第七話
夜、エルネは目を覚まし、ベットから起き上がる。
長旅で疲れており、昼間の大公のことがあり、体は疲れているのにも拘らず、浅い眠りによって目が覚めたのだ。
『眠れないのかい?』
ソードがエルネの気配に気付いて話しかけてきた。
エルネは軽く目を擦りながら伸びをして答える。
「うん、なんか色々な事があって疲れているはずなんだけどね……」
『あの大公様とんでもなかったよね』
ソードが苦笑混じりな口調とも言える言葉を発する。
武器なだけあってさすがに表情までは分からない。
エルネもそのことを思い出し、ため息を吐く。
とんでもない何処ろの騒ぎではない。
下手をすれば殺されていたといっても過言ではないほどの出来事なのだ。
とはいえ、エルネにとっては怒りなどよりも疑問のほうが大きく考えさせられるばかりだ。
「本当びっくりだよなあ……」
困った口調でどうすれば良いか分からず頭を悩ませるエルネ。
『はは、ともかく君に大事が無くてホッとしているよ。あの程度じゃ君に傷一つ付けれることは出来ないってわかっていたしね』
「結構ギリギリだったぞ。全く……」
『それよりも、この潮風なんとかならないかなあ……錆びちゃうよ』
「温泉を好む精霊が錆を気にするのか? お前も体外わけが分からないな」
苦笑しながらエルネはソードを抜き放ち、自分の持っていたハンカチで軽く刀身を拭く。
「今はこれで我慢してくれ、王都に帰ったら鍛冶屋に行って軽く手入れをしてもらうから」
『仕方ないね』
そこでエルネは会話を打ち切り、部屋から出る。
トイレに行きたくなったのだ。
フレードリクを起こさないように静かに扉を開け、廊下に出る。
廊下は全く明かりが無く、月明かりのみが窓から入り込み、それを頼りにエルネは進んでいく。
用を足し終わり、再び廊下に出て進んでいくと、見慣れない広間に行き当たる。
道を間違えたようだと思い引き返そうと思考したとき、月明かりによってそれは照らし出された。
金色の額縁の中に照らし出された肖像画。
その人物は優しくこちらをみて、まるで微笑んでいるような印象だ。
あの元気な少女よりもわずかに濃い褐色の肌を持ち、少女と同じように銀色の髪を持っている。
少女と違うのはまず年齢の部分だろう。
確実に20は超えていると思われる人物であり、少女には無い母性というのを感じさせる。
優しそうな目をしており、慈愛に包まれる。
そんな感覚だ。
エルネはその絵に吸い込まれるように魅入られていたが、背中から声がかかる。
「こんな夜中に部屋を抜け出して何処へ行く気だ?」
さすがにいきなり声をかけられ、ぎくりとしてそちらに目を向けるエルネ。
その人物はこの家の主であるアルノルド大公だった。
「大公様、すいません。用を足すために部屋を出たはいいんですが、どうも道を間違えたようです」
軽く敬礼の仕草を見せ、正直に答えるエルネ。
「……もし娘の部屋に行くと抜かしていたらここで切り捨てるところだ」
その言葉の意味を捉えて、エルネは思わず赤面する。
そしてわずかながら大公の態度の意味をようやく把握した。
「……もしかして私とシーヴ様の関係について把握していらしたのですか?」
恐る恐る質問するエルネ。
その言葉に大公は鼻を鳴らし、答える。
「シーヴが貴様と結婚したいと手紙を送ってきたわ。どうやって娘をたぶらかしたかは知らんがそのような事を許すと思うか!?」
後半は語調が強くなり、夜中にも拘らず声を上げる大公。
ここにいたり、完全に事実を把握して頭を抱えるエルネだが、もはやどうしようもない。
エルネとていつまでも内緒にしているわけには行かず、機を見て打ち明けるつもりではあったのだが、彼にしてみればタイミングが悪いとしか言いようが無い。
相手は大公家なのだ。
しかるべきときに貴族の礼式にのっとって申し込む機を見計らっていたのだが、思い切り先手を取られた気分だ。
「どうした? 何も言葉が出てこないようだな?」
厳しい顔つきのままエルネを見据える大公。
エルネの思考は大パニックだ。
表情には出さないものの、言葉を選ぶのに時間を窮する。
とはいえ、黙っているわけには行かない。
ともかく自分の気持ちを打ち明けるしかないのだ。
「いずれ機を見て、話を持って行こうとは思っていました。このような形で申し込むのは失礼に値するのは重々承知です……シーヴ様を見ているとなぜか暖かい気持ちになるのです。いつ彼女に恋をしたのか自分では自覚できません。だけどいつの間にかシーヴ様のそばにいることが当たり前になり、そしてシーヴ様がそばにいない時は心に隙間が出来ます。未熟な身である事は承知の上ですが、彼女とのお付き合いをお許したく切に願う次第であります」
礼儀を守り、自分の想いを正直に伝え、彼は大公に心のうちを伝える。
その言葉と視線を受けて大公はわずかに沈黙をし、口を閉ざす。
そして視線を肖像画のほうへと向ける。
まるで何かを問いかけるような、そんな雰囲気だ。
そしてそのままエルネに視線を向けす、言葉だけを向けた。
「その意味が、何を意味するのか分かっていっておるのか? 貴様に大公領を背負えるだけの器量があるのか? わずか15歳に過ぎない若造が、領民を、部下を率いることが出来るのか? 貴様の言葉一つで多くの人間の命運が左右されるのだぞ!」
ごくりと唾を飲み込むエルネ。
実家と縁を切り、新たに家を起こしたのはいいが、彼には部下といえばフレードリク一人しかおらず、領地も領民も持っていない。
人を率いる立場に立ったことのない彼にとって、その言葉は重くのしかかってくる。
侯爵家としての教育はある程度受けているものの、家族と反発していたことから、そして、長男であるベルトルドがいたことによって、そういった方面の教育に彼自身あまり身を入れていなかったのだ。
「実家と縁を切ったそうだな……」
ここで再びエルネに視線を向けて静かに言葉を放つ大公。
「……貴様が何を考え、どういった覚悟で縁を切ったのかわしには分からん……しかしヴィクセル家ではない貴様の立場では大公家にふさわしくないことは、貴様自身分かっているのであろう? 貴様一人の力で、何が出来る。娘の命を救ってくれたことには感謝はしている。このような形でなければわしは心の底から貴様を歓迎したであろう」
可愛がっていた娘を他の男に渡したくないという思いと共に、大公家の行く末を考えその思いを口にするアルノルド大公。
「……実力を示します」
大公の厳しい言葉や視線を受け止めながら、真正面からしっかりと答えるエルネ。
「貴様の実力など当に調べがついているわ。我が娘の命を救ったことからもさすがは精霊の一族の血を引いているだけのことはある。だが、それだけで娘を任せられると思っているのか?」
さすがに言葉に詰まるエルネ。
しかし、思考をとめるわけにはいかない。
ここで諦めるわけには行かないのだ。
だから考える。
どうすれば大公に認めてもらえるのかを、どうすれば自分達の事を祝福してもらえるのかを。
だが15歳の少年にそのような事がすぐに思いつくはずも無い。
「……シーヴに近づいてくるやつらは、皆、野心に目をぎらつかせていたわ。またシーヴの成長した姿を思い浮かべ、好色そうに鼻の下を伸ばすやつらばかりで、とても任せられるような人材はいなかった」
静かに何かを思うような口調で、再び肖像画に目を向けて、つぶやく大公。
「そういったやつらに比べて、貴様の目からは娘を思う気持ちがあふれているのが良く分かる。だが、それだけでは駄目なのだ。貴様も貴族であるなら分かっているであろう? わしはメイダに誓ったのだ。娘を幸せにて、大公領を任せられるだけの器量を持った男性を必ず探し出してみせると。権力を持てば様々な嫉妬が身に降りかかる。時には武力だけでは解決できないことも多々あるのだ。お前はそういったものから娘を守ってやる事が出来るのか?」
メイダとはシーヴの母親にして、この肖像画に人物の事を指し示す事をエルネは把握する。
大公と共にその肖像画を改めて見ると、確かにシーヴに似ているのだ。
シーヴも数年後はこのような慈愛に満ちた女性になるのだろうか……そう思いながらも別の考えがエルネの脳裏をよぎる。
今までは権力というものからは、ほぼ無縁であり、また陰謀や謀略といった類に関してもあまり縁のないエルネだ。
想像は出来ても実感はわかない。
権力による水面下での争い……それは大公家だからこそ無縁ではいられない。
貴族筆頭の権力を利用し、かつての三公爵の乱のときのように、そしてベルガー伯爵の時のように、そういった人間はいくらでも存在する。
先の二つの事件は、一つは大公家がしっかりと姿勢を示し王家に味方したことによって、そしてもう一つは偶然とはいえエルネの活躍によって、大公家は現在の繁栄を築いている。
もしベルガー伯爵の陰謀が成功していれば、下手をすれば大公家は知らないうちに手の平で踊らされていた危険性もある。
自分達の知らないところでそういった危険に利用され巻き込まれる可能性が多々あるのだ。
「明日から、わしは少し忙しくなる。その間に答えを出せ。わしがいないからと言って娘に変な真似だけはするなよ」
そうして、大公はそのまま背を向けて自分の寝所へと向かった。
後にに残されたエルネは肖像画を見上げて、しばらくの間何かを語りかけるように立ち尽くしていた。
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次の日、エルネ達が目を覚まし食卓に向かうと、大公の姿はなく、シーヴが席についていた。
「どうした? エルネ? ずいぶんと疲れているような感じだが眠れなかったのか?」
シーヴが心配そうに声をかけてくる。
そんなシーヴに優しく微笑みながらエルネは答える。
「まあ、少し考えることがありまして、あまり寝付けませんでしたね」
「ぬ、そうか……まあ、慣れない場所で緊張したせいもあるのだろう。今日は屋敷でゆっくりと過ごすがよいぞ」
「俺は良く眠れましたけどね。ほんと何から何まで一級品ですよ。あのベットの寝心地は水晶宮のそれに劣りません」
「相変わらず図太い神経をしているよお前は」
エルネは呆れた声を出して、従者を軽く睨みつける。
「そうか、フレードリクは気に入ってくれたか。うむ、それは招待した甲斐があったというものだな」
満足そうにうなずくシーヴだが、ここでエルネがある疑問を投げかけた。
「大公様はどちらへ?」
「お父様は今朝、早くに屋敷を出たそうだ。なにやら忙しいらしい」
そういえば、昨日夜中に会った時そんな事を言っていたなと思い出し、エルネは出てきた食事を口に運んだ。
「さて、エルネよ。今日は屋敷内を案内してやる。それならば疲れているお前の体にそれほどの負担にはならないだろ? この屋敷も水晶宮とまでは行かないがそれなりに広いからな。見所は沢山あるぞ」
自慢の街の次は、自慢の屋敷を案内したいらしい。
特に断る理由も無いので、エルネは苦笑しながら、了承する。
シーヴは満足そうにうなずき目を輝かせる。
「でしたら、俺はまた街の見物にでも出かけますよ。色々と興味深いものがありましたからね。クリス殿。案内のほうを頼んでよろしいですか?」
突然話を振られ、シーヴの後ろに控えている侍女であるクリスはキョトンとするもすぐに我に返り、シーヴ世話もあるのでと、その誘いを断ろうと言葉を発したが、フレードリクのほうがやはり一枚上手だ。
「あまり慣れていない街を一人で歩くのは心細いものです。親しい人と一緒に歩ければ心強いものがあったんですけどね」
しれっとした口調で、笑みを見せながらそんな事を言うフレードリク。
そしてそれに便乗して指示を出すシーヴ。
「クリス。お前も久方ぶりに故郷に帰ってきたのだ私に遠慮などする必要などなかろう。フレードリクの付き合いがてら羽を伸ばしてくるが良い」
主にこう言われ、招待された客人の頼みを無碍に断るわけには行かず、クリスティーナは了承し、食事を終えたフレードリクと共に屋敷を出て行った。
シーヴとエルネはその二人を見送って、庭に出て、その庭を散策する。
水晶宮と同じように、様々な色を見せる花達がエルネを歓迎してその目を楽しませる。
シーヴは次々と花の名前をエルネに教えて、そのたびにエルネは、うなずき、客観的に見ていると若い恋人が戯れているようでもある。
「この庭はな、お父様がお母様のために作った庭なのだ。本来であれば、南方にしか咲かない花もあってな、お父様は毎年その種を南方から輸入して、なんとか花を咲かせているのだ。元々こちらの地方では鼻を咲かせないみたいで、苦労したとよく言っておられた」
その花の色は鮮やかな紫の色をしており、とても綺麗だとエルネの目から見ても思わせる花だ。
「大公様は大公妃様ととても仲がよろしかったのですね」
身分の高い貴族の夫婦間はほとんどが政略結婚と言ってもいい。
ゆえに仲睦まじい夫婦とはそれほど存在しない。
同じ家で暮らしていくうちに育まれる愛もあるだろうが、中には同じ屋敷にいながら半年間顔を合わせないといった夫婦も珍しくは無い。
シーヴの母親は南方の王族の出と聞いている。
つまり、この国で出会って、恋愛に身を焦がした結婚ではなく、政略結婚の相手として送られてきた女性だ。
元々港を利用して、南方との貿易がある程度盛んだったこともあり、南方の王族が大公と何かしらのつながりを持ち貿易を有利にしようと思って持ってきた縁談なのだ。
にも拘らず、大公は大公妃のために故郷を思わせる花の種子を輸入して、苦心して花を咲かせえるようにしたのだ。
また昨日の夜中飾られていた大公妃の肖像を見る大公の目からは、15歳の少年にとっては計り知れないほどの想いがあふれていたのをエルネは感じ取っていた。
「お母様が亡くなった時私は小さかったからな……あまり記憶には無いが、周りの者たちが言うには、見ていられないほどの仲の良さだったと聞く」
ニコニコとシーヴはそれすらも自慢するように語り掛けてくる。
「……私達もそのような仲になれれば、とても嬉しいですね」
少し照れながら頬をポリポリとかき視線をさまよわせながら、そんな事を言うエルネ。
自分でも相当恥ずかしい事を言った自覚があるようだ。
その言葉を受けて、シーヴのほうも顔を赤らめる。
「お、お前はいきなり何を言うのだ……! わ、私達は……その……」
お互い照れがあり言葉を詰まらせる二人。
そして、ゆっくりと時間を過ごしていると、やがて夕方になり、大公が帰ってきて夕食の時間となったが大公は姿を見せずなにやら部屋にこもっており出てこなかった。




