいかがですか? シーヴ様……大公女殿下も気にしておりました。もし差し支えなければ少し部屋に入れていただき、お礼を申し上げたいのですが」
「ふむ……では少々お待ち下さい。主に確認してまいりますゆえ」
そういって、受け取った食事を持ち、一度部屋の中に戻るが、すぐに現れて、部屋の中にクリスティーナを誘導した。
部屋の中では、エルネがベットから上半身だけを起こし、ぎこちない手でスプーンを掴み、何とか食事を口の中に運んでいた。
「あー痛い! ったくろくにスプーンも掴めなくなるなんて、だから同調は嫌いなんだ」
『なんかまるで僕が悪い言い方みたいだけど、はっきりいってただの修行不足だよ。自分の力不足を恨むんだね』
「あれだけ家でやってきたのに、まだ足りないって言うの?」
『当たり前でしょ。人間がそう簡単に強くなれるもんか。早く動けるようになってくれないと、温泉に入り損ねちゃうんだからね。まったく』
「なんだかんだいって結局それが言いたかっただけかよ……」
思わずクリスティーナはどうすればいいのか困惑してしまい、立ち尽くす。
なぜなら、端から見ていると、エルネが独り言をブツブツ言ってるようにも見えるからだ。
そんなクリスティーナに気付いて、エルネはソードとの会話を打ち切り、クリスティーナに視線を向けた。
「こんな夜なのに、無理言って悪かったね。食事は美味しく頂いているよ。あ、あとお礼の言葉は、もう不要だから、昼間散々聞かされているのに、また聞かされたら、さすがにこっちもどう対応していいか分からなくなっちゃうしね。公女殿下にも、その旨を伝えておいてくれたらありがたいな。形でお礼がしたいというなら、王都について一段落したときでいいからさ」
一気にここまで言われて、さすがのクリスティーナも言葉を失う。
まず改めてお礼をいい、体の具合や、なぜ従者が一人しかいないのかを聞こうと思った矢先に、先に食事のお礼を言われ、あまつさえお礼の言葉はすでに受け取っているから、不要だといわれれば、出鼻をくじかれたも同然だ。
こちらは大公女殿下お付きの侍女だが厳密に言えば、身分としてはそれほど高くは無い。ゆえにエルネの言動は特に非礼には当たらないのだ。
それでも瞬時に言葉を頭の中から選び取り、それをエルネに向けた。
「分かりました。ヴィクセル様がそうおっしゃるのであれば、ひとまずお礼の言葉は下げましょう。お食事に関しましては当然の事ですのでお気になさらずに。また公女殿下に伝える旨ですが、そちらの件も了承いたしましたが、公女殿下のご気性からして、恐らく了承を得るのは難しいと思われますので、そちらはご考慮下さい。それで一番肝心な件ですがお体の具合はいかがですか?」
「見ての通りだよ。さすがに喋れる程度の回復は果たしたけど、ろくにスプーンは掴めないわ、体が筋肉痛でまともに歩けないわ、最悪だよ。でもまあ、そっちも無事でよかったからいい結果といえるのかな?」
厳密に言えば、護衛から死傷者が出ているので良い結果とは言いがたいが、それは彼らには関係ないことなのでクリスティーナは頷いた。
「ええ、おかげさまで公女殿下にもお怪我は無く、一安心です。まさかヴィクセル侯爵家のものに救われるなんて、精霊に感謝しても感謝しきれないですね」
本来ならここで、エルネ自身にもお礼を言いたかったのだろうが、お礼は不要と言われているので、精霊に感謝するという言葉で遠まわしにお礼を述べた。
「先ほど歩けないとおっしゃいましたが生活に何か必要なものがあればこちらで取り揃えますので、何なりとお申し付け下さい」
「それはありがたいな。なら、早速なんだけど、着替え一式がほしいかな。恥ずかしながら荷物を持たせていた馬を、昼間の戦闘でおいてきてしまって、おまけにつなぐのを忘れていたものだから、家から持ってきたものが、ほとんど無い状態なんだ」
「わかりました。早速手配いたします。あと、ぶしつけな質問になりますが、なぜ侯爵家に連なる方が従者お一人なのですか?」
ここで、黙っていたフレードリクが口を挟む。
「まあ、色々ありましてね。簡単に言えば家族との不和が原因です。これから家を離れるんだからお前達の世話には、もうならないとおっしゃって家を飛び出してきたようなものなのですよ」
「こら! フレードリクいきなり我が家の恥になるようなことを言うな」
「おや? エルネスティ様、普段はあんな家なんてどうでも良いとおっしゃられながら、家名に傷がつくのを良しとしないのは矛盾しているんじゃありませんか?」
「そ……それはほら……───あ、兄上、そ、そう下手に家名が傷ついたら兄上が困るじゃないか。あんなやつらなんてどうでもいいけど、兄上が困るのはよくない」
「そうですか。まあそんなわけでして、従者もエルネスティ様の乳母兄弟である俺……私一人で勤めているわけです」
この言葉から分かるように、フレードリクはカイサの実の子供であり、若くして亡くなったオートレーム子爵の息子でもあるのだ。ゆえに成人……──つまり17歳になったときに子爵位を継ぐことを王家から許可してもらっている状態であり、現在は準爵位の身分なのだ。
同い年ということもあり、兄弟同然のように育ってきているので下手をすれば家族より気心が知れているそんな関係だ。
「そうですか……お話は分かりました……」
クリスティーナといえどさすがにそう答えるのが精一杯だった。家族仲の事まで口を出すわけには行かなかった。
「しかし変だよなあ……」
「変ですか……?」
急にそんな事を言われクリスティーナは首をかしげた。
「うん、魔霊って確かに悪意を持って人を襲う存在なんだけど、あれだけの群れをなすことは滅多に……───というより、あるはずがないんだ。多くても精々5~7体がいいところなんだ。最も精霊の考えていることなんて分からないから、今まで僕が知らなかっただけかもしれないけど……でもあれだけの属性の魔霊が群れをなすってのもなぁ……」
「あの、どいうことでしょう……?」
「精霊同士だとそれほど気にならないみたいなんだけど、魔霊の場合、相性というか、仲間意識が普通の精霊に比べて結構はっきりしているみたいなんだ。例えば火と水はお互いに苦手意識を持っているし、風と土も同じだね。苦手意識があるだけでお互い戦いあったりはしないけど、今回、基本に連なる全ての属性の魔霊が群れをなしていたわけでしょ? その辺が引っかかってね……まあ、でも僕も領地で火と水の組み合わせの魔霊と戦ったこともあるし、必ずしも絶対というわけではないみたいだけど……あれだけの多さの組み合わせはさすがにねえ……」
精霊の一族といわれたヴィクセル家の者にこういわれて、クリスティーナは瞬時に青ざめた。
「誰かに狙われた……ということですか? つまり偶然ではなく必然であったと?」
「そこなんだよね……狙われるって言ってもさ、魔霊と意思疎通できる人間なんているの? 少なくても僕は聞いたこと無いな……やっぱり偶然なのかなあ」
そこまで言って、最後の一口を平らげ一息つく。
「さて、食事は美味しかったよ。卵酒のおかげで体も温まってきたし、僕はもう眠るよ。食器は明日の朝下げに来てくれれば良いから二人とも退室してくれるとありがたいな」
そう言われて、クリスティーナとフレードリクが部屋を出た。
フレードリクはクリスティーナを部屋まで送ろうと彼女に申し出て、普段なら断るところだが恩人でもあり断りにくいと言うこともあり、その申し出を素直に受けた。
「背中の傷はもう大丈夫ですか?」
唐突にフレードリクから声をかけられた。
「そうですね。まだ痛みはありますが、我慢できないほどではありませんから」
「傷が残らなければ良いのですが……いや、傷が残ったとしても貴方の美しさが損なわれるものではありませんね。これは失礼しました」
大柄な金髪の少年はそういって笑顔を向けるが、クリスは取り澄ました表情のままだ。
「いえ、ご心配してくれてありがたいことです。もう部屋に着きましたのでお見送りはここまで結構です。助けていただいた上、ここまで気を使ってもらいありがとうございます。ヴィクセル様から頼まれた着替えは朝一番にご用意させていただくので、本日はこれで失礼します」
そういって部屋に早々に引き上げた。
「ふむ……脈なしかな……」
一人廊下に取り残されたフレードリクはそのまま自分の部屋へと戻る。
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部屋に戻り、ようやく一人になって自分の時間が持てるようになったクリスティーナはそのままベットに体を投げ出し疲れを吐き出すように息を吐く。
ほんとに色々な事が起こり、頭の中で整理が追いつかないのだ。
そして最後に金髪の少年に言われた言葉を思い出す……────思わず赤面してしまった。
彼の主であるエルネは綺麗な瞳を持ちどちらかというと童顔タイプであるが、フレードリクはあの歳で体つきも良く大柄で、精悍な顔つきを思わせるタイプの男性だ。
大公領にいる間は男に口説かれている暇などあまり無く、たまに声をかけられても公女第一を旨としていたので素っ気無く全て断っていたので、唐突に美しい、などといわれ嫌味を感じさせないその雰囲気は、15歳の少女の心をくすぐるのに充分であった。
思わず表情に出ないようにするのが精一杯で、その反動で最後は素っ気無い態度を取ってしまった。
「もうっいきなり何なのですか……」
普段とは違う素の口調でつぶやく。
「はぁ……変に表情に出なかったかしら……思わず素っ気無い態度をとってしまったけど不快に思われなければよろしいのですが……外の貴族様って、みんなあんな感じなのですかね……でもヴィクセル様は全然違いましたし……」
そうして再びフレードリクの言った言葉が頭にリフレインする。
再び顔が熱くなるのを感じたクリスティーナ。
さらに自分達を助けてくれたときのことを思いまだす。
あの化け物から発せられた風の刃の雨を土の精霊の力で防ぎ、自分達に笑顔を向けてくれた金髪の少年の笑顔は、クリスを安心させるのに充分な笑顔でもあった。
「素敵な方なのは間違いないですね……って何考えているのですか! クリスティーナ。あなたはシーヴ様の教育を大公様から任されているのですよ。色恋沙汰はまだ早いです。それにヴィクセル様のお言葉も気になりますし……」
そう言って顔を枕に押し付けて無理やり目を閉じた。