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第十二話


『エルネ! 後ろへ飛んで!』

 魔霊を切り裂いたとたんソードが叫ぶ。

 疑問に思うよりも先にエルネの体は後方へと飛びのき、エルネは正面を見定めた。

 もし一瞬でも後方に飛びのくのが遅れていれば、エルネの体にはナイフが突き入られていただろう。


 正面には20くらいだろうか、茶髪と金色の入り混じった髪をしており、猫科の瞳を思わせるような琥珀色の瞳をエルネに向けていた。

 口元を皮肉気な笑みで軽く釣り上げており、一見この場にそぐわない軽い印象を与えるが、そこから滲み出る気配は間違いなくエルネにとって恐怖となった。


 相対しただけで逃げ出したい気持ちに駆られ、思わず叫びそうにすらなったのだ。

 邪霊の気配に気付いただけではない、それならばベルガー伯爵のときにすでに経験している。ならばこの恐怖かエルネの正面にいる男の存在そのものから発せられるものなのだ。


 しかし、今まで戦場において恐怖というものをあまり感じてこなかったエルネにとって初めてまともに相対する恐怖という未知の存在に、エルネはさらに後ずさる。


「ありゃ……いきなり逃げ腰かよ。ったく久々に会ったってのに連れないねえ」

 何処までも軽い口調と態度を貫くレンナルト。


「だ、誰なんだよ! あんた!」

 今まで焦りと怒りに身を任せて武器を振るっていたエルネは、冷水を浴びせられたかのような感覚に陥り、一気に熱が冷えた。

 いや正確に言えばそれ以上というところか。

 そして見知らぬ男はさも自分を知っているように言って来たのだ。


「あん? そりゃないぜ……一度だけ面識あんだろうが……ああ、あん時、お前意識があやふやだったから覚えてねえのか」

 苦笑して勝手に自己完結する男にエルネは苛立つこんな男とだべっている暇はないのだ。


 慣れたせいか、最初に感じた恐怖はわずかに薄らいでいる。

 ソードを構え戦闘態勢を整えたが、最初に感じた恐怖が再び襲い掛かってきた。


「そう、あせんなよ。いやー俺もよ、最初の一撃で終わらせようと思ったんだが、まさか、かわされるとは思ってなくてな、さすがヴィクセルだよな。思わず興味が出ちまってよ。ナイフをかわされたなんていつ以来だろうな」

 笑みを見せながらまるで親しい友のように話しかけてくるレンナルト。


「……なんで僕の事を知っているんだよ!? それにお前邪霊憑きだろ!?」

「質問の答えその1、説明するのがめんどくせえ。質問の答えその2、今更聞くことかよ」


 ダラリとナイフを握った両手を下げたまままるで動こうとしないレンナルト。

 邪霊憑き……忌むべき存在。狂気に支配された人間に取り付く魔霊とは似て非なるもの。

 しかし、エルネが見た限り。この男が何故邪霊憑きになったのか皆目見当がつかないのだ。


 ベルガー伯爵の時は、その狂気がエルネにとっても見て取れたのだが、彼からはベルガー伯爵のときほどの狂気は見て取れないのだ。

 それはエルネの若さによって見破れないといったほうが正しいかもしれない。


 もしここに、大公などの人生経験が豊富な者がこの場にいれば、何故レンナルトが邪霊憑きなのか細かい理由はわからなくても納得するだろう。

 いや、エルネの本能もそれを薄々理解しているのだ。

 だからこそエルネは恐怖に駆られたのだが、その理由を把握できるほど彼は経験豊富ではない。

 しかし、先程も思ったことだが、このままお喋りに興じている暇はないのだ。

 ゆえに恐怖があろうと、エルネは覚悟をし、レンナルトに切りかかろうとしたが、動けないのだ。



 切り込む隙がまるでないのだ。

 イメージできたのは、どのような動きをしても自分が切り裂かれる未来が脳裏に浮かぶ。

 アントンと訓練の時にはそれなりに勝ち筋が見え、イメージすることが出来たのだが、今回はまるで違っていた。


 五つの構えと九つの軌道。ソードという武器を扱うに当たって最も基本な動きにして、攻撃の方法。

 それらを組み合わせ、あらゆる攻撃方法を一瞬のうちに作り出したが、その全ての結果が、喉を、頚動脈を、心臓を、腹を、切り裂かれ、あるいは貫かれ絶命している自分の姿しか想像できないないのだ。


(なんなんだよこいつ……)


 ゆえにエルネは一歩も動けなくなってしまったのだ。

 背を向けて逃げる選択肢もあるが、そちらも背中を切り裂かれやられるのが容易に見えるし、さらに言うならばこの場で逃げるということは大使を見捨てるということと同義であり、ありえないのだ。


 つまり、エルネにとっては死しか未来が見えない状況であり、心臓がわしづかみにされている恐怖で一杯なのだ。


 混乱しやけになり、わめき散しむやみやたらに突っ込んで命を縮めるような真似をしないのが唯一の救いともいえるが時間はないのだ。


「……おいこら、いきなり固まるんじゃねえよ……せっかく出てきたのに楽しめねえじゃねえか……それに変わった精霊だよな? 武器に宿るなんてよ……」

 キラリとレンナルトの琥珀色の瞳が光、さらに後ずさるエルネ。


「初対面に近いってのにずいぶんと嫌われたなあ、結構傷つくぜ俺……」

 どこかしょんぼりとしながらも、楽しんでいる口調だ。

 とはいえ、彼もただ単にお喋りに興じているわけではない。

 いわば見定めているのだ。


 エルネにとってレンナルトが恐怖の対象であるように、レンナルトにとってはエルネに憑いている武器の精霊であるソードがある意味、恐怖の対象となり攻撃をしてこないのだ。


 そして、こうやって、喋りながらもその力を見定め、その結果、いけると判断すればそのナイフをエルネに突き立てる算段でもある。

 初撃をかわされたこともその一因となっているだろう。


(はぁはぁ……ソード……こいつ何なんだよ……ただの邪霊憑きじゃないぞ……)

 思わず相棒に問いかけるエルネだが、ソードは沈黙して何も答えない。


(ソード? おい?)

 しかし返事はない。

 思わずエルネはソードとの同調を確かめるが、先程とほとんど変わりはない。

 つまり、同調は切れていないのだ。

 返事のないソードを訝しむが、あまり気にしてもいられない。


 どの道引くに引けない状態なのだ。

 息を大きく吸い込み、呼吸を整える。

 乱れた呼吸が静かに、規則正しくなっていく。


(……死ぬのかな……)

 エルネは思わずその事を考え、再び恐怖に襲われそうになるが、無理やりその恐怖を押し込める。

 ようやく覚悟を決め、相手をしっかりと見定める。

 皮肉気な笑み、だらりと下げた両手、その先にあるナイフ。

 隙だらけと言ってもいいほどなのに、相変わらず自分が死ぬイメージしか脳裏に浮かばない。

 整えた呼吸が再び乱れ始める。


(僕が死ぬ? 嫌だよ! ソード! 何かいえよ! 相棒だろ! クソッ……まだやりたことが沢山あるんだ! それに……ちゃんと想いを伝えていないじゃないか!)


 恐怖と悔しさでエルネの心は再び乱れる。

 ソードを握る手に思わず力が入ったが、瞬間、気配すら感じさせずにレンナルトがエルネのすぐ目の前に、立っており、左首筋にナイフを当てられていた。


「あー、ちったあ警戒しずぎたかな……噂じゃ無敵の精霊騎士様のはずだったんだがねえ……」

 ナイフは血に塗られており、レンナルトの背後でドサリと人が倒れる音がしたが、彼は気にすることなくスタスタと賊のお頭の元へ戻っていく。


 心の拠り所であったエルネが倒れるのを見て、再びエスタニアの兵は気落ちしてその場で崩れ落ちるものさえいた。


「はん、余計な手間をかけさせやがって……おしてめえら、さっさと片付けるぞ!」

 賊の号令がエスタニアの船に木霊する。


「いよーレンナルト! さすがだなあ。てめえに依頼した甲斐があったぜ。まさかヴィクセルを片付けちまうとはなあ……はは恐ろしいもんだ」

「いやあ、あいつの兄貴ならこうは簡単には行かなかったぜ……しかし……」

「あん? どうした?」

「ああいや、早めに引き上げの準備をしておいたほうがいいかもな……」

 少しだけ声のトーンを落とし、何かを考え込むレンナルト。


「ああ? だっておめえ、大公の船はあそこで相変わらず足止めされているしよ。場をかき乱したクソガキは死んだんだろ?」


 レンナルトは沈黙をして答えない。

 そう確かに、この手で頚動脈を切り裂きその手ごたえを感じたのだ。

 今まで数え切れないほどの死を量産してきた彼にとって、それを間違えることはありえなく、また確かにエルネの死の感触も感じ取ったのだ。


 しかし、なぜか彼の本能が警戒促す、理由もなく、根拠もない。

 ゆえにエルネの死体の近くに留まるのを拒否したのだ。



(……考えすぎか?)

 特に戦いに加わらず、船の縁によっかかりながら思考に精神を沈めていくレンナルトだった。



                ────────────



「あれ……僕……こ、ここは?」

 エルネは闇の中で意識を覚醒させていく。

 しかし、この場はエルネにとって記憶にない場所でもある。

 体は宙に浮いており、周りは見渡す限り闇であり、上下左右の感覚すらない。

 自分が今どっちを向いているのか、寝ている状態なのか、下を向いている状態なのか、右を見ている状態なのかゆだりを向いている状態なのか全く分からないのだ。


 それでもエルネは記憶を呼び起こす。

「……死んだのか……」


 絶望の色に染まった声がエルネの口から漏れる。

 記憶にあるのは激しい戦い、そして皮肉気な笑みをした男に自分の首を切り裂かれたこと。

 その後はとくに記憶がない。


「そんな……! 誰かいないのかよ! ソード! フレードリク!」

 闇の中でエルネは叫ぶも答えるものは誰もいない。


「だってここで死んだら……大使様は? 大公領は? それに……シーヴ様はどうなるんだよ!」

 エルネの心に恐怖が再び襲い掛かってくる。

 エルネとて武人としての教育を受けていた。

 ゆえに、ある程度の覚悟はしているし、自分は死なないとは思ってはいない。といより想像出来ていなかったのだ。


 そして死を具現化したようなあの男と対峙して、初めて死の恐怖というのを感じた。

 エルネだけの死であれば、エルネとてここまで取り乱さずに、諦めたかもしれないが、彼には死にたくない理由がある。


 ここで自分が倒れてしまったら、フレードリクが、大公すらも死んでしまう可能性が出てくるのだ。

 フレードリクは言うに及ばず、大公ですら、エルネは失いたくないと思っている。

 特に親しい間柄ではないのだが、大公を失うということは自分が想いを寄せている少女が悲しむのだ。


 もちろん政治的な意味合いも含まれている。

 下手に大公を失い、大使を失えば、大公から聞いたように国を巻き込んだ戦争に発展する可能性すらあるのだ。

 そこまで行かなくても、政治的混乱が出てくるのは間違いはない。


 しかし、エルネが大公の救助に訪れた一番の理由はシーヴのためである。

 俗人的な考えだが、シーヴがデニスの部屋でエルネに投げかけた視線はエルネにとって動くのに充分すぎるほどの理由だったのだ。


 好きな女の子を悲しませたくない、古今東西誰もが思う想いだ。

 ゆえにエルネは動いた。


 好きな子には笑顔でいて欲しいから……


 しかし結果は見ての通り、エルネの生命の灯火は失われたのだ。

「……なんだよそれ! 理不尽だろ! どうしてだよ! ふざけるなよーーー!」


 死は理不尽であり不平等でもある。

 ある程度人生を経験しているものなら誰でも思う事柄ではあるが、まだ15歳の少年にとっては理解しがたい事柄であり、遠い出来事でもあったのだ。


 身近の人間が死んだことのない人にとっては仕方のないことともいえるが、エルネは納得できずに闇の中で誰にでもなく罵声を叫び、ののしり、そして悲しむ。


 もう会えない友の顔や好きな子の顔が脳裏をよぎるがどうしようもない。

 死んでほしくない人たちが自分の死によって死んでいき、悲しんで欲しくない人たちが自分の死によって悲しんでいく。


 その事を考えるとエルネは胸が張り裂けんばかりの思いに駆られ、喉が千切れんばかりに叫び続ける。

 思考はグチャグチャでまともに考えることすら出来ない。


『うるさいなー、もう……』

 聞きなれた声がエルネの叫びを止めた。


「ソード!」

 その声を聞きエルネは思わず周りを見渡すが、闇が広がるばかりでソードの姿は全く見えない。


『ああ、僕の姿を探しても無駄だよ。君の中から話しかけているんだから』

「僕の中? ああ今はそんな事はどうでもいいよ! 僕は死んだの?」

 今更な気もしないでもないが、改めて聞くエルネ。


『死んだよ』

 打てば響くようにあっさりと答えるソードに、エルネの心は怒りに支配される。


「なんで、そんなにあっさり言うんだよ! 大体戦いの時だって僕の声に反応しないで見捨てたくせに!」


 普段なら決してそんな事は言わないエルネだが冷静さに欠いてしまったのだろう。

 自分の実力不足を棚にあげ、まるでソードのせいだといわんばかりに罵倒するエルネにソードは苦笑しながら答える。



『ああ、見捨てたわけじゃないよ。ひどいなあ……その証拠に同調は切らなかったろ? それにあの男……今の君じゃあどうあがいても勝ち目がなかったからね。取り合えず君とゆっくり話すために、一度死んでもらったのさ』


 苦笑しながら答えるソード。


「お、お前は何を言ってるんだよ! 死んだら終わりじゃないか!」

 ソードを怒鳴るつけるエルネ。自分の相棒がなにを言いたいのか、すでに冷静さを欠いているエルネには分かるはずもない。


『そう、死んだら終わりだよ。君が守ってきたもの、壊して欲しくないもの、それを君は手出しできず闇に包まれなければならない。死ぬことによって君はそれに気付いたよね? 自分の命の後ろには君が守りたいものがある』


 ここでいったん言葉をとぎらせるソード。

 一息入れて再びエルネに話しかける。


『それで今の気分はどう?』

「最悪だよ……」 

 エルネはそれしかいえない。

 まさに最悪の一言に尽きるのだ。


『それは自分が死ぬから?』

 ピシリと空気が凍るようなソードの問い。

 しばらくの沈黙……エルネは言葉を紡ぐことなく、思考する。


「……それもあると思う……けど、自分がいなくなることによって、親しい人間が悲しんだり死んだりしたくないんだ……守りたいんだよ! 悲しませなくないんだよ! 死なせたくないんだよ!」

 心のうちを吐露して、エルネは大きな叫び声を上げてソードに質問に答えた。


『傲慢な考えだよね。君がいれば誰も悲しまず、誰も死ぬことがない。そう言っているのと一緒だよ? フレードリクや大公が死ぬとは限らないんだよ?』


「傲慢でも何でもいいよ! もし自分に出来ることがあるなら、自分の周りの人たちくらい笑顔でいて欲しいんだ……」


『なら、その想いを貫き通せる?』

 曖昧な返事は許さない。

 短い言葉だが、いつものようにお茶らけた口調はない。


「貫くよ」

 こちらも短い返答だが、その思いはエルネと繋がっているソードに充分に伝わった。


『ふふ、ほんと初代そっくりだよね……あの人も傲慢な考えの持ち主だったよ……ねえ、エルネ気付いてる?』

「何をだよ?」


『僕は武器の精霊だよ? 武器とは生き物を傷つけるために人が開発したものなんだよ? もしかしたら君が守りたいものすらも傷つける可能性があるんだ。火の精霊のように暖める事は出来ないし、風の精霊のように季節を運ぶことも出来ない。水の精霊のように潤いを与えることができなければ、土の精霊のように実りを与えることも出来ない。僕に出来ることは傷つけることだけなんだ……壊すにしろ守るにしろ、何かを傷つけるのが僕という存在なんだ。そんな精霊が君の守りたいという気持ちに答えれると思う?』

 少しだけ臆病な口調に聞こえたのは決してエルネの空耳ではないだろう。


「……ソード……今さらだよ、君を使って僕だっていろんな人を傷つけてきたんだ。だったら、それが罪だというならそれを背負う覚悟なんてとっくに出来ているよ。その上で大切な人を守って見せるさ」

 誰かを傷つけるということは、その誰かから何かしらの恨みを買うにも等しい好意だ。

 エルネとて、人を殺してきた経験はある。

 ベルガー伯爵、そして今この場で暴れている賊たち。


 彼らの家族がエルネを、そしてエルネに近しい人物を恨みに思って襲い掛かってくる可能性もあるのだ。

 その事をエルネは充分に理解して、そしてその覚悟を背負うことを誓う。

 もし、人殺しの罪で報われない将来が訪れようとも、エルネは彼がパートナであること決して後悔したり恨みに思ったりしないと、心の奥底で誓いを立てる。


 大切な人達を守りたいという思いと、その罪を背負うという覚悟を持ってソードの思いにエルネは手を差し伸べた。


『エルネ……僕の秘密なんだけどさ……僕は……』

「そんなことだったのか……気にしないよ」


 そしてエルネの意識は覚醒していく。


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