第十一話
「なぜここへ……?」
エルネの姿を見てアルノルド大公は思わずポツリと漏らす。彼にしてみればエルネがここへ現れるなど想定の範囲外だ。
部下達には事の事情を伝えていたのだが、エルネやシーヴに今回の事については全く教えていない。緘口令を敷いていたわけではないので、絶対に情報は漏れないとは思ってはいないが、それでもエルネ達は曲がりなりにも招待した客人である。このように命がけの戦いになる可能性のある場所に招待した客人を連れてくるわけには行かないので、特に話す必要がないと考えていたのだ。
ゆえにここへ来るなどまさに青天の霹靂ともいえる出来事である。
「シーヴ様が不安がっていましたし、大公様の身を案じておりました。ゆえに差し出がましい真似と思いながらも、馳せ参じた次第であります」
大公の疑問によどみなく答えるエルネ。
チラリと大公が北側に目を向けるとキャデラック級の船が一隻視界に入った。
キャデラック級とは輸送に適した船であり、ガレオンが護衛もしくは戦いの適した船であるなら、荷物を運ぶ船に適した船ともいえる帆船型の船だ。
多くの商人に好まれよく使われる船であり、この国で一般的に一番使われている船とも言える。
大公が出向した後に港に訪れたエルネとフレードリクは、船を持っている商人を探し出し、なんとか人手を確保してここまで来れたのだ。
船を出してくれた商人は、以前にエルネに恋人の石を売りつけた商人であり、最初は渋っていたがフレードリクがうまく言いくるめ、船を出してもらうことができたのだ。
その際に何十枚かのモンスリーン金貨を支払い、さらにはこの国の貴族とエスタニアにコネができる可能性を指し示し、もし危険なら早々に引き返しても構わないと条件をつけたのだ。
商人もリスクとリターンを目ざとく計算して、了承したが、遠くから火の手が上がってるのを見てこれ以上近づくのを躊躇った。
ならばと思いエルネとフレードリクは水夫にさらに金貨を支払い、船に取り付けられている小型の緊急用の船を出し近づいてもらいたいと交渉した。
まざまざと金貨を見せ付けられた水夫達は快く了承し、小型の船を海に下ろし手漕ぎでここまで乗りつけたのだが、エルネだけは途中からソードと同調し空を駆け上がり大公の危機に間に合ったのだ。
当然大公は彼らの事情を知る由もなく、どうやって船を出してもらったのかなどのいくつかの疑問を持ったが今はその事を聞いている暇はないと思い直し、思考を変える。
その時に船のふちに縄がかかり、エルネの従者であるフレードリクがやっとの思いで船に乗り込んできた。
「遅いぞ! フレードリク」
従者に向かって言い放つエルネだが、フレードリクはしかめた表情のまま口答えする。
「無茶言わないで下さい!」
当然だ。彼はエルネと違って空を駆け上がることが出来ないのだから。
「さあ、魔霊退治だ! 大公様の身をしっかり守れよ!」
エルネはソードを構え、魔霊に向かおうとしたがここで大公がそれを止めた。
「待てアステグ卿!」
大公の一喝で、エルネは出鼻をくじかれる。
もたもたしている暇はないのは大公も承知のはずだ。
大公が自分の事を良く思っていないのは分かってはいるが、この期に及んで何かいちゃもんでもつけてくるのかと警戒したが、それは杞憂に終わる。大公はエルネにもっと厳しいことを要求してきたのだ。
「アステグ卿、貴様は空を駆けることが出来るのだな?」
そのような問いをしてくる大公に首を傾げるもうなずくエルネ。
「なれば……その力を持ってエスタニアの船を救ってもらいたい!」
命令ではなく頼み込むような口調だ。
精霊騎士は全て国王の直轄騎士だ。例え身分が上でも、例え大公でも厳密にエルネに命令できるのは国王ただ一人なのだ。
また、エルネは大公の部下ではなく客人である。
ゆえにエルネに命令する権利は大公は持ち合わせてはいないのだ。
だからこそ大公は命令ではなく頼み込んだ。
「しかし……!」
エルネは反論しよううとしたが、それは封じ込められる。
「貴様はそれでいいのか? ここでエスタニアの船を、大使を失ってみろ! 下手をすれば国を巻き込んだ戦争になりかねないのだぞ!」
はっ! となってエルネは大公の言葉を理解する。
そう、その可能性があるからこそ大公は自身で船に乗り込み、使者を出迎えようとしたのだ。
エルネとしては大公の身の安全を確保し、シーヴの不安を取り除くという思いが先行しており、そちらをあまり重視していなかった。
ならばここで大公が言うように、エスタニアの船に向かうべきか? しかしこちらの戦況も良しとはいえない状態だ。
自分の体は一つしかなく、自分と同じような精霊騎士は他にはいない。
ここで大公を確実に救えるのは自分しかおらず、エスタニアの船に救助に向かうことが出来るのも自分しかいない。
大公の言葉が思い出される。
────貴様一つの言葉で多くの人間の命運が左右されるのだぞ────
今は言葉ではなく行動によってだが、意味としては違いはない。
大公が真っ直ぐに自分の瞳に視線を向けてくる。
大公としては悔しい気持ちで一杯だ。
情報を掴んでおきながら、このような事なり、大公家とは関わりのない成人すらしていない若造に頼らなければいけない状況を作り出したのは間違いなく自分の愚かさが原因だ。
ゆえに、エルネが自分の頼みを聞かずこちらを優先したとしても大公は恨みに思うことはないと心に誓う。
その思いは彼の拳が良く表していた。
握りこんだ拳は震えており、自分への愚かさを心のうちで思い切り責めているのだ。
エルネは悩む。
このような立場に立たされたことのない少年にとって重要な決断なのだ。
この場から離れてしまえば大公だけではない、デニスやフレードリクといった親しいもの達すらも失う可能性が出てくるのだ。
ぞくりと寒気がエルネを襲う。わずかにその事を想像し、初めての恐怖に震えたのだ。
(どうする)
少年の思考はほんのわずか混乱に陥る。
フレードリクを見やるが、彼とて判断がつかず特に口を挟むことがない。
とはいえ悩んでいる時間はない。すでに魔霊が押し始めており、兵達はますます劣勢に立たされているのだ。
ギリッ!と歯噛みする。決断が出来ないが、時間は待ってはくれない。
激しい動きをしたわけではないのに汗が滴る。
そして、大公が頼み込んでから時間にして2分も立ってはいないが、エルネは決断する。
「アステグ準伯爵、大公様の頼みにより、エスタニアの船の救助に向かいます! フレードリク! 死ぬことは許さんぞ!」
まるで何かに怒りをぶつけるような、そんな口調だ。
それが恐らく少年が独り立ちしての初めての決断、そしてアステグ準伯爵としての初めての決断となった。
「大公様もご無事で!」
順序としては最優先に大公の身を案じなければならないのだが、それだけエルネの心に余裕がない証拠でもある。
命がけの戦いをしてきた。
邪霊憑きと戦ってきたこともあった。
大魔霊と対峙して、それを撃破したこともあった。
しかし、この決断は、それらの戦いよりもエルネから心の余裕を失わせたのだ。
「いくよソード」
『準備は良いよ』
そうしてソードと同調したエルネは空へと駆け上がる。
行きがけの駄賃だといわんばかりに、飛行している魔霊3体をそれぞれすれ違い様に切り裂き、わずかな援護して、その姿を小さくしていった。
「くはははは」
突然大笑いする大公。
フレードリクはその笑い声に思わず驚く。
「なるほどな、精霊の一族か……見事なものだ! さあ我々も負けてはいられないぞ!」
声を張り上げて、兵を叱咤する大公。
そして怪我を負った大公を守るように、フレードリクが前に出て、魔霊をその槍で1体貫いた。
「大公様、あまり前に出過ぎないように!」
「ふん、貴様らのような若造に心配されるほど衰えてはおらんわ。わしとて長年剣を振るってきたのだぞ。まだまだ若いものに負けてたまるか」
大公は笑みを見せながら大剣を構え、フレードリクや他の兵と共に魔霊に向かっていく。
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エスタニアの護衛の船2隻はすでに完全に賊に占領され積んであった大公や王国への贈答品はすでに賊の手に渡っていた。
旗艦は大使を乗せている船だけあって、さすがに守りは堅かったが、すでに戦線は崩壊しており、兵が個人で戦っているに過ぎず、軍のしての体をなしていなかった。
指揮官であるサディークは祈りの言葉をつぶやくだけで、もはや役立たずと言っても過言ではなく、彼についていた副将が何とか指揮をとっているという状態であったのが唯一の救いではあったが、それでも焼け石に水よりもなお悪いといったところだ。
そして他の船からあらかた荷物を運び終えたほかの賊が合流してきており、もはや時間の問題かと思われたその時、上空から飛来した何者かが着地点にいた魔霊を切り裂き、さらに体を半回転させ、近くにいた賊を横一文字に切り裂いた。
突然の乱入者に賊達はわずかに思考を停止させる。
それは、エスタニア側も一緒であった。
黒い髪をした少年であり、手には自分達とは似ているが、微妙に違う武器が握られており、自分達が苦戦していた恐怖の対象とも言える悪魔を一瞬にして屠ったのだ。
そしてその少年はその場で声を張り上げた。
「エスタニアの船に告ぐ! 大使様は無事か? 私は大公様の命によって援軍として馳せ参じたモンスリーン王国所属、アステグ準伯爵である! 今一度問う! 大使様はご無事であらせられるか!?」
厳密に言えば命令ではないのだが、エルネは堂々とそう名乗り、大使の無事の有無を確認する。
賊達はその言葉に驚き、思わず大公の船を確認した。
大公の船が近づいてきていたのは分かっていはいたのだ。
ゆえにレンナルトがこちらを攻めていた魔霊の一部を大公の元へと向かわせ、足止めをしていたのだ。にもかかわらず、大公の援軍と名乗った者がこの場にいるということは、足止めに失敗したのかと思ったが、大公の船は足止めの場所から全く動いてはおらず、むしろ成功しているのだ。
訝しむ賊だがたった一人、警戒の色を瞳から放つものがいたが、特に今は口を挟もうとはしない。
魔霊は相変わらず兵達に襲い掛かっており、その内の4体がエルネを襲ったが、一瞬にして虚空へと追いやられた。
何が起きたか分からないほどのあまりの自然な動きに敵も味方もさらに声を失う。
「答えろ!! エスタニア!!」
心の焦りをそのままに怒声を放つエルネ。
もはや、外面構っている余裕はなく命令口調で問いを重ねるエルネの気迫に押され、エスタニアの大使は大声で叫ぶ。
「た、大使様はご無事です! モンスリーンの使者よ!」
その言葉でエルネはまず一つ、重荷が取れた気がした。
(なら後は……こいつらを蹴散らすだけだ!)
とたんにエルネはその姿を残さず、凄まじいスピードで魔霊、賊、近くにいた敵対者を片っ端から切り裂いていく。
エスタニア側は皆褐色の肌を持っていたのでエルネにとっては敵味方の見分けがつきやすく、とてもやりやすい状況だ。
「邪魔なんだよ!」
怒りと共にソードを横一文字に放ち、間合いから離れた賊一人と並んでいた魔霊1体を同時に切り裂く。
エルネはさっさとこいつらを撃滅して、大公の下に戻らなければと焦りがあり、それが怒りとなって次々と賊をそして魔霊を切り裂いていったのだ。
一瞬にして間合いに入り込み、袈裟斬りを放ち賊が倒れる。返り血を浴びる前に上空へと駆け上がり飛行型の魔霊をその勢いで貫き、着地と同時に再び賊を切り捨てる。
その戦いぶりにエスタニア、賊両方が言葉を失っていく。
「……セトだ!」
誰かが叫ぶ。
「おお! 太陽神は我らを見捨ててはいなかった! 皆武器を取れ! セトが降臨なされたぞ!」
「武の使い手とともに!」
セトとは彼らが信仰する太陽神ルーの第一の守り手とされるものであり、武神としても崇められている存在だ。
身近にあるものを自分達の信仰と結びつけるのは宗教ではよくあることだ。
また、このように自分達と敵対する悪魔に囲まれている状況であればなおさらその気持ちは強くなるのも仕方のないことだろう。
自分達が苦戦していた魔霊をあっという間に切り裂いていくその姿はエスタニアの人々にとってはエルネを武神セトとして同一視したのだ。
こうなれば信仰者とは強いものだ。
心の拠り所を取り戻した彼らの士気はあっという間に高まり、口々に叫んでいく。
「セトと共に悪魔を屠れ!」
「ルーの加護が我らを守りたもう!」
「武神が我らについているぞ!」
「武器を取らぬ者は死して後、なお裏切り者として汚名を残すことになろうぞ!」
とたんに恐怖に怯えていた瞳に力が戻り、歩ける状態ではない怪我を負っている兵ですら痛みを忘れたかのように立ち上がり、賊や魔霊たちに立ち向かっていく。
その姿は見慣れないものからすれば不気味の一言に尽きるだろう。
賊の一人はエスタニアの兵をやりで貫くも、腹を突かれた兵は口から血を吐き出しながらそのまま近づいてくるのだ。
背中に槍が通り貫通しているのにも関わらず「ルーの加護が我らをまもりたもう」などといいながら近づきシャムシールをふるって、槍で自分を貫いた賊と共にその命を散らしていったのだ。
「じょ、冗談じゃねえぞ! おい!」
賊の一人がそう言い放ち、その恐怖は次々と伝播していく。
今度は賊達が恐怖に追われる番となった。
「ひいい、なんだよてめえら! 死ねよ!」
剣でエスタニアの兵を切り裂くが彼の歩みは止まらず、賊は頭から振り下ろされた武器によって切り裂かれる。
「お、お頭ぁ! こ、こいつらおかしいですぜ!」
賊のリーダーもさすがに言葉が出なかった。
エスタニアの人間が魔霊に慣れていないように、彼らも宗教に支配された人間というのを知らなかったのだ。
人の最大の恐怖は未知によるものだと、誰かがいった。
知らないことが一番怖いのだと。
ゆえに賊達は恐怖し始め混乱していく。
「てめえら落ち着け! あの黒髪のガキだ! あいつをつぶせ! それで終わりだ!」
さすがは賊のリーダだ。
彼らの原動力となっているのもが何なのかあっさりと見破り指示を出すが、額から来る汗は激しい戦いによってくるものではない事が自分自身が一番把握していた。
一瞬引くべきかとも考えた。
すでに他の二隻からは充分にお宝は頂いている。ならば下手に無理をしないほうが特ではないかとも考えたが、あと少しでこっちの船のお宝も手に入れることができるという誘惑にわずかながら勝てなかったのだ。
すでに8割がた確定していたにも拘らず余計な邪魔が入ったことも引き上げの命令を出せなかった一因となっている。
「レンナルト。てめえがいけ。ありゃ精霊騎士だ。じゃなけりゃああも見事に魔霊をつぶせるかよ」
舌打ちをしながらも、隣にいる若者にそう指示を出すお頭。
「いやーあんまり相手にしたくねえな……ありゃヴィクセルの次男だぜ……」
へらへらと笑いながらとんでもないことを言い出すレンナルトに、お頭は驚きをあらわにする。
「……冗談だろ……」
「いんや、本気」
相も変わらない口調だ。
しかしレンナルトがこういう時に冗談を言う男ではないことは自分が一番良く知っている。
「てめえじゃ勝てねえか?」
答えのいかんによっては引き上げも考え始めるお頭だが、レンナルトはへらへらとした口調のまま答える。
「さてな……見た限りじゃ勝てそうではあるんだが……あいつら厄介だしなあ……」
「取り合えずいけ! 報酬は弾む!」
「雇われの身としちゃ辛いとこだな」
そしてスタスタと歩き、エルネの元へと向かうレンナルトだが、エスタニアの兵が当然立ちはだかる。
しかしレンナルトはまるで無人の野を行くかのごとく、歩いている。
彼と相対した兵がいつの間にかレンナルトの持っていた両の手にあるナイフで頚動脈を切り裂かれ、次々と絶命していったのだ。
レンナルトはまるでなんでもないかのごとく、前に出てくる兵を石ころ程度の認識で歩みを止めることなくエルネの前に立ちはだかった。




