第三章~エピローグ
戦いが終わり、やっとの思いで三日月湾に辿り着いたエルネ達。
そこでは港にいる多くの人が彼らの注目をした。
船はボロボロであり、その船から下りてくる兵達はみな怪我を負っており疲れきった顔をしているのだ。まるで海賊にでも襲われたかのような様相で、特に他国から来ている商人などは警戒の色をあらわにする。
海賊が出没したとなると、帰りが心配になるので当然の事だが、大公はその配慮を怠らず、近海に出没した族は討ち取ったので安心して欲しいと、各兵に指示を出し、触れを出す。
そうして重い足取りの中ようやく見慣れた自分の屋敷へと向かったが、その屋敷の前には大公の愛娘であるシーヴが待ち構えていた。
「お父様!!」
大公の姿を見て思わず駆け寄るシーヴ。
「……お怪我をしているではありませんか……念のため医者を多く呼び寄せておきました。早く治療に当たって下さい」
「シーヴよ。お前の指示なのか?」
「ええ、デニスから聞きました。万が一の事態に備えて、この街にいる医者や、近隣の街に使者を飛ばし集めておきましたけど……予想よりひどい状態ですね……それでも生きて戻られて何よりです」
心配そうな顔から、喜びに満ちた顔へと変化するシーヴの顔を見て大公は感慨深げにうなずく。
愛娘がこのように手を打ってくれていた事に嬉しく思ったのだ。
「さすがは我が娘だ。はははは」
疲れが吹き飛んだのか豪快に笑いシーヴがこの屋敷に来たときと同じように彼女の体を高く持ち上げて喜びをあらわにする大公。
「もう、お父様。そのようなことをしている暇はありません。兵達もようやく帰ってこれたのです。早いところ指示をなさって下さい」
「む、むう……そうであったな……よし」
咳払いを一つして、大使をまず客人の部屋に通すように使用人に指示を出し、兵達にもそれぞれ指示を出す。
その間にシーヴは父の元を離れ何かを探すように視線を巡らせ、目的の人物を探し当てる。
「エルネ!」
兵達の中に混じって、彼らと同じように疲れきった顔をしている黒髪の少年を見つけ、シーヴはすぐに駆け寄ったが彼女に視界に入ったものが思わず歩みを止めさせる。
「……デニス……その腕はどうしたのだ!」
「これはシーヴ様。お見苦しい姿をお見せいたしました」
フレードリクに肩を借りながら弱弱しい笑みでシーヴに答えるデニス。
「そのようなことなどあるはずがなかろう! その腕はどうしたのだと聞いているのだ!」
親しいものが体の一部を欠損しているという状況に慣れていないのだろう。
恐らく激しい戦いの最中にその怪我を負ったということは、いくらシーヴでも容易に推測が出来るのだが、あえて聞くということはそれだけショックな出来事である証拠だ。
「油断をいたしましてこのような結果となりました。全ては自分の未熟さのせいです」
未だ激しい痛みがあるにも拘らず、シーヴに心配をかけまいと気丈に言い放つデニスだが、それは無理な話だ。
すでにこのような姿を見た時点で、シーヴはデニスの体を気遣うに決まっているが、それでもデニスは微笑を絶やさずにシーヴに目線を向ける。
「と、ともかく早く治療に迎え! 早くしないと腕が生えてこなくなるぞ!」
すでに左腕は失われ、それが生えてくるなどということはありえないのだが、相当混乱しているのか、シーヴはデニスに向かって思わずそう言葉を向ける。
そんなシーヴの言葉を否定することなく、デニスは微笑んだまま「それではお言葉に甘えます」と言ってフレードリクと共にシーヴが呼び寄せた医者の下へと向かっていった。
「エルネ。お前は怪我はないのか?」
「ええ、何とか無事帰って来れました」
残された黒髪の少年に心配そうに向き直るシーヴ。
思わず駆け寄り、エルネの胸に飛び込む。
「今朝からお前の姿が見えなくてな……心配したぞ……せめて一言、言ってくれれば……」
エルネの胸に顔を押し付けながら、か細い声で体をわずかに震わせているシーヴ。
そんなシーヴの体を少し照れながらも軽く包み込むエルネ。
「申し訳ありません。シーヴ様のお心を騒がせる真似はしたくなかったので……」
「勝手にいなくなられるほうが我が心は騒がしくなるのだがな」
「ははは……」
「我が目の前でずいぶんと面白い真似をしてくれるな。ええ? アステグ卿」
その声にシーヴは思わずエルネを軽く突き飛ばす形で離れ、エルネもその勢いに押されわずかに後ずさる。
見るとそこにはあらかたの指示を終えた大公が立っており、今にもエルネに大剣を振り下ろさんばかりの形相で睨みつけていた。
「お、お父様! いきなり声をかけてくるなんて驚くじゃありませんか!」
「む、いや、すまぬシーヴよ。しかしな……その……なんだ、わしというものがありながら目の前で他の男といちゃつくのはあまり感心せぬぞ……」
まるで自分がシーヴの恋人なのだというような言い草に、シーヴは思わず瞬きをしてその大きなアイスブルーの瞳をパチクリさせた。
「お父様……私もお父様を愛してはいますけど……それとこれとは話が別です。エルネは私の……そのむ、む、婿なのですから!」
顔を真っ赤にしながらついにはっきりと言い切ったシーヴ。
エルネ自身も顔が赤くなるのを自覚し、それとは対称的に大公はまるでこの世の終わりだといわんばかりに絶望の表情をする。
「ま、待てシーヴよ! そ、そのことはわしはまだ許可しておらぬのだがな……」
「では、今許可を下さい!」
うっ! と言葉に詰まる大公。
なにやら、言い表せないような思いの表情をそのままに後頭部に手をやりぼりぼりとかく。
「お父様? もしかしてエルネに不満があるのですか?」
愛娘の不安そうな顔を見て勝てるはずがない大公ではあるが、こればかりはかなり重要な事柄である。
いくらなんでも今までと同じように、そのわがままを聞いてやるわけには行かないのだ。
「あ、いや……不満はないのだがな……そのこう言った事柄にはそれなりの手続きが必要となる。わし個人としては……その」
シーヴは無言で大公を見上げ、次の言葉を待つが、そのまま時間が流れる。
そんな時、使用人の一人が、大使の待遇について話があると申し出てきたのでこれ幸いにと話に乗り出し、逃げるようにしてその場を後にする大公。
二人の少年と少女はそんな大公を見やり、少女は不思議そうに、少年は苦笑しながら見送った。
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大公領近くにある海岸沿いで一人の男が疲れたような重い足取りで浜辺に着く。
「またタダ働きかよ……ほんとヴィクセルが関わるとろくなことにならねーな…・…お宝は全部海に沈んじまったしよ」
『ヒゴロノオコナイノセイダ』
何処からともなく声が聞こえる。
「そうか? 結構こう見えても仕事は真面目にやってるんだがな……」
影は何も言わず答えない。
「いきなりだんまりかよ……しっかしあの坊やの精霊……お前に近かったんじゃねえか? 知り合いかなんかか?」
『サテナ、ワレノキオクニハナイ』
「はん、じゃあやっぱり違うのか。ともかくあんまり出会いたくねえな。精霊の一族か……やだやだ……」
そういって男は海岸を背に森へと消えていった。
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夜、大公領の屋敷で簡素ではあるが大使の歓迎会が催された。
本来ならもっと派手にやるのが通例だが、あの戦いで皆が皆疲れきっており、また大使も使者を悼んであまり派手にやるのは好ましくないという理由から、そのように簡易な歓迎会となったのだ。
そんな催し物から抜け出しエルネは中庭を歩いていた。
「どうしたんですか? シーヴ様が探しておりましたよ」
彼の従者であるフレードリクがエルネの姿を見つけ声をかけてきた。
「ああ、フレードリクか……なに、少し考えたいことがあってね」
「……」
フレードリクは主のそばにたたずんでおり沈黙を守っている。
「なあ、フレードリク……あの時の僕の決断は正しかったと思うかい?」
「……さて……確かにあの時は大使を優先するという大公様の御意思は間違ってはいないとは思いますが……もしそれで大公様が倒れられる様な事になれば果たして正しかったのかどうか……私には分かりかねます。ただ結果だけを言えば大使様もご無事で、大公様も怪我は負いましたが命には別状はありません。なれば正しかったといえるのでしょうが……」
エルネは思う、あの時の決断で一歩間違えれば大使も、そして大公も失われこの国に混乱をもたらしたのではないかと。
フレードリクの言うように結果だけを見れば全て丸く収まったかのようにも思えるが、それでもエルネは本当に正しかったのかどうか自問自答する。
そしてそれが決断するということなのだと自覚をして、あらゆるありえた出来事に想像を巡らせ、その中にはエルネが想像しえる最悪の結果も含まれており身震いする。
「……寿命が縮む思いだよ……」
寿命が縮むどころか一回まぎれもない死を体験した彼にとっては笑えない話だ。
「私も同じでしたよ……デニス殿は左腕を失いましたし……船の上では多くの兵が叫びを上げながら死んでいくのも見て取れました……」
何かを思う少年二人は同時にため息を吐く。
身近な人が傷つき倒れていくという経験は彼らにとっては決してなれたものではない。
その経験が二人の少年の気持ちをわずかに重くさせているのだ。
「姿が見えないと思えばこのようなところにいたのか。大使が貴様に是非お礼を言いたいと申し出てきてな、わしが直々に探してきてやったわ」
見やると月明かりに照らし出されたアルノルド大公が二人の少年の前に立っていた。
さすがにエルネとフレードリクは驚きの表情を隠せない。
ホストが招待客をほったらかしにしていいものなのかと疑念を抱くが、大公は気にすることなく言葉を続けた。
「少しは一人前の顔つきになったようだな。最初に会ったときとは大違いだ」
少年二人の顔を見やり、思いをそのままに口に出す大公。
エルネは今まで大公から来る目線は好意的ではないと感じていたので、大公のこのような態度に少し困惑する。
「それと、改めて礼を言わせて貰おう。我が娘の命だけではなく大使を救い大公領が混乱せずに済んだのはまぎれもなく貴様のおかげだ。よく決断したな」
「大公様……いえそんなこの国に仕えるものとして当然のことです」
「謙虚なものだ。なかには欲望に目をぎらつかせ鼻を高くして自分の手柄を自慢するものもおると言うのに……さて、わしからも褒美をやらねばな。受け取れ」
そういうと大公は一枚の封筒をエルネに差し出す。
「これは?」
「王都に戻ったら国王にそれを渡せ。それが褒美になる」
褒美を渡すわりには、なぜか苦虫を噛み潰したような表情で苦悶に耐えているようだ。
「だが、いつでもその褒美は取り消せるのでな。ゆめゆめ鍛錬を怠らぬよう精進しろ!」
そういって背を向けて立ち去る大公。
なにがなんだか分からぬが、エルネはその封筒を懐にしまいこみフレードリクと顔を見合わせながら首をかしげた。
そんな少年達の前に今度は左腕をなくしたデニスが現れる。
「なんだ。こんなところにいたのか」
苦笑しながら近づいてきて二人の少年に軽く挨拶をするデニス。
なくした左腕の傷口には包帯が巻かれ痛々しい姿をかもし出しているが、デニスは気にする様子はない。
「デニス殿? 怪我のほうは良いんですか?」
フレードリクがデニスを気遣うが、デニスは苦笑しながらうなづく。
「一通りの治療は終えたからな。未だにジンジンと痛みが来るが我慢できないほどじゃない。それにお前達にはお礼も言いたかったしな。本当に今回は助かったよ。招待客にも拘らず、大公家の揉め事に手を貸してくれた事、本当に感謝しても足りないくらいだ」
「いえ、事は大公領だけの事とは限りません。エスタニアの大使様が失われればわが国としても黙っていられませんでしょうし」
これはエルネだ。
エルネの身分から言えば敬語を使う必要はないのだが、文字通りエルネはデニスに敬意を払っている。
王都などでも水晶宮でのシーヴの過ごし方などエルネ達を通じてデニスはやり取りをしており、親しい間柄ではあるが、エルネは彼に対して敬語を使っている。
「それでもだ。貴君らにはやはりお礼を言いたいのだよ」
「そういえばデニス殿……大公様が村を焼き払ったということは事実なのですか?」
エルネにとっては初耳であり、フレードリクは船の上でアントンと大公のやり取りを聞いていたので疑問に思ったことを聞いた。
デニスは表情をゆがめ、なにやら難しい顔をしていたが、大きく息を吐き覚悟を決めそれを話した。
「俺もあの時は子供だったからな、詳しくは分からないが……簡単に言えば疫病さ。それも勢い良く広まってな。アントンの村だけじゃない。それを含めた三つの村がやられたんだ。あのまま手をこまねいていればもっと多くの被害があったといわれている。俺も当時は村の少年だったからな。その噂はすぐに耳に入ったよ。丘の向こうにある村で疫病が流行ったがその村は大公様によって焼き払われ食い止められたってな。あんときは他人事だと思っていたが……」
「大公様が指示をなさって……」
ぽつりとつぶやくエルネ。
「さっきもいったが俺がガキのときの話だ。ただな大公様はその後一ヶ月間水しか口にしなかったって当時から仕えている使用人は言っていたな。どんなお気持ちだったのか俺には分からん」
そしてその時、疫病の魔の手から逃れ、焼き討ちからも運よく逃げおおせた少年は恨みを心に秘めて、何食わぬ顔で大公の私兵に志願をして、頭角を現し大公の側近となりチャンスをうかがっていたというわけだ。
「……重いね……」
そのときの大公の決断が正しかったのか間違っていたのかエルネにはとても判断がつかないが、それを決断し実行した大公はそれが正しいと判断しやってのけたのだ。
もし自分が同じ立場に立たされればそれをやってのけるかどうか自問自答した。
そしてシーヴを娶り大公領を背負うということがどういうことなのか、ようやく実感し始めたのだ。
「ああ、フレードリク殿。クリス殿が探しておられたぞ。パートナーを務めて欲しいんだとさ」
話題を変えるようにニヤリと笑い、暗い空気を吹き飛ばすかのような物言いだ。
フレードリクもそれに便乗して軽く笑顔を見せる。
「エルネスティ様、それでは戻りましょうか?」
「ああ、僕もすぐ行く。もう少しだけ夜風に当たらせてくれないかな?」
「あまりシーヴ様を待たせると厄介なことになりますよ」
「余計なお世話だよ」
そのままフレードリクとデニスは苦笑しながら歓迎会の場所へと戻っていく。
「誓いを立てたばかりだしな……とにかく頑張らないと」
「何を頑張るのだ?」
突然声をかけられ思わず心臓が跳ね上がったが、そこには小麦色の肌を月明かりに照らされドレスに身を包んだ少女が腰に手を当てて目を釣り上げている。
「シーヴ様? びっくりさせないで下さい」
「驚かせるつもりはなかったのだがな。お前の姿が見えないから探しに来てやったのだぞ。全く何処にいるのやらと思ってはいたが、まさかここにいるとはな」
なんか皆に似たようなことを言われているなと思いつつも怒っているシーヴをなだめるエルネ。
「すいません。少し考えたいことがありましたので」
「……あのな考え事も結構だが、その考えには当然私のことも入っているんだろうな」
相変わらず顔を真っ赤にしながら恥ずかしい事を聞いてくるシーヴ。
そんなに恥ずかしいなら聞かなければいいのにと思いつつも、優しく微笑む。
「そうですね。シーヴ様の事についての考えなので」
面と向かってそういわれますます顔を赤らめるシーヴ。
「そ、そうか当然だな。うんうん」
「シーヴ様。そういえば恋人の石を試してはしませんでしたよね? よろしければ今試しましょう」
そういって懐から以前商人から買った恋人の石を取り出し青い部分を掴むエルネ。
「ま、待て……そ、それは一つしかないのであろう失敗したら」
「大丈夫ですよ。それとも私とは試したくはないのですか?」
シーヴの言葉をさえぎるようにエルネが言葉をかぶせる。
もちろんエルネとてなんら根拠があるわけではないが、せっかく買ったのでこの際だから試さなければもったいないと思いシーヴを促す。
「そういわけではないのだがな……むしろ……ええい分かった! 試そうではないか。石ごときに我等の仲を邪魔されてなるものか」
シーヴは目の前に差し出された石を見やり、大きく息を吸いながらも恐る恐る手で掴み取る。
「では、合図と同時にやりましょう。1、2、3」
同時に力を込めると、恋人の石は色分けされた部分から綺麗に割れた。
「や、やったぞエルネ! 見よ! 一発で成功したではないか! やはり私達はそういう縁で結ばれておるのだ」
思わずエルネの胸に飛び込み喜びをあらわにするシーヴ。
エルネの表情からも思わず笑みがこぼれる。
やがて、二人の顔はゆっくりと近づいていき、目が閉じられる。
そしてお互いの唇が重なり合い、そんな二人を虫達が祝福するように鳴いていた。
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数日後、エルネ達が王都に戻った次の日に、エルネスティ・アステグ準伯爵とシーヴ・ブレンドレル大公女殿下の婚約が発表され様々な思惑はあるものの、周りの人たちからは祝福された。




