第十五話
「はあっ!」
気合の声と共にフレードリクの槍が魔霊を貫く。
もう一体の魔霊がフレードリクの背後から火の塊を吐き出してくる。
「後ろにも気をつけろ!」
デニスの一喝が飛び、薄い水の膜によってその火は伏せがれ、弓隊の援護によってその魔霊は虚空へと散っていく。
「ありがとうございます!」
「お礼を言うのはこっちだが、それはこの場を切り抜けてからだな」
背中合わせにお互い声を掛け合うフレードリクとデニス。
大公も怪我をしながらも兵達を指揮して時折、大剣をふるい周りを固めている兵とともに魔霊を退治して行く。
しかしさすがに幾人かの術師と普通の兵だけでは手に余るのだ。
救いとしては足止めのためだけによこされた魔霊なのでそれほど多くはないが、やはりそれでも傷つき倒れていく兵が目立っている。
一匹の魔霊が咆哮を上げフレードリクに向かって風の刃を放つ。
「精霊さん! お願いします!」
表情をゆがめながらも精霊の力を借り、土の壁でなんとか風の刃を相殺するも、力が緩みその場で膝をつく。
精霊の力を借りすぎれば精霊騎士は精霊に喰われ自我を失うが、では術師の場合はというと、体全体に倦怠感がのしかかり動く気力を奪われ、体力すらも消耗するのだ。
限界を超えればどうなるかというと、答えは超えない。
簡単に言えば体力が尽きれば重いものが持てなくなるように、精霊の力が発動しないのだ。
精霊騎士との違いをもっと細かく言えば、まず威力などが第一に挙げられる。
第二に持続力などが上げられるだろう。
精霊騎士に比べ簡単に限界がやってくるのだ。
ゆえに精霊の力を借りるときは力の配分を考えなければならない。特にこのような戦場であればなおさらだ。
すでにフレードリクもデニスもお互い限界に近い。
あと一、二回精霊の力を借りれば、お互いその場で崩れ落ち指一本動かせなくなるだろう。
しかし魔霊達は未だ健在であり、攻撃の手を緩める様子はない。
「はぁはぁ……デニス殿まだいけますか?」
「悪いがさっきので打ち止めだ……くそ……」
二人ともすでに肩で息をしており、武器を持つのでさえやっとの思いと言ってもいいだろう。
そんな二人に水の刃が襲ってくる。
二人はなんとか体を動かしその刃を回避するが、上空に残っている飛行型が甲高い雄たけびを上げながら垂直にフレードリクの真上から急降下してきた。
「フレードリク殿!」
デニスは思わず叫ぶ。
「死ぬときはベットの上って決めているんですよ!」
槍を真上に突き上げ、カウンターに近い形で飛行型の魔霊を屠るフレードリク。
デニスはそれを見て思わずホッと胸を撫で下ろしたがそれが油断となった。
「え?」
デニスの口から間抜けな声が放たれる。
彼の視界には自分の左腕が宙に舞っているのが入ったのだ。
わずかな油断その隙を突き、水の魔霊が放った水刃が彼の左腕を奪い去ったのだ。
「があああああああ!」
あまりの痛みにその場で腕から流れる血を撒き散らし転げまわるデニス。
その声は他の兵たちにも届いたが、そのような絶叫はすでにあちこちから上がっていたので気にする余裕がない。
「デニス殿!」
フレードリクが思わず叫ぶ。
「気を取られるな! 目の前のことに集中せんか!」
大公の豪声が轟く。
デニスは大公にとって腹心ともいえる部下の一人だ。にも関わらず見捨てるような言い草にフレードリクは思わず大公に不敬ともいえる視線を向けたが、大公はその視線に気付いていないのか、あるいは気付かない振りをしているのか、ともかく指揮を取り続けている。
「くそっ」
思わず毒づくフレードリクだが、確かに構っている余裕はない。
「貴様ら!」
怒りと共に槍をふるい、近くにいた魔霊に直撃し魔霊がぐらりと崩れ落ちる。
その隙に別の兵が剣をつきたて止めを刺し魔霊は虚空へと散っていく。
さらに混乱を極める船の甲板でフレードリクはあちこちに怪我を負いながらも槍を振るうが戦況は一向によくならず、彼の体力が消耗されていくばかりだ。
いやフレードリクだけではない。他の兵も動きが鈍ってきており、中には生気が抜けすでに諦めに入っている兵すらも見て取れる。
(こんなとこで死んでたまりますか!)
フレードリクはどんなに劣勢になっても諦めず周りの兵と協力し連携を取り槍をふるい、時折わずか牽制程度に土のつぶてを放ち、相手の動きを制限して槍を突き入れるが、本格的な限界が彼の体にもやってきた。
槍を持つ手に力が入らないのだ。
「……精霊さんに頼りすぎましたか……もう少しいけると思ったんですが……」
相変わらず肩で息をしながら、そうつぶやくフレードリク。
ちらりとデニスのほうを見やるが、うずくまったまま動いていない。
(無事だといいんですがね……)
周りには三体の魔霊がフレードリクを取り囲んでいる。
(……さてこいつらを相手にどれだけ持つのやら)
それでもなおフレードリクは目に力を入れ相手を見据える。
とたんに魔霊が地面に────正確には甲板だが────溶け込むように消えていき、今までの戦闘がなかったかのように静かになっていった。
「……消えた? どういうことです……エルネスティ様?」
フレードリクは思わずエスタニアの船のほうに思わず視線を向け、様子を確かめた。
視界に入ったのは船はボロボロだが、遠くてよく分からないが戦闘の気配はないみたいだ。
「……決着がついたのですね……」
根拠はないがなぜかそう思い、その場でへたり込むフレードリク。
「さすがに今回ばかりは死を覚悟しましたよ……」
魔霊退治の時はつねに精霊騎士がそばにいて実感しにくかったこともあるのだろう。
精霊騎士のいない対魔霊戦がこれほど大変だったとは……と思いながらフレードリクはなんとか立ち上がりデニスの元へと駆け寄る。
「デニス殿大丈夫ですか?」
「ぐあ……ま、魔霊はどうした?」
状況を把握できなかったのであろう、痛みに慣れたのかうめきながらもそう問いかけてくるデニス。
「取り合えずいなくなりました」
簡潔に問いに答え傷口を確かめるフレードリクだが、デニスは自分自身ですでに応急処置を施していた。
衣服の一部を切り裂き、傷口よりも上の部分、すなわち肩の部分辺りをきつく縛り上げ、血止めをしていたのだ。
とはいっても完全に血の流れをとめることなど出来ないのでこれが今出来る最も適切な応急処置ともいえる。
「……あの戦闘の中、よく冷静にそのような処理ができましたね」
本心からデニスを賞賛しその思いがそのまま口に出るフレードリクだが、デニスは別の事を口にした。
「大公様は無事なのか?」
「ええ、無事ですよ。大公様は立派な方と思っておりましたが……」
ここでいったん言葉をとぎらせるフレードリク。
これ以上の発言は不敬だと思ったのだろう。
そんな少年の心を看破し、苦笑しながらデニスは答える。
「フレードリク殿、私の勘違いでなければ、大公様の指揮に疑問を抱いたようだな?」
フレードリクは沈黙して答えない。しかしここで沈黙するということは肯定するのと一緒だ。
「あの時の大公様は別に間違ったことは言っていないぞ。あそこで私に気を取られてみろ。君自身の身すら危うい可能性があったし、また大公様も私一人に構って指揮が疎かになってしまえばもっと多くの犠牲が出る。そう判断なされたのだ」
「……理屈はそうでしょうが……」
「それ以上は心にとどめておけいつか分かる」
そういうと、苦痛に顔をゆがめ、わずかに血を腕から流しながらも何とか立ち上がり、大公の下へと向かうデニスとそれを見送るフレードリクであった。
戦いが終わり、ようやく平穏が訪れた船の上では兵たちが大公の指示によって慌しく動いている。
フレードリクも動けない怪我人に肩を貸して船内に簡易ではあるが設置されている治療所へと運ぶのを手伝っており、そんな中、一隻の船が大公の乗っている旗艦に接舷して幾人かが向かってくる。
その様子をフレードリクは伺うと、兵達の様子に何か緊張が走っている感じがした。
一団を率いているのは、アントンであり、大公の無事を確認しに来たというところが妥当な考えではあるが、大公はアントンを出迎えるどころか、むしろ警戒しているようだ。
それでもアントンは特に気にすることなく大公に近づいていき一定の距離を保ち、そこで歩みを止める。
「大公様! ご無事で何よりでございます。このアントン一隻を任されている身でありながら大公様の身を危険に晒したこと、ただただ恥じ入るばかりでございます」
「いやなに、貴君も無事で何よりだ。まさかこのようなところでこのような目にあうとは、わしも耄碌したものだな」
笑みを見せながら部下を労う大公。しかしフレードリクが感じた雰囲気からは何かしらぎこちない空気が生まれている。
「時にアントンよ……貴様の指揮していた船はずいぶんと綺麗なものだな……帆も大して破れてはおらぬし貴様自身の鎧もそれほど汚れてはおらん。貴様の指揮がよほど優秀だったのだな……」
「兵達が獅子奮迅の活躍を見せたおかげです。今回は本当に部下に助けられました」
特に表情を変えることなく、大公の言葉を受けとめ恐縮するアントン。
大公の表情も特に変わらず、アントンを見据えたままだ。
「なるほどな、わしも部下に恵まれたようで助かったわ。しかしなあの程度の損傷であれば、魔霊を振り切ってエスタニアの船の救助に向かうことも可能だったのではないか? わしは部下を通して旗でそう指示を各船に何回も行わせたはずなのだが?」
「申し訳ありません。あの混乱の最中、見逃したようです。それに大公様の身を最優先とさせていただきましたので」
「お前ほどのものが最優先事項を見誤るはずがないとわしは思っておったのだが、それはわしの買い被りであったのか?」
アントンの言葉をさえぎるように大公が言葉をかぶせる。
一瞬言葉に詰まるアントン。
遠目の眺めていたフレードリクは訝しむ。
これではまるでアントンを詰問しているような雰囲気だ。
命がけで戦い、大公の身を案じて馳せ参じた部下に対して、このような形で言葉をかけるなど、これではアントンがあまりにも報われないのではないのか? 大公様は何が言いたいんだ?
心のうちでそう思うフレードリク。
甲板にいる兵達の間ににわかに緊張が走る。中には武器をわずかに構える者すら出てくる有様だ。
「……大公様? もしかして私を疑っているのですか?」
腹の探りあいを放棄したのか、単刀直入に大公に問いかけるアントン。
大公は沈黙して答えず、変わりに目線をアントンが引き連れていた兵に向ける。
「……貴様の率いている兵達にあまり見覚えもないな……」
全ての私兵の顔を覚えているわけではないが、大公領という狭い範囲の自分の私兵だ。
顔は覚えておらずとも雰囲気や、あるいはなんとなく見た感覚がある、などといった既知が普通はあるが、アントンが率いてきた50数人の兵にはそういった雰囲気を感じ取ることができないのだ。
さらに言えば、不思議なことに全く傷がないのも事実である。顔にも鎧にも、血はおろか、傷がまったくついていないのだ。
フレードリクもその兵の様子に気付き、はっ! となる。
「……おいぼれめが! ずいぶんと目ざといものだな!」
それが合図となり、アントン、そして彼が率いてきた兵達が武器を抜き放ち、あるいは構え大公に襲い掛かる。
大公の周りを固めていた兵もそれに合わせて、武器を抜き放ちアントン率いる兵の攻勢を食い止める。
再び甲板は戦場と化した。
「やはり貴様が裏切り者か! アントンよ! 恩を仇で返しおって!」
信頼していた部下に裏切られた怒りも加わり、大公は怒声を放つが、アントンも負けてはいない。
「恩だと!? ククク! よくも言えたな! アルノルド! 貴様が18年前、私の村にした行為を私は忘れんぞ!!」
それを聞いて大公の表情は凍りつく。
18年前、大公がやった出来事……それは一つの村を焼き払った事だ。
「ノースの村の生き残りか……」
「ははは! 良く覚えていたな。ああそうだ、忘れられてたまるかよ! エスタニアの船が襲われるという情報を流せば貴様の事だ。必ずや自ら赴くと思っていたがこうも見事にうまくいくとは思わなかったわ! 本来であれば貴様はすでに魔霊によって死んでいたはずなのだが、これはこれで良い。貴様はやはりわが剣で殺してやらねば村の者達に申し訳が立たないからな!」
「アントン! あの時はああするより他に手はなかったのだ! 今のお前にならわかるはずだ!」
「わかるものかよ!! 貴様こそ俺の怒りが分かっているのか! 母さんが、父さんが、妹が焼け死んでいく姿を見せ付けられた俺の思いが!」
剣をふるい次々と大公の兵を切り捨てていくアントンと彼の私兵。この私兵達はアントンがこの日のために密かに集めてきた手勢だ。
アントンについたのは様々な理由によるものだが、全員に共通点がある。それは皆が皆、大公に対して何かしらの恨みがあるということだ。
単純な逆恨みなどもそこには混じっている。
しかし賊達とは違って命最優先ということではないので、このような無謀な戦いとはいえ、アントンに協力したのだ。
思いは様々だが、皆大公に対して一矢報いたいそういう思いで繋がっているので、我が身可愛さに逃げ出すものはいない。
さらに言えば数では圧倒的に負けてはいるものの、大公の兵は魔霊との戦いで傷ついた兵ばかりであり、疲れ切っている兵でもある。
草を刈り取りように次々と倒れていく大公の兵達。
何故アントンが裏切ったのか状況がつかめないがともかく、大公の身を守らなければと槍を振るううがすぐに限界が訪れる。
「はぁはぁ……一難去ってまた一難ですか……クソっ」
悪態をつきながらも膝を突くフレードリク。
そしてアントンの兵の一人がフレードリクに向かって槍を突き出そうとした瞬間、矢が飛んできてその兵の命を奪った。
良く見ると、他の船が接舷してきた上に、アントンの船からも兵達が乗り込んできてあっという間にアントン達を取り囲み屠っていった。
「……アントンよ……」
大公は取り押さえられたアントンに何か言葉をかけようとしたが、思い直したのか言葉をとめる。
「……元より長生きなどするつもりなどなかったのでな……貴様を殺せるだけの手勢が集まればすぐにでも決行する気ではあったのだよ。案外時間がかかって残念だ。それにこれで失敗したとしてもエスタニアの大使が殺されれば貴様は窮地に立たされる可能性があったのだが……そちらも失敗したようだな」
ちらりとエスタニアの船のほうに目を向けると、小型の船が一艘こちらに近づいてきており、それにはエスタニアの大使と思わせる人物と、何人かの兵、それにエルネが乗っていた。
「……さあ殺せ」
「大公様」
側近の一人が大公を促す。
彼とて、アントンの同僚であり顔見知りだ。その内心はかなり複雑なものがあるだろう。
大公は無言で合図を出し、アントンはその首をはねられた。
 




